ホツマツタエのおもしろ記事(62)『大国主命』
2013-02-08 00:32
ホツマツタエのおもしろ記事(62) 大国主命
大国主 (おおくにぬし) は、官職名であるオオモノヌシ (大物主) と混同されていて、それが故に複数の人物が大国主に比定されている。
まずソサノヲ (素戔嗚尊) の子で、初代の大物主となった「オオナムチ (大己貴神)」である。
大国主は、「大国 (おおくに)」を「大国 (だいこく)」と読み、それが「大黒 (だいこく)」に転じて、七福神の「大黒様」にもなっている。大黒様の「左肩に大きな袋を負い、右手に打出の小槌を持ち、米俵を踏まえる」というイメージは、まさにオオナムチのものである。
『オホナムチには クシヒコを オオモノヌシの 代りとて コトシロヌシと 仕えしめ 己はイヅモに 教ゆるに 一二三六百八十二俵の ヒモロケ 数え 種袋 槌は培ふ 御宝 飢え治す糧も 倉に満つ 雨・風・日照り 実らねど アタタラ 配り 飢えさせず』ホツマ9文
また古事記に次のような記事がある。
『天之冬衣神 (あめのふゆきぬのかみ)。この神、刺国大神 (さしくにおおかみ) の女、名は刺国若比売 (さしくにわかひめ) を娶りて生みし子は、大国主の神』
この大国主の神は、嗣子の無かった4代大物主の「フキネ (天葺根命/天冬衣神)」が、「ツミハ (積羽八重事代主)」の子を養子に受けて大物主を継がせた、5代大物主「クシミカタマ (櫛甕玉)」を言っている。
しかしホツマが伝えるところによれば、大国主は1人であり、「オオナムチ」と「クシミカタマ」、どちらも大国主ではない。
オオナムチの長男で、2代大物主となった「クシヒコ」、この人物こそ大国主であるとホツマは言う。
『君 クシキネを モノヌシに タケコを妻と なして生む 兄はクシヒコ 女はタカコ 弟はステシノ タカヒコネ』ホツマ9文
オオナムチは、知行国出雲の開発に専念したいがため、クシヒコを事代主にして大物主としての自分の職務を代行させる。そしてこのことが「かしま立ち」の原因となる。 (参照:鹿島立ち)
『オホナムチには クシヒコを オオモノヌシの 代りとて コトシロヌシと 仕えしめ 己はイヅモに 教ゆるに』ホツマ9文
オオナムチは、中央の政を実質的に預かるコトシロヌシのクシヒコに対応を相談、その言葉によって天 (中央政府) に帰順することを決める。
『オホナムチ 応え 問わんと ミホサキの 連へ雉子の イナセハギ 天の応えを 問ふ時に コトシロヌシが 笑す顔』ホツマ10文
『我 涼かにて 父母に "ホロロ 泣けども 鉤の鯛ぞ 肴と切るも 愚かなり タカマは民の 笑す尊意 いとかけまくぞ 御言宣"』ホツマ10文
オオナムチは帰順後の忠が評価され、日隅国 (津軽) の治めを授かる。
それに伴い事代主のクシヒコが、代の殿タカキネの娘ミホツ姫を娶り、2代大物主に就任する。
『タカミムスビの 立たし枝 理 あれば 御言宣 賜ふ アソベの アカル宮』ホツマ10文
『汝 モノヌシ クシヒコよ 国つ女 娶らば 疎からん 我がミホツ姫 妻として 八十万守を 司り 御孫を守り 奉れ』ホツマ10文
そして「ヨロギ (万木)」の地を賜る。クシヒコはこの地に千草万木を植え、薬学の道を開く。またミホツ姫との間に世嗣の「ヨロギマロ (斎名:ミホヒコ)」を生む。
『賜ふヨロギは 嘗事の 千草万木の 名を立たす この宮 領れば 弱のため 病めるを癒やす 道を分け 世嗣は一人 ヨロギマロ』ホツマ10文
天君オシホミミの長男「テルヒコ」が、大和国を治めることになると、クシヒコはその大物主として一緒に大和国に下る。 (アマノコヤネも同行している。したがってこの時点ではテルヒコが皇位継承者に予定されていたと考える。)
『オオモノヌシは 五組の モノベ 二十五を 率き添ふて 供人 総て 八百六十四』ホツマ20文
しかし、1年も経ずして宮を移転するというテルヒコの意向を承服できず、身を挺しての諌めとして官職を辞して去る。 (アマノコヤネも同じ行動をとっている。)
『モノヌシは 怒りて曰く "フトタマは 君の執の大人 臣翁 昨日 万歳 君 祝ひ 今日 また変わる 宮遷し 万千は遠し 一年も 経ざるを狭めば 世の恥は 汝の心 穢れより 君 肖らば 我 居らず 茜炎に 潰すとも 磨金 食めど 穢れ 得ず" かく言い 帰る』ホツマ20文
その後クシヒコは、コヤネと共にテルヒコの弟「ニニキネ (瓊瓊杵尊)」の左右の臣として侍るようになる。ニニキネは新地の開発に力を入れ、「ニハリ (新治)」の地に都市を築こうとしていた。クシヒコは、フトマニに鑑みて「宮造りの法」を定めるように命じられる。
『"フトマニに 宮造り法 定めよ" と オオモノヌシに 御言宣 モノヌシ 受けて 法 定む』ホツマ21文
この「宮造り法」と「埴祭の法」を定めた功に対し、ニニキネは「大国主」という守名をクシヒコに授けたのである。
「オオクニヌシ」は「大地主 (大地を治める者)」の意であり、ホツマでは「ヲコヌシ・オオクンヌシ・ヲヲコヌシ・ヲヲクヌ・クニヌシ・ヲコヌ」など様々なバリエーションで呼ばれている。
『時に君 ヲコヌシ守と 名を賜ふ 柱名もこれ』ホツマ21文
こうあるように「大黒柱 (だいこくばしら)」も、もとは「大国柱 (おおくにばしら)」と呼ばれていただろうことが窺える。
アマテルが、臣をイサワの宮に集めて教えを垂れていたある時、「八重垣の臣」 (=大物主) のクシヒコは、「八重」の意味についてアマテルに質問する。その答えに長年の疑問が氷解したクシヒコは、喜びの気持ちを語る。
『昔 モノヌシ 賜わりて 深く思えど まだ解けず 今 漸やくに これを知る これ 八重垣は モノノベの 名なりと己が 央に応ゆ てれば 皇の 重々の垣 己が央なり』ホツマ23文
アマテルはそのクシヒコの心境に感心し、二神からアマテルに引き継がれた「天の逆矛」をクシヒコに授ける。
『むべなるや クシヒコ 汝 御孫より ヲコヌシ守の 賜ふ名も まだ足らず 我 二神の 賜ふ逆矛 幸ひに その気を得れば 譲るなり』ホツマ23文
さらには、ニニキネに賜った「ヲコヌシ (大国主)」の名ではまだ足らずとして、「ヤマトヲヲコノミタマ (大和大国魂)」という守名を授けるのである。
『生れ 素直に ヤマト道の 教えに適ふ '皇の八重垣の翁' 賜ふ名も ヤマトヲヲコノミタマ守』ホツマ23文
「ヤマト」は「ヤマトの道=調和の道=トコヨの道=陽陰の道」である。「ヲヲコノ」は「オオクニ (大国・治地)」の変態。「ミタマ」は「珠・尊」の意で敬称である。
この名が「大和大国魂大神」「倭大国魂神」「日本大国魂神」「大国魂大神」などと書かれて神社の祭神名となっている。
ホツマの中でこれほどの栄誉を授かった臣は、クシヒコの他に見出すことができない。
クシヒコの父はオオナムチ、その父はソサノヲである。許されてはいるが、両者とも一時は朝敵であり犯罪者だったのである。
クシヒコは大物主を子の「ヨロギマロ (斎名:ミホヒコ)」に譲った後、大和の山辺に隠居する。最期は三諸山に辞洞を掘り、拝領の「天の逆矛」を抜き持って洞に隠れる。
『'魂の緒 入れて 皇の 代々 守らんは' 陽陰の道 ミモロの山に 洞 掘りて 天の逆矛 放けながら 入りて静かに 時を待つ』ホツマ23文
クシヒコは、陽陰の道が衰え再興を要する時に備えて、天の逆矛を抜き持ったまま洞に入ったのである。後にアマテルはこう語っている。
『クシヒコ 生まれ 直ぐなれば 授く御矛に 鑑みて ミモロに入りて 時 待つも 道 衰はば また出でて 熾さんためや』ホツマ28文
後に、クシヒコの陽陰の道を守らんとする精魂は、オオモノヌシ断絶の危機にオホナムチをしてクシミカタマを嗣とする時に、またオミケヌシの開化天皇への諫言を経て、崇神天皇の国家存亡の危機の時に、ミモロ神 (オオモノヌシ神) となって現れ、現実のものとなるのである。
参考サイト:http://gejirin.com/hotuma09.html
:http://gejirin.com/hotuma10.html
:http://gejirin.com/hotuma20.html
:http://gejirin.com/hotuma21.html
:http://gejirin.com/hotuma23.html
大国主 (おおくにぬし) は、官職名であるオオモノヌシ (大物主) と混同されていて、それが故に複数の人物が大国主に比定されている。
まずソサノヲ (素戔嗚尊) の子で、初代の大物主となった「オオナムチ (大己貴神)」である。
大国主は、「大国 (おおくに)」を「大国 (だいこく)」と読み、それが「大黒 (だいこく)」に転じて、七福神の「大黒様」にもなっている。大黒様の「左肩に大きな袋を負い、右手に打出の小槌を持ち、米俵を踏まえる」というイメージは、まさにオオナムチのものである。
『オホナムチには クシヒコを オオモノヌシの 代りとて コトシロヌシと 仕えしめ 己はイヅモに 教ゆるに 一二三六百八十二俵の ヒモロケ 数え 種袋 槌は培ふ 御宝 飢え治す糧も 倉に満つ 雨・風・日照り 実らねど アタタラ 配り 飢えさせず』ホツマ9文
また古事記に次のような記事がある。
『天之冬衣神 (あめのふゆきぬのかみ)。この神、刺国大神 (さしくにおおかみ) の女、名は刺国若比売 (さしくにわかひめ) を娶りて生みし子は、大国主の神』
この大国主の神は、嗣子の無かった4代大物主の「フキネ (天葺根命/天冬衣神)」が、「ツミハ (積羽八重事代主)」の子を養子に受けて大物主を継がせた、5代大物主「クシミカタマ (櫛甕玉)」を言っている。
しかしホツマが伝えるところによれば、大国主は1人であり、「オオナムチ」と「クシミカタマ」、どちらも大国主ではない。
オオナムチの長男で、2代大物主となった「クシヒコ」、この人物こそ大国主であるとホツマは言う。
『君 クシキネを モノヌシに タケコを妻と なして生む 兄はクシヒコ 女はタカコ 弟はステシノ タカヒコネ』ホツマ9文
オオナムチは、知行国出雲の開発に専念したいがため、クシヒコを事代主にして大物主としての自分の職務を代行させる。そしてこのことが「かしま立ち」の原因となる。 (参照:鹿島立ち)
『オホナムチには クシヒコを オオモノヌシの 代りとて コトシロヌシと 仕えしめ 己はイヅモに 教ゆるに』ホツマ9文
オオナムチは、中央の政を実質的に預かるコトシロヌシのクシヒコに対応を相談、その言葉によって天 (中央政府) に帰順することを決める。
『オホナムチ 応え 問わんと ミホサキの 連へ雉子の イナセハギ 天の応えを 問ふ時に コトシロヌシが 笑す顔』ホツマ10文
- 『笑す顔 (ゑみすかほ)』これがクシヒコを「ヱビス様」とも言う由来である。
『我 涼かにて 父母に "ホロロ 泣けども 鉤の鯛ぞ 肴と切るも 愚かなり タカマは民の 笑す尊意 いとかけまくぞ 御言宣"』ホツマ10文
オオナムチは帰順後の忠が評価され、日隅国 (津軽) の治めを授かる。
それに伴い事代主のクシヒコが、代の殿タカキネの娘ミホツ姫を娶り、2代大物主に就任する。
『タカミムスビの 立たし枝 理 あれば 御言宣 賜ふ アソベの アカル宮』ホツマ10文
『汝 モノヌシ クシヒコよ 国つ女 娶らば 疎からん 我がミホツ姫 妻として 八十万守を 司り 御孫を守り 奉れ』ホツマ10文
そして「ヨロギ (万木)」の地を賜る。クシヒコはこの地に千草万木を植え、薬学の道を開く。またミホツ姫との間に世嗣の「ヨロギマロ (斎名:ミホヒコ)」を生む。
『賜ふヨロギは 嘗事の 千草万木の 名を立たす この宮 領れば 弱のため 病めるを癒やす 道を分け 世嗣は一人 ヨロギマロ』ホツマ10文
天君オシホミミの長男「テルヒコ」が、大和国を治めることになると、クシヒコはその大物主として一緒に大和国に下る。 (アマノコヤネも同行している。したがってこの時点ではテルヒコが皇位継承者に予定されていたと考える。)
『オオモノヌシは 五組の モノベ 二十五を 率き添ふて 供人 総て 八百六十四』ホツマ20文
しかし、1年も経ずして宮を移転するというテルヒコの意向を承服できず、身を挺しての諌めとして官職を辞して去る。 (アマノコヤネも同じ行動をとっている。)
『モノヌシは 怒りて曰く "フトタマは 君の執の大人 臣翁 昨日 万歳 君 祝ひ 今日 また変わる 宮遷し 万千は遠し 一年も 経ざるを狭めば 世の恥は 汝の心 穢れより 君 肖らば 我 居らず 茜炎に 潰すとも 磨金 食めど 穢れ 得ず" かく言い 帰る』ホツマ20文
その後クシヒコは、コヤネと共にテルヒコの弟「ニニキネ (瓊瓊杵尊)」の左右の臣として侍るようになる。ニニキネは新地の開発に力を入れ、「ニハリ (新治)」の地に都市を築こうとしていた。クシヒコは、フトマニに鑑みて「宮造りの法」を定めるように命じられる。
『"フトマニに 宮造り法 定めよ" と オオモノヌシに 御言宣 モノヌシ 受けて 法 定む』ホツマ21文
この「宮造り法」と「埴祭の法」を定めた功に対し、ニニキネは「大国主」という守名をクシヒコに授けたのである。
「オオクニヌシ」は「大地主 (大地を治める者)」の意であり、ホツマでは「ヲコヌシ・オオクンヌシ・ヲヲコヌシ・ヲヲクヌ・クニヌシ・ヲコヌ」など様々なバリエーションで呼ばれている。
『時に君 ヲコヌシ守と 名を賜ふ 柱名もこれ』ホツマ21文
こうあるように「大黒柱 (だいこくばしら)」も、もとは「大国柱 (おおくにばしら)」と呼ばれていただろうことが窺える。
アマテルが、臣をイサワの宮に集めて教えを垂れていたある時、「八重垣の臣」 (=大物主) のクシヒコは、「八重」の意味についてアマテルに質問する。その答えに長年の疑問が氷解したクシヒコは、喜びの気持ちを語る。
『昔 モノヌシ 賜わりて 深く思えど まだ解けず 今 漸やくに これを知る これ 八重垣は モノノベの 名なりと己が 央に応ゆ てれば 皇の 重々の垣 己が央なり』ホツマ23文
アマテルはそのクシヒコの心境に感心し、二神からアマテルに引き継がれた「天の逆矛」をクシヒコに授ける。
『むべなるや クシヒコ 汝 御孫より ヲコヌシ守の 賜ふ名も まだ足らず 我 二神の 賜ふ逆矛 幸ひに その気を得れば 譲るなり』ホツマ23文
さらには、ニニキネに賜った「ヲコヌシ (大国主)」の名ではまだ足らずとして、「ヤマトヲヲコノミタマ (大和大国魂)」という守名を授けるのである。
『生れ 素直に ヤマト道の 教えに適ふ '皇の八重垣の翁' 賜ふ名も ヤマトヲヲコノミタマ守』ホツマ23文
「ヤマト」は「ヤマトの道=調和の道=トコヨの道=陽陰の道」である。「ヲヲコノ」は「オオクニ (大国・治地)」の変態。「ミタマ」は「珠・尊」の意で敬称である。
この名が「大和大国魂大神」「倭大国魂神」「日本大国魂神」「大国魂大神」などと書かれて神社の祭神名となっている。
ホツマの中でこれほどの栄誉を授かった臣は、クシヒコの他に見出すことができない。
クシヒコの父はオオナムチ、その父はソサノヲである。許されてはいるが、両者とも一時は朝敵であり犯罪者だったのである。
クシヒコは大物主を子の「ヨロギマロ (斎名:ミホヒコ)」に譲った後、大和の山辺に隠居する。最期は三諸山に辞洞を掘り、拝領の「天の逆矛」を抜き持って洞に隠れる。
『'魂の緒 入れて 皇の 代々 守らんは' 陽陰の道 ミモロの山に 洞 掘りて 天の逆矛 放けながら 入りて静かに 時を待つ』ホツマ23文
クシヒコは、陽陰の道が衰え再興を要する時に備えて、天の逆矛を抜き持ったまま洞に入ったのである。後にアマテルはこう語っている。
『クシヒコ 生まれ 直ぐなれば 授く御矛に 鑑みて ミモロに入りて 時 待つも 道 衰はば また出でて 熾さんためや』ホツマ28文
後に、クシヒコの陽陰の道を守らんとする精魂は、オオモノヌシ断絶の危機にオホナムチをしてクシミカタマを嗣とする時に、またオミケヌシの開化天皇への諫言を経て、崇神天皇の国家存亡の危機の時に、ミモロ神 (オオモノヌシ神) となって現れ、現実のものとなるのである。
参考サイト:http://gejirin.com/hotuma09.html
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:http://gejirin.com/hotuma21.html
:http://gejirin.com/hotuma23.html
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