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ホツマツタエのおもしろ記事(36)『真名井』

2013-01-23 15:32
ホツマツタエのおもしろ記事(36)  真名井



「マナヰ (真名井)」は、京都府宮津市の「天橋立」周辺の地で「真名井の原」とも呼ばれた。マナヰは地理的には、サホコチタル国の政庁都市「宮津」と同じ場所を指す地名と考えて良いと思う。この地には現在、傘松山の南麓に「籠神社」が、東麓にその奥宮の「真名井神社」がある。
ホツマの伝えることが事実なら (もちろん事実と信じているが) 、この地は日本における最高の聖地ということになる。



「まなゐ」の語意については、「ゐ」は「井戸・水」だと長いこと信じて疑わなかったが、今は否定的である。ホツマの文中に「井戸・水」を示す記述がまったく無いからである。現在マナヰには有名な井戸があるが、これは後世の付会と考える。今は一応「まな (愛・真)」+「ゐ (居)」で、「優れる場所・愛しき場所」の意と考えている。



天つ君となった当初、アマテルはヒタカミの重鎮を総動員して全国を治めている。アマテルの祖父であり師でもあるタマキネ (トヨケの斎名) もその例外ではなく、サホコチタルを治めるために宮津に滞在する。

『チタル国 マスヒト コクミ 怠れば タマキネ 仕けて ヒタカミは ヤソキネに治す タカキネを 君の輔と』ホツマ6文

『タマキネは 行きてサホコの 国を治す ミヤツの宮ぞ』ホツマ6文



その甲斐あって日本は「トコヨの道 (和による秩序)」を回復し、豊かに治まっていった。タマキネは世を辞む時を悟り、アマテルを宮津に呼ぶ。

『妙も豊かに 治まりて 八万年 経て 二十二鈴 五百五枝 初に ミヤツより 早雉 飛べば 天日神 急ぎ マナヰに 御幸なる』ホツマ6文



タマキネは、ヒタカミ時代のアマテルの師であったが、教え残した奥義があるとしてそれを授ける。また「アマテル神は幾世の上祖である」とのクニトコタチ (タマキネの過去世の一) の言葉を遺して、この地に掘った辞洞に自ら入り隠れる。

『時にタマキネ 会ひ語り "昔 道奥 尽くさねば ここに全つ" とて 授けまし "諸守達も 確と聞け 君は幾代の 上祖なり これ トコタチの 言宣" と 洞を閉ざして 隠れます』ホツマ6文



アマテルは辞洞の上に「朝日宮」を建て、「朝日神」と贈名して懇ろに祭った。

『その上に建つ 朝日宮 君 懇ろに 祭して』ホツマ6文

『サホコの宮の アサヒ神 拝みて至る イツモ方の』ホツマ9文


この朝日宮が、籠神社の奥宮「真名井神社」だと思うのである。



遥かに時代は下る。50本目の真榊は植え継ぐこと無く自然に生えてきた。これを見てアマテルは自分の役目が終わったことを悟る。

『時に五十鈴 宮に生え つらつら思す "植えずして 生えるも天地よ 我が命 天地が知らす" と』ホツマ28文



そしてサルタヒコに辞洞を掘らせる。その場所は...

『八百守を 召して "我 世を 辞まん"と サルタに穴を 掘らしむる "マナヰに契る アサヒ宮 同じ所"と 宣給えば』ホツマ28文

『神行の御輿 マナヰにて アマテル神は 内つ宮 トヨケは外宮』ホツマ28文



タマキネと同じ真名井の朝日宮の、アマテル神は内つ宮 (籠神社本宮) でトヨケは外宮 (真名井神社)である。
つまり真名井は天照大御神と豊受大神の墓所だということである。



【籠神社 由緒】 http://www.motoise.jp/main/yuisyo/index.html
神代と呼ばれる遠くはるかな昔から奥宮真名井原に豊受大神をお祭りして来ましたが、その御縁故によって人皇十代祟神天皇の御代に天照大神が大和国笠縫邑からおうつりになって、之を吉佐宮(よさのみや)と申して一緒にお祭り致しました。
その後天照大神は十一代垂仁天皇の御代に、又豊受大神は二十一代雄略天皇の御代にそれぞれ伊勢におうつりになりました。それに依って當社は元伊勢と云われております。
両大神が伊勢にお遷りの後、天孫彦火明命を主祭神とし、社名を籠宮(このみや)と改め、元伊勢の社として、又丹後国の一之宮として朝野の祟敬を集めて来ました。




ホツマは「笠縫」が大和国にあるとは伝えていない。
崇神天皇の4年、神の稜威を畏れた天皇は、三種宝のヤタ鏡 (アマテル神の御霊) をトヨスキ姫をしてカサヌイに祭らしめる。同時に八重垣の剣 (オオクニタマの御霊) をヌナギ姫をして山辺の里に祭らせる。

『アマテル神は カサヌイに トヨスキ姫に 祭らしむ オオクニタマは ヌナギ姫 山辺の里に 祭らしむ』ホツマ33文

『山辺の里』は三輪山麓のオオクニタマが隠れた辞洞の地である。したがって『カサヌイ』もアマテルの隠れた辞洞の地と見るのが自然である。
またさらには次のように伝える。

『昔 トヨスキ 神の告げ 御霊笥 担ぎ 与謝に行く この梯立は カサヌイの 上より宮津の 松に雲 棚 引き渡すホツマ36文

カサヌイの上=カサマツ山、宮津の松=宮津市松原町、雲=天橋立の白砂がつくるラインの比喩、と考えられる。
笠縫は傘松山麓にちがいないと思う。



参考サイト:http://gejirin.com/hotuma06.html
     :http://gejirin.com/hotuma28.html
     :http://gejirin.com/hotuma36.html



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ホツマツタエのおもしろ記事(35)『おみこしの起源』

2013-01-23 09:22
ホツマツタエのおもしろ記事(35)  おみこしの起源



みこし (御輿・神輿) とは、まつりの時に大勢でかつぐ例の物である。→ 写真
鳳輦 (ほうれん)」とも言い、今は四角形・六角形のものも多いが、本来は八角形である。屋根の上に鳥が一羽とまっている。

神輿は、アマテル神の外出用の乗物が起源なのである。
高御座 (たかみくら)」を移動用の乗物に仕立てたものと言っても良い。→ 写真

ホツマの中では「斎鳥の出車 (いとりのてぐるま)」「八房輿 (やふさこし)」「八房御車 (やふさみくるま)」「御幸輿 (みゆきこし)」などと表現されている。
「車 (くるま)」と言っても、ここでは「くるくるまわる物」ではなく「交る物・駆る物・乗る物」の意で、「輿 (こし)」と同じ物である。そういえば「輿」と言う漢字も、中に「車」が収まっているではないか。



オモタル・カシコネは、姉妹国ヒタカミの協力も得て、ほぼ日本全土の統一を完成していた。しかしこの天君 (中央政府の総帥) には世継ぎの御子が生れることがなく、ミナカヌシ以来続いた皇統はついに断絶する。中央政府を失った日本は、次第に荒廃していった。

タカミムスビのトヨケ (豊受大神) は、この窮状をなんとかするため、暫定的にヒタカミをタカマ (中央政府) とし、本家の立場を引き継いで日本全土を総括した。トヨケは、自分の娘のイサコ (伊弉冉尊) と、根国を治めていたアワナギの子のタカヒト (伊弉諾尊) を結婚させ、その子を以て天君とし、真の中央政府を復活しようと図る。

ヒタカミと根国が手を結ぶことにより「天地つ日月の君」となった二神 (イザナギとイザナミ) は、近江の「オキツボ」を都とする。「ヤヒロトノ (八尋殿・八紘殿)」を建て、ここを中心として全国を巡り、退廃した日本に再び「経矛の道 (法と戒の道)」を敷き、臣民を指導し、産業を復興させてゆく。二神の尽力の甲斐あって、中央部から地方へと法による秩序がしだいに回復して行き、産業の復興も軌道に乗り始めた。

この時点で、イザナギ・イザナミの二神にはすでに「ワカ姫 (蛭子)」が生まれているが、まだ世嗣の御子は生まれていない。オモタル・カシコネの記憶がまだ生々しい時だけに、二人は世嗣の重要性を痛いほどに感じていた。

ミナカヌシに始まるクニトコタチの皇統がオモタル・カシコネで断絶し、その後を受けて天つ君となった二神の立場は苦しい。「妥協の暫定政権」とでも言うべき立場である。二神の世嗣にはクニトコタチに匹敵する高貴さが要求される。並の世嗣では世の臣民は納得して服わないだろう。二神を「天地つ日月」に仕立てたトヨケもそのことを痛感していた。

そこでトヨケは「カツラキ山」(山形県の鳥海山) に「世嗣社」を建て、二神の世嗣に尊い神が降誕することを願い、自ら8,000回の禊を以て根源神「アメノミヲヤ (陽陰の上祖)」に祈る。豊受神の別名「大物忌大神」は、トヨケが行った「8,000回の禊」を示す名前である。

『世嗣社の 色垂は アメノミヲヤに 祈らんと トヨケ 自ら 禊して 八千座 契り』ホツマ4文



その時、天から丹色の斎鳥 (いとり) の羽が一枚降ってきたのである。トヨケは「これは自分の熱烈な意向が成就するという、天からの知らせのもみぢに違いない」と確信する。これにより「カツラギ山」は「斎鳥山 (いとりやま) 」とも呼ばれるようになる。 (「もみぢ」は「もみつ (紅葉つ)」の名詞形で「成熟・実り」などの意。)

『カツラキの 世嗣社に 御種 祈る 時に天より 丹斎鳥の 一羽 落つれば 天つ宣 これは息吹の 成るもみぢ 化けてカツラキ 斎鳥山』ホツマ16文

『神祈 通りてぞ アメノミヲヤの 眼より 漏るる日月と 天元神 三十二の神の 守る故 子種 成ること 覚えます』ホツマ4文



鳥海山は古くは、鳥見山、大物忌山、日山、羽山、鳳山、などと呼ばれており、おそらく「とりみやま (鳥見山)」が「とりうみやま (鳥海山)」に解釈されたものと推察する。「出羽」という国名も「斎鳥の羽が出た国」と言う意味だろうと思われる。

斎鳥には中国の「鳳凰」が当てられているが、斎鳥の語意は「尊い鳥」というシンプルなものであり、中国の鳳凰と同一のものとは考えられない。しかしこれが「神輿」「鳳輦」「高御座」の上に鳳凰がとまっている由来である。



こうして根源神アメノミヲヤの左右の眼に相当する、日と月 (太陽と太陰) の神霊が、二神の御子として降誕した。
トヨケは出車 (おそらく斎鳥山の桂の木で造ったもの) を造り、それを「桂の迎ひ」と称して、ハラミ山麓のサカオリ宮に持って来る。アマテルをヒタカミに連れて行って教育するためにである。

『カツラギ山の 八千禊 済みて斎鳥の 出車を 造り 桂の 迎ひとて ハラミに伝ふ ある形』ホツマ4文

『ホツマ君 カツラギ山の 八千座の 禊も満ちて カツラギの出車 成して 迎えんと ハラミ山下に 伝え寄る』ミカサ逸文

『トヨケにて 天御子 養す 物語り 召す出車を ヒタカミへ 御幸の君は 八房輿』ホツマ4文



「てぐるま 」は辞書には「手車・輦」で「手で引く車」とあるが、本来は『出車』で「外出用の乗物」という意味だと思う。「山車 (だし)」や「出し車 (いだしぐるま)」と同じだろう。

また「桂 (かつら)」は、「かつる」という動詞の名詞形。
「かつる」は「かつ (勝つ・上つ)」から派生したもので、「高まる・優れる・至る・中心にある」などの意。
よって「桂 (かつら)」は「高み・至り・中心」であり、これは「タカマ (中央・都)」を象徴する木なのである。
だから『桂の迎ひ』とは、「タカマ (中央政府・都) の迎い」ということである。



こうしてアマテルは「斎鳥の出車 (=八房輿)」に乗ってヒタカミに向かった。
そしてこれが「神輿」「鳳輦」「高御座」の原型である。
しかしどうしてこれらは八角形なのだろう?

それは「フトマニ図」や「九曜紋」を見るとわかる。
アマテルは根源神アメノミヲヤの左右の眼に相当する、日と月 (太陽と太陰) の神霊の顕現である。つまりアメノミヲヤ・ミナカヌシと三位一体なのである。現にアマテルを指して、アメノミヲヤと呼んでいる箇所も存在する (ホツマ12文)。

そしてアメノミヲヤはフトマニ図の中心に座して、その八方を「ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ」の天元神が守っている。これを八角形で表しているのである。また八角形には「中心にあって八方を照らす君」という意もある。



参考サイト:http://gejirin.com/hotuma04.html
     :http://gejirin.com/hotuma16.html
     :http://gejirin.com/mikasa-itubun.html


  
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