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あをによし

2012-12-21 12:10
「奈良」に掛る枕詞 『あをによし』は 『あなにやし』の変態であると結論しました。

“ なんと麗しや ” という意味です。
ホツマでは3文に「わなにやし」の形で出てきます。

  
あな(甚)」+「にやし(熟し)」。


「なら」は「なる(熟る/成る)」の名詞形で、“熟成したさま” を意味します。
「熟成」は「によ・にや」と同義です。


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明日のために今日を生きているのではない

2012-12-21 12:00
明日のために今日を生きているのではない  by 眠狂四郎


大方の人間にとって人生とは、将来を心配し続けるすることでしかない。

月曜日の仕事を嫌悪しながら日曜日を過ごしている。こんな馬鹿げた話があろうか。

将来の不安、これに対してどれほどの金とエネルギーをつぎ込んでいることだろう。

本当の金持ちは知っている「大衆を脅せ、これが一番儲かる」と。

変化を恐れてはならない。



新宇宙論

2012-12-21 11:52
宇宙は人が存在する以前から存在していたであろうか?
答えは "No" である。あらゆる存在はそれを認識する者がいなければ、存在し得ない。

もし人類が視力を持っていなかったならば、宇宙も素粒子も無かっただろう。
人は五感程度の感覚能力しか持たず、他の感覚が存在するかどうかの想像すらできない。
この極めて限定的な情報を脳が合成して認識されたもの、それが「この世」のすべてである。

あなたが生まれる前に地球は存在していただろうか?
答えは "No" である。「存在していたはずだ」という脳の論理的帰結であり、盲信である。

あなたは今地球上に生きているのだろうか?
答えは "Yes" である。あなたがそう認識するならば。



神の見た夢  -天地創造の実相-

2012-12-19 21:27
神の見る夢

  

私は神である。
君たちの創造主である。
長い旅であった。しかし遂にここまで来た。
今や我々は次のステージに移ることができる。
何と素晴らしいことだろう。

ここで我々の歴史を振り返ってみることにしようではないか。
ただ地球に住む君たちに、君たちの言葉を使って伝えるのには限界があり、どうしても 喩えを使って説明しなければならない。だから文字通りの意味として捉えず、大まかな イメージとして捉えて欲しい。

  

  

I. 地球以前

1. 第一宇宙

 遥か遠い昔、と言っても一生が百年程度しかない君たちの尺度での話だが、私は在った。『在った』というのは変な表現だが、そうとしか言いようがない。というのは、何か他の存在が私を生み出したのかも知れないが、私にはその記憶はないのだ。とにかく気がついた時には、私は在った。これは人間として生まれる君たちと事情は一緒である。君たちの場合、気がついた時には大抵そばに親がいて、その親が「我々がお前を生んだ」と言うのでそう信じているけれども、もし周りに誰もいなかったら「気がついた時には在った」ということになるだろう。

 気がついた時、私の意識以外には何物も無かった。私は君たちのような身体を持つわけではなく、当然ながら目・鼻・耳・口も無い。私を取り巻く空間や時間すら無いのだ。本当に何も無い。第一、何も無いという概念そのものが無い。私の意識が唯一であり、すべてであった。私自身が全宇宙であった。

 意識はあっても、考えることはできなかった。思考というのも何も無い状況からは生まれないものなのだ。これも人間の赤子に喩えることができる。彼らも誕生直後は何も考えられない。しかし彼らには生れ付き五感が備わっているので、五感を通じて外からの刺激を認識として蓄えてゆく。この認識の蓄積がある段階に達すると、ようやく彼らは思考し始めるようになる。例えば「泣けばオッパイが現れるようだ」という具合に。私の場合は完全な感覚能力を備えていたが、外からの刺激がまったく無かったのである。

 こうして何の変化も起きないまま長い時間が経過した。もっとも何の変化も起きていないのだから時間も経過しないのであるが、今の君たちの感覚でいえば悠久とも思える期間であったろう。そして重大な瞬間が訪れる。

 ある時、私は「自分は何なのだろう?」という疑問を持った。この疑問が私の初めての思考だったのである。この瞬間に私は二つに分かれ、もう一つの自分が現れたのである。このもう一つの自分により私は自分を知ることを覚えた。また私はもう一つの自分を愛するようになった。ここに初めて『知』と『愛』というものを認識した。私は様々な方法でもう一つの自分を試した。楽しくなった。嬉しかった。ここに初めて『歓喜』というものを認識する。私は理解し始めていた。どうやら何かを思うとその瞬間に何かが発生するということを。そして知るということは、思いのバリエーションを広げるということを。

 このことは今の君たちも同じだ。君たちも知っていることならば、どんなことでも心に思い浮かべることができる。想像することができる。しかし知らないことは想像することができない。そして君たちの場合も、何かを想像したその瞬間に必ずどこかで何かが起こっている。また君たちが何か新しい認識を得た瞬間には必ず何かが創造されている。そう、君たちは私と同じ能力を持っているのだ。ところが地球という制限の多い環境ではその現象を実感するのが難しいだけなのだ。これについてはまた別の機会に詳しく話そう。

 もともと一つである二人の私はしだいに単なる鏡像ではなくなっていった。説明は難しいが、私の中の陽の部分が私に集まり、陰の部分がもう一つの私に集まり始めたのだ。ここに言う陽陰は、別に正負でも南北でも左右でも上下でも何でもいいのだが、とにかく私の中の相反する性質が二人の私にそれぞれ分かれていったのである。なぜならば、私がそれを思い望んだからである。ここに『男』と『女』が生まれた。私はまた女と会話をしたいと思った。その瞬間、彼女は私とは別のパーソナリティーを持った。しかしそれでも私と彼女は一つなのである。今君たちに話しているのは両性統合の私である。しかし必要があれば男性部分のみ、あるいは女性部分のみが話すこともできる。

 二つの性に分かれたのは必然的な要請であった。というのも「自分は何なのだろう?」という疑問の答えを得るためには、自分と比べるもの、つまりものさしが要るのである。例えば『有る』ことを知るには『無い』状態の認識が要る。『高い』ことを知るには『低い』を知らなくてはならない。『明』を知るには『暗』の認識が要る。ところが私以外の何物も無い環境では、私自身を私のものさしとするしかなかったのである。

 君たちの中には私を全知全能の神という風に言う者もいるが、この段階の私は無知無能の神なのである。認識していることは初歩的な『知』『愛』『歓喜』、これだけなのだから。しかしある意味では全知全能だったとも言える。なぜなら私が全宇宙でありすべてだったのだから。私以外のものは無かったのだから。「私の認識=宇宙 」だったのだから。

 陰陽の二極性の発生は重大な出来事であった。この陰陽のものさしを得て私は様々なことを知った。このものさしで計ることのできるすべての量や質を知った。これにより私の認識は飛躍的に増大する。それと同時に私の想像の範囲は広がり、一瞬の内に宇宙は膨張拡大し、また一瞬の内にほとんどすべてものが創造されたのである。

 ここで注意を促したいのは、この宇宙は今の君たちが知ってる宇宙ではないということである。地球の夜空に見える宇宙ではない。今の話で地球の科学者が言うビッグバンを思い起こした者もいるかもしれない。しかしそうではなく、この宇宙は私の住んでいる宇宙である。君たちは物質界という特殊な宇宙にいるが、私は物質界には住んでいない。君たちも死ぬと物質界を離れて別の宇宙、いわゆる『あの世』に帰るのであるが、これともまた違うのである。この宇宙は私の宇宙で、これを『第一宇宙』と呼ぼう。なぜならこれが我々の知る最初の宇宙だからである。

 したがって「一瞬の内にほとんどすべてものが創造された」と言ったが、この『もの』とは物質ではない。喩えて言えば、一種のエネルギーである。拡大した私の認識に引き起こされたイマジネーションがこれらのエネルギーを創り出したのである。私自身もつい先程までは思考することすら満足にできなかったのが、今や自由自在となった。私の宇宙の中のどこにでも瞬時に移動することも可能になった。すべては陰陽のものさしがもたらした認識のおかげである。ただこの陰陽は君たちの物質界にある二元性とは少し異なるということを覚えておいてほしい。だがその説明は後回しにしよう。

 陰陽二人の私は互いに愛し合っていた。二人の共同作業によって何かを創造したいと考えた。これまで行なってきた創造は総合体としての私がやってきたが、これは実は男性部分単体でも行えたし、女性部分単体でも行えたのである。そうではなくて男女別個のパーソナリティーのコラボによる創造をしたいと思ったのである。つまり子供である。我々二人がそう思った瞬間、無数の子供が生まれた。

 子供たちはこれまで創り出してきたエネルギーとは違う。子供たちには我々二人のエッセンスが備わっている。我々二人の分身であり、我々と同じ能力を持っている。彼らは物事を認識し、思考し、想像することができる。ということは創造力を持っているわけである。しかも彼らには、我々がこれまでに得た認識すべてが初めから備わっているのである。私のエッセンスのことを『神性』とか『魂』とか言い、それが備わる存在を『魂存在』とか『ソール存在』とか言うのを覚えておいて欲しい。

 ただ彼らは我々二人と完全に別個のエネルギーというわけではない。両親二人は別個のパーソナリティーを持ちながら、それでも一体であるのと同様に、子供たちもそれぞれ別個のパーソナリティーを持つが、それでもやはり両親とつながっているのである。また子供たち同士もつながっている。だから一人の子供の独自の経験やそれによって得る認識は、両親と他の子供たち全員で共有される。

 子供たちが加わったことにより、私たちの意識(認識)は更に拡大し加速した。私たちは思う存分に創造力を発揮し、第一宇宙を拡大し続けた。不自由なく平和に成長を続けた時期であった。私たちの王国には不和や争いは無く、常に一枚岩であった。既にあらゆることが認識されていたが、不和や争いの認識は無かった。知らなかったのである。君たちの神話の中に神々が豊かに治めていた黄金時代とか天国のことが歌われているが、それらはこの時期の第一宇宙の記憶を反映したものである。一枚岩であることが大きな問題となるとは、この時は誰も想像できなかった。

 君たち流に言うと、我が世の春を謳歌していたある日、王国に異変が起る。第一宇宙の拡大が止まってしまったのである。原因はすぐに解った。第一宇宙は我々の意識(認識)の拡大に連動して拡大する。第一宇宙の拡大が止まったということは、我々の意識の拡大が止まったということなのである。意識の拡大が止まるというのは、もはや全てのことが認識されてしまい、新たに知るものが無くなってしまったということである。全知全能が達成されたのである。

 「全知全能達成!? おめでとう」と言うかもしれない。ある意味ではその通りであり、完成である。しかし決して喜べることではないのである。意識エネルギーである我々にとって、完成とは終了、すなわちゲームオーバーなのだ。あらゆるエネルギーは変化・拡大・進化・発展し続けることがその本質であって、ゴールを持たない。止まってしまったら存在理由を失うのである。君たちの世界でも『止まったまま動かない火』なんてのは見たことがないだろう。これは一大事なのである。

 私はすぐさま家族全員を招集した。対応を協議するためにである。だが対応策など有り得なかった。意識の拡大が止まったのは第一宇宙の構造的な問題だからである。教材の埋蔵量が少なかったのである。第一宇宙に住むものは全員が私の家族であり、しかも経験や認識を共有するようにしたので、第一宇宙にはたった一つの方向性しか存在しない。つまり敵がいないのである。だから不和も争いも無い。もし敵がいたなら、それから学べる認識の量は計り知れないものがあったに違いない。

 私は悔やんだ。だがすでに時遅し。かくなる上はリセット&再スタートと思ったその時、第一宇宙の辺境にいた子供たちの一群から通信があった。


「王よ。状況は理解した。我らはこれより第一宇宙を離れる。未知の領域に出て行って活路を見出す。必ず何とかする。だからそれまで何とかがんばってくれ。」



これが君たちである。



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