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ホツマツタエのおもしろ記事 目次

2015-03-29 07:34

ホツマツタエのおもしろ記事
 目次


1.和歌101.八咫鏡9
2.廣田神社102.八咫鏡10
3.たなばた103.淤能碁呂
4.ひなまつり104.オノコロ1
5.住吉神105.オノコロ2
6.食と寿命の関係106.オノコロ3
7.日前国懸神宮107.オノコロ4
8.108.稜威雄走神
9.床入り109.気吹戸主
10.日高見国110.十種神宝
11.豊受大神111.皇孫降臨
12.天地創造112.そらみつやまと
13.天の浮橋113.飛鳥の意味
14.ひよるこ114.瓊瓊杵尊
15.嫁ぎ115.宮造りの法
16.天照大御神116.鴫居と鴨居
17.東西南北117.土竜の神
18.万物と四貴子118.枯生門
19.月讀命119.八将神
20.素戔嗚尊120.ウツロヰ
21.斎名121.大将軍
22.黄泉122.ヤマトの意味
23.枕詞123.和の道
24.天地歌124.源の一滴
25.蛭子125.機の織法
26.真榊126.機と政
27.つぼね127.天目一箇命
28.蓬莱128.八重垣の剣
29.高皇産霊神129.八重垣と八咫
30.国常立尊130.大和大国魂
31.常世と橘131.御諸山
32.神皇産霊神
33.高木神
34.菊理媛神
35.おみこしの起源
36.真名井
37.大祓詞
38.天忍穂耳命
39.局の怨念
40.ソサノヲ 吼ゆ
41.岩戸隠れ
42.空かさ天男
43.ソサの誓い
44.稲荷と狐
45.天狗
46.真澄鏡
47.真経津の鏡
48.ひかわの謎
49.ヤマタノオロチ
50.八雲たつ
51.曾尸茂梨
52.琴の起源
53.大物主
54.大己貴神
55.事代主
56.ふとまに
57.玉垣内宮
58.天稚彦の葬儀
59.鹿島立ち
60.天日隅宮
61.熊野
62.大国主命
63.武甕槌命
64.経津主神
65.天児屋命
66.多賀の都
67.三種の神宝
68.金華山
69.天児
70.空這子
71.大山祗神
72.思兼命
73.瀬織津姫
74.妹背鈴明1
75.妹背鈴明2
76.妹背鈴明3
77.妹背鈴明4
78.妹背鈴明5
79.妹背鈴明6
80.四十物
81.西王母
82.魂魄と魂の緒
83.
84.
85.人の発生1
86.人の発生2
87.人の発生3
88.人の発生4
89.子守神
90.勝手神
91.女のつつしみ
92.常陸帯
93.八咫鏡1
94.八咫鏡2
95.八咫鏡3
96.八咫鏡4
97.八咫鏡5
98.八咫鏡6
99.八咫鏡7
100.八咫鏡8
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語源のお話(1)

2014-04-26 19:04

■ほとんどすべての大和言葉は2音から成る動詞を起源としていますが、
すべての2音動詞が表す意味はわずか5種に収束します。
 
1. 合う/合わす。
2. 離れる/離す。
3. 行き来する/させる。
4. 正の方向に離れる/離す。
5. 負の方向に離れる/離す。
 

■アタウには「与う」と「能う・適う」の2種があるが、どちらも同じでアタル(当たる) とも同根。いずれもアツ(当つ) という動詞から派生している。
この場合「与う」は「当てる」、「能う・適う」は「相当する」の意。
アタウの名詞形がアタイ(価・値)。
 

■「息吹・気吹」はホツマでは「いふき」と表記される。
日本語では例えば「いふ(言う)」は「ゆふ(言う)」と置き換え可能であるから、
「いふき」と「ゆうき(勇気)」は同じなのではないだろうか。


■「はな」には「端・鼻・花・餞」など多くの意味がある。そのうち植物の「はな」は「はぬ(放ぬ/栄ぬ)」の名詞形だが、現在とは異り「開き・盛り・華やぎ」の意だけなく、「(大地から) 放つもの」の意から、その植物 (草・木) 全体をも「はな」と呼んだようである。


■【関と堰】
「せき(関)」「せき(堰)」はどちらも「せく(塞く・堰く)」という動詞の名詞形だが、これは「せむ(迫む・逼む)」の同義語で「合わす・狭める・閉じる」という意味。通路の狭まりが「関」、通路を囲って狭めるものが「堰」。


■別れの挨拶「さようなら」は「然様なら」である。
これは「さようならば」という意味で、「それでは・それじゃあ・そんなら」などと同じ。
「さらば」も「さにあらば(然にあらば)」の略で、やはり同じ。


■「しょっぱい」は「しおっぽい(塩っぽい)」の変化。
もう一つ「けちくさい」の意味もある。
この場合の「しお」は「しふ」という動詞の名詞形。「しふ」は「しむ(占む/締む/湿む)」の変態。だから「しおっぽい」は「しめっぽい」「しみったれてる」の同義語。


■「かい(詮・甲斐)」という言葉があって、「いきがい(生き甲斐)」などの熟語をつくるが、おそらくこれは「かえ(返・代)」の変化だろう。意味は「みかえり」「代償」。


■アーク・アーチ(arc, arch) の原義はユヒ(結い) で、結合・渡し・橋・契約 などの意。
ユミ(弓) はユヒ(結ひ) の変態で、「両端を結んだもの」という意と思うが、これは弧でもある。
弧は英語ではarc、弓はアーチェリー(archery)。



神は人、人は神なり

2014-03-26 15:21
 
天地ユキキノミチ(神示)bot ‏@ameno_iratume
これより先 大いなるメタモルフォーゼの時を迎え 度重なる浄化 さらなる好転反応 おこるべし。いよいよ この時を迎え 新たなるおんみたまとなりなりて 新たなる 天と地を繋ぐ 御柱となりなりぬ。

@ameno_iratume
大いなるメタモルフォーゼ
イモ虫はついに蝶に変身。
人が神と再会融合して、天と地はつながる。
人は神人となり、新たなる意識を獲得する。

御預二号 ‏@gejirin1 28分
@ameno_iratume
『人間はそれ自身、この宇宙の創造を司(つかさど)る造物主と称する宇宙根本主体である宇宙霊と自由に結合し得る資格を持っている!と同時に、造物主と共同活動を行う一切の力が与えられているのだ!』<@nakamuratenpu

御預二号 ‏@gejirin1 24分
@ameno_iratume @nakamuratenpu
『創造者は自分の意識を無数に分け、それぞれに独自のアイデンティティを与えた。無数の意識に独自の経験を得させるためであった。いまここに我々の意識は創造主の意識であると認識する時が来た。』<@gejirin1



ガイドの離脱(2)

2014-02-23 16:49
ガイドの離脱(2)


1999年8月21日のトバイアスのチャネリング
New Earth シリーズ1『Departing Of The Guides』からの抜粋邦訳 2/2
原文:http://gejirin.com/spirit/001-newearth_01.htm


君たちは今世、長い道を歩んできた。君たちは多くの感情的なチャレンジに耐え忍んできた。これはライトワーカーのしるしである。君たちは繰り返し生まれ来るたびに、多くの困難を耐え忍んできた。しかしこの困難な道は、それだけの価値のある美しく色彩豊かなものだった。

君たちは今ここで大変なポイントに到達した。これまで君たちは今世においても過去世においても常にガイドされていた。君たちにはいつもガイドたちが付いていた。天使たちが見守っていた。これらの面々は時々替わったが、必ず誰かが君たちに付いていたのである。

比較的最近君たちも理解したように、ガイドは君たちに代わって何かすることはできない。ただ彼らは耳元で愛の言葉を囁いて君たちを勇気づける。「もうだめだ」と感じる時、彼らは君らを慰める。寝てる君たちに代わって涙を流し、その涙は辛さや悲しみをいくらか洗い流す。

道は崖っ淵に君たちを導いた。友よ、その深い谷には橋は架かってないのである。広くて深い裂け目があるのみ。濃い霧のため対岸を見通すこともできない。どれほどの距離をジャンプすればいいのかもわからない。正直なぜ跳び越すことを求められているのかわからない。

そして君たちの道程のこのポイントは、ガイドや天使たちが君たちに別れを告げる時点なのである。これより先には我々は進めない。過去のガイドたちも、夜に君たちを訪れる天の友人も、クリムゾン会議のファミリーも、君たちと一緒に行けない。そしてこれは良いことなのだ。

なぜ君たちだけが飛び越さねばならないかと問うかもしれない。理由は単純明快である。我々のエネルギーが付きまとって干渉すれば、君たちがその神性 (divinity) と、つまり神なる自己 (Godself) と再会することができないからである。

これが我らが、さしあたって当面は君たちに別れを告げ、君たちだけを旅に送り出す理由である。今は君たちのそれぞれが本当の自分 (=神性・神なる自己) と再接続する時なのである。ほら恐怖が襲ってきただろ。君たちは幅も深さも知れない谷の縁に立ち往生しているのだ。

今は君たち各自が、少しばかり魂 (soul) を探求し、自分の内から全知全霊を汲み上げ、最大の恐怖と立ち向かい、恐怖をくぐり抜けながら前に歩む時なのだ。君たちの持つ知性的・理性的な思考はもはや役に立たない。我々は誠意を以ってこのことを告げておく。

我らは以前、今は古い書棚に戻って谷を越える方法を探す時ではないと言った。なぜならその方法は過去に書かれたことがないからである。今は君たちが以前読んだ古い言葉に慰めを求める時ではない。ガイドを頼る時でもない。遥かに強力な愛が呼び出されるのを待望している。

君たちが直面する最大の問題は信頼 (trust) だろう。君たちは人として自分のマインド (知理性) を信頼することには慣れているが、自分自身を信頼することは得意ではない。過去トラブルに見舞われた時、君たちはガイドと神 (Spirit) を頼ってきた。

しかし今ほど自己を信頼することがチャレンジされている時はない。ああ我が友よ、今は自己以外に頼むべきものは無いのだ。魔法の呪文は無い。最高の大天使(archangel)、今宵はたくさん来ているが、彼らですら谷を越える君たちに付いて行くことはできないのだ。

問題は「信頼」、チャレンジは「恐怖」、意図は「神性」なり。今こそは君たちが前に進む祝福の時である。大胆に恐怖の中を歩むことを知れ。自分の全霊を呼び出すことを知れ。神人(divine human)となることを心に選ぶべし。

君たちの知性には3次元のガイドをやらせうが良い。しかし本拠 (Home) へのナビゲートは心 (heart) にやらせるべし。今こそは神聖な時である。君たちの周りには多くの嵐がやってくるだろう。無視するべし。それらにエネルギーを奪われてはならない。

君たちには他に与える余分なエネルギーは無い。君たちが向かう先は君たちの全霊を必要とする。世界各地で大きな雷鳴が鳴り響くだろう。この時多くの人間は肉体を離れることを選択するだろう。彼らは谷を越える準備が調とのっていないことを魂レベルで知っているからだ。

また彼らは君たちが必要とするエネルギーの均衡を知っていて、そのために地球を去るのである。彼らは君たちが必要とするエネルギーを供給するために、3次元外からその均衡を創造するだろう。君たちが前進するのを助けるために、彼らはその生命を捧げるのだとも言える。

今後恐怖を感じた時はただその中を歩め。それができることを知るべし。マインド(知理性)が「自分を何様と思っている」と挑んできたなら、「我は神(Spirit)と一つの者」と告げよ。マインドは役立ったが、人生を導き指示することはできないことを思い出させよ。

友よ、そして自己を信頼することを学べ。最も深いレベルでの自己信頼を学べ。ガイドや偉大な天使に振り向けてはならない。我々はこの時期の君たちを手伝えないのだから。君たちはたった一人で谷を越えるのだ。勇気が必要な時に君らが捧げる祈りは「神なる自己」に向けよ。

じきに君たちは目覚め、すべての足場が取り外されるように感じるだろう。それは単に恐怖であり、そう感じるにすぎないことを思い起すべし。それは君たちに付いていた者が離れねばならぬ時だからだ。不快に感じるかもしれない。だが今宵の我々の話を思い出して欲しい。

我々は君たち各々を切に愛している。そして我らは君たちの業績に驚嘆し頭を振っている。真実の自分を忘れるということは本当に最大の犠牲である。さあ、今ここにそれを思い出す時が到来した。

そしていかにもそうなのである。(And so it is.)


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ガイドの離脱(1)

2014-02-23 12:24
ガイドの離脱(1)


1999年8月21日のトバイアスのチャネリング
New Earth シリーズ1『Departing Of The Guides』からの抜粋邦訳 1/2
原文:http://gejirin.com/spirit/001-newearth_01.htm


心の奥ではわかっているように、君たちは3次元の人間をよそおってはいるが、まさしく偉大な天使だ。この偉大な天使は君たちの内側から現れる。偉大な天使は常にそこにいたことを君らは知るだろう。

君たちは宇宙のワーカーだった。この3次元の宇宙に限らない。それを取り巻く多くの宇宙でもだ。君たちは多くの場所、多くの次元に行って、多くを経験してきた。説明は難しいが、その経験は今のこの瞬間でも継続しているのだ。君たちは地球に生きているだけではないのだ。

君たちが多くの次元の場所と時でまとった自分のアイデンティティは、今も継続して稼働中なのだ。よって君たちの地球での人生とは、単に一個体の人間としての君だけのものではなく、君たちが過去にまとったすべての自分に関わっているのだ。

多次元の宇宙では長い間、闘争・戦争が続いていた。みな疲れていた。自然の解決法は無いように思われた。エネルギーのバランスというものを考える時がきていた。それで地球はつくられた。地球のエネルギーパターンを設定し、そこに二元性という重大な原理が導入された。

そして偉大な天使(angels)たちが招聘された。これらは最も多くを経験し、そして最も忍耐した面々であった。彼らは、我々が『第一創造の最終経験』と呼ぶ地球にやって来た。そして友よ、彼らこそ君たちであり、地球に生きる他の人間たちなのである。

君たちはここにやって来て、地球上で多くの人生を生きてきた。しかし君たちの歴史、君たちの過去は遥か遠い宇宙、すべてのクリエーションにまでさかのぼる。地球での生涯は瞬く間にすぎない。君たちは覆いの下で自分が何者かも知らずに生きてきた。

偉大なマスターがそのことを告げても信じようとはしなかった。寝てる間に天使が現れても、君たちは彼らの言葉を信じない。二元性 (duality) とベールはとても強く厚いため、君たちは繰り返し何度も何度も地球に戻ることを選択し続けてきた。

最終的には創造全体の利益、唯一なる者 (One) のためになるだろうと、君たちは地球に繰り返し戻る。我らは涙を禁じ得ない。我々は唯一なる者と断絶することなど想像だにできないからだ。まさしくそれは最大の苦悩である。それは教会が原罪と呼んできたものである。

しかしそれは罪ではない。君たちが引き受けた名誉である。君たちは自分が本当は何者であるかを忘れることに同意したのである。ああ友よ、君たちはまだわかってない。まだ理性でこのことを捉えようとしている。ハートで感じていない。でもそうなる日は遠くない。

地球にやって来たすべての天使たちの中には特別なグループがあった。これが君たち、および今地球に生きる他の800万人余りのライトワーカーである。彼らには他の人間には無い特別な属性がある。これまで辿った道を追うと、彼らは過去世で宗教に深く関わっているのだ。

また霊的探求とかエネルギーの働きなどに深く関わってきた。他の人間たちもそれぞれユニークなエネルギー属性を持っているが、ここでは君たちのことを話そう。君たちはいわゆる光、大量の光を集めて運ぶ能力を持って地球に来ている。

この光は君たちには隠されているが、特定のバランスを保つため、地球のグリッドと地球を取り巻くグリッドに接続している。君たちライトワーカーが内に秘めるこのクリスタルライトは、エネルギーのバランスを調え、また地球次元と別の次元を結ぶ働きをしている。

君たちは知らなかったが、こうした光/エネルギーの運び屋だったのだ。地球の歴史のいつか適当な時に、この光が解き放たれるだろうことを、君たちと神は知っていた。すでに察しているように、その時は今の我々とともにある。

それ故君たちは挑まれてるようにこの頃感じ、不安と同時に期待にも満ちているのだ。我らは君たちが自らの道を進み続けるという固い誓いを毎日聞いている。それは何のためにこの時期に地球にいるのか、君たちは心の奥底で知っているからである。

地球は変わる。君たちはそれによく気がついている。他の人間はまだ気づいてないかもしれないが、疑いなく君たちは知っている。ある意味で君たちはトンネルを通り抜けようとしている。これは次元のトンネル、時空のトンネル、エネルギー転換のトンネルである。
君たちは何かを通過するが、それはまずはじめに君たち自身の本質を変える。変わった君たちは次に他の人間を変える助けとなり、ついには地球全体を変化させる。さらには宇宙全体にその変化は及ぶ。ここにいる君たちのグループはまさにその変化を通過する最初のものである。

それは終始君たちの持つ恐怖の変質と関わる。君たちが恐怖を通り抜けた時、君たちはすべてのエネルギーを愛のエネルギーに変換するのだ。そのエネルギーは以前我々が名付けた『第2創造』の種蒔きに使われるだろう。

君たちがこの地球で、自分が何者であるかも知らずにやってることは、きわめて感動的な仕事なのだ。君たちに立ちはだかる最大のチャレンジは恐怖である。これらの恐怖は突如として君たちの前に現れ、また君たちの内側から出てくる。舞い踊ってそれらを通過して欲しい。

君たちは恐怖を通り抜けることができる。君らは恐怖が幻想であることを知り、変質できることを知っている。恐怖は今後も君らの人生に侵入し続けるだろう。時には乗り越えがたい高い壁のように思えるだろう。我が友よ、こんな時はただ自分が何者であるかを思い出してくれ。

"I Am that I Am. I Am All that I Am. I am All that I Am and All that Is. I am One." ただこの言葉を自分に思い起こさよ。このエネルギーを以って侵入する恐怖を過ぎ越すのだ。

素早く過ぎ越せ。もし止まったら、待ったら、ぐずぐずしたら、恐怖はたちまち肥大する。はじめは砂粒のような恐怖は小石となり岩となり、しまいには山のような大きさとなる。素早く恐怖を過ぎ越せ。自分が何者なのかを思い出すのだ。


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エネルギー泥棒

2014-02-03 18:27
エネルギー泥棒


『他人から愛されたい、可愛がられたい』と思うのは
『他人からエネルギーを盗みたい』と思っていると同じである。


『他人から愛されたい、可愛がられたい』と思う者は、
それが得られない時
 
「すねる」「泣く」「わめく」「怒る」「死のうとするフリをする」・・・
 
あらゆることを試し始める。


どうして他所から愛/エネルギーを吸収したいと思うのか?
 
自分に愛/エネルギーを創造する力があるとは思ってもいないからだ。
もらうものだと固く信じているからだ。
 
これが子羊 (犠牲者) である。
彼らの幸/不幸は他所から奪えるエネルギーの量で決まる。


自分だけじゃなくてみんなそうだと思っている。
実際そうだろう。
よってこの世は奪い合いの世界となる。


こんな話を読んだことがある。
地獄には様々な地獄があるが、どの地獄にも同類が集まる。例えば盗人地獄というのがあれば、そこには盗人ばかりが集っている。
彼らはそこで互いに盗み合うが、盗んでも盗んでもまた盗まれるので、その内にバカらしくなる。
この時、その地獄から脱出するという。


どこか現世と似てるが、こっちはまだ奪い合いに飽きていないらしい。 むしろ楽しんでいるようだ。 奪い合いがバカバカしく思えるのはいつのことなのだろうか。


「奪い合い」は方向性を+-を逆にすれば「与え合い」と等価だ。ユダヤ教のエッセネ派達はその小社会でこれを実践したという。
『乞われたものは何でも与えるべし』という律があった。
これも、欲しいと言ってもらっても、乞われればまたすぐ与えねばならない。同じだ。でもこの方が早く飽きそうだ。


何故なら「奪う・盗む」という行為は基本的に「隠れて」行うものだからだ。相手に気づかれなければそれで済んでしまう。また金品以外の場合では、自分が奪っていることにも気づいていない場合が多い。だから気づかれ、気づくまでは止むことがない。一方「与える」の場合には無意識ということは少ない。


それにまた「奪い合い」はおもしろ楽しいゲームなのだ。トランプ、花札、将棋、囲碁、パチンコ、公営ギャンブル、スポーツ、ミスコン、選挙 ・・・ みな奪い合って勝敗を決するゲームだ。
勝ってうれしく負ければくやし、いずれにしてもやめられぬ。これぞこの世の醍醐味か。

@gejirin1 Twitter 2014/02/03



ミナカヌシ

2014-02-02 22:35
ミナカヌシ


古事記では「アメノミナカヌシ (天御中主神)」が最初の神として登場する。一方日本書紀では「クニトコタチ (国常立尊)」が最初に出てくる。
 
この不一致は実は矛盾ではない。長らく悩んだが、ホツマの記述を注意深く検討した結果、ミナカヌシは最初のクニトコタチであることがわかった。


悩んだ理由は、ホツマ・ミカサにおいてさえもミナカヌシとクニトコタチの関係は、わかりにくいからである。
 
クニトコタチと対になる「アメトコタチ (天常立尊)」については比較的はっきりと説明されていたことがヒントとなった。
 
天に還ったクニトコタチをアメトコタチと呼ぶのだ。


天に還れば ミナカヌシ 及びヱヒタメ トホカミも 
天に配りて 星となす アメトコタチの 神はこれ  ミ6文
 
ミナカヌシとト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メの8神を総称して「トコタチ」と言い、彼らが地上にある時の名が「クニトコタチ」、天上界での名が「アメトコタチ」なのである。


ところが「トコタチ」は「先駆者・先発者」というあいまいな語義で、平たく言えば「昔の神様」だから、場面場面によってトコタチの範囲が異なるのだ。
 
前述の9神に加えて「キ・ツ・ヲ・サ・ネ」「ア・ミ・ヤ・シ・ナ・ウ」の11神、さらにはクニサツチとトヨクンヌまで含める場合もある。


トヨクンヌの次の世代が「ウヒヂニ/スヒヂニ」であるが、これはクニトコタチに含まれることはない。
 
この区別は何かといえば、ウヒヂニ/スヒヂニは夫婦神なのである。ここにはじめて男と女が現れる。少し人間味を帯びる。それより前はみな独り神だった。ここに一つの大きな区切りがある。


したがってクニトコタチは、最も広い意味では「ウヒヂニ/スヒヂニより前の、世にまだ男女の別が無かった世代の独り神の総称」ということになる。
 
そしてクニトコタチの第一号がミナカヌシである。この神人はホツマでは「初めて肉体に宿って地上に降りた神霊」という重要な位置付けを持つ。


記・紀はそこから話が始まるが、ホツマ・ミカサにはそれ以前の話がある。つまり地球や人が出現する前の「天上界・非物質界」における創世紀である。
 
この創世紀は、ホツマ・ミカサが教えの根幹として最も重視した部分と思われ、全編の7ヶ所以上に登場する。「あめなる道」の源もここにある。


空間も時間もなく、物質も非物質も、正負も陽陰も何も無い中に、唯一あったのは「アメノミヲヤ」の意識だった。
 
アメノミヲヤは他の文献には登場せず、二号は「陽陰の上祖」と漢字を当てている。理由はすぐにわかる。
 
この意識は全創造の第一原因であり、いわゆる創造神・根源神である。


ある時、アメノミヲヤは生みの意志を持つ。 この「生みの意志」を「ウイのヒトイキ (生の一意気・初の一息)」と表現している。
 
ミヲヤの生みの意志は、「あもとかみ (天元神)」という8体の神霊を生む。
 
「生む」というのは「分け身を作る・身を分ける」のと意味は同じである。


8体の天元神はミヲヤの単なる分身ではなく、それぞれの属性に僅かな偏りがあった。半数の4神は「陽」に、他の4神は「陰」に偏っていた。
 
「陽陰」とは「相反する性質を持つ一対」という意味で、「正負・上下」と言っても同じ。
 
天元神は水に油が浮かぶように、意味なく漂っていた。

「アメノミヲヤ」や「天元神」を人間型の神にイメージしてはいけない。
 
これらは形を持たない意識で、変幻自在のエネルギー体と考えるべし。


天元神の僅かな陽陰属性の偏りは、しばらくすると、混然と漂う8神霊に時計回りの回転運動を生じさせる。
 
時と共にその回転はしだいに速度を増してゆき、その回転軸に一本の柱が立つ。
 
この柱は竜巻をイメージするとわかりやすい。この柱を「天地届く御柱」あるいは「中串」と呼ぶ。


高速で柱を回る過程で、天元神は「アワ (泡)」と「ウビ (泥)」に分かれる。
 
これは回転運動により、重い成分が下 (地) に沈み、軽い成分が上 (天) に昇ったことを意味する。
 
泡と泥はさらに精製されてくっきり分離し、ここに泡には陽の、泥には陰の性質が顕著に現れる。


陽の泡は軽く動き回り、「空」「風」「火」に分かれる。これらが非物質・空間・気体をつくる。またこれらは天となる。
 
陰の泥は重く内に凝って「水」と「埴」に分かれる。これらが物質をつくる。またこれらは地となる。
 
そして陽の核心部が太陽となり、 陰の核心部が月となった。


そして陽の「空」「風」「火」と、陰の「水」「埴」、この5つが交わって「人」が生まれる。
 
これがミナカヌシ (天御中主神) であった。
 
「空・風・火・水・埴」の5元素は、別称を「あ・い・う・え・お」と言い、日本語の5母音となっている。


これはまさに陰陽五行思想である。
中国のものとは内容が違うが、こちらがオリジナルだろうと思う。
 
日本の太古の陰陽五行思想が大陸に伝わり、その後あちらでいろいろいじくられて、日本にオリジナルの思想が失われた5~6世紀頃に逆輸入されたのだと推察している。


このオリジナルの陰陽五行思想は、「ホツマツタエ」「ミカサフミ」「フトマニ」全編の奥に流れる背景思想である。
 
常にこれを念頭に置いて読まないと、言葉の奥・裏にある内容を読み取ることが難しい。
 
天=陽=男=日=昼=明=高=清=貴
地=陰=女=月=夜=暗=低=穢=卑

「こよみ(暦)」の古称に「かよみ」と「ひよみ」があり、共に「日読み」に解釈されている。
 
二号は「日夜見」と解釈する。「日夜見」は「陽と陰を見るもの」つまり「日と月を見るもの」である。
 
天文・暦数などを扱った者を陰陽師と呼んだが、「いんよう」=「ひよ」なのだと思う。


もう一つ注意すべきは、ホツマの陽陰と5元素による創世紀も、この世に居る人間が何とか理解できるための喩えに過ぎない、ということだ。
 
物質界の人間にあの世のことを説明するのは、生来の全盲者に色の説明するのに等しい。
 
だから杓子定規に理解するのはバカげてる。柔軟さが要る。


それでホ2文の始めにこうある。
 
いにしえの あめつちうひの
きはなきに きさしわかるる
あうのめを をはあめとなり
ひのわなる めはくにとなり
つきとなる かみそのなかに
あれまして くにとこたちの
とこよくに

いにしえの 天・地・泥の
際 無きに 萌し分かるる
アウの陰陽 陽は天となり
日輪 成る 陰は地となり
月と成る 神 その中に
現れまして クニトコタチの
トコヨ国
 
泥は初かも;
アウは陽陰の元になった「アワウビ (泡泥)」の略;
神はミナカヌシ;

「トコヨ」は「先行する時代」という意味で「クニトコタチの時代」と同義。それはまた「ウヒヂニ/スヒヂニより前の、世に男女の別が無かった時代」ということになる。
 
「とこ」は「とっくに~した」の「とっく」と同じで「とく(疾く)」の名詞形。
「よ」は「代」で「区分」を表す。

また「クニトコタチ」は
 
「くに (地)」+「とこ (疾)」+「たち (立ち・起ち)」
 
「地に先行して立った (起った) 者」という意味になる


だから「トコヨ国」とは「先行する時代の国々」「独り神の時代の国々」という意味だ。
 
ところが時を経て人皇の時代になると、「トコヨ」はホツマ国・ヒタカミ国のことを言うようになる。ヤマトの政権が及ばない東国をトコヨと言うようになったようだ。


@gejirin1 Twitter 2014/02/02



回り歌

2014-02-02 10:47
回り歌


我が国には「かいぶん(回文・廻文)」と言われるものがある。
これは上から読んでも下から読んでも同音になる文のことだ。
ホツマツタヱではこれを「まわりうた(回り歌)」と呼び、2歌が登場する。
 
1つはワカ姫の作、もう1つはカナサキの作。
カナサキは捨てられたワカ姫の育て親である。


きしいこそ つまおみきわに ことのねの
とこにわきみお まつそこいしき
 
紀州こそ 妻を身際に 琴の音の
床に吾君を 待つそ恋しき
 
これはワカ姫が恋焦がれるオモイカネに当てた歌であった。


歌の意味はともかくとして、ワカ姫はどうして回り歌にしたのだろうか?
ここに秘密がある。
 
回り歌は「行って来い」の歌であるが故、
→ 自己完結の堂々巡りで変化・進展を起さない。
→ 完全独立で外からの影響を受けない。 
→ YESともNOとも返えせない。
→ どうにもできない。

よって、この回り歌を受けた時点ですでに、オモイカネはワカ姫の意向に対抗することはできないのである。彼の運命はすでに決しているのである。
 
恐るべし、ワカ姫。
これも歌 (言葉) の力によって物質世界を操るワカ姫の天才ぶりを示した例なのだろう。

ワカ姫に恨まれたらヤバイぞ~。
こういうのを後に呪術師とか魔術師とか言ったんだろうなー。
『ワカ様は魔女』だ。


もう一つの例は、船上にあるカナサキが高波を静めるために詠んだ歌である。
 
なかきよの とおのねふりの みなめさめ 
なみのりふねの おとのよきかな
 
長き夜の 遠の眠りの 皆 目ざめ
波乗り船の 音の良きかな
 
この回り歌は有名で「初夢」の「宝船」に書き添えられてきた。


@gejirin1 Twitter 2014/01/31


ワカ姫とセオリツ姫らのマジナイによりイナゴは西の海に去った。
 
三百六十歌ひ 響ませば
虫飛び去りて 西の海 さらり虫去り
 
これは後に厄祓いの言葉となる。
 
【西海へさらり】-広辞苑より-
厄払いのことば。悪事・凶事・災厄などを払いのけて西の海へ流してしまう意。


ホツマには今の辞書にはない言葉がたくさん出てくるが、その1つに「そろ」がある。
 
これは現在も「ぞろぞろ」とか「ぞろり」などの語に痕跡が残るが、「繁茂すさま」を表す名詞。
 
「繁栄・繁茂」→「実り・成果」→「作物・稲」
の意に使われる。
 
たぶん「揃う」も同根と思う。


ホツマには「イナゴ(稲子・蝗)」という言葉は出てこない。
 
ホツマ3書では「ほ虫」「ほお虫」「はふ虫」「はほ虫」として登場する。
 
これらは「はふ」という動詞が根と思われる。 「はふ」は「はむ(食む)」「はゆ(蝕ゆ)」「おふ(穢ふ)」「おゆ(瘁ゆ)」などの変態だろう。


ホツマでは「はし(橋)」は「あわし(合わし)」の同義語である。
「離れているものを結い合わす」のが「はし(橋)」である。
 
だから「仲介・仲人」の意で使われる場合が多い。
また「渡し」という機能から「ふね(船)」も同じ意味に使われる。
 
漢字に惑わされてはいかんのである。


タカマ(高天) は「高み」と同義で、本来は天空の中心部分を意味し、具体的には北極星とその周辺部分を指す。<この場合「高み」とは中心を意味>
 
これを地になぞらえると、その中心は皇の居る「みやこ(都)」となる。 都にある中央政府、また意思決定機関やその会議場もタカマと言う。


@gejirin1 Twitter 2014/02/01



六甲山

2014-02-01 02:43
六甲山


実はワカ姫のイナゴ祓いには、アマテル(天照大神) の中宮であるセオリツ姫も参加している。
 
紀の国にイナゴ発生の知らせを受けたイサワ宮のセオリツ姫は、アマテルが不在のため、30人の青侍を率いて紀の国に向かう。するとそこにはワカ姫が一足先に到着していたというわけだった。


セオリツ姫はそこでワカ姫の奇妙な行動を目にする。ヒオウギを貼り付けた扇であおぎながら、意味不明の歌を歌っている。
 
しかしその奇行にただならぬ何かを感じたセオリツ姫は、30人の青侍を左右に並べ、ワカ姫とともにその歌を合唱させる。
 
360回繰り返すとイナゴは去っていった。


紀の国は凶作を免れた。二姫の功績を称え、また豊作の守護として2つの宮が紀の国に建てられる。「タマツ宮」と「アヒノマエ宮」である。
 
以後ワカ姫は「タマツ宮」を住まいとした。「アヒノマエ宮」は紀の国懸 (地方の政庁舎) とされた。
 
今の玉津島神社と日前国懸神宮である。


「タマツ宮」(玉津島神社) については
 
『ワカ姫の 心を留む タマツ宮』ホ1文とあり
 
「タマツ」の意味が「たもつ (保つ)」「ため (溜め)」であることが窺える。
 
ワカ姫はこの宮で最期を迎えているようだが、アマテルの遺言から察すると、墓地は「広田/西宮」かも。


「あひのまえ宮 (天日の前宮)」の「天日」とは「アマテル」を指し、「前」とは「前に居る者・向かう者」の意。
 
これは「日に向かつ姫」の別名を持つ「セオリツ姫」を指す。縮めて「ムカツ姫」、また「日の前」とも呼ばれる。
 
彼女もまたアマテルに「広田に行け」と遺言されている。



その遺言とは、

『また后 ヒロタに行きて ワカ姫と 共に妹心 守るべし』ホ28
 
これにより、廣田神社の祭神は「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命」なのであり、この名は「ムカツ姫」を指す。
 
したがってその墓所も「広田/西宮」付近にあることが推測されるが、ここには六甲山がある。


以下は大江幸久先生の御説であるが、二号も賛同するものである。
 
「六甲山」は、かつては「ムカツ峰」「ムコ山」などと呼ばれた。つまり六甲山の名は「ムカツ姫」が源であると推測される。
 
そしてこの山には「六甲比命神社」がある。この社名が「ムカツ姫」を指す可能性は非常に高い。


-wikipediaより抜粋-
この地帯は古くから「むこ」の名称で呼ばれ、武庫、務古、牟古、六兒、無古などの字が当てられており、『日本書紀』神功皇后摂政元年の条には「務古水門(むこのみなと)」の記載がある。
六甲山全山はかつて廣田神社の領地であり、吉田東伍『大日本地名辞書』の「広田神社」の項に、祭神名の撞賢木厳御魂天疎向津比売命と関連して「向津は武庫津というに同じ」とあり、廣田神社祭神向津姫(瀬織津姫)との名称の一致がみられる。
「六甲」の字が当てられるのは比較的最近で、元禄時代にできた『摂陽群談』に見られるのが初期の例であり、享保年間の『摂津志』には「武庫山一名六甲山」の記載が見られるという。


二号はよく知らないのだが、六甲山には東六甲と西六甲があると聞く。
この双子のような山の一方に「六甲比命神社」があるとして、もしもう一方にワカ姫を祭る神社があったなら、おもしろい。
東西の六甲山はムカツ姫とワカ姫の墓山である可能性が一段と高まる。情報があればぜひ下さい。

@gejirin1 Twitter 2014/01/31



ワカのマジナイ

2014-02-01 02:38
ワカのマジナイ


ワカ姫の斎名 (いみな:諱) が「ひるこ」であった。
「斎名」とは「斎む名・尊ぶ名」という意味で「本名・実名」のこと。

『生む時に 昼なれば 名も ヒルコ姫』ミ1
 
とあり「昼子」の意であることがわかる。
「昼」は「日霊」と同じで「太陽のエネルギー放射」の意。


「ひるこ」は非常に別名の多い姫で、「わか姫」「わかひるめ」「たかてる姫」「したてる姫」「にふの神」「としのり神・みとし神」とも言う。
 
記・紀では、「蛭子」は障害未熟児として葦舟に流されるので、その時点で消滅するが、「ひるこ」への信仰は上記の名でいたる所に生きている。


ホツマ・ミカサの話は違う。
『ひるこが3歳になる年、父イサナギは42歳、母イサナミは33歳で、陽陰の節 (今にいう厄年) に当り、その汚穢・隈が子に障るというので、イワクス船に乗せて厄を水に流す。カナサキ夫妻がそれを拾い、西殿で育てる。』
西宮神社の蛭子伝説と比べたし。


だからヒルコはその後も生存し続けている。
 
『汚穢・隈に捨つ ヒルコ姫 いま慈しに 足り至り 天の愛妹と ワカヒルメ』ホ3文
 
「イワクス船に乗せて流す」というのは、厄を流すための儀式だったのだ。
「イワクス」というのも「汚穢消す」また「斎み清める」という心の物実である。


ヒルコは「わかひるめ(稚日女尊・稚日靈女尊)」という別名を持つ。
これは「わか(分)」+「ひる(日霊)」+「め (妹)」の意。
「わかひる(分日霊)」とは「太陽の分け御魂」であるアマテル(天照大神) を指し、その妹ということ。
 
『天の愛妹と ワカヒルメ』ホ3


実際には姉なのだが、最高位にある天つ君の兄弟姉妹の場合、年上であっても弟・妹とするようである。
「わかひるめ」にはもう一つ重要な意味があるのだが、これは説明が難しい。
興味のある方はこちら http://gejirin.com/mikasa10.html を読まれたし。


ヒルコは成人してアマテルの近くに侍り、大功を打ち立てる。
その代表が、「まじないによるイナゴ祓」に見られるように、歌 (言葉) の力よって汚穢や曲りを治す方法を確立したことである。
日本には豊穣の神はあまたいるが、人として作物の守護神となったのは、ヒルコが元祖である。


そもそも「ましない」とは「申して打つ」ことであり、「言葉を発して何かに当てる」という意味。
まじないによって物理的な効果を引き起こす、これがヒルコが確立した歌の道であった。
ヒルコはこの奥義を『くもくしふみ (雲櫛文)』(意味は「隈消し文」) という書物に著している。

ヒルコは晩年、この『雲櫛文』を歌の弟子である「オクラ姫(大倉姫)」に、「シタテル姫(下照姫)」の名とともに伝授している。
 
奈良県御所市の「大倉姫神社」は、別名「雲櫛社」とも呼ばれる。
 
オクラ姫の襲名した「下照姫」と、タカ姫の襲名した「高照姫」は他文書では混同が激しい。


「シタテル姫(下照姫)」「タカテル姫(高照姫)」もヒルコの別名なのであるが、二号はその意味する所を解けていない。
 
ただ「シタテル」の名は「こと(言)」に、「タカテル」の名は「こと(琴)」に関係があるのかなと、漠然と考えている。
 
「高=天」「下=地」の意も当然あろうし。


古今集仮名序に和歌について次の文句がある。
 
『この歌、天地のひらけ初まりける時より出でにけり。しかあれども、世に伝はることは、久方の天にしてはシタテル姫に始まり、あらかねの地にしてはスサノヲの尊よりぞ起こりける』
 
この「シタテル姫」こそ「ヒルコ(蛭子)」なのである。


また「としのりかみ(歳徳神)」「みとしかみ(御歳神)」の名もある。
 
「とし(年・歳)」は「たっし(達し)」と同義で、「達成・成果・収穫」、「1サイクルの完成」の意である。
 
だからマジナイで害虫を祓い、収穫を可能にしたワカ姫を「達成の守」「大歳の守」と讃えたのである


最後に「にふのかみ(丹生の神)」という名がある。この意味を説明するのも簡単ではない。
 
これは「わかひるめ」のもう一つの意味とほぼ同じで、「にふ(和ふ)」とは「やわす(和す)」と同義である。
 
興味のある方は http://gejirin.com/mikasa10.html を読まれたし。


和歌の源になった「ワカ姫 (=ヒルコ)」だから、多くの歌が残っているように思えるが、以外にも1歌しか登場しない。それがイナゴを祓うマジナイの歌である。
 
たねはたね うむすきさかめ
まめすめらの そろはもはめそ
むしもみなしむ
 
これは32音である。32音は祓の歌という。

その理由は、
日月の運動周期の違いにより、1ヶ月=32日になって陽陰の節が乱れることがあり、これが汚穢・隈の発生源となる。
 
これを「みそふ(禊ふ)」のが「三十二(みそふ)」の言葉であるのだという。
 
「みそふ(三十二)」の歌を、同音の「みそふ(禊ふ)」の物実とする。


「みそぎ(禊ぎ)」の動詞形として「みそぐ(禊ぐ)」という語が辞書にあるが、ホツマには「みそぎ」は出てきても「みそぐ」という動詞形は出てこない。
 
思うに、ホツマでは「みそふ」を「みそぎ」の動詞形として用いている。
 
また「みさほ(操)」も「みそふ」の名詞形と見ていいかも。


ワカ姫のマジナイ効果をさらに高めるため、「ヒノキ製の扇にヒオウギの花葉を貼り付けてあおぐ」という行為も同時に行われた。
 
この扇は「おしくさ(押草・押腐)」と呼ばれるが、やはり言霊発動の物実である。
 
現在でも「田扇」、また熊野那智大社の「扇祭」の風習として遺っている。


「ことたま(言霊)」とは文字通り「言葉が持つエネルギー・力」である。
 
日本語を構成する48音 (今にいう五十音) は、ホツマでは四十八神 (よそやかみ) と呼ばれ、それぞれの音は万象を生む神である。
 
人は言葉によって万象を認識しうるのであるから、ある意味当然といえる。


「おしくさ(押草/押腐)」とは「ヒノキ製の扇にヒオウギの花葉を貼り付けてあおぐこと」であった。
 
まず「ヒノキ」は「放の木」で、本来は「(匂を) 放つ木」の意と思われるが、この木を「(汚穢を) 放つ」という言霊の物実としている。
 
その扇の羽は四十八神の48枚とした。


次に「ヒオウギ」は「日の出の如き赤花と扇状の葉を持つ植物」。
 
日の出の如き赤い花が終ると真っ黒な種を結ぶ。これは昼が終れば夜が来るという、日・月(陽・陰)の循環を象徴する植物。
 
「汚穢の根本は陽陰の節の乱れによる」との思想から、ヒオウギをその乱れを直す物実とした。


また「おうぎ(扇)」は「あおぐ(煽ぐ)」の名詞形であり、「あおぐ」とは「高める・勢いづける・栄す」の意。
 
よって「扇であおぐ」という行為を「枯れた稲を勢いづける」という言霊の物実としたのであった。

@gejirin1 Twitter 2014/01/31



ものざね

2014-01-30 02:54
ものざね



高校受験の日、その日の弁当を開けてみると、飯の上に四角い海苔が5枚 (実話)。

五角 → 合格。
 
この弁当は「合格」を祈願する「物実 (ものざね)」だったのである。
 
柊鰯も同じ。
門を開いて角を開き、汚穢を払ってヤワシと繁栄を願う物実が柊鰯。


ひらき (開き) → 開運
ひらき (平き) → 平穏
 
ゐわし (斎し・祝し) → 繁栄
ゐわし (忌し) → 穢の祓い
ゐわし (和し) → 一家円満・平穏
 
その実 (心) を写した物体 → 柊鰯 (物実)

@gejirin1 Twitter 2014/01/30



ワカは沸なり

2014-01-30 02:49
ワカは沸なり


何度も言ったが「わか姫・わかうた」の「わか」は「わき (沸き)」と同義。
 
これは「勢い・活・栄え」を意味する。
 
「わか姫」は「繁栄の姫」
「わかうた」は「繁栄の歌」
「わかの国」は「繁栄の国」
という意味である。
 
ところがこれだけではない。


「わか姫」は「アチヒコに心を沸かす姫」の意にも使われる。
またその沸き立つ心を歌ったのが「わかの歌」でもある。
 
あちひこお みれはこかるる
わかひめの わかのうたよみ ホ1
 
ともあれ、枯れた稲を復活させたワカ姫は「生田神社」に祭られる。意味は「活田神社」だろうか。

ホ1最後の『これしきしまの わかのみちかな』は、
 
『これは磯城島の繁栄の道かな』という意になる。
 
『磯城島』は「ヤマト」の異名で「和の道の通った国」。
『わかのみち』は「沸の道=繁栄の道」。
『これ』とは「歌の力で汚穢を祓うこと」。
 
和の国では言葉は剣に勝る。


@gejirin1 Twitter 2014/01/31



あわうわ

2014-01-29 17:58
あわうわ


「きつさね」は「東西南北」を表すが、元来の意味は「起尽栄寝」。
 
自然の順序は「東南西北 (起栄尽寝)」。「起-盛-熟-死」という「あめなる道」のサイクルを、太陽の勢いとその位置で表す。
 
注意すべきは、「つ (尽)」は「尽き滅ぶ」ではなく「満ち至る」の意であること。


「起-盛-熟-死」の意味では、「東南西北」は「春夏秋冬」とまったく同じ。だから「東宮」を「春宮」とも言う。
 
「あめなるみち (陽陰和る道)」は、陽陰の結合と分離によって万物万象が「起-盛-熟-死」の循環を繰返すことをいうが、ホツマは人についてもその輪廻転生を明言する。


「あわうわ」は「あわうひ」の変態と思う。これは原始宇宙が陽と陰に分離する前の半混沌状態を表す言葉で、陽の元となるものを「あわ (泡)」、陰の元となるものを「うひ (泥)」と表現している。
 
これが今「あやふや・うやむや」に訛ったと思われ、「混沌・無秩序・始まる前・曙」などの意。


「きつ (起尽)」と「あわうわ」をこのように理解すれば、ミカサフミ「きつよちのあや」にある、
 
『きつのはしめの あわうわや』
の意味が少し明らかになる。
 
『人生の起りと満ち、これもそのスタートは混沌からである』
 
ここで混沌とは、まだ物心つかない赤子のさまを指す。


「あわうわ」に続いて「てふち しほのめ」と来る。これを「手打ち 潮の目」と解釈する向きが多いと思う。
 
二号が疑問に思ったのは、なぜ「てうち」でなく常に「てふち」と表記されるのか、ということであった。また「しほのめ」の辞書の説明は、ホツマの文脈にそぐわないように思えた。


そこで二号はこれを「長ぢ 初の目」と解釈した。
 
「長ぢ」は 今の「長じ」で、「長じる」の名詞形である。つまり「成長」。
 
「初の目」は「初めて見ること・目が開くこと」である。
 
「ちょう (長)」「しょ (初)」は音読みで中国語起源じゃないかと、みんな言うと思う。


しかし音訓の別は、長い間「そうだろう」と、無批判に信じ込まれてきたことで、実はさしたる根拠のない区別であることの手掛りを二号は得ている。
 
例:
「ぶとう (舞踏)」の「とう」は、「とふ (跳ぶ)」なり。
 
辞書に「ちょう【跳】テウ」とあり、【跳る】はオドルと読む。


また「しおらしい」は「初らしい」の意ではないだろうか。
 
この「しほ・しお」は「しふ」の名詞形だが、「しふ」は「しむ (染む)」「そむ (染む・初む)」の変態で、「始まる・始める」の意である。


すると『あわうわや てふちしほのめ』は、
 
『混沌状態が進展成長して目が開く』と理解できる。
 
これは「右も左もわからぬ赤子が、成長して目が開いて物心がつく」と解して良いと思う。
 
さらにミヲヤの宇宙創世の過程が、そのまま人にもあてはまることを言ってるように思う。


おそらく『あわうわや てふちしほのめ』は格言のようなものになったのだろう。
 
狂言歌謡
「てうち潮の目あわわ、かぶり潮の目」
 
【ちょうちちょうち‐あわわ】大辞泉
幼児をあやすときのしぐさの一。「ちょうちちょうち」に続けて、その手を口に当てながら「あわわ」と言う。


そしておそらく「しほのめ」は「しののめ (東雲)」と同じ。
「開き・明け・開始・開眼」を意味する。
 
しの‐の‐め【東雲】 広辞苑
1.あけがた。あかつき。あけぼの。いなのめ。
  古今恋「―のほがらほがらと明けゆけば」


@gejirin1 Twitter 2014/01/29


あめわかる をめかやわして  陽陰分かる 男女が和して
あわうわや てふちしほのめ  あわうわや 長ぢ 初の目
わかひはのほる        若日は昇る

なのかほど ししをくわずば しみるひゑ
たけみなかたの ねがひみにしる

こりゃいかん にんにくげふざ たらふくに
くえばみはもゑ よるもねられず



ワカ姫と押草

2014-01-28 21:56
ワカ姫と押草


「おしくさ」は、表の意は「(扇に) 押し合せた草」だが、奥には「押腐」で「穢を押し祓う」の意がある。
これは「おしくも (押雲)」「むらくも (叢雲/放雲)」「くさなぎ (草薙/腐投)」などと同義。
「押草」は、「押腐」の言霊を世に発動するための物実なのである。

ワカ姫はなぜ「たのき (田の東)」に立って扇いだのか?
風が東から吹いてたためとも言えるが、「たのき (田の起き)」を図るためだったと思う。
後ホ32に「オオナムチ "たなか" のり」というのが登場するが、この「たなか」は「たのき」と無関係とは思えない。

『わかがえる』という言葉は、歳が若くなるという意味ではなく、実際には「元気活発な状態に戻る」ということだ。
だから原義は「沸き返る」(沸いている状態に返る) と同じ意味である。
それが「分れたばかり・湧きたて」の意と重なった。
事実年少のものは元気で活発だから。

このように、古代ヤマトの物事の名前には、まじないの言霊が隠れている場合が多くあると見たほうがよさそうである。
上記の例では問題ないが、そうしたところに濁音や特殊文字を混入させてしまうと、裏に隠れる意味 (こちらがより重要である) が読み取りにくくなることは否めない。

@gejirin1 Twitter 2014/01/28


このよには もはやおもひは
とまらぬと いさみてみるも
はらはまたへる

はらへれば だれしもこころ
けものなる うゑおかすつみ
たがとひえるや

めぐみなく こころうゑれば
をさめえず ふたかみめぐり
ことのはさづく

みとこころ うゑをやわして
のりとほる はしめにおきて
ありきにあらず



磯城と志賀

2014-01-28 14:33
磯城と志賀


「しき (磯城)」は「しく (頻く)」という動詞が源で、「しげ (繁・茂・重)」と同義。
「しく」は「さく (咲く)」の変態なれば「さか (栄)」「さき (幸)」とも同義である。
【敷島の】は「やまと」にかかり、【敷島の道】は「和歌の道・歌道」の異名。その理由はホ1文に見える。

不思議に思うのは、どうしてヤマト (葦原国あるいは日本) が「しきしま (磯城島)」なのかの理由をはっきり説明する記事が見当たらないことだ。まあ説明するまでもなく当然ということなんだろうか。「あしはら」は「映す原・栄える場」という意味もあるからね。

それで思い出した。「はら (原)」は「ほら (洞)」の変態で「空き・空間・場」の意味が第一。
ほかに「はり (治)」「ひら (平)」の意味もあるけどね。

あ、うん、そーだ!「しきしま (磯城島・敷島)」は「葦原国・大和国」の異名とされているが、「しき」の変態の一つには「しか (滋賀・志賀)」もある。

ヤマト国は「トの道 (調の道)」「マト道 (円道)」が通った国を言う言葉だが、二神は「なかくに (中国)」を拠点にして、しだいにその道を日本全土に広げていった。中国=アワ国=葦原国である。

だいたい見えてきたぞ。
「磯城島」は「繁栄の地域」という意味だが、繁栄の基は調和であった。和の道が通った国をヤマトと呼ぶようになるが、それは葦原国から始まる。葦原国は淡海の国で、志賀の国とも呼ばれる。
「しき島」は「しが州」の同義語だったのだ。和の拡大と共に磯城島も拡大していった。

こりゃ大収穫だ。 これまで「志賀・滋賀」の意味を考えても解けなかったのに。

「さが (祥・佐賀・嵯峨)」も「しき」「しが」と同じ意味なのではないだろうか。
「しがのかみた (志賀の守方)」ホ25 =「佐賀県」?

そういえば「しき・しか」は、「すか (清・優)」や「すき (直)」の変態でもあったわ。
どうして今まで気づかなかったんだろう!


@gejirin1 Twitter 2014/01/27



スピーカーの話

2014-01-28 14:25
スピーカーの話


1-1-IMG_2672.jpg

写真は二号愛用の自作スピーカー。長岡鉄男設計のBS-69 (愛称:ボトル)。260W×230D×400H。fostexのFE-126 (直径12cm)を装着。アンプのBASSを+8にすると50~16KHzがフラットという驚異のf特。

f特というのは「周波数特性」の略で、どの周波数帯をどのレベルで再生できるかをグラフにしたもの。低音域から高音域まで平らに再生できることが理想。これのみが音の良し悪しを決定するものではないが、測定器が計測できる、また人間が視覚的に確認できる唯一の指標である。f特から音色は見えない。

低音域用のウーファー、高温域用のツウィーターに分ける2way・3wayスピーカーが流行っているが、これは音質に関して良い所は一つもない。しかしf特を平らにするには一番簡単な方法であり、またルックス的にカッコいいので売りやすい。この大ヒットが往年のヤマハNS-1000Mだった。

以後内外のオーディオ機器メーカーはそれに右へ倣いとなる。理想は1本のSPユニットで全音域を平らに鳴らせることだが、現実にはそんなものは存在しない。マルチウェイ化に対するもう一つの選択肢は、箱に工夫を施して低音域を増幅するという方法だ。歴史的にはこちらの方法が古い。

バスレフ、ダブルバスレフ、バックロードホーン、共鳴管などは箱に対する工夫の方式だ。BS-69 (ボトル) の大きなエントツもそれであり、ダテや酔狂で付いてるのではない。このエントツはオーディオ用語では「ダクト」と呼ばれ、一種の排気口である。このダクトによって低音を増幅している。

低音域は箱の工夫で増幅可能だが、高音域はそれができない。だから1本のユニットで全音域を平らに鳴らすためには、高音域の再生が得意なユニットを選ばざるをえない。そうすると必然的に8~12cmの小口径のものとなる。口径が16cm位になると13kHz以上の高音は再生しにくくなってしまう。

2way/3way と 箱の工夫、どちらがいいのか?これは言葉では説明できない。自分の耳で聴けばわかる。「ベールが剥がれる」「雲が晴れる」という表現の意味が実感できるだろう。小口径ユニット1本のスピーカーの唯一の弱点は、耳が痛くなるほどの大音量は出せない、ということである。

我々は普通スピーカーの表側から発せられる音を聞いているが、実は裏側からもまったく同じ音が出ている。ただし位相は逆だ。表の音が+なら、裏の音は-である。この両者が混合すると打ち消し合って理論上ゼロになる。この混合を避けるためスピーカーは壁に埋め込んだり、箱に装着するのである。

陽陰 (正負、+ー) は和合すると透明になるのだ。そしてスピーカーの箱に施す工夫というのは、裏側から発せられた負の音を積極利用することにほかならない。位相が逆の音波は、わずかに時間差を与えると同相に転じる。つまり負の音が箱の内部を通る間に、遅れて正の音に転じるというわけなのだ。

そうなれば音波は増幅される。また幸いなことに、高音は減衰しやすくて遠くまで届かない。高音は箱の内部で消滅してしまうのだ(完全にではないが)。その結果、低音だけが取り出されてダクトから出てくるという具合だ。かくして我々は低音域部分の増幅を実現するのである。めでたしめでたし。

2way・3wayスピーカーで問題なのはウーファーだ。ウーファーは見てわかるように振動板 (コーン) が大きくて厚くて重い。この重量を駆動するには大きな電力が要る。つまり鈍感なのである。相当な電力を入れないと (ボリュームを上げないと) まともに音を出さないのだ。

f特は限界の大音量で測定する。ところが音質を左右するのはマイクロワットという微弱電力を再生する能力だ。この微弱信号を我は「音の靄」と呼んでいるが、これが再生できるか否かがオーディオの命である。鈍感なウーファーは「音の靄」の再生は困難。特に一般家庭での小音量では到底不可能である。

特に2wayスピーカーの場合、可聴帯域の大半をウーファーが受け持つ。これでは出てくる音は非常に大雑把な音にならざるを得ない。微妙な音は原理的に表現できないのである。ただ最近の我々はそんな音に慣れているという現実があり、制作側もそれに合わせて音作りする傾向があるように思われる。

繊細な「音の靄」を再生できるスピーカーで聴く時、マイク2本で比較的遠距離から録った古典的な録音の方が、ずっといい音に聞こえるものだ。


@gejirin1 Twitter 2014/01/26・27


マスコミに 踊らさる民
いましむる 評論家これ
マスコミなりき



うた

2014-01-28 14:14
うた


和歌などは普通の文に比べて説明が少ない。これがいい。読み手は暗号やパズルを解くように一語一語に集中する。また読み手によって理解が違う。作者の真意はわかる人にはわかるが、わからん人にはわからん。これもいい。わからん人の誤解を気にせず本音が言える。また美しい五七リズムは辛辣もやわす。

初めて読んだ時の理解は、二回目、三回目では変わってくる。人に合わせて言葉は進化する。はじめはわからん人も、遂には真意を理解し得る。そして歌ならば心に留まりやすい。
 
ももちこころみ はるかなる おくのかみちえ まさにいるへし


@gejirin1 Twitter 2014/01/26



一二三

2014-01-28 14:12
一二三


洋の東西を問わず「一」は「起り・始まり」を意味する。おもしろいことに「一」は「すべて」でもある。他に何もないのだから。one = all = whole である。だからallは単数形扱いだ。陽陰に分れる前のミヲヤは「一」であり、同時に「すべて」であった。

英語の「one」は、仏語では「un」伊語では「uno」。「one」は「an (冠詞)」や「uni」にも転じる。
頭音に注目すると「ワ」音が「ウ・ア・ユ」音に変化しているわけだ。
これらを二号は変態と呼んでいるが、早い話が訛りだ。同様の訛りは当然ヤマト言葉にもあると考えるべきだ。

ミヲヤは自らを分けた。「ニ」の誕生だ。「ニ」は「分かれ・対・ペア」また「陽陰・男女・父母」の発生を意味する。「一」を父と見た場合には「ニ」は母を意味する。「陽陰」は「1なるものの2相」であって、単独では意味を成さない。また自然界には通常存在しない。単極の磁石は造れないのだ。

「two」は伊語では「due」仏語では「duex」で、「トゥ」は「ドゥ・デュ」に訛る。どちらが元かはわからんが。また「duo」「double」「twin」「twelve」「twenty」などの語を作る。そしてまた「対する・匹敵する」という意味から「to (前置詞)」が生まれる。

陽陰に分かれたミヲヤは「あひ (合・愛)」「やわし (和し)」を実地に経験できるようになった。陽陰をふたたび一つに和してみると、なんと別のものが分れ出た。「三」の誕生であった。1+2=3。 父+母=子。陽+陰=人。「三」は「融合・調和」、「派生・発生」、「化け・繁栄」を意味する。

「three」は、伊語では「tre」仏語では「trois」だが、「tri」「thri」「thir」などにも変化する。「tres bien (素晴らし)」「triple」「tree」「thrive (繁栄)」「thirty」などの語をつくる。「躍動・繁栄・すごい」の意の語が多い。

ミヲヤは純真無垢にして、自分が何者かも知らぬ無知の存在であった。自分を知るために、そのモノサシを得るために陽陰に分かれ、無数の子に分かれた。無数の子の経験がミヲヤの知となる。この世・あの世に存在するすべての意識を和す時、再び統一体のミヲヤとならんが、はたしてミヲヤはその時を待ち望んでいるのだろうか。


@gejirin1 Twitter 2014/01/25


うけすてめ つのがあらしと
あめひぼこ やまとはまめに
うちとをわけず

おのかほし たたそれのみに
まつりこと えらみてなそほ
いまたきつかす

とのみちか とほれはこその
やまとくに やわなきくにに
やさかあるまし

やわすとは おのれとよそお
わけぬさま うわへのやわは
そのさかおゆく



「あわす」と「やわす」

2014-01-28 14:03
「あわす」と「やわす」


『あわす』と『やわす』の用例に当ってみた。

その結果、語源的には同根と思われるが、 
『あわす』は表面的な「合わせ・一致・合致」の意に使う場合が多いに対し、 
『やわす』は「深層/核心レベルでの融合」、またそれによる「中和・調整・緩和」の意を表す場合が多いみたいだ。


【ホツマ3書中での『あわす』と『やわす』の用例】
 
みかさふみ ほつまつたえと わりうるり あわすことくの こころなり ホ序
おもえらく はしかけなくて むすふやは ホ1
めもとあり をかみのなりて あまるもの あわせてみこお うまんとて ホ3
わなにやし うましをとこに あひきとそ やわしてあわお ゑなとして ホ3
ゐみなには たらによつきに なとのりと あわせよつなり ホ4
あめのみちゑて ひとくさの なけきおやわす かみあらす ホ4
かんさひのこの あめおしひ めあわせすけか あにとなし ホ7
あめかした やわしてめくる ひつきこそ ホ7
みかつちも いさおしあわせ うたしむる ホ8
ことなふたもつ くしひるそ たたやわらきお てたてなり ホ8
やくもうち ことのかなてお さつかりて うたにあわせる いなたひめ ホ9
いつおあらはす もののへの なんたやわらに もとすより ホ10
またやゑかきは つにあつけ あらかみあらは めくみやわせと ホ11
そさのをは ひかわにあひる これつよし きみはやさしく やわらかに ホ13
もとつかみ そのたえもりか たねくたし ものとたましゐ ゆひやわす ホ14
おひはゐわみの かためなり をはしたあわせ めはうえそ ホ16
たかはかり ほかせはにみつ よつにわけ うつほのひとつ つきあわせ ホ17
このみつお あわすかかみの やはやしろ たはたみおたす ホ17
よこしまか たておもちけて とこやみの なんたやわして ややしつむ ホ17
ぬすひとの みつめにしるる つちいかん かみはやわして みことのり ホ17
むまのあしとり いきすあひ あわすかなめの のりのりそ ホ19-1
こしすえのりて やわやわと むまのあしとり いきすあひ ホ19-1
むのをして のきよりむねに ておあわす ホ21
いまこれお あわせてみちの かみをさむ ホ23
ふたたみの あらそいあれは とみやりて やわしさはきて ホ24
ははよりなきさ たけうかや ふきあわせすの なおたまふ ホ26
のちにたまより かみとなる かあひにあわせ みをやかみ ホ27
わさはひあるも しなかゑて ふせきはらえは やわらきて ホ28
みかかみお たまえはわれら たのとみそ わかこらやわせ ホ28
くさえさか たたかひあわす ゐつせみこ ひちおうたれて ホ29
あめつちまつり のちうたん うかしかつけも ゆめあわせ ホ29
ものぬしと なかとみあわせ なおりかみ ホ31
やわなきお おつてといえは みこもさる ことめかつくる ホ31
いまやまさわの ゑあわせは わりふたあわす よきしるし ホ32
きみこれに ゆめあわせして ふれもとむ ホ33
とりあわせたちはなのあや ホ37
ここにすへらき たけうちと かたりあわせて ホ39
このうたつつき かそえもの おりあわせめに けりもあり ホ39
みつはうたたに よつあわせ ゐつはたたこと むつはつれ ホ39
うましあしかい ひこちかみ あわせまつれは なもたかま ミ6
つさにいなさの はつひより ふうおやわせて おけらたき ミ7
きさらきは めをほほやわし きさしおふ たねかしまつる ミ7
きさらきの なかよりみうお めにやわせ ひとくさそたつ ミ7
はのふめもりて あふみまつ ふめにやわして かせとなす ミ7
むねおかつらに ゆひあわせ かやふきすみて このみはむ ミ8
ほはきねにすむ ふためかみ あふつきふめお あにやわし ミ9
ここにめかみの やわしうた なさけあわせて わなにやし ミ10
あひきとは まけてやわしの みやひなり ミ10
あむとやわしと なかれきの ふつくにちなむ ミ10
あめのやわしは それならず うゐのあわねは なりはゐお おしすくるなり ミ10
にふのかみ あめのおしゑに ややさめて やわしわらはす ミ10
めはくにの つきとみやひお あみやわせ ゐみちあらはす ミ10
おほふうれしさ またあらし たかえあわせし ゑみすかほ ミ11
たまのをお ふくみふらせて なからゑお むすひやわせは フ序
あのなわの みちもゐもせの なかうとも つよきもやわす あなわなりけり フ16
いのいさの ことにやわらく ならわせや うなひこのふゑ もゐなさふくらん フ31
ふのきにの あらそうとみの ことわりお やわせはたみの ふゆそきにける フ35
ふのゐさめ あらかねわけて ねりきたえ かまもつるきも かそえやわらく フ47
ものはらの ほこにもとつき やわらきて よこもすなほに なかれゆくなり フ66
ものゆんに はたれやふれは ことのねの やわしもゆんそ たうとかりける フ77
しおえては をきなかあみに けゐのかみ あにしらひけも ちゑてやわなり フ119


@gejirin1 Twitter 2014/01/24



ビリーフ・システム

2014-01-28 13:51
ビリーフ・システム



我々はよく「~だから ・・・ だ」という論法を使う。「~」の部分をよくよく検討しなければならない。それはどこかで読み聞きしたことを信じて、受け売りしているのではないのか?偉そうな人の発言、本や新聞の記事、TVの報道、これらを真実と信仰しているだけでは?人は自らすすんで洗脳されたがる。

特に若芽の時に受けた洗脳、それによる信仰は生涯に渡って影響をおよぼす。まるで鳥類の「すりこみ」のように。義務教育の狙いがここにある。征服者が征服地の言葉を替える意味も。マインドコントロールのいとも容易いことよ。この時点で人は自分で自分の答えを見出すことをやめてしまう。

そりゃそうだ。多数が信じている理屈を覚えて使った方が簡単だからだ。それに逆らって自分の答えを押し出しても何の得もない。押し潰されるだけだ。こうして洗脳は完成、我々の生活はその洗脳の上に築かれる。よって我々の行う (善悪の) 判断は、常に多かれ少なかれ洗脳・信仰の影響を受けている。

このようにして我々が持つにいたった信仰の複合体を、霊人たちは「ビリーフ・システム (belief system)」とか「マス・コンシャスネス (mass consciousness)」とか「集団催眠 (mass hypnosis)」「マトリックス (matrix)」などと表現している。

@gejirin1 Twitter 2014/01/24




精神と神経とH

2014-01-28 13:44
精神と神経とH


『精神』という語の意味を考えた事があるだろうか?
これは「神の精髄」という意味だ。
『精髄』は「純粋成分・本質・素・エッセンス・スピリット」という意味。
だから酒の主成分もスピリットと言う。
やまとことばでは「なかご(中子・中心)」また「こころ(心)」と言う。
精神、なんと本質をついた語だろう。


一方『神経』という語もある。
これは「神の縦糸」という意味だと思うが、よくわからない。
ただ「縦と横 (経と緯)」には「主と副」「先と後」「メインとサブ」の関係があることを、ホツマやミカサの記述からうかがい知ることができる。


話変わって、「H」は「エイチ」と発音するが、これは「エイト(eight)」と同じ。
8番目のアルファベットだからだろう。

では「eight」は何を意味するのか? これは「height」(高み・高さ) と同じなのだ。
 
つまり「H」=「八」=「高み」=「タカマ」だ。 これマジよ。


@gejirin1 Twitter 2014/01/23



大伴氏

2014-01-28 13:24
大伴氏


ホツマの記事から察するに、大伴氏の「おおとも」は「負ふ伴・負う臣」の意。
 
『この靫 重く 二百重あり 負い手 求むる オオトモの侍 四人 負い替り』ホ40文


 
そして万葉集には、
 
『大伴の 名に負ふ靫 負ひて 万代に 頼みし心 何所か寄せむ』万3


 
また、・・・

『靫懸くる 伴の男広き 大伴に 国栄えむと 月は照るらし』万7
 
という歌があり、それを裏付ける。



もってのほか

2014-01-28 13:21
もってのほか


ホツマでは毒消しとして、「セリ」「ダイコン菜」「カブ菜」「菊」を食べなさいと言っている。二号は子供のころ野菜が嫌いだったが、上記の野菜だけは何故か好きだった。もちろん今でも。新潟県では秋の味覚として「菊の花」を好んで食べる。『かきのもと』とか『もってののほか』という名の菊種だ。

「もってのほか」は「おもいのほか」とも呼ばれる。
それで思い出したが、「もってのほか」は「もふてのほか (思ふての他)」の音便だろう。



@gejirin1 Twitter 2014/01/22



素直とは 上も辺も寄らず 中を行く
初より一方に 傾くなかれ



火風水土

2014-01-28 13:16
火風水土



「ひ (火/日)」は「ひる (放る)」から来ていて「(光や熱の) 放射」の意。
「ひる (日霊・昼)」も同じ。
「ほ (火)」とも言うが、これは「ほる・ほうる (放る)」から来ている。
「放射」は基本的にはエネルギーであり、非物質である。
だから「ひ」は「ひ (霊)」でもある。

「かせ (風)」は「かす・かっす (活す)」また「かす (離す)」から来ていて、「勢いづけるもの」また「払うもの」の意。
「いなさ」(往なすもの)、「のかせ」(退かすもの) などとも言う。
「のかせ」は今は「野風」と漢字が当てられている。
「かす (離す)」は今の辞書にはないが、「かる (離る)」という語は載っていて、その他動詞形と考えていい。

「みづ (水)」は「みつ (満つ)」という動詞の名詞形で「至り・極み」の意。
どういうことかというと、「ビーカーに泥水を入れてかき混ぜる実験」で重い粒子は下に沈み、同時に上の方は澄んで行く。この澄み切った (至った) 部分が「みつ (水)」なのである。

「つち (土)」は逆に沈殿を意味するが、その説明はめんどいので、http://gejirin.com/gsrc/tu/tuti_tusi.html  を見て感じてください。


@gejirin1 Twitter 2014/01/21


逆月の 映る盃 数すすむ
酔い心地 覚む 汝が「よっとるね」

みかさふみ あわうたおとく
さらのあや たれかなつくや
わかうたのあや

まこひこの すえまてのかな
かかなえは いまのあらため
あにおそからん



方言の重要性

2014-01-28 13:02
方言の重要性



『いそのはの まさごはよみて つくるとも』ホ1文

上の「よむ」は今の辞書 (広辞苑) には載ってない。しかし我が地方では今でも普通に使われている。その意味は「じゅくす(熟す)」で、「うむ(熟む)」「うる(熟る)」と同意。方言には古語が多く残っている。と言うより、方言=古語なのだろうと思う。

人口の多いみやこでは次々に新しい流行語が生まれ、使われなくなった古い言葉は廃れていく。そしてマスコミやネットのない昔には、新しい流行語は非常にゆっくりにしか地方に伝播しない。ようやく地方にそれらが定着した頃には、みやこではすでに廃れている ・・・ こういう構図だ。 つまり言葉のサイクル寿命が都会と僻地では大きく違うのである。

また二号は、東北弁と九州弁はイントネーションが似ていると感じているが、これも両地方のみやこからの地理的な距離に関係があると思っている。
この仮説がもし正しいとすると、過去にみやこでも、現在の東北や九州風のイントネーションで話されていた時代があったということになる。


八重


「八重」はホツマではたいがい「やゑ」と表記されるが、「やえ」と書かれている場合も2箇所ほどある。これには意味の区別がある。
「やゑ」の場合には「おゑ (汚穢)」の意を孕んでいる。
例えば「やゑがき (八重垣)」は「汚穢垣」、「やゑぐも (八重雲)」は「汚穢隈」の意を裏に隠す。

しかし「やゑ」には他にもたくさんの意味がある。
有名なソサノヲの『やくもたつ いつもやゑかき ・・・ 』の歌では、異なる「やゑ」の意味が重ねられている。
http://divinehuman.blog.fc2.com/blog-entry-61.html … …


@gejirin1 Twitter 2014/01/20


ふとまにと こきんのあつめ
ならべよむ つらゆきがいひ[謂]
いづこにやあらん

ひとりでに はしるくるまは
ゆめならず なりわひなくす
たみにとりても



ミソギとウタ

2014-01-28 12:56
ミソギとウタ



@gejirin1 Twitter 2014/01/18
身体と心は、外側と内側とも見ることができる。世の政事は外側のものごとであるから、イザナギは川や海での禊ぎで身を清めた。つまり身の清めは政の正しを象徴している。しかし政の基礎が通る以前の段階では、まずアワ歌で言葉を直して、人の内側を調えなければならなかった。こんなことをホ5文は言うとるんかと思ちょります。

したがってこのアヤのタイトル「わかのまくらことば」は、「ことばは沸のまくらである・ことばは繁栄の土台である」という意味も表しているのかと思ちょります。つまり「沸のまくら、言葉」ちゅうことだす。

これは前からもやもやと頭の中にくすぶっていたのですが、はっきり表現できずにおりました。つまり「イザナギの川海での禊ぎは何を象徴しているのか?」についてです。それが先ほどの宏道さんとのやりとりで雲が晴れました。宏道殿、あなありがたや。



現実という名の幻想

2014-01-09 11:18
現実という名の幻想
 

人はみな自分は地球に生きていると信じている。しかし本当だろうか。よく考えて見ればわかるが、すべてのことは人体の五感の信号を脳が処理して作り上げている虚像・幻想なのだ。五感と脳の接続を切った時、我々の世界観はどうなるだろう。まったく違うはずである。おそらく場所や時間の概念はそこには無いだろう。生死の区別もなくなるだろう。夢と現実の区別もできなくなるのではないだろうか。

しかしあなたは生きている。唯一自分の意識だけは活動している (注:意識は脳がつくりあげているものではない)。しかし五感のない状態では、現実と空想を区別する手がかりはなくなる。もはや現実とイマジネーションには何の違いもない。これはある意味あの世と同じ状況である。

地球に生きていると言う現実も、五感によって粉飾されてはいるけれども、実はイマジネーションなのだ。このイマジネーションできる能力こそ、神 (クリエーター) だけがもつ能力である。したがって 我々の意識=神 (クリエーター) なのである。実在するものは我々の意識の他には何もない。"我思う 故に我あり"、"I am that I am" なのである。

「現実=イマジネーション」であるならば、自分の好ましい現実をイマジネーションすればいいのであるが、ここにマインド (脳) と人類の集合意識による疑いが介在してしまう。これが地球次元の難しいところだ。「イマジネーション=現実」に対する100%の信頼が要るのである。100%というのは息をするように当たり前になっている状態である。「そんなことできるのか? 試してみよう!」ではだめらしい。 歴史上ほんのわずかな人間だけがこの奇蹟を実現しているという。

ところが時代は変わった。今後しだいにマインド (脳) の中継がなくなっていき、意識と五感が直結するようになり、五感自体もこれまでよりずっとセンシティヴなものに変わっていくという。そのため我々のDNAは現在急速に変貌しているという。 しかし人体の五感やDNAだってイマジネーションの産物であるわけだから、この説明とて喩えであろう。


2014/01/28追加

映画などに心を投入している時、身は地球次元にありながら、我らは別の次元へトリップしている。空想や夢でも同じこと。火星に想いを馳せれば瞬時にそこへ移動している。この速度は光速をはるかに超える。ゼロなのだから。

そして別次元 (あの世) にいる自分、これがオーヴァー・ソウル (over soul) とか本つ神 (もとつかみ) とか言われる存在ではないかと。

物質次元の万象は、
第二宇宙の自分のイマジネーションの産物。
第二宇宙の万象は、
第一宇宙の自分のイマジネーションの産物。
しかして第一宇宙の自分とは何者?


第三宇宙は存在するのか?
存在する。第一宇宙の自分と第二宇宙の自分が融合を果たした時、その意識は第三宇宙をつくる。
この融合は「アセンション」と呼ばれ、これは物質次元 (地球) においてのみ為され得る。この融合を果たした意識は「アセンデッド・マスター」と呼ばれる。

よってconsciousness.jpg のシンボルは発展途上の自分を表している。
 
最終的には中の点と外の丸枠は一つに融合して一体化する運命にある。日の丸になる。
 
そしてそうなる時代は到来した。
現時点ですでに2人の融合成功者が地球を歩いているという。

アセンションは過去にもなされていた。しかし「Ascension」が「昇天」と訳されているように、それは「肉体を離れる」つまり「死」とほぼイコールだった。
しかし今後は違う。肉体を持った人間のままアセンションするのである。これは「Living Ascension」などと呼ばれる。


やわすとは おのれとかみの
へたたりを のぞくこととは
つゆもしらずて


参照:『あめなるみち -神の見る夢-』http://gejirin.com/amenarumiti.html




犠牲者の心

2014-01-09 04:47
犠牲者の心



【2014/01/06 Twitter投稿より修正・補完 https://twitter.com/gejirin1
ほとんどすべての人間は自分を哀れな子羊だと思い、その苦しさから救い上げてくれる救世主を待望している。その救世主を下すスーパーパワーが神だと信じへつらう。そうした人間の犠牲者根性を利用しているのが宗教組織である。いくら待っても救世主は現れっこない。なぜならあなたがそれなのだから。

犠牲者根性を持つ者がやることは、自分は無力だと思っているがため、おおよそ「乞食的・寄生虫的・ハイエナ的」であり、「あわよくば儲けよう」「他より一銭でも得したい」である。その数は圧倒的に多く、イナゴのようにすべてを食い尽くす悪魔である。悪魔がまだ自らを憐れみ、救世主を待っている。

あなた一人が犠牲者根性から抜け出すのはそう難しくない。しかし妻子を持つ親としてのあなたには非常に難しい。これまでの家族の生活と自分の立場を守りたいが、自分は無力と信じるあなたは、将来の不安と戦い続けねばならないからだ。よって犠牲者根性=現状保守根性と言い換えることができる。

この不安と戦う武器として金や力への信仰が生まれる。しかしそれらをいくら蓄積しても続々と新たな不安が生まれてきて、ますます犠牲者根性は募っていき、心は解放されずどんどん不自由になっていく。
「自由」とは「守るものが何もない状態」を言う。
あなたは一番愛しているものを捨てられますか?

欲の底には不安があり、不安の底には無力な自分がある。
「無力なあなた」も「不安」もあなたが勝手に心に創造しているものだ。たいした根拠なく信じ込んでいるだけのものだ。違うだろうか?
汝の心は唯一汝の支配下にあり。心は汝の意識なり。意識は汝の宇宙なり。
なれば汝は宇宙の主なり。なれば汝は現実の創造神なり。

宇宙の創造神にどうして欲や不安があろうや。


子羊の 衣の内に 隠る神
脱ぎ捨て出づる 時ぞ来にける

神であることを忘れた犠牲の子羊たちへ



小噺
一匹の子羊が荒野にさまよっていた。いくら歩いても同じ景色。子羊は必死に天に祈った。 祈りが通じたのだろうか、ある日天使が子羊に現れた。

迷える子羊:「おお天使様!どうかこの迷える子羊を救って下さい。羊飼いの元へ
       帰して下さい。」

天使:   「・・・」「まだ迷える子羊やってたんですか?」

迷える子羊:「・・・???」

天使:   「あなたは我々を救うために地球に下りて、迷える子羊を演じ始めた
       んじゃないですか。」「でも今回で1,500回目ですよ。」

迷える子羊:「・・・??!!」

天使:   「迷える子羊役は十分楽しんだでしょ。そろそろ神に戻って、早く
       我々を救って下さいよ。」



参照:『あめなるみち -神の見る夢-』http://gejirin.com/amenarumiti.html



やまとことばと漢字言葉

2014-01-09 04:15
やまとことばと漢字言葉
  


【2014/01/08 Twitter投稿より https://twitter.com/gejirin1
ホツマを読んで思うのは、歌には必ず裏の意味があるということだ。表面的な意味の裏に真意を隠している。真意はまた1つとは限らない。これは1つの言葉に多くの意味があるヤマト言葉を、1音=1文字で綴るからこそ可能になる。漢字を使ったのでは表面の意味に撹乱されて真意を読み取りにくい。

一方、漢字は意味を細分化して確定している。だから役所の事務文書や法律文などを綴るには適している。ヤマト言葉のように「幾つもの意味にとれる」ということが少ないからだ。これが日本が漢字を導入した理由の1つと見ている。しかし導入以降、日本人は左脳の論理的思考に偏重し、音の直感を失う。

まわりを見渡してみると、現在でも日常会話では、特に女人はヤマト言葉をベースとして話している (政治家の演説は除く)。これは不勉強ということではなく、直感的に理解できるからだ。また怒っている時に漢字ベースの言葉で怒りを露わにできる日本人は少ない。それができる人は実は怒っていない。

漢字言葉での会話の場合、聞いた音を左脳で漢字に変換する作業が要るからだ。思うに元来言葉は音であり、左脳 (論理的思考) を必要としない。もっと根底レベルにある直感的なものだ。しかし学校で教わる漢字言葉は、左脳が論理的に習得したものなので、使う場合にも左脳の同時通訳を必要とする。

だから英語でも中国語でも、言葉は音として直感的に会得すべきだ。音楽と同じである。言葉は勉強しちゃいかんのだ。こうすれば左脳 (論理的思考) の介在を免れるので自分の言葉とすることができるだろう。外国人力士の話す日本語はそのことをよく物語っていると思う。


(今全体を読み返してみると、オンラインで書いているためか、オラの論点が少しずつずれてきてますね。すまんこってす。こういうのは140文字のツイッターには不向きなのかもしれませんね)





無と有の本質

2013-07-17 18:01
無と有の本質

無というのは天秤が完全に釣り合っている状態を言う。
この状態は人の目には透明に映る。
この均衡が破られる時、エネルギーの種が生まれる。
エネルギーとは「偏った状態が均衡状態に戻ろうとする力」「揺り返し」に他ならない。
だから偏った状態を随意に作り出せれば、地球のエネルギー問題は解決する。
簡単である。天秤の支点の位置をずらせばいいのだ。



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Author:御預二号
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