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ホツマツタエのおもしろ記事(103)『淤能碁呂』

2013-03-31 17:38
ホツマツタエのおもしろ記事(103)  淤能碁呂



「オノコロ」は、古事記には「淤能碁呂」、日本書紀には「磤馭慮」と書かれる。
両書の伝える内容には大きな違いは無く、おおよそ次の通りである。

イザナギ・イザナミの二神が天の浮橋に立って、天つ神から賜った天之瓊矛(あめのぬぼこ) を、指し下して掻き探ると海が現れ、その矛の先から滴り落ちた水滴が凝り固まって、オノコロ島が現れた。

したがって記紀によれば「オノコロ」は、国土としての日本列島を表す言葉ということになる。
しかしホツマの所伝から考察すれば、記紀の説明は「オノコロ」の意の一端を表すに過ぎないことが解る。



「オノコロ」の語義は、第一には 「おの (央)」+「ころ (心)」である。
「おの」は「おぬ (上ぬ・央ぬ)」という動詞の名詞形で、「おぬ」は、ここでは「高まる・至る・中心にある」などの意。よって「おの」は「高み・中心・核・本源」などの意である。
「ころ」は「かる (上る)」の変態「こる」の名詞形で、「かる・こる」は同じく「高まる・至る・中心にある」などの意。よって「おのころ」は「高み・中心・核・本源」の意を重ねた複合語であり、具体的には「核・源・種・凝縮」「中央政府・都」などを意味する。

次にここから「核心の影響力がつくるシステム・調和・秩序」の意が派生する。これは喩えて言えば、太陽の重力がまとめる太陽系みたいなものである。これは具体的には「中央政府の主権が及ぶ地域」「国家・国土」などを表す。 もともとは日本の中央の国を指す名の「ヤマト」が、日本全体を表す国号にもなっていることを思えばいい。

第三は、「おの (央)」+「ころ (凝・塊)」である。
「おの」は上記と同じであるが、ここでは特に人の「こころ」を指している。
「ころ」は「こる (凝る)」の名詞形で、「こる」は、ここでは「形を成す・具現する・実を結ぶ」などの意。
よって「おのころ」は「心の結実・思いの実現」などの意である。
整理すると次のようになる。

オノコロ
1.央心。中心。核心。本源。
  ●中央部。中国。 ●都。中央政府。 ●核。源。種。凝縮。
2.核心の影響力がつくるシステム・調和・秩序。
  ●中央政府の主権が及ぶ地域。国家。国土。
3.央の凝り。心の結実。思いの実現。



そこでホツマの記事を見てみよう。

『二神は うきはしの上に 栄くり熟る 果の雫の オノコロに 宮殿 造り』ホ2文

  • 『二神 (ふたかみ)』イザナギとイザナミの夫婦。オモタル・カシコネを最後にクニトコタチから続く皇統は途絶え、神代の日本は滅びる。その後に天つ君となった二神は、何もかも始めからやり直さなければならなかった。二神は、退廃した日本に再び「経矛の道 (法と戒の道)」を敷き、臣民を指導し、産業を復興させてゆく。
  • 『うきはし』は「うく(受く・和く)」+「はす(合す)」の名詞形。両語共に「合う・合わす・結ぶ」などの意。「うきはし」は「結び・渡し・仲介・仲人」の意。「うきはしの上」とは「仲介を得て結ばれた根国とヒタカミの協力関係の上」という意味で、「本来の皇統から外れる天つ君」という、二神の立脚点を表現するものである。
  • 『栄くる熟る (さくりうる)』「さくる」は「しゃくる」「すくう」と同じ。「高める・上げる」の意。「熟る (うる)」は「炒る (いる)」と姉妹語で、やはり「高める・上げる」の意。したがって「さくり熟る」は、「すくい上げる」と同義。ここでは、二神が経と矛によって瀕死の国と国民を救ったという意味。
  • 『果の雫 (ほこのしづく)』「ほこ」は「ほく (祝ぐ・寿ぐ)」の名詞形で、「ほく」は「高め至らす・熟成する・実らす」などの意。よって「ほこ」は「成熟・実り・成果・結実」などの意。「しづく」は「凝縮・結晶」、また「末・端・何かの一部・はしくれ」などの意。つまり「ほこのしづく」は「成果の結晶」「成果の一端」の意。
  • 『オノコロ』ここでは「中央政府・都」の意。二神の努力の成果として復活した「中央政府」の意。
  • 『宮殿 (みやとの)』は「宮」「殿」は、どちらも「高み・中心」が原義で、「政庁・政殿」を意味する。この場合は「オキツの宮のヤヒロ殿」を指すと思われる。「オキツボ・オキツ」は、琵琶湖の西・南岸の地域であると解っている。二神は日本の中心のオキツボを都とし、ヤヒロ殿 (八紘殿) を造り、そこを国家育成の胞衣とする。


『二柱 うきはしに得る オノコロの 八紘の殿に 立つ柱 回り生まんと』ホ3文

  • 『二柱 (ふたはしら)』「二神」を指すと同時に、地の治めの2本柱である「経と矛」を意味する。イザナミが「経 (と)」を、イザナミが「矛 (ほこ)」を象徴。
  • 『オノコロ』前の文と同じ意味で使われている。
  • 『八紘の殿 (やひろのとの)』「やひろ (八紘)」は「八方を平く/八方を開く」の意。
  • 『回り生む (めぐりうむ)』天地つ日月の二神が「めぐる (回る)」ということは、天地を「めぐむ (恵む)」のと同義である。 また「うむ (生む)」には「うむ (熟む)」の意もあると思われる。


『障るイソラの 禊にて 胞衣の囲みは オノコロの 玉籠とならば 幸喜』ホ4文

  • 『イソラ』 人の妬みや恨みなどの程度の低い想念が生き霊に転じたもの。
  • 『禊 (みそぎ)』の原義は「(穢を) 放つ・祓うこと」であるが、通常これを「身を水で濯ぐ」ことを物実として行う。
  • 『オノコロ』ここでは「核・源・種」の意で、「胎児」を意味する。
  • 『玉籠 (たまこ)』は「タマガキ (玉垣)」と同じで「尊いものの囲み」の意。中御座を囲む八方の座を暗示する。
  • 『幸喜 (ゆきよろし)』不詳ではあるが、「繁栄・幸福」のように「栄え」という意の同義語を連ねた熟語と考えている。


『因みの明は オノコロの 胞衣の形は 河車 臍の緒となる』ホ14文

  • 『因みの明 (ちなみのあか)』「あか (明)」は「(すごろくの) あがり」や「(夜・奉公) あけ」などと同じで「完成・達成・出来上り」の意。「ちなみのあか」は「月霊と日霊波の因み (回転) の成果」の意。
  • 『オノコロ』ここでも「核・源・種」の意で「胎芽・胎児」を表す。また「ゑな (胞衣)」にかかる枕詞であろうかと思われる。
  • 『河車 (かわくるま)』水車。


しかし「オノコロ」の意味は、これだけでは済まないのである。
ホツマツタエ18章「オノコロと呪ふの文」では、天孫ニニキネの質問にアマテルが答えるという形で「オノコロ」の意味が説明されている。次回はその禁断の章に踏み入りたいと思う。



参考サイト:http://gejirin.com/hotuma02.html
     :http://gejirin.com/hotuma03.html
     :http://gejirin.com/hotuma04.html
     :http://gejirin.com/hotuma14.html
     :http://gejirin.com/mitinoku.html



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ホツマツタエのおもしろ記事(102)『八咫鏡10』

2013-03-25 17:29
ホツマツタエのおもしろ記事(102)  八咫鏡10

ホツマツタエ17章『神鏡ヤタの名の文』全文解釈 その10


『時に笑む ハルナ 六ハタレ 先の罪 許りても解けぬ 己が胸 今 やや割るる 曲り魂の 汚泥 濯ぎて 後の央を置く』

  • 『ハルナ』 六ハタレの首領格だった「ハルナハハミチ」のかしら。
  • 『六ハタレ』6つのハタレ。アマテルの時代に各地で蜂起した反体制勢力で、シムミチ・ハルナハハミチ・イソラミチ・キクミチ・イツナミチ・アメヱノミチの6族。「ハタレ」は「はづれ (外れ)」の変態で「外れたさま/もの」の意。反りや曲がりが過ぎて、人から外れてしまった者を言う。
  • 『許る (ゆる)』は「ゆる (緩る)」で、「緩める・和らげる」「放す・開放する」などの意。
  • 『胸 (むね)』心。「むね」は、ここでは「中心」の意で、「中子」「こころ」の言い換え。
  • 『やや』「ようやく・やっと」の意。
  • 『曲り魂 (こりたま)』「こり」は「こる」の名詞形。「こる」は「かる (離る)」の変態で、「離れる・反る・逸れる・曲る」などの意。「たま (魂)」は、ここでは「心・中子」の意。よって「こりたま」は「曲り逸れた心」の意。「(割るる) 凝り玉」に掛けている。
  • 『汚泥 (をどろ)』「を (汚)」は「ゑ (穢)」の変態。「泥 (どろ)」は「水と埴の混合」を言い、陰の「低まるさま・劣るさま・穢れるさま」を表す。
  • 『濯ぐ (そそぐ)』は「すすぐ (濯ぐ)」の変態で、「(穢や曲がりを) 祓う」「高める」「直す」の意を重ね持つ。
  • 『央 (を)』「央」は「中心」の意で、ここでは「こころ・中子」の意。
  • その時に笑むハルナ。先の六ハタレ事件の罪は許されたが、自分の胸はつかえたままだった。今ようやくその凝り玉が割れる。曲り逸れた中子の汚泥を洗い流して、今後の自分の心とするのであった。


『荒猛に 寄る人も 汚泥 濯がん 誓いなす』

  • 『荒猛 (あらたけ)』環境の荒猛にうまく順応しようとすることが生む、大局を思わず目先の損得のみに心を配り、上手に立ち回ろうとする小手先の態度を言う。
  • 『誓ひ (ちかひ)』は「ちかふ (誓う)」の名詞形。「ちかふ」は「つく (付く)」の変態「ちく」から派生した動詞で、「合わす・留める・縛る」などの意。ここでは「(心に) 合わす・留める・縛る」などの意。「ちぎる (契る)」の変態。
  • これまで荒猛の心に寄っていた人も、中子の汚泥を洗い流すことを誓うのであった。


またタチカラヲ
『谷を出て たまゆら聞けば 密 知れり 喩ひ イソラも 竜・狗も 拉ぐ心地で 侍べりき』


  • 『タチカラヲ』手力雄神。オモイカネとワカ姫の子。斎名:シツヒコ。
  • 『谷 (たに)』「たに」は「たれ (垂れ)」の変態で、「低まるさま」の意だが、具体的には不明。タチカラヲの居所の地理的状況を表すものと推察する。
  • 『たまゆら』「たま」は「たむ (外む・遠む)」の名詞形で、ここでは「隔たる・離れる」の意。「ゆら」は「ゆる (緩る・揺る)」の名詞形で、これも「隔たる」「ぶれがある」の意。つまり「たまゆら」は「めったに無いさま」「(思いと現実の) 隔たりが大きいさま」「思いがけないさま・偶然」などの意。ここでは「偶然」の意。
  • 『密 (みつ)』は「水・蜜・瑞」と同源で、「上澄み・精髄・本質」などの意。
  • 『喩ひ (たとひ)』は「たとふ (喩ふ)」の連用形。「喩えて」の意。
  • 『イソラ』人の妬みや恨みなどの程度の低い想念が生き霊に転じたもの。
  • 『竜 (たつ)』は「たつ(達つ)」の名詞形で、「達したるもの」の意。爬虫類(鱗の動物) の頂点にあるもの。
  • 『狗 (いぬ)』は「おろ (愚)」の変態で、「劣るもの・汚れるもの」の意。「(霊長である人に比べて) 劣るもの」の意で、本来は「けもの (獣)」全般を指す言葉であり、「しし (獣)」「けもの・けだもの (獣)」の同義語である。
  • 『拉ぐ (ひしぐ)』は「ひさぐ (拉ぐ)」「ひしゃぐ (拉ぐ)」の変態で、「押し潰す」の意。
  • 『心地 (ここち)』は「ここつ」の名詞形。「ここつ」は「かくす (隠す)」の変態で、「囲う・包む」また「(人目から) 離す」の意。「ここち」は「隠れて見えないさま」の意で、「心・心に持つもの」を表す。
  • 『侍べりき (はんべりき)』「はんべり」+「き」。「はんべり」は「はべる (侍る)」の連用形の音便。「はべる」は「(心・身を) 添える」の意で、「つかふ (仕ふ) 」と同義。「き」は「しく (如く)」の変化で、「如くあり=しかり」と同義。「侍りき」は「侍るに然り・侍るに違わず」の意。
  • またタヂカラヲは『谷を出てきて偶然聞けば真髄に触れた。喩えて “イソラも竜も狗も押し潰す心持” で仕えるに違わぬなり。』


コモリ 治歌を 考えて
『肺の病 治し易し 情と味の 過ぎ病むも 根に入らぬ間よ 早や癒せ 人業もこれ 色・欲も 道もて為せば 誤たず 横 寄らば 病む 欲しきをも 斎業 なせよ 乏しくと 盗まば枯るる』


  • コモリ (子守神)クシヒコとミホツ姫の子。斎名:ミホヒコ。
  • 『治歌 (たうた)』(心身を) 治める歌。養生歌。
  • 『肺 (ふくし)』肺。「垣」や「構え」に例えられる。肺は外界からの攻撃に対する防壁で、暑寒に対しては衣服を換えて対応するが、人の奢りを羨んで欲に染まってしまうことに対しては無力。
  • 『情と味 (なさけとあち)』情欲と食欲。
  • 『根 (ね)』ここではミヤビによって臓器とシンクロしている中子 (心) を指す。
  • 『色欲 (いろほし)』色欲と物欲。
  • 『道 (みち)』ここでは「(極端に逸れず) 調和する道」「中道」。ホツマでは単に「道」という場合、ほとんどがこの「(相反するものを) 調和する道」を指す。「陽陰和る道妹背の道調の道」である。
  • 『横寄る (よこよる)』「反る・逸れる・曲る・外れる」の意。
  • 『斎業 (ゐゑわざ)』「ゐゑ」+「わさ(業)」。「ゐゑ」は「ゐゆ (合ゆ・癒ゆ)」の名詞形。「ゐゆ」は、ここでは「合う・収まる・直る」などの意。「わざ」は「為ること・行い」の意。よって「ゐゑわざ」は「(曲・逸脱の) 無い所業・直ぐな所業」の意。
  • コモリは養生歌を考えて、
    『肺の病は直し易い。情欲と食欲が過ぎて病むが、中子に入らぬ間よ。早く癒せ。人の行いも同じ。色欲も物欲も調和の道を以て行えば誤らない。曲って逸れるから病む。欲しくとも直ぐな行いを為せよ。乏しいからと盗めば身を枯らす。』


『臣 常に 人の息為を 考えば 騙すは肺 色 腎 盗めば肝へ 損なえば 驚く中子 見目に知る』

  • 『臣 (とみ)』臣の身分の者の自身の謙称。
  • 『息為 (いきす)』生き・活きを為さしめるもの。息をすること。呼吸。
  • 『腎 (むらと)』腎臓。「あふみ」とも言う。
  • 『肝 (きも)』肝臓。「ゆふ」とも言う。
  • 『驚く (おどろく)』は「おどる (踊る)」から派生した動詞で「バタバタする・暴れる」などの意。
  • 『知る (しる)』は「合わす」の意。
  • 臣は常に人の息為を考えていますが、人を騙すと肺、色に溺れると腎臓、盗めば肝臓を損ないます。そうすると中子が驚き、それが外見にも見て取れます。


『言葉・息為の 密 知れば 伝え導き ソロ 肥やし 民 賑わさん 誓ひのみ』

  • 『言葉息為の密 (ことばいきすのみつ)』これはこの日のアマテルの教えとは無関係に、コモリが独自に得た真理と思われる。この辺りは『人の発生』を参照。
  • 『ソロ』は「繁栄・繁茂」が原義。転じて、日・月のエネルギーを受けて実る農作物を言う。
  • 言葉と息為の真理を知ったからには、それを民に伝え導き、作物を肥やして民を賑わさん誓いのみなり。


時に天地照る 御言宣
『むべなり 汝 四方 巡り 培ふ道に 糧 増やし 暇 在らせで 地 巡り 万の葦原も 瑞穂なる』


  • 『天地照る御言宣 (あまてるみことのり)』「天も地も照らして恵む御言宣」の意。要は「素晴らしい・ありがたいお言葉」という意味で、「豊御言宣 (とよみことのり)」と同じ。
  • 『むべ (宜)』は「うま (美・旨)」の変態で、ここでは「(心を) 合わすさま・寄せるさま」の意。
  • 『培ふ道 (つちかふみち)』八咫鏡4八咫鏡5』を参照。
  • 『万 (よ)』は「いよ (弥)」の簡略で、「よ (余)」や「よろ (万)」と同じ。この意味の場合は「世にも恐ろし」など「世」を当てる場合が多い。
  • 『葦原 (あしはら)』葦の繁茂する土地。作物の耕作に向かない湿原を意味する。
  • 『瑞穂 (みづほ)』は「みつふ」の名詞形。「みつふ」は「みつ (満つ)」から派生した動詞で「熟す・実る・至る」などの意。「瑞穂」は「実り・成果・収穫」の意で、「ほつみ」「ほつま」「はつほ」「やまは」と同義。
  • 時に天地を照らし恵む御言宣、
    『麗しや、汝は四方を巡って培う道に糧を増やし、休みなくまた地方を巡り、万の葦原も収穫が可能となった。』


神の御歌に
『培ふば 惨の葦原も 瑞穂 成る 民と成せ 臣 臣と成れ 民』


  • 『神 (かみ)』アマテルを指す。世に生きる人間で「神」と呼ばれるのはアマテルだけである。
  • 『御歌 (みうた)』「歌」の尊敬語。「み (御)」は「かみ (上・神)」の約。
  • 『惨 (み)』は、適当な漢字が無いが「ひ (卑)」の変態で、「低まるさま・劣るさま・不毛」の意。
  • アマテル神の御製の歌に、
    『培えば不毛の葦原も成果なる。民と成せ 臣、臣と成れ 民。』
      (『教えぬ者は臣ならず 教え 受けぬは民ならず』)


諸人に アマノコヤネの 申さくは
『御歌の味は 末々の 民も導き 素直なる 業も教えて 培えば 家も栄えて 繁 殖ゆる 瑞穂と成せる 上み歌ぞ』


  • 『申さく (もふさく)』「もふす (申す)」+「しく (如く)」の合成から「し」をカットして名詞化したもの。これを世間ではク語法と呼ぶ。
  • 『味 (あち)』は「奥にあるもの・奥なる意味・本質」の意。
  • 『成せる (なせる)』「なす (成す)」の連体形。
  • 『上み歌 (かみうた)』「高める歌・勢いづける歌」の意。
  • 諸人にアマノコヤネが申すには、
    『御歌の奥なる意味は、下々の民も導き素直な業も教えて培えば、家も栄えて糧も増える。そうした成果を生む加勢の歌ぞ。』


『かくの教えに 導きて 民も気安く 賑わせて その地 保つ 者あらば 末民とても 上の臣 必ずヲシテ 賜ふなる 御歌なりけり』

  • 『かく』は「しかく (然く・爾く)」の「し」が省かれたもの。「しかく」は「しかし (然し・爾し)」の連用形。「しか (直・確・然)」+「し (形容詞語尾)」。「しか」は「しく (如く)」の名詞形で、「合う・似る・匹敵する」などの意。
  • 『気安し (ゐやすし)』「ゐ (気)」は「き (気)」と同じ。「心やすらかなさまである」の意。
  • 『上の臣 (うえのとみ)』上位の臣。
  • 『必ず (かならず)』は「かなわす (叶えさせる)」の変態で、それが副詞化したもの。「合わす・当てる・他にそらさない」の意。
  • 『ヲシデ (押手)』文字の原点であるタミメ (手印・印相) を平面上に押し写したもので、文字・文書・称号・証書などを表す。
  • 『けり』「しく・あり(如く在り)」→「くあり」→「けり」と転じたもの。「~の如くである・~にたがわず・~なのである」などの意。「き」と同じ。
  • このような教えに導いて、民も心安らかに賑わせん。そしてその地を保つ者があれば、末民であっても上位臣の称号を必ず賜うという御歌に相違ない。


"かけまくも いと畏れみの 御歌" と 三千臣彦も 諸声に 八百万民は 百千声 "あなありがたや あなにゑや あな嬉しや" と 拝み去る ヤタの鏡の 御名の謂 いと恵みなり あな畏かな

  • 『かけまく』は、形容詞「かけまし」の連用形の特殊な用法。「も」を伴う場合が多い。「かしこくも (畏くも)」「恐れ多くも」などと同じ用法。「かけまし」は辞書に無いが、「畏し」「恐れ多し」と同義。
  • 『いと』は「いた (甚)」「いつ (至・逸・厳)」の変態で、「たいそう・優れて・至って」などの意。
  • 『畏れみ (おそれみ)』は「おそる (畏る)」の連体形「おそれむ」が名詞化したもの。四段動詞の連体形は通例「*eru」に作るが「*emu」の場合もある。ホツマには「おそれる」の形は出てこない。
  • 『三千臣彦 (みちとみひこ)』三千人の臣。「ひこ (彦)」は「ひく (引く・率く)」の名詞形で、「(民を) 率く/導く者」の意。また、ヒト (一十) に1歩及ばぬヒコ (一九) の意。「臣」の同義語。「三千」は、臣の数を表す場合のお決まりの数。
  • 『八百万民 (やもよろたみ)』三千臣彦が治める民の総数。これもお決まりの数。
  • 『あな』は「いた (甚)」の変態で「至って・甚く・まったく」などの意。
  • 『にゑ』は「煮え」で「にゆ (煮ゆ)」の名詞形。「高まるさま・栄えるさま・優れるさま・至ったさま」などの意。
  • 『拝む (をがむ)』は「崇む (あがむ)」の変態で、「(心・身に/を) 合わす」「敬う・尊ぶ」が原義。
  • 『謂 (あや)』は「ゆえ (故)」「いゐ (謂)」「い (謂・意)」「あや (文・綾)」「ゆえん (所以)」「いわれ (謂れ)」などの変態。
  • 『畏 (かしこ)』は「かしく (炊ぐ)」の名詞形。「かしく」は「高まる・栄る・優れる・至る」などの意。よって「かしこ」は「尊いさま」の意。
  • 「畏くもたいそう畏れ多い御歌」と三千人の臣達は声をそろえて、八百万の民は百千の声に「何とありがたや、ああ麗しや、何と嬉しや」と拝んで帰っていった。ヤタの鏡の御名の謂れ、たいへんな恵みなり。まことにもって尊きかな。



参考サイト:http://gejirin.com/hotuma17.html
     :http://gejirin.com/mitinoku.html




ホツマツタエのおもしろ記事(101)『八咫鏡9』

2013-03-24 17:57
ホツマツタエのおもしろ記事(101)  八咫鏡

ホツマツタエ17章『神鏡ヤタの名の文』全文解釈 その9


謹みて アマノコヤネが 元守を 請えばまた 豊 御言宣

  • 『謹む (つつしむ)』は「(心・身を) 合わす・直す」が原義で「心する・気を付ける・心を正す」などの意。
  • 『アマノコヤネ』天児屋命
  • 『元守 (もともり)』人は世に生まれる時、天元神がその人に守 (もり) を付ける。この守を「元つ神の留守 (もとつかみのたえもり)」あるいは「元守 (もともり)」と言う。元守は魂の緒を世に下し、それに16万8千の精霊を添える。その魂の緒が魂と魄を結い合わすことによって人は世での生命を得るという。そして元守は人の魄の根源である「根の六臓」に宿る。「守の神」とも言う。
    『血汁 熟られて 五つ色の 埴もて付くる 守の神』ホ14文
  • 『豊御言宣 (とよみことのり)』「とよ (豊)」は「とみ (富)」の変態。「ゆたかな・素晴らしい」という意で、アマテルの御言宣を称える修飾詞。「天地照る御言宣」と同じ。
  • 心身を正してアマノコヤネが「元守」を願うと、また豊かに照らす御言宣。


『人は天地 形取れり 空はタカマの 原の内 目鼻に散るも 日・月・星』

  • 『天地 (あめつち)』ここでは「天空と地球」の意。
  • 『空 (そら)』ここでは地上から見える上空。
  • 『タカマの原 (高天の原)』「タカマ」は「たかみ (高み)」の変態。「はら (原)」は「ほら (洞)」の変態で「空き・広がり・空間」などの意。「たかまのはら」は、ここでは天地を合せた全宇宙空間を言う。
  • 人は天地にその形を似せて造られている。空は宇宙空間の一部で、人で言えば頭部に相当する。人の顔には目や鼻が散在しているが、これらはタカマの原では日や月や星に当たる。


『五腑六臓も 地の道 中子は君ぞ 肝は臣 脾は民よ 肺 垣 腎は平らす 腑 副手』

  • 『五腑六臓 (ゐわたむくら)』人の内蔵の総称。「ゐくらむわた (五臓六腑)」とも言う。
  • 『中子 (なかご)』心の肉体的な現れという意で、心臓を指す。「心端 (こころば)」とも言う。
  • 『肝 (きも)』は「きむ (決む・極む)」の名詞形で、「極み・至り・中心・要」などの意。肝臓を指す。
  • 脾 (よこし)-広辞苑より-【脾】ヨコシ 脾臓 (ひぞう) のこと。
  • 肺 (ふくし)-広辞苑より-【肺】ふくふくし 肺 (はい) の古名。肺臓。〈和名抄三〉
  • 腎 (むらと)腎臓。「アフミ」とも言う。
  • 『腑 (わた)』「わた」は「わつ・わす (和す)」の名詞形で、「(空きを) 埋めるもの・詰めるもの」などの意。窪地を埋めるのが「海 (わた)」であり、衣服の中を埋めるのが「綿 (わた)」、腹を埋めるのが「腑 (わた)」なのである。「うみ (埋み・海)」また「わみ」とも言う。
  • 『副手 (そえで)』 「そえ (添え・副)」+「て (手・方)」。補助役。
  • (目鼻が天なら) 五腑六臓は地の道理である。心臓は君ぞ。肝臓は臣。脾臓は民よ。肺は垣。腎臓は調整役。腑は補助方。


『ミヤビ 目付の 悪さ 告げ 肺 構えの 暑寒も 衣 替ゆれど 欲しに染む』

  • 『ミヤビ』肉体 (根の六臓) と心 (中子) を結ぶ伝達網で、双方向に「情け」を伝える。
  • 『目付 (めつけ)』見張り。監視。
  • 『構え (かまえ)』は「かまふ (構う)」の名詞形。「かまふ」は「かむ (交む/離む)」から派生した動詞で、「囲む・包む」また「離す・分ける・限る」の意。よって「かまえ」は、内を囲んで外を限る「垣」と同義。
  • ミヤビは監視役で悪さを告げる。肺は外界からの攻撃に対する防壁で、暑寒に対しては衣服を換えて対応するが、人の奢りを羨んで欲に染まってしまうことに対しては無力。


『時は構わず 甘きには 脾 貪る こころざし』

  • 『甘き (あまき)』は「うまき (美味き)」の変態。
  • 『貪る (むさぼる)』「むす (結す)」+「ほる (欲る・恍る・惚る)」の複合語。どちらも「合わす」の意で、「むさぼる」は「(心・身を) 合わす・執心する」などの意。
  • 『こころざし』「こころ (心)」+「さす (指す)」の名詞形。「心を向けること」。
  • 時節にかかわりなく、脾臓は美味いものに執着する指向性がある。


『腎の息を 巡らすも 色に溺れて 霊実 枯らす これ 身の鏡』

  • 『腎の息 (むらとのいき)』不明。
  • 『霊実 (らみ)』霊の実体。生の霊 (命) の本質。=中子。
  • (感情の極端を平らすために) 腎の息を巡らせるのだが、色情に溺れて命の本質 (=中子) を枯らす。これは身体の鏡なのである。 (ミヤビによって心身はシンクロしているので、中子が枯れれば身体も枯れる。)


『曇り錆び 奪わる中子 磨かんと ヤタの鏡に 向かわせて 磨く器は 元の守』

  • 『奪わる (うばわる)』「うばふ (奪う)」+「る (受身の助動詞)」。「うばふ」は「うふ (飢ふ)」から派生した動詞で、ここでは「低める・劣らす・衰えさす」などの意。「よわむ (弱む)」の変態。
  • 『ヤタの鏡』ここでは真実の心を映し出す「マフツの鏡」の機能を言っていると思われる。
  • 『器 (うつわ)』は「うつふ」の名詞形。「うつふ」は「うつ (打つ)」から派生した動詞で、「合わす・現る」などの意。ここでは「(エネルギーが形を取って世に) 現れたもの」「物質」の意で、「物実 (ものざね)」を表す。
  • 『元の守 (もともり)』ここでは元守が宿る「根の六臓」を指す。
  • 曇り錆びて衰えた中子を回復しようと、マフツのヤタ鏡に向かわせて真実の心を映し、そして中子を磨く物実が元守の宿る根の六臓である。(ミヤビによって心身はシンクロしているので、身体が直れば中子も直る。)


『中子の形 鏡ぞよ 人 見ぬとても 盗むなよ およその人は 知らねども 穢 現るる 元の守』

  • 中子 (なかご)=「心」=「魂+魄」=「陽+陰」=「明+暗」。
  • 鏡 (かがみ)=明暗見。明暗 (陽陰・日月・魂魄・心身) を合わせるもの。
  • 『穢 (みな)』は「ひな (鄙)」の変態で「低まるさま・劣るさま・衰えるさま」 などの意。「汚穢 (おゑ)」の類語。「穢」と当てるのもどうかと思うが、他に適当な漢字が無い。
  • 中子を形とした物が明暗見 (=鏡) であるぞ。人が見てないからといって盗むなよ。たいていの人は知らないが、中子の衰えは元守の六臓に現れるのだぞ。


『天は意に知る 埴 応ふ 人は告げ知る この三つに 告げ露れて 公の 罪 免かるる 所なし』

  • 『天は意に知る (あめはいにしる)』天 (非物質界の陽サイド) は人の意識によって知る。人を撫でる風の神が天にそれを告げるため。
  • 『埴 応ふ (はにこたふ)』埴神は人が大地を踏む動作に感応する。埴神は地 (非物質界の陰サイド) にそれを告げる。
  • 『人は告げ知る (ひとはつげしる)』人は天地から告げられて知る。「人」とは犯人を治める立場にある上役を言う。個人は「組頭 ∈ 村長 ∈ 粗長 ∈ 県主 ∈ 国造 ∈ 大物主」の行政機構の下に治められる。
  • 『公 (ををやけ)』「ををや (大)」+「け (如・然)」。「ををや」は「ををい (大)」の変態で、「高み・優れ・至り・中心」などの意。「け」は「しか (如・然・確)」の転。ここでは「全体に覆い普遍となっているさま」「公然」「一般的なさま」の意。
  • 天は人の意識に知る。埴は人の動きに感応する。人は天地から告げられて知る。この3つの告げに露れて、普遍一般の罪を免れる余地は無い。


『常に畏れよ 日の巡り 昼は人光も らかで 夜はと濁る蝕みも 天地の心に 見るば "上" "埴" と "地上守" この味を 人の身に統る』

  • 『畏れよ (おそれよ)』ここでは「重く考えて規範とせよ」の意。
  • 『人光 (ひとか)』人が放つもの。人が醸し出す雰囲気。
  • 『濁る (にごる)』は「にぐ」から派生した動詞。「にぐ」は「なぐ (和ぐ)」の変態で、「合う・交じる・紛れる」などの意。
  • 『蝕み (むしばみ)』は「低まるさま・劣るさま・衰えるさま」の意。
  • 『天地の心に見る (あめのこころにみる)』陽陰の観点から見る。
  • 『上 (かみ)』ここでは「天・陽」を意味する。
  • 『埴 (はに)』ここでは「地・陰」を意味する。
  • 地上守 (しはかみ)「し (地)」+「わ (上)」+「かみ (守)」。地上の人を治める守を言う。
  • 『味 (あち)』「奥にあるもの・意味・本質」などの意。
  • 『統る (しる)』 は「知る・領る」と同じで「合わす・まとめる・収める」などの意。
  • 日の巡りというものを常に重く考えて規範とせよ。同一人でも昼は雰囲気も明らかだが、夜は暗と交じって衰える。「陽と陰」の観点から見るならば、「天神と地神と地上守」は「陽と陰とその和合」ということである。この本質を写したものが人なのである。 (だから人に陽陰の両面があるのは当然のことである。)


『この三つを 合わす鏡の "ヤ" は社 "タ" は民を治す』

  • 『この三つ (このみつ)』「陽」と「陰」と「その和合=人」。
  • 『鏡 (かがみ)』=「明暗見」=陽と陰とその和合 。
  • 『社 (やしろ)』「や (敬)」+「しろ (代)」。「しろ」は「区分・区画」の意。「やしろ」は「尊い区画」という意で「やかた (敬方・館)」と同義。ここでは上流階層が政を執る政庁舎を言う。
  • 陽と陰と人を合わす "明暗見" の
    「ヤ」は社。「タ」は民を治す。(上流にある者が下流にある民を足して助ける。)


『その君の 万の御機の 政事 治む八隅の 民は八尺 八尺身 普く 照らさんと ヤタの鏡と 名付くなり』

  • 『万の御機の政事 (よろのみはたのまつりごと)』機織りと同様、巧妙な機構と継続と忍耐が必要とされる政事。天君の政務を言う。
  • その頂点にある天君の治めは、万の杼投げにようやく織り上がる機に似た政事。天君が治める全国の民は八尺の身の丈。八隅の八尺身をあまねく恵まん (養つ) と「ヤタのカガミ」と名付けたのである。


『なお みさ法の 味わひを 深く学びて ここに知るべし』

  • 『みさ法 (みさのり)』「みさ」は「みす (見す)」の名詞形。「みす」は「合わす・和合する・調和する」などの意で、ここでは「陽と陰の和合・調和」を言う。したがって「みさ法」は「陽陰和合の法」で、「陽陰和る道」の同義語。
  • 陽陰調和の法の奥義を一層深く学んで、ここに知るべし。



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ホツマツタエのおもしろ記事(100)『八咫鏡8』

2013-03-24 07:24
ホツマツタエのおもしろ記事(100)  八咫鏡

ホツマツタエ17章『神鏡ヤタの名の文』全文解釈 その8


『惑えるも ミヤビ 中子に 告げ置けば 人 打つ時は 痛み 知る 謗れば恨み 器物 盗まば惜しむ 損なわば シムの痛みも 知る中子』

  • 『惑える (まどえる)』は「まどふ (惑う)」の連体形。「まどふ」は、「逸れる・曲がる・ねじける」などの意。「迷う」も同じ。
  • 『ミヤビ』は「みゆ (見ゆ)」+「やふ」の合成動詞の名詞形。「やふ」は「あふ (合う)」「ゆふ (結う)」の変態。どちらも「合わす・伝える・結ぶ」などの意。ここでは、特に人の心と肉体を結ぶ伝達網を言い、人の「心端 (こころば)」と同義。またミヤビが伝達する情報 (情け) を言うこともある。
  • 『中子 (なかご)』は「端っこ」の反対語。「中身・奥・心・核」などの意で「こころ」の同義語。ここでは「中子=魂」としている。
  • 『謗る (そしる)』は「そす(殺す・損す)」+「しる (垂る・退る・痴る)」の合成語。どちらも「低める・劣らす・蔑む」などの意。
  • 『器物 (うつわもの)』は「入れ物・容器」の意と「道具」の意味がある。ここでは「きぶつ (器物)」と考えれば良いと思う。
  • 『損なふ (そこなふ)』は「そこぬ (損ぬ)」から、「そこぬ」は「そく (殺ぐ・削ぐ)」から派生した動詞で、「低める・劣らす・衰えさす」などの意。ここでは「自分の健康を損なう」の意に使われている。
  • 『シム (親)』ここでは「親族」の意。
  • たとえ中子は曲がり逸れていても、ミヤビは中子に情けを伝えるので、人を打つ時には打たれる痛みを知る。誹謗すれば人は恨みを持つことも、器物を盗めば (盗まれる悔しさを知って) 逆に物を惜しむようになり、健康を損なえば親族の心痛も中子は知る。


『心端 悪しき 業 なせば ミヤビ 中子に 告ぐ 哀れ 人が人打つ 殺すをも 見れば除かん 思ひあり 転ぶも起す 哀れ枝』

  • 『心端 (こころば)』ここでは「情け」(心に湧く気) と同義で、「心に映る感じ」「感情」などの意。
  • 『業 (わざ)』は「わす (和す)」の名詞形で、「わす」は「為す・する」などの意。よって「わざ」は「為すところ・行為」。
  • 『哀れ (あわれ)』「あわ (陽陰)」+「れ」。「れ」は「ある (有る)」の名詞形。「陽陰・明暗があるさま」が原義で、「(陽陰・明暗の) 極端に傾いた感情」を表す。
  • 『殺す (ころす)』は「からす (枯らす)」「こらす (懲らす)」の変態で、「低める・衰えさす・果てさす」などの意。
  • 『転ぶ (ころぶ)』は、ここでは「ころす」の自動詞形で、「低まる・衰える・果てる」などの意。
  • 『哀れ枝 (あわれゑだ)』「哀れの伝達網」の意。「なさけゑだ (情け枝)」とも言う。「枝」は、ここでは「幹から枝分かれするさま」を言い、中子から枝分かれしてネットを作っているミヤビの姿を説明している。
  • 心の映りの良くない行為をすれば、ミヤビは中子にずれた感じを伝える。他人が別の他人を打ち殺すにしても、それを見れば止めようとする思いを起こさせる。ミヤビとは転んだものを起こすという、逸脱した感じを中子に告げる伝達網なのである。


『まして我が身は ミヤビより 胸に通れば 怪し無く 身を治むれど 心端は 奢りを聞けば 欲に染む』

  • 『身 (み)』自分。「み」は「身 (からだ)」と「実 (こころ)」のどちらかを表す場合も多くて煩わしい言葉であるが、ここでは「身+実」の統合を言っている。この意味の場合、筆者は通常は「己」を使うが、ここでは「我が己」となってわけがわからないので「身」とした。
  • 『胸 (むね)』ここでは「中心」の意で「中子」「こころ」の言い換え。
  • 『通る (とほる)』ここでは「達する」の意。
  • 『怪し (あやし)』は「あわし (合わし)」の変態で、ここでは「合わせ・混じり・紛れ・交錯・混乱」の意。「怪し無く」は「紛れもなく」と同義。
  • 『心端 (こころば)』これはおそらく「魂の緒」を言っている。ミヤビは「中子と肉体」を結んでいるが、魂の緒は中子本体の「魂 (陽霊) と魄 (陰霊)」を結んでいる。ミヤビが伝える情けは、魂の緒のフィルターを介して中子本体に伝えられるのだろう。人生経験によって得る意識は、魂の緒の方に記録され、それが人間性を形成するのだと思われる。そしてこれは通常人の場合であって、妹背神であるアマテルには魂の緒の介在が無いのだろうと推察される。
  • 『奢り (おごり)』は「おこり (怒り・熾り)」「ほこり (誇り)」の変態で、「高ぶるさま・勢いづくさま・増長するさま」などの意。
  • 『欲 (ほし)』は「ほす・ほっす (欲す)」の名詞形。「ほす」は「おしむ (惜しむ・愛しむ)」の原動詞「おす (惜す・愛す)」の変態で、「(心に) 合わす・寄せる」の意。
  • まして我が身の場合は、ミヤビから直に中子につながっているので、紛れも無く己を治めることができるが、 (通常人に介在する) 心端は他人が奢るさまを見聞きすれば、あやかって欲に染まってしまう。


『味も色目も よこしまに 魄に肖り 身を枯らす 欲も濯げば 味 直り 妹背の道 成る』

  • 『味も色目も (あちもいろめも)』食欲も性欲も。
  • 『よこしま』 「よこ (横)」+「しま(方・様)」。「よこ」は「よく(避く)」の名詞形で、「よく」は「離れる・反る・曲る・外れる」などの意。「よこしま」は「曲るさま・外れるさま」の意で、「さかしま (逆しま・倒)」「さかさま (逆さま・倒)」などの同義語。
  • 『魄 (しゐ)』ここでは肉体 (魂魄の入れ物) を言う。
  • 『肖る (あやかる)』「あゆ (肖ゆ)」+「かる (交る)」の合成。どちらも「合う・交じる・似る」などの意。
  • 『濯ぐ (そそぐ)』は「(穢や曲がりを) 祓う」「高める」「直す」の意を重ね持つ。「すすぐ (濯ぐ)」の変態。
  • 『味 (あち)』この「味」は「奥にあるもの・本質」の意。
  • 『妹背の道 (いせのみち)』陰陽和る道。陽陰 (天地・上下) の両極の融合による調和の道。メノミヲヤが定めた大宇宙の根本原理。
  • 食欲も性欲もねじけて肉体にからんできて我が身を枯らす。しかし欲もねじけや偏りを取り除けば、その本質は直ぐなものとなり、そこに調和の道が現れる。


『勇むとも 盗む心端 ミヤビより 五臓に告げて 安からず 見目に言葉に 背屈まり 抜き足 応ふ』
『埴 心 万・十万 知れど ミヤビから』

  • 『心端 (こころば)』ここでは「情け」(心に湧く気) と同義で、「心持・感情」などの意。
  • 『五臓 (ゐくら)』根の六臓」から心端 (心臓) を除いた五臓と思われる。
  • 『安し (やすし)』「やす」+「し (如)」『やす』は「和す・収まる」が原義で、「凸凹が和して平らになる」「荒波が凪いで静まる」「緊張が和らいで緩む」などの意。
  • 『見目 (みめ)』見た目。外見。
  • 『背屈まる (せくぐまる)』「背が曲って縮こまる」の意。辞書には「跼る」とある。
  • 『抜き足 (ぬきあし)』「ぬき (和き・温き)」+「あし (足)」。「ぬき」は「ぬく」の名詞形。「ぬく」は「なぐ (和ぐ・凪ぐ)」の変態で、「凸凹を和して平らにする・和らげる・緩める」の意。よって「ぬきあし」は「緩やかな足取り・温い足取り」などの意。
  • 『埴 (はに)』ここでは「埴神 (はにかみ)」を指す。
  • 空元気を装っても盗みを働いた心持は、ミヤビから五臓に伝えられて身体が安らかでない。それが外見や言葉に表れ、背が丸まって縮こまり、抜き足で歩くという反動となるのである。
    埴神は人が大地をどのように踏むかによって、何万・何十万という人の心を知るが、結局それは人のミヤビが人になさしめることなのである。


『鋭 過ぎて成る ハタレ共 それ 試みに 術を為せ 我 早や除く ミヤビあり』

  • 『鋭 (とき)』は「とし (鋭し)」の連体形で「高まるさま・栄えるさま・優れたさま・勝るさま」の意。ここでは「賢しさ・鋭さ・利口・才覚」などを表す。
  • 『ハタレ』は「はづれ (外れ)」の変態で、「外れたさま/もの」の意。反りや曲がりが過ぎて、人から外れてしまった者を言う。
    『人のねぢけの 研ぎ優れ 凝り熟て 六つの ハタレ 成る』ホ8文
  • 『試み (こころみ)』は「こころ (心)」+「みる (見る)」の名詞形。「心を合わす」という意。「心」は、ここでは「物質や肉体の本源・本質」という意で「物質や肉体に先行するもの」を表す。よって「心を合わす」とは「(本格的な行動に) 先行して行う」ことを言う。
  • 『術 (わざ)』ここでは悪霊起源の妖術を言う。六ハタレは悪霊に憑かれた者達である。
  • 賢しさが過ぎて出来上がったハタレどもよ。それ、試みに妖術をかけてみるがいいぞ。我は速やかに払い除けるミヤビを持っている。


『これ 松・榧の 膠なるぞ ミヤビなければ 身も枯るる 枯れて色・欲 何の為ぞや』

  • 『膠 (にべ)』は「にふ (和ふ)」の名詞形。「にふ」は「なふ (綯う)」の変態で、「合わす」の意。 よって「にべ」は「糊・接着剤」の意。ここでは外傷があるとそこから分泌されて有害虫の侵入を防ぐ「樹脂・木のヤニ」を言っている。そしてその機能をミヤビに喩えている。
  • これは松や榧のヤニであるぞ。ミヤビが無ければ体も枯れ果てる。枯れてしまって食欲・性欲が一体何になる。



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ホツマツタエのおもしろ記事(99)『八咫鏡7』

2013-03-23 05:54
ホツマツタエのおもしろ記事(99)  八咫鏡

ホツマツタエ17章『神鏡ヤタの名の文』全文解釈 その7


ハタレ頭 ハルナ 進みて 大御告げ
『空神 宣れど 皇上 告げなで居らば 親々や 新子 利きてん 長 擦り 新実 猛る』


  • 『ハタレ頭 (はたれかみ)』ハタレの頭 (かしら) 。「頭」は「上」と同じ。六ハタレの首領格だった「ハルナハハミチ」を率いた人間で、「ハルナ」と呼ばれている。
  • 『ハルナ』の原義は「はる (治)」+「な (なる)」+ (「もの」)。 「はる」は「はる (貼る)」の名詞形で、「はる」は「合わす・まとめる・治める」の意。よって「ハルナ」は「治める者」の意。
  • 『大御告げ (ををんつげ)』「ををん (大御)」は最上級の尊敬を表す修飾詞で、その使用は極めて限定される。ここでは「アマテル神に対しての告げ」の意。
  • 『空神 (そらかみ)』「そら」は「そる (逸る)」の名詞形で「離れるさま・遠いさま・無いさま」の意で、ここでは非物質界の「天地」を言う。「そらかみ」は、具体的には「風神」と「埴神」を指している。
  • 『皇上 (すべらかみ)』「すべら (皇)」は「すべる (統べる)」の名詞形。「かみ (上)」は「高み」で、ここでは「きみ (君)」と同義。「民 ∈ 組頭 ∈ 村長 ∈ 粗長 ∈ 県主 ∈ 国造 ∈ 大物主」の行政機構の総帥、つまり「天つ君」を指す。
  • 『親々 (おやおや)』「親」は通常、上流にあるものに対する尊敬を表す意味で「や」と表記されるが、ここではアマテルに対する直接の発言であるため、謙譲して「や」と表記している。
  • 『新子 (あらこ)』新たに引き植えた木「新木 (あらこ)」になぞらえて、幼い子を「あらこ (新子)」と呼んでいる。詳しくは『八咫鏡4』を参照。
  • 『利きてん (ききてん)』「きく (利く)」+「てん」。「きく」は「かく (駆く)」の変態で、「高まる・優れる」などの意。「てん」は「てむ」と同じで推量を表す。ここでは「利口になるに違いない」の意。
  • 『長 (おさ)』も通常は「さ」と表記されるが、「親々」と同じ理由で「さ」と書かれている。「長」は「治める者」の意。
  • 『擦る (さする)』は「する (擦る・掏る)」と同じで、「そらす・ずらす・曲げる」などが原義。ここでは「長の目をそらす・かわす」などの意。
  • 『新実 (あらさね)』「新子の心根」を意味している。「さね」は「中身・芯・核」などの意で、「こころ (心)」の同義語。
  • 『猛る (たける)』は「たく (焚く・炊く・長く)」の連体形で、「長ける」も同じ。「たく」は「高まる・勢いづく・優れる」などの意。ここでは「荒猛 (あらたけ) になる」と同じで、「小利口になる・小賢しくなる・ずる賢くなる」などの意。
  • 六ハタレの元の頭、ハルナが進み出て神にものを告げる。
    「あの世の神 (風神や埴神) が (その長) に告げ口したところで、頂点の皇に告げずにいるのであれば、親達や新子は利口になっていくに違いない。長の目をはぐらかすようになり、新子の心は荒猛となるだろう。」


『これ 倦んつ 侮る スリ等 ねじけ 増す "さそ足 何ど 埴 知らん" 弥 スリ 猛る』

  • 『倦んつ (うんつ)』は「うみす(倦みす)」の訛りで、「倦みさす・倦ます」の意。「倦ず (うんず・うず)」として辞書に載っている。「倦む (うむ)」は「やむ (病む)」の変態で、「低まる・劣る・衰える」などの意。
  • 『スリ』は「する (擦る)」の名詞形で、「ずれ・それ・はずれ・曲り」の意。ここでは「すれ者・それた者・外れた者・曲者 (くせもの)」などの意。「あばずれ」「ずるい」などのそれに同じ。
  • 『さそ足 (さそあし)』「さそ」は「さする (摩る・擦る)」の原動詞「さす」の名詞形。よって「さそ」は「さし」「さすり」と同義。「さそ足」は「さしあし (差し足)」の変態で、「さすりあし (擦り足)」「すりあし (摺り足)」と同義。
  • 『何ど (なんど)』は「なんで (何で)」の変態で、「など (何ど)」「なぜ (何故)」に約まる。
  • 『弥 (いや)』いよいよ。ますます。
  • これは (長たちを) 倦ませる。侮るすれ者らはねじけを増す。「どうして摺り足から埴神が知ろうか!」と、いよいよすれ者の心は荒猛となる。


『これ踏んだ 下生ふスリも お猛んば 面も語るも 分けらんや』

  • 『踏んだ (ふんだ)』「踏みたる」の変化。ここでは「(こうした状況を) 踏まえた・下敷きとした」の意。
  • 『下生ふ (しゐはふ)』「しゐ」は「しふ・しゆ (癈ふ)」の名詞形。「しふ・しゆ」は「下る・劣る・衰える・遅れる」の意。よって「しゐ」は「しも (下)」「しり (尻)」の変態である。「しゐはふ」は「下に生える・遅れて生える」で、「若い・幼い」の意を表す。
  • 『お猛んば (おたけんば)』「おたけ (「おたく」の已然形)」+「ば」の音便。「おたく」は、「おつ」+「たく (焚く・長く)」の合成。「おつ」は「ほつ (秀つ)」の変態。「おつ・たく」は共に「高まる・勢いづく・優れる」などの意。よって「おたけんば」は「荒猛 (あらたけ) になるので」の意。
  • 『面も語るも (つらもかたるも)』表情と言動。
  • これを踏まえたすれ者の卵たちの心も荒猛となるだろうから、彼らの表情や言動から白黒を判別することなどできるものか。


『皇上 空に 知らせぬば 新子 スリなる これ みうん サソ等 利きてん』

  • 『皇上 (すべかみ)』「皇上 (すべらかみ)」と同じ。
  • 『空 (そら)』この「そら」は「天空」の意。ここでは「空の下」「天下」を略して「空」と呼んでいる。
  • 『知らせぬば (しらせぬば)』=知らせずば。「知らせなければ」の意。
  • 『みうん』「みゆ」+「うむ (熟む)」の合成。「みゆ」は「もゆ (燃ゆ)」の変態で、「熟む」と同じく「高まる・栄える・熟す・優れる」などの意。
  • 『サソ』は「さする (摩る・擦る)」の原動詞「さす」の名詞形。「さす・さする」は「する (擦る)」と同じく「すれる・ずれる・外れる・曲る」の意で、「サソ」は「スリ」の同義の言い換え。
  • 皇が天下に号令さえしなければ、新子はすれ者となる。それらが成熟した曲者らは、ずるがしこくなるに違いない ・・・ (と、このように考えて)


『己が侍等 七十万九千に 技 付けて 空 掴まんと 道 捻り 六度 戦ひ 為したれど まさくることは 如何ならん』

  • 『侍等 (べら)』「べ (侍)」は「はべ」の略で「侍る者」の意。「はべ」は「はぶ」の名詞形。「はぶ」は「あふ (合う)」の変態で「合わす・添う・付く・仕える」などの意。「はぶ」の連体形が「はべる (侍る)」。「ら (等)」は「合わせ・集め」などの意で、おそらく「るい (類)」の変態。
  • 『七十万九千 (なんますこち)』「なん」は「な (七)」の音便。「ます」は数の単位で「十万」を意味し、「はかり」とも言う。「七十万九千」は六ハタレの兵員の総数である。
  • 『技 (わざ)』ここでは悪霊起源の妖術を言う。六ハタレは悪霊に憑かれた者達である。
  • 『空 (そら)』空の下。天下。
  • 『捻る (ひねる)』は「ひぬ (秀ぬ)」+「ねる (練る)」の合成。 どちらも「高める・熟成する・優れさせる」などの意。
  • 『まさくる』は「まさく」の連体形。「まさく」は「みさぐ (見下ぐ)」「ひさぐ (拉ぐ)」など の変態で「低まる・劣る・衰える・果てる」などの意。
  • 自分の子分ら七十万九千に妖術を与えて、天下を掴もうと方法を練り、六度戦いを挑んだのに、敗れてしまったのはどういう訳なんだろう。


その時 神は にこ笑みて
『またハナトルナ ただ心 静めて聞けよ 己が鋭 逆り欺く 報ひあり 故を聞かせん』


  • 『神 (かみ)』アマテルを指す。世に生きる人間で「神」と呼ばれるのはアマテルだけである。
  • 『にこ』は「にぎ (賑)」の変態で「高まるさま・栄えるさま・熟すさま」の意。これは「ゑみ (笑み)」と同義である。
  • 『また』ここでは「(タチカラヲと) 同様に」の意。あるいは単に話題を変える時に用いる接続詞か。
  • 『ハナトルナ』不明。「ハルナ」を指していると思われる。
  • 『鋭 (とき)』は「とし (鋭し)」の連体形で「高まるさま・栄えるさま・優れたさま・勝るさま」の意。ここでは「賢しさ・鋭さ・利口・才覚」などを表す。
  • 『逆る (さかる)』は「さく (離く・割く)」+「かる (離る)」の合成。どちらも「離れる・そる・反する・外れる」などの意。
  • 『欺く (あざむく)』は「あす」+「むく (剥く)」の合成。「あす」は「うす (失す)」の変態。どちらも「離れる・そる・反する・外れる」の意。よって「逆る」の同義語である。
  • 『報ひ (むくひ)』は「向ひ・迎ひ」の変態で、「合わせ・釣合・匹敵・対応」の意。
  • その時アマテル神はにこやかに笑みて、
    ハナトルナよ、やはり心の高ぶりを静めて聞けよ。自分の才覚というものは、裏切り欺く反作用があるのだ。理由を聞かせよう。


『我 見るに 人のミヤビは 情け枝 天地より授く 魂と魄 結ぶ 生の霊の 魂 中心 潤む霊は肝ぞ』

  • 『ミヤビ』は「みゆ (見ゆ)」+「やふ」の合成の名詞形。「やふ」は「あふ (合う)」「ゆふ (結う)」の変態。どちらも「合わす・伝える・結ぶ」などの意。ここでは、特に人の心と肉体を結ぶ伝達網を言い、人の「心端 (こころば)」と同義。またミヤビが伝達する情報 (情け) を言うこともある。
  • 『情け (なさけ)』「なす (生す・成す)」+「け (気)」。「なす」は「(心に) 合わす」の意。「け (気)」は「五感では感知できないが存在するもの」「エネルギー」を言う。
  • 『枝 (ゑだ)』は「うつ (棄つ)」の変態「ゑつ」の名詞形。「うつ・ゑつ」は「離れる・分れる・発する」の意。ここでは「本体 (心) から分れ出る末端部」の意で「心端 (こころば)」と同じ。
  • 『天地 (あめ)』非物質界 (天上界) の陽サイドと陰サイド。
  • 『魂と魄 (たまとしゐ)』ここでは「たま (魂)」を「人の心」、「しゐ (魄)」を「人の肉体」としている。これについては こちら を参照。
  • 『生の霊 (ゐのち)』=命。「ゐ (生・活・勢)」の「ち (霊・精)」。「ち」は「本質・エッセンス」の意。そして「ち (血・乳) 」は「生の霊」の現れと考えられていたようだ。
  • 『中子 (なかご)』は「端っこ」の反対語。「中身・奥・心・核」などの意で「こころ」の同義語。ここでは「中子=魂」としている。
  • 『潤む (うむ)』は「いむ (斎む)」「うる (熟る)」などの変態で「高める・勢いづける・栄す・優れさせる」などの意。
  • 『肝 (きも)』は「きむ (決む・極む)」の名詞形で、「極み・至り・中心・要」などの意。
  • 我が見るに、人のミヤビは情けを伝える心の枝である。天地が授ける魂 (心) と魄 (体)。生の霊を生むのは魂、すなわち中子である。生の霊の現れである血を潤すのが肝である。


『魄の根は ムラト・心端 フクシ・ユフ ヨクラ・ヨコシや 根の六臓 渡るミヤビが ものを知る』

  • 『魄の根 (しゐのね)』肉体の根源。
  • ムラト (腎・村戸)』腎臓。「アフミ」とも言う。
  • 心端 (こころば)ここでは「心の肉体的な反映 (一端)」という意で、心臓。
  • フクシ-広辞苑より-【肺】ふくふくし 肺(はい)の古名。肺臓。〈和名抄三〉
  • ユフ不明だが、消去法により肝臓と推察される。=きも。
  • ヨクラ不明だが、消去法により膵臓と推察される。
  • ヨコシ -広辞苑より-【脾】ヨコシ 脾臓 (ひぞう) のこと。
  • 『もの』この「もの」は代名詞と考えてよく、「何か」と置き換えることが可能である。
  • 肉体の根源は、腎臓・心臓・肺・肝臓・膵臓・脾臓である。(中子から) 根源の六臓に渡るミヤビがものを知る。


『情け 中子に 通えると』
『例えば 曲人 賄ひて 栄い 増さんを 臣も欲し』


  • 『通える (かよえる)』 は「かよふ (通う)」の連体形。「かよふ」は「かゆ (交ゆ/換ゆ)」から派生した動詞で「交わる・行き来する・循環する」などの意。
  • 『曲人 (くせど)』「くせ (曲)」+「ど (人)」。「くせ」は「くす (屈す)」の名詞形。「くす」は「反る・それる・曲る・外れる」などの意。「曲人」は「スリ」や「サソ」の同義語。
  • 『賄ふ (まいなふ)』は「まかなふ (賄う)」と同義で、「添える・供える・提供する」などの意。
  • 『臣 (とみ)』は「とむ (留む)」の名詞形。「とむ」はここでは「合わす・仕える・束ねる」などの意で「天君に仕えて民を治める者」を言い、「もののべ (物部)」の同義語。 今風に言えば「役人・官吏・公務員」。
  • 情けがミヤビを通じて中子に通うと ・・・
    例えば曲がった商人が、賄賂によって儲けを増やそうとして、役人もそれを欲したとする。


『取引 増して 喜べば 減り 憎む民 また強く 願えば 怒る 朋の臣 迫るを選み 分け 還す』
『恵み喜ぶ 負け憎む』


  • 『減り 憎む民』取引減少を憎む別の商人。
  • 『朋の臣 (とものとみ)』収賄した役人の同僚。
  • 『迫る (せまる)』は「せむ (迫む・狭む)」から派生した動詞で、「締める・縛る」の変態。「(距離を) 詰める・縮める」が原義で、ここでは「圧迫する」の意。
  • 『選む (ゑらむ)』は「ゑる (選る)」から派生した動詞。「ゑる」は「うる (熟る)」の変態で、「高める・優れさす」が原義。ここでは「(取り)上げる・優先する」の意。
  • 『分け 還す (わけかえす)』「分け」は「分け前」の意。「かえす」は「かふ (替ふ・還ふ)」+「す」で、「す」は使役を表す。よって「分け還す」は「分け前を還さしめる」の意。
  • 取引が増して喜ぶ一方、 その分の取引減少を憎む別の民は、また元通りにと取引の増加を強く願ってくる。 そこで贈収賄があったことに気付いて面白くない同僚の臣は、考えたあげく収賄した臣を脅迫することを選んで分け前を回らせる。人とは常に利得を喜び、損失を憎むものだ。


『君 召す』
『怖れ 正されて 枯るる哀しさ』


  • 『君 (きみ)』ここでは「かみ (上)」と同義で「上役」の意。「民 ∈ 組頭 ∈ 村長 ∈ 粗長 ∈ 県主 ∈ 国造 ∈ 大物主」の行政機構における上位の立場の者を言う。
  • 『怖る (おそる)』は「おす」から派生した動詞で。「おす」は「おつ (落つ・怖づ)」の変態で「低まる・劣る・衰える」などの意。「おそる」は「(心が) 弱まる・気が引ける・気後れする」などの意。
  • 『正す (ただす)』は「直にする」「(曲りを) 直ぐにする」が原義。
  • 『枯る (かる)』は「くる (暮る)」の変態で「低まる・劣る・衰える・果てる」の意。
  • 『哀しさ (かなしさ)』「かなし (哀し・悲し)」+「さ」。「さ」は「さま」の約で名詞を作る。「かなし」は「かぬ」+「し (如)」。「かぬ」は「かる (枯る)」の変態で「低まる・劣る・衰える・果てる」の意。よって「かなしさ」は「(心が) 弱まる如きさま」の意。
  •  (事が漏れて) 上役が召喚する。そこで怖れ直されて、しぼむ哀しさ。


『諸 請えど 君の怒りに まだ許りず 悲しき "後の功" と 諸が守らえば 許さるる』
『怖れば 惑ひ 改めて 忠なる如し』


  • 『諸 (もろ)』「もろ (諸・双・両)」は「もる (守る・盛る)」の名詞形で、「合わせ・総・対・匹敵」などの意。
  • 『請ふ (こふ)』は「交ふ・乞ふ・恋ふ・媚ふ」で「(心を) 寄せる・執着する・求める・欲す」の意。
  • 『許る (ゆる)』は「ゆる (緩る)」で「緩める・和らげる」「放す・開放する」などの意。
  • 『後の功 (のちのいさおし)』「一時は悪事を働いた者も、生かしておけば後には功を成すこともある」という意で、多くの場合、第三者が罪人の免罪を請う時に用いる。
  • 『守らふ (もらふ)』は「もる (守る)」から派生した動詞で、「合わす・収める・預かる」などの意。ここでは「見守る・預かる・後見する」の意。
  • 『惑ひ (まどひ)』は「まどふ (惑う)」の名詞形。「まどふ」は、「逸れる・曲がる・うろうろする」などの意。「迷う」も同じ。
  • 『忠 (まめ)』は「はべ (侍)」の変態で、「(心・身を) 合わすこと・直くするさま」が原義。
  • 皆が許しを願っても、上役の怒りにまだ許されない。悲しくも「後にはきっと功を立てます」と皆が後見役となることでようやく許される。人は怖れることによって曲がり・逸脱を改めて忠実となるようである。



参考サイト:http://gejirin.com/hotuma17.html
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ホツマツタエのおもしろ記事(98)『八咫鏡6』

2013-03-21 09:41
ホツマツタエのおもしろ記事(98)  八咫鏡

ホツマツタエ17章『神鏡ヤタの名の文』全文解釈 その6


関連文 『八咫鏡4
『天地の報ひは 盗めるも 謗るも打つも 己に返る』
『人を打てども その時は 痛き報ひも あらざれど 後の病ふは 天地が槌』
『盗みも他人が 知らざれば 宝 得るとぞ 思えども 一度 隠し 二 盗み 三度 損なひ 改めず 天・地・人の 見る所 天地の見付は 人に告ぐ』


タチカラヲ 進み申さく 
『盗人の 三つ目に痴るる 槌 如何ん』
神は和して 御言宣


  • 『タヂカラヲ (手力雄神)』オモイカネ (思兼命) とワカ姫 (蛭子) の子。斎名はシツヒコ。
  • 『申さく (もふさく)』「もふす (申す)」+「しく (如く)」の合成から「し」をカットして名詞化したもの。これを世間ではク語法と呼ぶ。
  • 『盗人 (ぬすひと)』は「ぬす」+「ひと (人)」。「ぬす」は「ねづ (捩づ・捻づ)」の変態で、「離れる/離す・反る/そらす・ずれる/ずらす・曲がる/曲げる」が原義。よって「盗人」は「物を他人から自分にそらす人」の意もあるが、「曲った人・ねじけた人・くせもの」の意もある。
    ちなみに「ぬすむ (盗む)」は「ぬす」+「すむ」の合成で、「すむ」は「する (擦る・掏る)」「そる (反る・逸る)」の変態である。
  • 『痴るる (しるる)』は「しる (痴る)」の連体形。「しる」は「しず (垂づ)」と同義で、「低まる・劣る・衰退する」などの意。「しりぞく (退く)」や「あつしる (篤しる)」の「しる」である。
  • 『槌 (つち)』は「たち (太刀)」の変態で「断つもの」の意であるが、「(曲り・汚穢を) 断って直すもの」「立ち直らせるもの」「つちかう (培う) もの」などの意も持つ。
  • 『如何ん (いかん)』は「如何に」の音便で、ここでは「如何にあるや・如何なるや」(何なんだ?) の簡略。
  • 『神 (かみ)』アマテルを指す。世に生きる人間で「神」と呼ばれるのはアマテルだけである。
  • 『和す (やわす)』は「あわす (合わす)」の変態で、「収める・調える・直す」などの意。ここでは「気を宥める・昂ぶりを収める」などの意。
  • 『御言宣 (みことのり)』は「ことのり (言宣)」の尊敬語で、アマテルと天君の専用語。「のり (宣)」は「のる」の名詞形。「のる」は「のぶ (延ぶ・述ぶ)」の変態で、「放つ・延ばす・広げる」の意。
  • タヂカラヲが進み出て申すには「曲者の三つ目に損なう槌とは如何に?」
    アマテル神は宥めて御言宣・・・


『しばし心を 静め待て 我 人振りを 常 見るに 悉く異る 地神の 勢吹く風を 受け生まれ 活すとなれば』

  • 『しばし (暫し)』「しぶ」+「しく (如く)」から「く」をカットしたク語法。「しぶ」は「しむ (締む)」「せむ (狭む)」の変態で「縛る・分ける・限る」などの意。よって「しばし」は「限られた如きさま」の意で、ここでは「限られた時間」を表す。 同義の「しばらく」は、「しばる (縛る)」+「しく (如く)」から「し」をカットしたク語法である。
  • 『人振り (ひとぶり)』人の振舞 (ふるまい)。「ふり」は「ふる (振る)」の名詞形で、「風」とも書く。「ふる」は「駆動する・活性化する」の意。「かぜ (風)」は「かす (活す・炊す)」の名詞形である。
  • 『悉く (ふつく)』は「ふつし (悉し)」の連用形で、「ことごとく・全く」の意。「ふつし」は「ふとし (太し)」の変態。
  • 『異なる (ことなる)』「こと」+「なる」。「こと」は「かつ (割)」の変態で、「離れるさま・分れるさま」を表す。「なる」は「~である」の意。
  • 『地神 (くにかみ)』ここでは「それぞれの地域に固有の神霊・地域の守り神」を言う。
  • 『勢吹く (いきふく)』「いく (活く)」+「ふく (吹く・噴く)」の複合。どちらも「高める・勢いづける・栄す」などの意。したがって「いきふく」は「風」の原動詞「かす (活す・炊す)」の同義語である。また「いきまく (息巻く)」や「いぶき (息吹・気吹)」の原動詞「いぶく」とも同義。
  • 『活す (いきす)』原義は「活動する」で、これは「生きる」とほぼ同義。
  • しばし心を静めて待て。我が人の行動を常々見るに、人はまったく異なる場所を守る地域神が吹かす風を、それぞれ受けて生まれ (=それぞれの風土に生まれ) 、それぞれに活動するのであるから・・・


『慣わしの 言葉も地を 隔つれば 変われど 他所の 幼子も 馴染めばそこの 振りとなる』

  • 『慣わし (ならはし)』「ならふ (習う・慣らう・倣う)」+「しく (如く)」から「く」をカットしたク語法。「ならふ」は「なる (和る・均る・平る・慣る)」から派生した動詞で「合わす・なごむ・真似る」などの意。
  • 『隔つ (へだつ)』「へだつ」は「へつ (辺つ)」からの派生語で「離す・分ける・区切る」などの意。
  • 『他所 (よそ)』は「よす」の名詞形。「よす」は「よける (避ける)・離す」の意。これを現在は「止す」としている。
  • 『幼子 (おさなご)』「おさ (乙)」+「な (なる)」+「こ (子)」。「おさ」は「おそ (遅)」「おつ (乙)」「おと (弟)」の変態。「おさな」の反対が「をきな (大きな・翁)」や「をとな (大人)」。
  • 『馴染む (なじむ)』「なす(和す)」+「しむ (染む)」の合成。どちらも「合う・なごむ・親しむ」の意。
  • 『そこ (其所・其処)』「そ (添・沿・直)」+「こ (処)」。「そ」は「そい (添・沿)」「すぐ (直ぐ)」の意。「こ」は「分割・区分」を表す。
  • 慣れ親しんだ言葉も場所を異にすれば変るわけだが、他所の幼子も馴染めばその地の風となる。


『空に住めど 空 飛ばず 埴 踏み居れば 応え知る 風・埴神の 守る故』

  • 『空に住めど空飛ばず (うつほにすめどそらとばず)』人は地中や水中ではなく空中には住んでいるが、鳥のように空を飛ぶわけではない、という意。
  • 『応え知る (こたえしる)』「応じて知る」「感応する」の意。
  • 『風・埴神 (かぜ・はにかみ)』「風の神霊」と「埴の神霊」。これが「天地の心端」(天地の情報ネットワーク)、「天地の見付」(天地の見張り・監視役)」の正体である。 『空は天の 心端の 常に巡れど 見えなくて』
  • 何故かといえば、人は空中に住んではいるが空を飛ばずに埴を踏んでいるので、それに感応する風神と埴神がその地の人々を守っているからなのである。であるが故に・・・


『見る 聞く度に 善し悪しも ひめもす天地に 告げ あれば 隠し盗むも 身に添ふる 風より天に 告ぐるなり』

  • 『見る聞く度に善し悪しも (みるきくたびによしあしも)』
    後に説明されるのであるが、これは風神と埴神が人の行動を見聞きして判断する善悪ではない。人が世の中で見聞き (経験) した物事に対して、その人の心 (神性) が感じる善悪なのである。
  • 『ひめもす』「ひめ」は「ひる (放る)」の変態「ひむ」の名詞形。「ひる・ひむ」は「放つ・発す」の意。「もす」は「もつ・ぼつ (没)」の変態。よって「ひめもす」は「発没」で「(日が) 発してから没するまで」の意。
  • 『天地 (あめ)』非物質界 (天上界) の陽サイドと陰サイド。これらは人の心をつくる魂と魄の故郷だと言える。
  • 『隠し盗む (かくしぬすむ)』「こっそり盗む」の意。
  • 人が世において見聞き (経験) する度ごとに、その人の心 (神性) が感じる善悪も (風神と埴神を介して) 天地に終始報告されている。したがってこっそり盗みを働いても、その人に添っている風が犯人の罪悪感を天に告げているのである。


『二の盗みは 背屈まり 抜き足なすも 土の神 恵みによりて まだ告げず』

  • 『二の盗み (ふたのぬすみ)』二度目の盗み。
  • 『背屈まる (せくぐまる)』「背が曲って縮こまる」の意。辞書には「跼る」とある。
  • 『抜き足 (ぬきあし)』「ぬき (和き・温き)」+「あし (足)」。「ぬき」は「ぬく」の名詞形。「ぬく」は「なぐ (和ぐ・凪ぐ)」の変態で、「凸凹を和して平らにする・和らげる・緩める」の意。よって「ぬきあし」は「緩やかな足取り・温い足取り」などの意。
  • 『土の神 (つちのかみ)』「はにかみ (埴神)」の言い換え。
  • 『恵みによりて』ここでは「温情によって」の意と考える。
  • 再び盗みを働けば、その人は背が丸まって縮こまり、また足取りも緩やかになるので、土の神は (分かってはいるのだが)、温情によってまだ (その人の主には) 告げずにいる。


『三度 損なふ 己が胸 騒ぎ あるより 言 震え 見目に表れ その主は 故に問ひ詰め ここ 察し また裏問えば つい語る』

  • 『損なふ (そこなふ)』は「そこぬ(損ぬ)」から、「そこぬ」は「そく(殺ぐ・削ぐ)」から派生した動詞で、「低める・劣らす・衰えさす」などの意。ここでは「病まふ」「天地の報ひ・天地の槌」と同じ。損なう理由の説明はここではなく、かなり後になされる。
  • 『己が胸騒ぎあるより (おのがむねさわぎあるより)』「自分 (盗みを働いた犯人) が胸騒ぎを覚える故に」の意。「胸 (むね)」は、ここでは「心 (こころ)」「中子 (なかご)」と同義。 胸が騒ぐ理由も後にわかる。
  • 『言震ふ (ことふるふ)』言葉が震える。
  • 『見目 (みめ)』見た目。外見。
  • 『その主 (そのぬし)』犯人を治める立場にある長。個人は「組頭 ∈ 村長 ∈ 粗長 ∈ 県主 ∈ 国造 ∈ 大物主」の行政機構の下に治められる。
  • 『故に (かれに)』「しかるに (然るに)」の短縮。ここでは「そうであるので」の意。「しかるに」は「しくあるに (如くあるに)」の音便。
  • 『ここ察す (ここさとす)』「ここに察する」の意。「さとす」は現代語では「諭す」で、「理解させる」という意だが、ここでは「さとる (悟る)」「さっす (察す)」の意で使われている。
  • 『裏問ふ (うらどふ)』「うら (裏)」+「とふ (訪う・問う)」。「裏から迫る・搦手から攻める」の意。
  • 『つい』は「対」で、「反応的・反射的・うっかり」のさまを表す。
  • 3回目の盗みで犯人は具合が悪くなる。これに胸騒ぎを覚える犯人の言葉は震え、外見に異常が表れる。それ故、異常に気付いたその長が本人を問い詰めてみると、ここにだいたい察しが付き、それとなく裏手から尋問すれば、うっかり白状するのである。


『他所の訴えも 預かれど 三つ知る告げの 二度も 陽陰の御種と 君の告げ 待ち 許せども』

  • 『三つ知る告げ (みつしるつげ)』犯人よりの3つの知らせる告げ。「知る」は、ここでは「知らす」の意と考える。1.風神への告げ (罪悪感)。2.埴神への告げ (背屈まり・抜き足)。 3.主人への告げ (自白)。
  • 『陽陰の御種 (あめのみたね)』アメノミヲヤ (陽陰の上祖) の末裔。世に生きる人類全般を指す。
  • 『君 (きみ)』は「きむ (極む)」の名詞形で、ここでは「かみ (上)」と同義。上に言う「その主」(犯人を治める立場にある長) の言い換え。
  • 天地は他の人からの訴えも預かってそれを承知しているが、このように3段階の告げの内、アメノミヲヤの御種ということで、2度までは長への自白を待って放置しているのである。しかし・・・


『品により 天地より君に 告げ あるぞ 真に恥づべし 天地が 悪さ なせそと 逆為こそすれ』

  • 『品 (しな)』は「属性・質・区別・種類」などの意。
  • 『悪さ (わるさ)』「わる (悪)」+「さ (為・業・仕)」。「わる」は「ある (粗る)」「おる (下る)」などの変態で、ここでは名詞形。「さ」は「す (為る)」の名詞形。
  • 『恥づ (はづ)』は「はつ (果つ)」「おつ (落つ)」などの変態で「(自己を) 低める・蔑む」の意。
  • 『べし』「へ」+「し (如)」。「へ」は「あふ (合う)」の意の名詞形。「(~することが状況に) 合っている・ふさわしい」の意。
  • 『なせそ』「な」+「動詞の連用形 (カ変・サ変では命令形) 」+「そ」で禁止の意を表す。「せ」は「する (為る)」の命令形。
  • 『逆為 (さかし)』は「さか (逆)」+「す (為る)」の名詞形と考える。「さか」は「さく (離く・避く・割く)」の名詞形で、「離れ・外れ・逸れ・異なり」などの意。 よって「さかし」は「外れたことを行うこと」の意。
  • 『すれ』は、係助詞「こそ」によって結ばれた「する (為る)」の已然形。
  • 罪の内容によっては2度の許しを待たずに、天地の方から主に報告する場合もあるぞ。それは真に恥づべきことである。天地が「悪さするなよ」と通常とは異なることまで行うのであるから。



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ホツマツタエのおもしろ記事(97)『八咫鏡5』

2013-03-20 14:35
ホツマツタエのおもしろ記事(97)  八咫鏡

ホツマツタエ17章『神鏡ヤタの名の文』全文解釈 その5


親心 解けぬミホツ姫 コモリ 親
『その子に求む 荒猛の 心 もがな』と 
請ひければ 神の御告げに


  • 『親心 (をやごころ)』ここでは「上流にある者が持つべき中核の思い」の意。=公の心。
  • 『ミホツ姫 (みほつめ)』タカキネ (高木神) の娘のミホツヒメ (三穂津姫)クシヒコ (大国主) の妻となりミホヒコを生む。
  • 『コモリ (子守神)』クシヒコとミホツ姫の子のミホヒコの守名。3代大物主となる。
  • 『荒猛の心 (あらたけのこころ)』 環境の荒猛にうまく順応しようとすることが生む、大局を思わず目先の損得のみに心を配り、上手に立ち回ろうとする小手先の態度を言う。
  • 『もがな』「もぐ」+「かな (哉)」の合成。「もぐ」は「まぐ (覓ぐ・求ぐ)」の変態で「(心を) 合わす・寄せる」の意。「かな」は「・・・だなあ」「・・・ものだなあ」などの意。
  • 『請ふ (こふ)』 は「交ふ・乞ふ・恋ふ・媚ふ」で「(心を) 寄せる・執着する・求める・欲す」の意。
  • 『神 (かみ)』アマテルを指す。世に生きる人間で「神」と呼ばれるのはアマテルだけである。
  • 親心の意味が解けぬコモリの親のミホツ姫は、「親がその子に求める荒猛の心を知りたいものかな」と願えば、神の御告げには・・・


『荒猛は 風 激しくて 俄降り 松 節・瘤と 蟠り 千齢を経るとも 増 ならず』

  • 『荒猛 (あらたけ)』荒々しく厳しいさま。ここでは荒猛の環境に育った松や子を言う。
  • 『激し (はげし)』「はげ」+「し (如)」。「はげ」は「はく (化く)」の名詞形で、「はく」は「わく (沸く)」の変態。「沸き立つさまの如くである」の意。
  • 『俄 (にはか)』「には (熟ふ)」+「か (如・然)」。「にふ (熟ふ)」は「にる (煮る)」の変態で「高まる・勢いづく・盛る」などの意。「か」は「しく (如く)」の名詞形「しか (然・爾)」の約。
  • 『松 (まつ)』は「曲るさま」の意。
  • 『節 (ふし)』は「ふす (付す)」の名詞形で、「集まり・まとまり」「区分・区画・境界」などの意。
  • 『瘤 (こぶ)』は「こふ (交ふ)」の名詞形で、やはり「集まり・積り・凝り」などの意。「こり (凝り)」の変態。
  • 『蟠る (わだかまる)』「わつ」+「かまる」の複合動詞。「わつ」は「曲る・回る」の意で、この名詞形が「わだ (曲)」。「かまる」は「かむ (交む・噛む)」から派生した語で「からむ・こんがらがる」などの意。「曲る」ということは「心と身/陽と陰が調和していない」ということである。
  • 『千齢 (ちよ)』「よ (世・代・治・結・齢)」は「他と区別されるまとまり」をいう。ここでは「1年」というまとまり。
  • 『経る (ふる)』は「へる (経る)」の変態で「進展する」の意。活用は上二段。この名詞形が「ふる (古)」。
  • 『増 (まし) 』は「ます (増す)」の名詞形で、「高まるさま・増えるさま・優れるさま」の意。
  • 荒猛は激しい風とにわか雨。松は節と瘤を作って曲がりくねり、千年を経ても直ることは無い。


『親の心も 鋭し激し 敢 忍ばずて 俄風 愚かに暗く 鈍き子は その荒風に 吹き打たれ 痛み 忍べば 直からず』

  • 『親の心 (をやのこころ)』ここでは「親の内側・本質」の意。
  • 『敢 (あえ)』打ち消しの語を伴って「~できない」の意を表す。つまり「え (得) ~ず」と同じ。「敢え忍ばず」は「忍ぶことができない」の意。
  • 『忍ぶ (しのぶ)』は「しなぶ (匿ぶ)」の変態で、「(内に) 合わす・収める・抑える」などの意。
  • 人の親の心も短気で激しいので、忍耐できずに俄風を吹かしてしまう。愚かで暗く鈍い子はその荒風に吹き打たれても、痛みを耐え忍ぶので心が歪んでしまうのである。


『鞭を逃るる 早利きを 褒め喜べば 過ぎねぢけ ハタレとなるぞ』

  • 『鞭 (むち)』は「うち (打ち)」の変態。「うま=むま (馬)」「うめ=むめ (梅)」のように「う」と「む」は入れ替わる。
  • 『逃る (のがる)』は「のく (退く)」+「かる (離る)」の合成。
  • 『早利き (はやきき)』「鋭敏なさま」の意。「利き過ぎ」とも言い、これが「荒猛の心」が意味する所。
  • 『過ぎねぢく』「ひどくねじける」の意。
  • 『ハタレ』は「はづれ (外れ)」の変態で「外れたさま/もの」の意。反りや曲がりが過ぎて、人から外れてしまった者を言う。
  • 鞭打ちの痛みを逃れるための小利口さを褒めて喜べば、(狡猾にうまくかわすことが人生と信じ) ひどくねじけて人から外れた者となるぞ。


『誤るな 親 謹めよ 暗き子も 細かに教え 日を積みて 少しは通る 月を経て 篤く教えば 鈍 去るる 年々学ぶ 曙の 業も早きぞ』

  • 『誤る (あやまる)』は「あやむ (危む)」から「あやむ」は「あゆ (零ゆ)」から派生した動詞。「あゆ」は「ある (散る/粗る)」の変態で、「離れる・反る・曲がる・逸れる」また「低まる・劣る・衰える」などの意。
  • 『謹む (つつしむ)』は「(心・身を) 合わす・直す」が原義で「心する・気を付ける・心を正す」などの意。
  • 『細か (こまか)』「こま (細)」+「か (如・然)」。「こま」は「こむ (込む)」の名詞形で、「込み入ったさま」「小さなスペースにぎっしり詰まったさま」を表す。転じて「詳細・緻密・綿密・入念・精巧」の意。
  • 『通る (とふる)』通常は「とほる」なので、ここでは「とふ (逹ふ)」の連体形か。「渡る・届く・達する」などの意。
  • 『学ぶ (まなぶ)』は「まねる (真似る)」の変態。
  • 『曙 (あけぼの)』は「あく (開く)」+「ほぬ (放ぬ)」の名詞形。どちらも「分れる・放つ・発する」などの意。ここでは「ビギナー・若者」また「朝日」の意。
  • 間違うな。親は注意しろよ。劣った子も日数をかけて細やかに教えれば少しは通じる。数ヶ月も丹念に教えれば鈍さは去るぞ。年々学ぶ若者の業も朝日が昇るように速いぞ。


『初よりも 良からで業を 換えずとも 百千 教えて 覚えずば 統つむる杖に また教ゆ ゑゑ子はたのめ 教人の 手元も松の 苔杖』

  • 『初 (はつ)』は「はっす (発す)」の変態「はつ (発つ)」の名詞形。
  • 『覚ゆ (おぼゆ)』「おもふ (思う)」の変態で、「(意識に) 合わす」の意。
  • 『統つむる (しつむる)』は「しつむ」の連体形。「しつむ」は「しつ」+「つむ」の合成語。「しつ」は「しっす(執す)」の変態、「つむ」は「すぶ (統ぶ)」の変態で、共に「合わす・まとめる・治める」の意。ここでは「しつける」と同義。
  • 『杖 (つゑ)』「つゆ (突ゆ)」の名詞形で、「突くもの・突き出るもの」。
  • 『ゑゑ子 (ええこ)』「ゑゑ」は「うえ (上)」「おお (大)」「いや (弥)」「うま (美)」などの変態で「高まるさま・優れるさま」を表す。
  • 『たのめ (治の芽/頼め)』ここでは 2つの意味を持たせていると思う。
  • 『苔 (しもと)』「しも (下)」+「と (方・手・処)」。「下方・下手・末端」の意。ここでは「枝の末」の意。
  • 始めから良くないといって業を換えなくても、百千教えて覚えなかったら、杖に仕付けてまた教えればいいのである。優秀な子には委ねて他の子を教えさせよ。それが治の芽となり育つ。その若き教人の手元にも松の苔杖を持たせよ。


『生えるままにて 培えば 十年に直る 萌しを得 三十年 弥々に 伸び栄え 百の旁木 三百の梁 五百は棟木ぞ』

  • 『培ふ (つちかふ)』「つつ (伝つ・付つ)」+「かふ (交ふ)」の複合語。どちらも「合わす」が原義で、ここでは「(心・身を) 合わす・添える」「守る・世話する」「養う・育てる」などの意。
  • 『旁木 (つくりぎ)』不明だが「漢字の旁」から連想して、「主たる構造 (柱・棟木・梁) に添え合わす材木」と考えた。
  • 『梁 (はり)』「うつばり (梁)」と同じ。「うつ (打つ)」+「はり (張る)」。どちらも「合わす・結ぶ・渡す」の意で、「(柱と柱を) 結ぶもの・渡すもの」の意。
  • 『棟木 (むなぎ)』棟 (むね) に用いる材木。「棟 (むね)」は「みね (峰)」の変態で、「頂」の意。
  •  生えるままに細かに世話すれば、10年には曲りの直る萌しを得る。30年でいよいよ伸び栄え、100年には旁木、300年には梁木、500年では棟木に使える木に育つ。


『人法も 十年 ほぼ平る 三十の梁 五十は棟木の 功も 篤き恵みの 緩法を 必ず倦むな 早るなよ』

  • 『平る (なる)』は「凸凹が中和して平均する」という意で、原義は「和す・融和する・調和する」であり、ここでは「直る」と同義である。
  • 『棟・梁 (むね・はり)』アマテルのこの言葉から「棟梁之臣 (むねまちぎみ)」や「棟梁 (とうりょう)」という言葉が生まれたものと推察する。
  • 『功 (いさおし)』「いさお」+「し (為)」。「いさお」は「いさむ (勇む)」の名詞形「いさみ (勇)」の変態で、「高まり・勢い・栄え・優れ・至り」などの意。「いさおし」はそれを行うことを言う。ここでは「達成すること」の意。
  • 『緩法 (ゆるのり)』ここでは「緩やかな法・長い目でみる法」で、「荒猛・鋭し激し」の逆。
  • 『必ず (かならず)』は「かなわす (叶えさせる)」の変態で、それが副詞化したもの。「合わす・当てる・他にそらさない」の意。
  • 『倦む (うむ)』は「やむ (病む)」の変態で、「低まる・劣る・衰える」などの意。
  • 『早る (はやる)』は「はゆ (映ゆ・栄ゆ)」から派生した動詞で、「高まる・勢いづく・栄る・急ぐ」などの意。「逸る」「流行る」も同じ。
  • 人の場合も10年でほぼ直り、30年で梁木、50年では棟木となる。その達成には長い目で見る緩法を以て細々と篤く恵むことである。決して倦むな、また急ぐなよ。


『早きハタレに 赴かで ヤタのカガミの 謂 聞けば 汚曲を避るぞ 我が心 入れて 気安く 天地が守るぞ』

  • 『赴く (おもむく)』 「おも (面・表)」+「むく (向く)」。「顔を向ける」の意。
  • 『謂 (あや)』「あや」は「ゆえ (故)」「いゐ (謂)」「い (謂・意)」「あや (文・綾)」「ゆえん (所以)」「いわれ (謂れ)」などの変態。
  • 『汚曲 (よこが)』「よこ (横・邪・汚)」+「か (枯・曲・汚)」。どちらも「反り・曲り・外れ」などの意。
  • 『避る (さる)』「去る」と同じ。ここでは「離す・遠ざける」の意。
  • 『我が心 (わがこころ)』アマテルの本質だから、「太陽と太陰」である。
  • 『気安し (ゐやすし)』「ゐ (意)」は「き (気)」と同じ。「心やすらかなさまである」の意。
  • 荒猛の逸るハタレにそっぽを向き、ヤタの鏡の謂れを聞けば曲りを祓うぞ。日月の心を受け入れて、心安く天地が守るぞ。



参考サイト:http://gejirin.com/hotuma17.html
     :http://gejirin.com/mitinoku.html




ホツマツタエのおもしろ記事(96)『八咫鏡4』

2013-03-19 23:32
ホツマツタエのおもしろ記事(96)  八咫鏡

ホツマツタエ17章『神鏡ヤタの名の文』全文解釈 その4 


< 重要事項のおさらい >
『天地法を得て身 (実) を治む』 -心と身/陽と陰の調和-

天地法 (陽陰法) とは、「人」=「魂+魄」=「陽+陰」ということである。
人は「相反する両極端の融合」ということで、これには2段階の意味がある。
一つは、人間は「心と肉体の融合」ということである。この意味では「魂=心」「魄=肉体」の意で使われている。
もう一つは、人間の心も「魂と魄の結合」ということである。この意味では「魂=陽の霊」「魄=陰の霊」の意で使われている。したがって「心」=「魂+魄」=「陽霊+陰霊」であり、またそれは「神」の定義でもあった。

陽陰 (心と肉、また陽霊と陰霊) のどちらかに傾くことは「曲り・ねじけ」を意味し、陽陰が中和して偏りが無い状態を「直ぐ」というのである。
だから「身/実を治む」とは「心と体の調和」と「心を構成する陽霊と陰霊の調和」を取って「直ぐ」を保つことを言うのである。これは「上下の極端を排して中道にあれ」ということでもある。
また相反する物の調和は「自と他の調和」「個と社会の調和」にも発展する。 

「人」=「心+体」=「陽+陰」
「心」=「魂+魄」=「陽+陰」=「日+月」=「天+地」=「上+下」
   =「神」
「一極への傾き」=「曲り・ねじけ」
「両極の調和」 =「直ぐ」





『二神の 経・矛に治む 年 経れば 鈍・均・鋭の 民 現るも 喩えば 数の 器物 屑を捨てなで 鈍・鋭を 均し用いん 天地の心ぞ』

  • 『二神 (ふたかみ)』イザナギとイザナミの夫婦。オモタル・カシコネを最後にクニトコタチから続く皇統は途絶え、神代の日本は滅びる。その後に天つ君となった二神は、退廃した日本に再び「経矛の道 (法と戒の道)」を敷き直して臣民を指導し、国を復興させてゆく。
  • 『経・矛 (と・ほこ)』調和と秩序を実現するための2大手段。具体的には法と警察力。
  • 『鈍 (にぶ)』は「にふ (鈍ふ)」の名詞形で、「低まるさま・劣るさま・衰えるさま」などの意。「にふ」は「なふ (萎ふ)」「ねむ (眠む)」「ねる (寝る)」などの変態。
  • 『均 (なれ)』は「なる (平る・均る・慣る)」の名詞形。「なる」は「凸凹が和して平らになる」という意で、原義は「和す・融和する・調和する」である。
  • 『鋭 (とき)』は「とし (利し・鋭し・疾し)」の連体形。「とし」は「とく (研ぐ)」+「し (如)」の音便。「とく」は「たく (焚く・長く)」の変態で、「高める・優れさす」などの意。「とき」は、ここでは「(限度を) 過ぎるさま・超えるさま」の意味が強い。
  • 『現る (ある)』は「ある (在る・有る・生る)」と同じ。「ある」は「あふ (合う)」の変態で、原義は「(目・意識・気に) 合う・留まる」である。
  • 『数の器物 (かずのうつわもの)』「多くの入れ物」の意。土器の類を言うと思われる。
  • 『屑 (くづ)』は「くつ (朽つ)」の名詞形で「低まるさま・劣るさま」の意。「かす(滓)」「くそ(糞)」「くた(朽・腐・芥)」「くさ(臭・腐・瘡)」などはこの変態。
  • 『均す (ならす)』は「なる (平る・均る)」+「す (為・使役)」。「凸凹を和して平らにする」の意。
  • 『用いん (もちゐん)』「もちゐ」+「ん (意思の助動詞)」。「もちゐ」は「もちゆ (用ゆ)」の上二段未然形。 「もちゆ」は「もつ (持つ)」から派生した語で「(自己に) 合わす・付ける・仕わす」の意。
  • 『天地の心 (あめのこころ)』「あめ (天地・陽陰)」は、ここでは「あめなるみち (陽陰和る道)」を言う。「天と地/上と下/陽と陰の両極を融合調和すること」を言い、「ならす (均す)」の「凸凹を和して平らにする」を言い換えたもの。
    「こころ (心)」は、ここでは「奥にあるもの・本質・精神・エッセンス」などの意。
  • 二神は受け継いだ「経矛の道」を以て世を治めた。当然ながら年月を経れば「劣」「並」「過」それぞれの民が現れてくる。しかし二神は、例えば屑土器を捨てる如くに出来の悪い者を切り捨てるようなことはせず、「劣」と「過」を平らに均して使おうという「上下調合」の精神であった。 (なぜならアメノミヲヤが世に下す人類は『十六万八千に品変る』のであるから。)


『我 見るに 善し・悪ろ 愛でつ 楽しみて 人の中子も 人 二人 やや知る道は マス鏡』

  • 『善し・悪ろ (よし・わろ)』は、前文の「鋭・鈍 (とき・にぶ)」と同じ。 「よし」は「よす (寄す)」の名詞形で「(心) を寄せるさま」の意。「わろ」は「あれ・あら (粗)」「おり (下り)」「おろ (愚・疎)」などの変態。
  • 『愛でつ (めでつ)』「めで」は「めづ (愛づ)」の下二段連用形。「つ」は「つつ (伝つ)」の約で、「合わす・付く・継ぐ」の意。接続助詞の「つつ」「て」「ながら」と同じ。
  • 『楽しむ (たのしむ)』「たの」は「たぬ」の名詞形。「たぬ」は「たつ (立つ・達つ)」の変態で「高まる・勢いづく・栄える・満ちる」などの意。「しむ (占む・染む)」は「する (為る)」の変態で、ここでは「(自己に) 合わす」の意。よって「たのしむ」は「(自分の心を) 勢いづける・栄す・満たす」などの意。
  • 『中子 (なかご)』は「端っこ」の反対語。「中身・奥・心・核」などの意で「こころ」の同義語。ここでは魂の緒によって結合し、人の心となっている「魂+魄」を言う。
  • 『人 二人 (ひとふたり)』人の中子 (心) には「二人の人がいる」という意で、これは「中子 (心)」=「魂+魄」=「陽+陰」=「天+地」=「上+下」ということを言っている。そして「陽・陰 (天・地)」は「鋭・鈍」と「善・悪」に対応しており、人の心は「陽陰二人」「善悪二人」の両極端から成っている、ということを言っている。またこれは『天地法を得て身を治め』の説明でもある。
  • 『やや (稍・漸)』は「いやいや・いよいよ (弥々)」の約で「漸進するさま」の意。ホツマでは「しだいに」「ゆっくりと」「やっとのことで」の意に使う場合が多い。
  • マス鏡 (真澄鏡)表鏡と裏鏡の2枚で一対の鏡。それぞれ月と日に喩えられる。「裏鏡」は2枚の鏡を使って後姿を見る時に背後に配置する鏡である。2枚の鏡は単独では意味をなさず、連動することが前提となっているので表裏一体である。「陽と陰」「魂と魄」の正反対の属性が同居する人間とは、マス鏡そのものだというのである。
  • 我れが世の人々を見る時には、善きも悪きも愛しながらその多様性を楽しみ、人の心も陽陰両極端の二人から成ると思って見ているのである。しだいにわかってくる法は、人はマス鏡だということである。


『天地の報ひは 盗めるも 謗るも打つも 己に返る』

  • 『天地の報ひ (あめのむくひ)』この「天地 (陽陰)」は、世にある人がおよばぬ「非物質界」つまり「あの世」を言っている。「報ひ」は「向ひ・迎ひ」の変態で、「合わせ・釣合・匹敵・対応」の意。
    「天地=陽陰=魂魄=神」であるので(『魂魄と魂の緒』を参照)、「天地の報ひ」は「神の報ひ」と同義と見て良い。
    そして「神」とは「(人の) 魂魄=心=精神=本質」を言うのであるが、そのことは後に語られる。
  • 『盗める (ぬすめる)』は「ぬすむ (盗む)」の連体形。「ぬすむ」は「離す」が原義で、「他所から離して自己に合わす」の意と「(心を) 離す・そらす・外す・曲げる」の意に分れるが、ここでは前者の意。
  • 『誹る (そしる)』「そす(殺す・損す)」+「しる (垂る・退る・痴る)」の合成語。どちらも「低める・劣らす・蔑む」などの意。
  • 『己 (み)』「己」は「おのれ」の意を明確にするために筆者が当てた漢字で、本当は「身」と当てるべき。
  • 盗むも誹るも打つも、天地の報いが己に返る。


『人を打てども その時は 痛き報ひも あらざれど 後の病ふは 天地が槌』

  • 『病ふ (やまふ)』は「やむ (病む)」から派生した動詞。そのまま名詞にもなっている。
  • 『槌 (つち)』は「たち (太刀)」の変態で「断つもの」の意であるが、「(曲り・汚穢を) 断って直すもの」「立ち直らせるもの」「つちかう (培う) もの」などの意も持つ。
  • 人に危害を加えて、その当座には痛き報いも無いとしても、後に病むのは天地の槌である。


『盗みも他人が 知らざれば 宝 得るとぞ 思えども 一度 隠し 二 盗み 三度 損なひ 改めず 天・地・人の 見る所 天地の見付は 人に告ぐ』

  • 『隠す (かくす)』 は「かく(交く/離く)」からの派生語で、「囲う・覆う」「(人目から) 離す」「曲げる・偽る」などの意。
  • 『損なふ (そこなふ)』は「そこぬ(損ぬ)」から、「そこぬ」は「そく(殺ぐ・削ぐ)」から派生した動詞で、「低める・劣らす・衰えさす」などの意。ここでは「病まふ」「天地の報ひ・天地の槌」と同じ。損なう理由の説明はここではなく、かなり後になされる。
  • 『天・地・人 (あめつちひと)』「天の神 (陽の霊)」と「地の神 (陰の霊)」と「他の人」。
  • 『天地の見付 (あめのみつけ)』「みつけ (見付)」は「めつけ (目付)」と同じ。「見張り・監視」の意。「天地の見付」は「天地の心端 (こころば:情報ネットワーク)」を指していて、具体的には「風の神」と「埴の神」を言う。
  • 盗みも他人に知られなければ、宝を得たとも思うけれども、一度盗んだことを隠してうまくいけば、再び盗む。さらに三度目の盗みを働いて我が身を損なってもまだ改めない。ここが天・地・人の見る所である。天地の監視役 (風神と埴神) は人に告げるのである。


『罪 露れて 滅ぶ時 為すこと無くて 悲しきは 他所は喜ぶ シムの恥 悔めど返ぬ』

  • 『滅ぶ (ほろぶ)』は「ほる」から派生した語。「ほる」は「おる (下る・愚る)」の変態で「低まる・劣る・衰える・果てる」などの意。
  • 『為すこと無くて悲しきは』「どうしようもなく悲しいのは」の意。
  • 『シムの恥 (しむのはぢ)』「しむ」は、ここでは「親族」の意。「シムの恥」は「親族が感じる恥・親族が受ける辱め」の意。
  • 『悔やむ (くやむ)』は「くゆ (悔ゆ)」+「やむ (病む)」の合成語。「くゆ」は「くる (暮る)」などの変態。「くゆ」「やむ」どちらも「低まる・劣る・衰える」などの意。元来は自動詞だったのではないかと考える。
  • 『返ぬ (かえぬ)』「かふ」+「ぬ (否定の助動詞)」。「かふ」は「かえる (返る)」の原動詞。
  • 罪が露見して萎れる時、どうしようもなく悲しいのは、よそは喜ぶ親族の恥。悔やんでも取り返しはつかない。


『子を持たば 確と聞くべら 荒猛の 松はねじけて 蟠る 人の若葉も 我儘に 道に悖りて 蟠る』

  • 『確 (しか)』は「しく (如く)」の名詞形で、「合うさま・ 曲りや逸れの無いさま・直ぐなさま」の意。「ちか (近)」「すぐ (直ぐ)」の変態。「まさ (正)」「ただ (直・正)」も同義。
  • 『べら』は、ここでは「べらなり」の簡略で、「べし」と同じと考えて良い。「べら」は「へる (綜る)」の名詞形で、「へる」は「(~することが状況に) 合う・釣合う・そぐう」などの意。
  • 『荒猛 (あらたけ)』「荒々しく猛るさま」の意。ここでは荒猛の環境に育ったものを言う。
  • 『蟠る (わだかまる)』は「わつ」+「かまる」の複合動詞。「わつ」は「曲る・回る」の意で、この名詞形が「わだ (曲)」。「かまる」は「かむ (交む・噛む)」から派生した語で「からむ・こんがらがる」などの意。「曲る」ということは「心身と陽陰が調和していない」ということである。
  • 『若葉 (わかば)』は「分れ生えるもの」が原義で、「わかばえ (若生え)」と同じ。
  • 『我儘 (わがまま)』「わ(我)」+「が (格助詞)」+「まま(儘・任・随)」で、「自分の思い通りなさま」「自在」の意。
    「我」は、ここでは「肉体の自分」を言う。
  • 『道 (みち)』ここでは「和の道・調和の道」で、ホツマでは「陽陰和る道」「妹背の道」「調の道」「円道」「大和の道」「トコヨの道」などさまざまに呼ばれている。
  • 『悖る (もとる)』は「もぢる(捩る)」の変態で「離れる・それる・外れる・曲る」などの意。
  • 子を持つなら確と聞くべし。荒猛の環境に育つ松はねじ曲がってこんがらがる。人の若生えも同様に (荒猛の環境に何とか順応するのが精一杯で、心身と陽陰の調和ができないため)、肉体的・物的な欲求のままに調和の道から外れ、ねじ曲がってこんがらがる。


『人も焚木に 切る如く 惜しまで シムの 痛みかな』

  • 『惜しまで (おしまで)』「惜しまないで (切れば)」の意。「おしむ (惜しむ・愛しむ)」は「(心を) 合わす・寄せる」の意。
  • 『シム (親)』ここでは「親族」の意。
  • (ねじ曲がっているからといって) 木を薪に切る如くに、人も惜しまず切ったなら、親族の痛みであるかな。

    これは先の『数の器物 屑を捨てなで 鈍・鋭を均し用いん 天地の心ぞ』と同じことを言っている。


『子を養す法 "曲松を 引き植え 新木 培えば 直木となるぞ"』

  • 『養す (ひたす)』は「いたす (致す)」「みたす (満たす)」などの変態で、「高める・優れ至らす・伸展成長させる」などの意。
  • 『曲松 (くせまつ)』「くせ (曲・癖)」は「くす (屈す)」の名詞形。「くす」は「反る・曲る・傾く」などの意。「まつ (松)」は「曲るもの」の意。
  • 『引き植ゆ (ひきうゆ)』ここでは「(若生えを) 引き抜いて植える」の意。
  • 『新木 (あらこ)』新しい木。若生えを引き抜いて新たに植えた木。
  • 『培ふ (つちかふ)』「つつ (伝つ・付つ)」+「かふ (交ふ)」の複合語。どちらも「合わす」が原義で、ここでは「(心・身を) 合わす・添える」「守る・世話する」「養う・育てる」などの意。
  • 『直木 (なおき)』直ぐな木。あるいは「直し」の連体形の「直き」。
  • 子を伸展させる法は「曲松の若生えを引き抜いて植え、新たな木として培えば直ぐな木となる」ということである。


『親心 細々篤き 調の教え』

  • 『親心 (をやごころ)』ここでは「上流にある者が持つべき中核の思い」の意。=公の心。
  • 『細々 (こまごま)』は「こむ (込む)」の名詞形「こま」を重ねた語で、「込み入ったさま」「小さなスペースにぎっしり詰まったさま」を表す。転じて「詳細・緻密・綿密・入念・精巧」の意。「ごみごみ」「こもごも (交々)」などの変態。
  • 『篤し (あつし)』は「いたし (甚し)」の変態で「甚だしいさまである」の意。UP/DOWN どちらの方向にも使う。
  • 『調の教え (とのをしゑ)』「調の導き (とのみちびき)」とも呼ばれ、「調和の道に導くこと」「調和の恩恵を教えること」を言う。
    この「調和」は、「心身の調和」「心の陽陰の調和」「自と他の調和」「個と社会の調和」のすべてを含む。
  • 上流にある者が持つべき中核の思いは、入念で厚い「調の教え」である。


『子は長の根ぞ 幼子に 新木 教えて 培えば 直き長とぞ なる心』

  • 『長 (をさ)』は「をす (押す)」の名詞形で、「をす」は「合わす・和す・束ねる・治める」などの意。よって「をさ」は「治める者・調和させる者」意で、「をし (治・筬)」「よし (寄し)」「うし (大人・氏)」「ぬし (主)」などの変態。
  • 『根 (ね)』は「なえ (苗)」の訛りと考えている。「最初に発してくるもの」の意。
  • 『幼子 (おさなご)』「おさ (乙)」+「な (なる)」+「こ (子)」。「おさ」は「おそ (遅)」「おつ (乙)」「おと (弟)」の変態。「おさな」の反対が「をきな (大きな・翁)」。
  • 『教ゆ (をしゆ)』は「をす (押す)」から派生した動詞で「合わす」が原義。ここでは「合わす・比べる・なぞらえる」の意。
  • 『心 (こころ)』は、ここでは「奥に隠れるもの・本質・奥義・秘訣」などの意。
  • 子は長 (治める者・調和する者) の苗である。幼子を新木になぞらえて培うこと(細々厚く調を教えること)が、直き長を育む秘訣である。


『恵みを知らば 木宝の 棟・梁と なる如く 人の住居の 上にあり』

  • 『恵み (めぐみ)』ここでは「木が得る自然環境の恵み」「陽 (日・風) と陰 (水・埴) の恵み」の意。
  • 『知る (しる)』は「(自己に) 合わす」が原義で、ここでは「得る・受ける」などの意。
  • 『木宝 (こだから)』木の優れ物。「たから」は「たかみ (高み)」の変態で「高きもの・優れもの」の意。ここでは「直ぐな大木」を言うのであろう。
  • 『棟 (むね)』は「みね (峰)」の変態で、「頂」の意。
  • 『梁 (うつばり)』「うつ (打つ)」+「はり (張る)」。どちらも「合わす・結ぶ・渡す」の意で、「(柱と柱を) 結ぶもの・渡すもの」の意。
  • 『住居 (すまゐ)』「すむ (住む)」+「ゐゆ (居ゆ)」の合成「すまゆ (住まゆ)」の名詞形。
  • 環境の恵みを受けて育った直ぐな大木が棟や梁となる如くである。それらは人の住み居る所の上部に位置するのである。


『荒猛心 子に求め 利き過ぎ ねぢけ よこしまの ハタレとなるぞ マスヒトら 幼の時は ねぢけの芽 早や改めよ』

  • 『荒猛心 (あらたけごころ)』環境の荒猛にうまく順応しようとすることが生む、大局を思わず目先の損得のみに心を配り、上手に立ち回ろうとする小手先の態度を言う。
  • 『利き過ぐ (ききすぐ)』「利口が過ぎる」「鋭敏が過ぎる」などの意。
  • 『よこしま (邪・横しま)』「よこ (横)」+「しま(方・様)」。「よこ」は「よく(避く)」の名詞形で、「よく」は「離れる・反る・曲る・外れる」などの意。「よこしま」は「曲るさま・外れるさま」の意で、「さかしま (逆しま・倒)」「さかさま (逆さま・倒)」などの同義語。
  • 『ハタレ』は「はづれ (外れ)」の変態で「外れたさま/もの」の意。反りや曲がりが過ぎて人から、外れてしまった者を言う。したがって「よこしま」とも同義である。
  • 『マスヒト (益人)』「ます」は「合わす・和す・収める」の意で、この名詞形が「ます(枡)」。「マスヒト」とは、要するに「治める人」で、「かみ・もり (守)」「とみ (臣)」「をさ (長)」「つかさ (司)」などと同義であるが、特に天 (中央) から任命され、地方の国を治める国守を言う。
  • 荒猛の環境にうまく対処する小賢しさを子に求めたなら、小利口が過ぎて心がねじけ、反り曲ったはみ出し者となるぞ。子や民を治める者達よ、幼い時はまだねじけの芽である。今の内に早く自分の荒猛心を改めよ。


『既に前 法を誤る マスヒトの 褒め過ぎ ねぢけ 横しまが 縦を捩けて 床闇の 斜 和して やや統つむ』

  • 『マスヒト』ここでは根の国のマスヒト「シラヒト」、サホコチタル国の副マスヒト「コクミ」、後任のマスヒト「アメオシヒ」を言っている。詳しくは『大祓詞』を参照。
  • 『縦 (たて)』は「上から下へ流れる筋道」「上下関係の秩序」で、これは大宇宙の根本原理「陽陰和る道」に則る自然な方向である。「縦」は「先に立つもの・骨格・柱・中軸・主体」などの意を持つ。
  • 『捩く (もぢく)』は「ねじく (拗く)」「よぢる (捩る)」「ひねる (捻る)」などと同義。
  • 『床闇 (とこやみ)』「とこ」は、ここでは「そこ (底)」の変態。「やみ (病・闇)」は「低まるさま・劣るさま・衰えるさま」の意。よって「とこやみ」は「最低・最悪・どん底」などの意。
  • 『斜 (なんだ)』は「なだ」の音便。「なだ」は「なだる (傾る)」の原動詞「なづ」の名詞形で、「そる・曲る・傾く」などの意。
  • 『和す (やわす)』は「あわす (合わす)」の変態で、ここでは「合わす・収める・調える・直す」などの意。
  • 『統つむ (しつむ)』は、辞書には「為集む」で「為し集める」「取り集める」とあるが、原義は「合わす・まとめる・治める」の意。「しつ」+「つむ (集む)」の合成語。「しつ」は「しっす(執す)」の変態。
  • 過去において既に、法を誤って荒猛の小利口を褒め過ぎ、ねじ曲ったマスヒトを世に送り出してしまっている。その横しまは遂には治めの主軸である上下の秩序をも歪めてしまい、どん底の曲りを直し調えてようやく治めたのである。


『これも三種の 器法 あらで如何んぞ 得ざらんや』

  • 『三種の器法 (みくさのうつわのり)』調の重要性を教え諭し、ヤタの鏡で心の清汚を鑑み、なお逆らうものは逆矛を以って打ち綻ばす、という統治原則。これもやはり「鏡 (天の祭)」 と「剣 (地の政)」 の「調 (調和)」が根底にある。
  • 『如何んぞ (いかんぞ)』「如何にぞ」の音便。ここでは「如何にしても」「どうやっても」などの意。
  • これも「三種の器法」が無かったら、どうやっても治めることはできなかっただろうよ。


『兼ねて思えば マス鏡 青人草も 直ぐとなる 人に於けらば 限り無し 長く培ふ 教えなすべき』

  • 『兼ねて (かねて)』「かぬ (兼ぬ・交ぬ)」+「て (接続助詞)」。「かぬ」は「合わす・連ねる・重ねる」などの意。「かねて」は「合わせ合わせて・重ねて・連ねて・つくづく」などの意。
  • 『青人草 (あおひとくさ)』未熟だが成長して人となる可能性を秘める「人の種」の意で、「民」の別称。
  • 『人 (ひと)』ここでは上流の階層にある人。つまり君と臣。
  • 「於ける (おける)」は「おく (置く)」の連体形から独立した動詞。「おく」は「合わす・交える」などの意。
  • 『長く培ふ教え (ながくつちかふをしゑ)』ここでは「焦らずじっくり育てる教え」の意。
  • 重ね重ね思うのは、マス鏡の道 (心身/陽陰の調和) は青人草の民をも直ぐにするのであるから、上流の臣においては調和のレベルには際限がないということである。よって焦らずじっくり育てる教えを行うべきである。



参考サイト:http://gejirin.com/hotuma17.html
     :http://gejirin.com/mitinoku.html




ホツマツタエのおもしろ記事(95)『八咫鏡3』

2013-03-17 12:03
ホツマツタエのおもしろ記事(95)  八咫鏡

ホツマツタエ17章『神鏡ヤタの名の文』全文解釈 その3


『臣ら ひめもす 倦まなくて 教えを常の 業となせ 臣・民 子・孫 隔てなく 慈く恵まん 思ひなり』
『教えぬ者は 臣ならず 教え 受けぬは 民ならず』


  • 『ひめもす』「ひめ」は「ひる (放る)」の変態「ひむ」の名詞形。「ひる・ひむ」は「放つ・発す」の意。「もす」は「もつ・ぼつ (没)」の変態。よって「ひめもす」は「発没」で「(日が) 発してから没するまで」の意。
  • 『倦まなくて (うまなくて)』「倦む」+「なく」+「て (接続助詞)」。「うむ (倦む)」は「おる (下る)」の変態で「低まる・劣る・衰える」などの意。「なく」は、否定の助動詞「ぬ」の連用形で、動詞「のく (退く)」の転。=「倦まずて」。現代語では「倦まないで」となる。
  • 『常 (つね)』は「つる (連る)」の変態「つぬ」の名詞形で、「つな (綱)」の変態。
  • 『業 (わざ)』は「わす (和す)」の名詞形。「わす」は、ここでは「為す・する」などの意。よって「わざ」は「為すこと・すること・仕事」などの意。
  • 『隔て (へだて)』は「へだつ (隔つ)」の名詞形。「へだつ」は「へつ (辺つ)」からの派生語で「離す・分ける・区切る」などの意。
  • 『慈く (ゐつく)』は「いつく (斎く・傅く)」「いつくしむ (慈しむ)」 と同じ。「(心・身を) 添える」の意。普通は連用形の「ゐつき (慈き) 」となるべき所かと思う。
  • 『恵む (めぐむ)』は「めく」からの派生語で、「めかす (粧す)」と類義。「高める・栄す・優れさす」などの意。
  • 臣たちよ、朝から晩まで倦むことなく教えることを常の業とせよ。それはすなわち臣・民・子・孫を区別なく慈しんで恵もうとする思いである。教えぬ者は臣にあらず、教えを受けぬ者は民にあらず。


『常に思えよ 天地法を 得て 身 (実) を治め 耕して ソロを植え蒔き 草 切りて 刈り納む身の 民は孫 工・商人も 曽孫・玄孫』

  • 『思ふ (おもふ)』は「(心に) 合わす・負う」という意だが、「思ふ」は「重ふ」(重視する・尊重する) のニュアンスを持つように感じている。
  • 『天地法 (あまのり)』あめなるみち (陽陰和る道)」と同じ。ここでは、「人」=「魂+魄」=「陽+陰」=「空・風・火」+「水・埴」であることは、君・臣・民で違いが無いことを言っている。
    詳しくは『魂魄と魂の緒』を参照。
  • 『身 (実) を治む (みおをさむ)』その天地法に従って「陽と陰の両極端を人の身に融合する」という困難を治めて世に生きることを言う。
    『陽陰の心に見るば 上(陽) 埴(陰)と地上守(人) この味を人の身に統る』ホ17文
    『陽・陰 人に統れる 人の身の』ミ1文
    『天地開け現る神の ミナカヌシより 計り無き人種分かれ 貴きも尊も彦も現る道を 治め収むる人の身は』ミ1文
  • 『ソロ』は「繁栄・繁茂」が原義。転じて、日・月のエネルギーを受けて実る農作物を言う。
  • 『刈り納む (かりおさむ)』ここでは一応「刈り取って納税する」の意に取ったが、「刈り収む」で、単に「収穫する」の意かもしれない。
  • 『工 (たくみ)』「た (手)」+「くみ (組み)」。手工業者。
  • 『商人 (あきど)』は「あく (散く・分く)」+「と (人) 」。「あく」は「わく (分く・別く)」の変態。分配・流通を業とする者。
  • 『曽孫・玄孫 (ひこ・やさご)』君を親とすれば、臣は子、民は孫、工人は曾孫、商人は玄孫 だと言う。 「士農工商」の順位はこの頃からすでに存在したことが窺える。
  • 常に思い重えよ。(君や臣と同様に) 陽陰の法を備えて心身を治めながら、耕して作物を植え蒔き、草を切り、収穫しては上納する身の民は我が孫ぞ。工人・商人は我が曾孫と玄孫なるぞ。


『天地法を得て身 (実) を治む』 -心と身/陽と陰の調和-

天地法 (陽陰法) とは、「人」=「魂+魄」=「陽+陰」ということである。
人は「相反する両極端の融合」ということで、これには2段階の意味がある。
一つは、人間は「心と肉体の融合」ということである。この意味では「魂=心」「魄=肉体」の意で使われている。
もう一つは、人間の心も「魂と魄の結合」ということである。この意味では「魂=陽の霊」「魄=陰の霊」の意で使われている。したがって「心」=「魂+魄」=「陽霊+陰霊」であり、またそれは「神」の定義でもあった。

陽陰 (心と肉、また陽霊と陰霊) のどちらかに傾くことは「曲り・ねじけ」を意味し、陽陰が中和して偏りが無い状態を「直ぐ」というのである。
だから「身/実を治む」とは「心と体の調和」と「心を構成する陽霊と陰霊の調和」を取って「直ぐ」を保つことを言うのである。これは「上下の極端を排して中道にあれ」ということでもある。
また相反する物の調和は「自と他の調和」「個と社会の調和」にも発展する。 

以後アマテルは「マス鏡の道」を始めとして、さまざまな観点からこの「両極端の調和」について説明してゆくのである。

「人」=「心+体」=「陽+陰」
「心」=「魂+魄」=「陽+陰」=「日+月」=「天+地」=「上+下」
   =「神」
「一極への傾き」=「曲り・ねじけ」
「両極の調和」 =「直ぐ」

 
 


『物 知るとても 蠢かで 調の導きに 居らざらんをや』


  • 『物知る (ものしる)』「民に比べれば多少物事を学び知っている」という意。
  • 『蠢く (うぐめく)』は「うく (浮く)」+「めく」。「めく」は「むく (向く)」の変態で、ここでは「浮く」と同義。「浮き浮きする・浮き立つ・沸き立つ・舞い上がる」などの意で、意味もなく活発になることを言う。
  • 『調の導き (とのみちびき)』「とのをしえ (調の教え)」とも呼ばれ、「調和の道に導くこと」「調和の恩恵を教えること」を言う。これを民に施すのが臣の仕事だと言っている。
  • 『居らざらんをや (ゐらざらんおや)』「どうして (そこに) 居られぬのか」の意。「をや」はここでは反語。「ゐる」は通常、上一段活用だが、もともと「おる (居る)」「ある (在る)」の変態なので、ここでは四段に活用させている。
  •  (臣たる者は) 多少物事を知っていても浮き立つことなく、民を調和の道に導く立場に常に身を置かねばならない。



『我 見るに 治まる世は 名の聞こえ 人の心端 およそ濃し 表に努め 裏 安む』

  • 『治まる (をさまる)』「をさむ (治む)」から派生した自動詞形。「調和してまとまる」の意。
  • 『世 (みよ)』は「みゆ (見ゆ)」の名詞形で、「みゆ」は「合わす・まとめる」の意。「みよ」は「(他と区別される) まとまり」の意で、ここでは「時代区分」を言う。よって「よ (代・世)」と同じである。「み (御)」+「よ (代・世)」として尊意を付す場合もある。
  • 心端 (こころば)は多義であるが、ここでは「人の心情・人情」の意。
  • 『表 (あらは)』 は「あらわる (現る) 」の原動詞「あらふ」の名詞形で「現れるさま/もの/所」の意。辞書には「顕・露」とある。ここでは「(観察者に) 現す側」の意で「表側・外側」を表す。
  • 『努む (つとむ)』は「(心血を) 注ぐ」「精を出す」の意。
  • 『裏 (うら)』は「視界から外れる部分・見えない部分」を言い、「内・中・奥・心・本質」などを表す。
  • 『安む (やすむ)』は「和す・収まる」が原義で、「凸凹が和して平らになる」「荒波が凪いで静まる」「緊張が和らいで緩む」などの意。
  • 我が見る所、治まっている世では人の良い評判が聞こえ、人情もおよそ濃い。また表向き精を出す反面、心は静かで安らいでいる。


『中に一人は 裏なくて 天地 領る木々の 花も実も 我が身の道と 知らざらめ 犯し隠すも 天地が知る』

  • 『裏なし (うらなし)』「うら (裏)」+「な (なる)」+「し (如)」。「うら」は「うる (失る)」の名詞形。「うる」は「離れる・それる・外れる・裏切る」などの意。よって「うらなし」は「外れるさまである・裏切るさまである」などの意。
  • 『天地 (あめ)』=「陽陰」=「日月」=「空風火・水埴」
  • 『領る (しる)』は「知る」と同じで「占める・治める・支配する」などの意。「しむ (締む・占む)」「すふ (統ぶ)」などの変態。
  • 『天地 領る木々の花も実も (あめしるきぎのはなもみも)』
    陽陰が木草を支配しているので、その花も実も陽 (空・風・火) と 陰 (水・埴) の随であることを言っている。
    『埴 受くる 空・雨水 成る 草木  空は助く 水 冷やす 埴は穢れ 直る 花も実も 陽陰の随なり』ホ15文
  • 『知らざらめ』「め」は、推量・意志の助動詞「む」の已然形。「知らないのだろうが」の意。
  • 『犯す (おかす)』は「よごす (汚す)」の変態で、「低める・穢す・辱める」などの意。 だから「罪を犯す」という言い方は「頭痛が痛い」に似て、実はおかしいのである。
  • 『隠す (かくす)』は「かく(交く/離く)」からの派生語で、「囲う・覆う」「(人目から) 離す」「曲げる・偽る」などの意。
  •  (そんな) 中にも一人ぐらいは必ず外れる者がいるものである。木々の花も実も陽陰 (空風火・水埴) が支配していることは知っていても、それが自分にも当てはまるということを知らないのだろうが、罪を犯してそれを隠したところで天地はしっかり知っているのである


『空は天の 心端の 常に巡れど 見えなくて 水の巡りを 見る如く 空は見ゆる』

  • 『空 (うつほ)』は「一見何もないさま・空間」また「空間を満たす見えない気・空気」の意。ここでは「地球を取り巻く大気」と考えていいだろう。
  • 『天の心端 (あまのこころば)』
    心端は、ここでは「中心の本体から発する伝達ネットワーク」の意。
    「天」=「陽」。よって「天の心端」は「陽の本源 (太陽) から発する伝達ネットワーク」の意で、これはすなわち「風」を指す。
  • 『水の巡りを見る如く』頭に「魚が」を足して読んでくだされ。
  • 『空は見ゆる』頭に「人には」を足して読んでくだされ。
  • 地球を取り巻く大気には、陽の本源 (太陽) から発する伝達ネットワークが巡っているのだが、人には見えない。魚が周囲の水の巡りを存在感なく見るのと同じように、人は大気を見るわけである。


『魚の目と 代わる人目の 裏鏡 左に持てば 右に見え 左へ遣れば 右に行く 向ふへ遣れば 前に寄る 皆 翻る この鏡 何のためぞや』

  • 『裏鏡 (うらかがみ)』とは、2枚で1組となる「マス鏡 (真澄鏡)」の「表鏡」と対になる鏡。「裏鏡」は、2枚の鏡を使って後姿を見る時に背後に配置する鏡である。2枚の鏡は単独では意味をなさず、連動することが前提となっているので表裏一体である。
    ここでは水中にある「魚の目」を「表鏡」に、それを見下ろす地上の「人の目」を「裏鏡」に喩えて、魚と人の認識の違いを確認させている。
    それによってアマテルは、「人の目 (肉体の目)」を「表鏡」に、「神の目 (心の目)」を「裏鏡」にシフトさせて肉体と心の認識の違いを推し量れ、と促している。
  • 魚の目に見えないものが見える人の目は、まるで裏鏡である。左に持てば右に見え、左へ遣れば右に行く。向うへ遣れば前に寄る。皆ひっくり返るこの鏡は一体何のためぞや。


『正に聞け 元々明の ミヲヤ神 側のトホカミ ヱヒタメの 八元の神に 守らしむ 人の根隅は 天並神 三十二の神の 見目・形』

  • 『元々明 (もともとあけ)』根源神「アメノミヲヤ (アウワの神)」と、これから分れた陽陰48神を合せて「元明 もとあけ)」と呼ぶが、アメノミヲヤと「ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ」の八元神の合せて9神を、「元明の元」という意味で「元々明」と言う。また「アメトコタチ (天常立神)」とも「こほし (九星)」とも呼ぶ。
  • 『根隅 (ねこえ)』 は「元と末・内と外」の意で、ここでは「内蔵と外殻」を表す。他にも「音声」として「親と子・伸音と衰音・母音と子音」を表す場合もある。つまり「天並神は人の内臓と殻を守る」ということを言っている。
  • 『天並神 (あなみかみ)』ア・イ・フ・ヘ・モ・ヲ・ス・シ」の8神。「天均神 (あなれかみ)」とも言う。
  • 『三十二の神 (みそふのかみ)』 残りの32神。「タミメヒコ」とも言う。
  • まっすぐに直く聞け。元々明のアメノミヲヤは、側に座す「ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ」の八元神に (人の寿命を) 守らせている。人の内臓と体格は天並神、見目形は三十二の神に守らせている。

    『ミヲヤの傍に 八元神 守る トホカミ ヱヒタメの 兄弟の寿 天均神 根隅 授けて 三十二神 見め形 成す』ミ6文

フトマニ図3 

『十六万八千の モノをして 人の魂・魄 喜ばす 時に求むる 生れ付き 十六万八千に 品 変る』

  • 『十六万八千のモノ (そむよろやちのもの)』人は世に生まれる時、天元神がその人に守 (もり) を付ける。この守を「本つ神の留守 (もとつかみのたえもり)」あるいは「本守 (もともり)」と言う。本守は魂の緒を世に下し、それに16万8千のモノ (精霊) を添える。その魂の緒が魂と魄を結い合わすことによって人は世での生命を得るという。
  • 『喜ばす (よろこばす)』は「高める・栄す・優れさす」などの意。
  • 『求むる (もとむる)』は「もとむ」の連体形。「もとむ」は「合わす・備える・調える」などの意。
  • (天元神の付ける本守は魂の緒に) 16万8千の精霊を添わせて人の魂魄を栄しにぎわす。だから人に備わる生れ付きは、添う16万8千の精霊の種類によってさまざまに変化する。


『青人種の 悉く アメノミヲヤの 賜物と 守らぬは無し』

  • 『青人種 (あおひとくさ)』未熟だが成長して人となる可能性を秘める「人の種」の意で、「民」の別称。
  •  (しかし) 発展途上にある民を含めて人類はそのすべてが、アメノミヲヤの下したものであるので、(たとえ罪人といえども) 元明の神々の守りを受けぬ者などただの一人もいないのである。



参考サイト:http://gejirin.com/hotuma17.html
     :http://gejirin.com/mitinoku.html




ホツマツタエのおもしろ記事(94)『八咫鏡2』

2013-03-16 02:32
ホツマツタエのおもしろ記事(94)  八咫鏡

ホツマツタエ17章『神鏡ヤタの名の文』全文解釈 その2


『これで人実を 抱かんと 丸めて 径 二尺 垂る 鏡は宮の 実柱に 神を招くの ヤタカガミ』


  • 『これで人実 を抱く (これでひとみおいだく)』「これ」は「8尺」あるいは「8尺基準の尺度」。「人実 (ひとみ)」は「人の本質・人の心」の意。「抱く」は、ここでは「合わす・つかむ・包む」の意。
    だから「これで人実を抱く」は「8尺で人の心を把握する」の意。
    「人=ヤタミ (8尺の身) 」を8尺で把握するのだから、「人の心=8尺の実」も8尺で把握しようという言霊的 (語呂合わせ的) な発想と考える。
  • 『丸む (まろむ)』は、一つは「まろぶ (転ぶ)」の変態で、ここでは「曲げる・廻す」の意。もう一つは名詞の「まる (丸・円)」の動詞化。「まる」は「満ち至り」や「満ち至った形 (太陽や満月の形)」を表す。 なぜ日月の形にするのかというと『人は元 ナカゴ・心端 日月なり (ホ15文) 』だからである。
  • 『径 (わたり)』は「わたる (渡る)」の名詞形「わたり (渡り)」。「(最遠の) 2点を渡る隔たり」を言う。 180÷3.14=57cm。57÷22.5=2.5尺。
  • 『垂る (たる)』は「下る・落ちる」の意であるが、ここでは「あふれ落ちる・こぼれ落ちる」の意から、「余る」の意を表す。
  • 『宮 (みや)』は「みゆ(見ゆ/熟ゆ・上ゆ・斎ゆ)」の名詞形で、「合わせ・収める器」「治め・政」「和合・集積」「中心・中央」などの意を重ね持つ。ここでは「中心 (都) にあって八方を治める君を収める器」の意。
  • 『実柱 (みはしら)』中軸。「実」は「中心・核心」の意。ここでは「宮の中央に立つ中柱 (大黒柱)」を言う。この天君の宮の中柱は「天地届く御柱」の地の側の出口になっていると推察している。天地届く御柱は陽と陰、また天と地とを連絡しており、天の陽・陰エネルギーを御柱の管 (九の輪) を通して精霧として地に運ぶ。この陽エネルギーと陰エネルギーのバランスによって四季が生じる。
  • 『神 (かみ)』は、ここでは「陽と陰が分離している非物質の状態」を言い、「神=上下(かも)=陽陰=日月=天地」である。詳しくは『魂魄と魂の緒』を参照。
  • 『ヤタカガミ』ここでの「ヤタ」は、円周が「8尺」の意と思う。「カガミ」は、ここでは「かが (明暗)」+「み (見)」で、「明暗を合わすもの」の意。「明暗」は「陽陰・日月」と同義であり、これは上に見たように「神」の定義である。よって「カガミ」は「神を合わすもの」であり、「神を招く」という本文はこの「カガミ」の意味を説明しているのである。
  • 8尺で人の心も把握しようと、日月の形に丸めるとその直径は2尺余りとなった。その鏡が宮の中柱に神を招く「八尺明暗見 (八尺陽陰見) 」である。
    この鏡が三種宝の「八咫鏡」そのものであろうと推察する。


『いま 径 尺の 円鏡 当てて八尺身の 心 入る ヤタのカカミの 名に因る名』

  • 『いま』ここでは「今一つ」の「いま」で、「合せて・加えて・また・さらに」の意。
  • 『尺 (た)』「1尺」を表す。
  • 『円 (まる)』は「まる (満る・全る・真る)」 の名詞形。「満ち至り」や「満ち至った形 (太陽や満月の形)」を表す。「まろやか」の「まろ」も同源。
  • 『八尺身 (やたみ)』ここでは「八尺の身」である「人民」を言う。
  • 『ヤタのカカミ』「ヤタ」は、ここでは「やたみ (八尺身・八尺実)」に同じ。すなわち「人民・人民の心」を指す。「カカミ」は、ここでは「かこみ (囲み)」や「かかえ (抱え)」の変態。「ヤタのカカミ」は「八尺の囲み」で、「人民・人心の把握」という意。
  • さらに直径1尺の円鏡を以て、そこに八尺身の心を入れる。だから「ヤタ」というのは「八尺実の囲み (人心の把握)」という名に因る名でもある。


『我 聞く '往にし 守'の屋は "ム" のタミメより ムロ屋 建つ 民に教えて 屋根を成す また"ヤ" のタミメ 社 成る』

  • 『往にし守 (いにしかみ)』は「昔の守」の意。「守」は「束ねる者・治める者」の意。クニトコタチ (国常立尊) を指す。
  • 『屋 (や)』は「いゑ (家)」の変態「いや (居屋)」の約。「いゑ・いや」は「いる (入る・居る)」の変態「いゆ (入ゆ・居ゆ)」の名詞形。「いゆ」は「合わす・収める・在る」などの意。
  • 『タミメ (手見め)』は「手を組み合わすこと」を言う。手を組み合わせた造形で陽陰の48神を表現したもので、「手印 (しゅいん)」とか「印相 (いんぞう)」などとも言う。タミメを平面状に押し写したものがヲシテ (押手) である。
  • 『ムロ屋 (むろや)』詳しくは不明であるが、洞穴のような原始的なものではなく、少なくとも柱と茅葺の屋根を備えたものであった。クニトコタチは「ムロ屋の神」とも呼ばれる。
  • 『屋根 (やね)』は、ここでは「屋の根」で「家の根源・住まいの起源」の意。
  • 『社 (やしろ)』「や (弥・斎・敬)」+「しろ (代)」。「しろ」は「区分・区画」の意。「やしろ」は「尊い区画」という意で「やかた (敬方)」と同義。ここでは上流階層が政を執る政庁舎を言う。
  • 我は聞いている。往にし守クニトコタチの住み家は、「ム」のタミメを結ぶことで「ムロ屋」が建った。それを民に教えて住まいの起源となす。また「ヤ」のタミメによって「ヤシロ」が建った。


『いま宮・殿に 民を治す 養つは弥方ぞ』

  • 『宮・殿 (みや・との)』「宮」「殿」は、どちらも「高み・中心」が原義で、「政庁・政殿」を意味する。基本的には、中央の政庁や大都市の比較的規模の大きな政庁を「宮」と言い、地方の比較的小さい政庁を「殿」とか「館 (たち・やかた)」などと言うようだ。
  • 『治す (たす)』は「調える」が原義で、「世話する・保つ・直す・教える」などの意。
  • 『養つ (やつ)』は「やしなふ (養う)」の原動詞「やす (養す)」の変態で、これも「世話する・保つ・直す・教える」などの意。だから「やつ (養つ)」は「たす (治す)」の同義語なのである。そして「やた」とは、この「やつ (養つ) 」の名詞形でもあると言っているのである。
  • 『弥方 (やかた)』は「や (弥・敬・上)」+「かた (方)」。「や」は「いや (弥・敬)」の短縮で、「うえ (上)」「うや (敬)」「みや (宮・雅)」と同じく「高み・中心」の意。「かた」は「区分・区画・階級」などの意。よって「やかた」は「上流階級・主導的階級・お偉方」などの意で、「上方 (かみがた)」「親方 (おやかた)」などと同義。そして彼らが政を執る所が「宮・殿・館」である。
  • そして今は宮や殿に民を治めている。治めるとは養い育てて調えることである。民にそれを施すのは上流にある階層 (君と臣)であるぞ。 (「ヤタ」とは「養育」の意でもあるのだ。)


『"タ" のオシテ 三光 円の 内に入る 足り助く法 天と父 上下 反す "ラ" のオシテ 地と母法』

  • 『オシデ』は文字の原点であるタミメ (手印・印相) を平面上に押し写したもので、文字・文書・称号・証書などを表す。
    単独の文字を意味する場合、48の各1文字は陽陰四十八神の別名であるので、敬意を表して「シテ」と通常は表記するが、ここでは四十八神より上位にあるアマテル自身の発言であるため「シテ」と記されている。
  • 『三光 円の内に入る (みひかりまるのうちにいる)』
    「タ」のヲシデの形状の描写。→ 図  
    「三光」とは「タの尊」が招く「三陽」を指す。この「陽」は「天の精霧」を言うのであるが、説明は長くなるので別の機会に。
  • 『足り助く法 天と父 (すくのり あめとちち)』
    三陽が射して地球を「足り助く」のは「天と父」(=陽) の属性である。
  • 『上下 反す "ラ" のオシテ (うえしたかえす)』
    上下を逆にする「ラ」のオシデ。→ 図
  • 『地と母法 (つちとははのり)』
    「ラ」は、受けた三陽の恵みを延べて育む「地と母」(=陰) の属性である。
  • 「タ」のオシデは「三陽」が円 (地球) の内に入る。これは「足らし助ける」ことを意味し、「天と父」の属性を表している。上下を逆にした「ラ」のオシデは、受けた三陽の恵みを延べて育む「地と母」の属性を表すものである。 (だから「父母」を「タラ」というのである。)

    参考:
    『天より至き 地に編みて 連なり育つ 子の例 父の恵みは 頂く天 母の慈し 載する埴』ホ16文
    [ 天 (陽) より大いなる恵みを地 (陰) に浴びせ、地はそれに呼応共鳴し、天地 (陽陰) が連合して子を育てるという陽陰協働の例である。父の恵みは上に頂く天からのもの、母の慈愛とはその恵みを受けて育む大地となることである。]


『親が子を 孕めば 乳 足る 父・母は 実に足乳根よ "タ" もヲシも 乳無きの親よ』

  • 『孕む (はらむ)』は「はる (貼る)」から派生した動詞で、「合わす・交える・重ねる」などの意。
  • 『乳足る (ちたる)』「乳を足らす・乳を与える」の意。「ち (乳)」は「ち (霊・精・血)」と同源。人体に宿る命の精髄という意で、人の血や乳はその顕れと考えられていたらしい。「シム」とも言う。
  • 『実に (げに)』「このように・かように」「確かに」の意。「け」は「しか (如・然・確)」の転。
  • 『足乳根 (たらちね)』は「たら (足る・養る)」+「ちね (繁ぬ)」で、「養い育てる者」という意。また「たら」は「陽陰・男女」の意を持つ。「たらち」「たら」とも言い、個別に母を「たらちめ」、父を「たらちを」とも言う。
  • 『"タ"』上述の「す (す) こと」「すく (く) こと」を指す。
  • 『ヲシ』は「をさめる (治める) 者」「をしえる (教える) 者」を指す。
  • 『親 (タラ)』「たらちね」に同じ。ここでは足らし養う「養育者」の意。
  • 親が子を作れば乳を与える。その意味で父と母は確かに足乳根よ。しかし「タ」(治し・足し・助) も「ヲシ」(治む者・教える者) も乳こそ与えぬが、養育するという点ではやはり親である。


『鑑みて 助くる民は 子の如く ヤタは公』

  • 『鑑む (かんがむ)』は「かんがふ (考ふ)」の変態で、それぞれ「かかむ」と「かかふ (抱ふ・考ふ)」の音便である。 これらは「合わす」の原義から「写す・比べる・匹敵させる」などの意を派生する。「かかむ」の名詞形が「かがみ (鏡)」である。
  • 『ヤタ』「やつ (養つ)」の名詞形で、「養育」の意。
  • 『公 (ををやけ)』「ををや (大)」+「け (如・然)」。「ををや」は「ををい (大)」の変態で、「高み・優れ・至り・中心」などの意。「け」は「しか (如・然・確)」の転。よって「ををやけ」は「上位・上流にあるさま・中心的なさま」の意で、「やかた (弥方)」「お偉方」「上方」などと同義。また「ををや」は、上流という点で「をや (親)」「たら (親・父母)」とも同義であることを記憶されたい。
    また「ををやけ」は、「上から下、中央から周辺に流れて全体に覆い、普遍となっているさま」の意味もある。ここでは両方の意味を使っている。
  • そのことに照らして考えれば、養う (治して足して助ける) 民は、自分の子と同じである。(よって父母が当然に自分の子を養い育てるように、) 上流にある階層 (公方) が自分の民を養い育てるのは普遍的な当然 (公然) である。



『往にし守 作り 授くる 経・矛 あり 経は調ふる オシテなり』

  • 『往にし守 (いにしかみ)』「いに (往ぬ・去ぬ)」+「し」+「かみ (守)」。「いぬ」は「去る」の意。「し」は「しく (如く)」の連体形「しき (如き) 」の略。「~如くの」の意を表す。「守」は「束ねる者・治める者」の意。「往にし守」は「昔の守」の意で、クニトコタチを指す。
    現文法では「し」は、過去の助動詞「き」の連体形とされるが、そうは思わない。この時代には明確な時制の表現は存在しなかったと考えている。
  • 『経・矛 (と・ほこ)』調和と秩序を実現するための2大手段。具体的には法と警察力。「と」の語源は解明できていないが「たて (立て・経)」と同義と考える。「たて」は「上から下への筋道」で、それは宇宙の大原則の一である。辞書には「法則・おきて」とある。「とのち (調の道)」の「と」とは異なるので注意していただきたい。
    「ほこ」は「ほく」の名詞形で、「ほく」から「ほぐす (解す)」が派生する。「ほこ (矛)」は「離すもの・分けるもの・切るもの」の意。
  • 『調ふるオシテ (ととのふるおして)』「世を調える言葉/文書・調和を実現する言葉/文書」の意で、すなわち「経・掟・法」。
  • 古のクニトコタチが創り代々引き継いだ「経と矛」というものがある。「経」とは、世を調える文書である。


『二神 受けて 親となり 民を我が子と 育つるに 篤く教えて 人と成す』

  • 『二神 (ふたかみ)』イザナギとイザナミの夫婦。オモタル・カシコネを最後にクニトコタチから続く皇統は途絶え、神代の日本は滅びる。その後に天つ君となった二神は、何もかも始めからやり直さなければならなかった。二神は、退廃した日本に再び「経矛の道 (法と戒の道)」を敷き、臣民を指導し、産業を復興させてゆく。
  • 『親 (をや)』この親は「民の親」であり、「公 (ををやけ)」の意。
  • 『人 (ひと)』は、ここでは「あおひとくさ (青人種)」「ひな (雛)」に対する意味で、「一人前の人間」の意。
  • 二神はその「経・矛」を引き継いで、民の親 (公) となる。民を我が子と思って育てるにしても、丹精を込めて教えて、「青人草」を「人」にしようとした。


『教えても尚 逆らはば 討ち綻ばせ 罪・咎の 直しも 遠き 天と地 届かぬことを 思ふなり』

  • 『綻ばす (ほころばす)』は、「ほく (解く)」+「ころぶ (転ぶ)」+「す (為・使役)」の合成。「す」は「さす・しむ」簡略形なので活用は下二段形となり、「ほころばせ」は連用形と思われる。
  • 『罪・咎 (つみ・とが)』「つみ」は「つひ (費・弊・潰・墜)」の変態。「低まるさま・劣るさま・衰えるさま」などの意。「とが」は「どく (退く)」の名詞形で、「退けるべきこと・忌むべきこと」の意。「どく (毒)」の変態。
  • 『直す (ただす)』は「(曲りを) まっすぐにする」の意で「正す」と同じ。
  • 『遠し (とおし)』「とほ」+「し (如)」。「とほ」は「たふ (絶ふ)」の変態で「離れる・去る」の意。
  • 『天と地 (あめとつち)』ここでは「上と下」「上流階級と下流階級」「貴と賤」「君臣と民」などの意。
  • 『届く (とどく)』は「とつ (閉づ)」からの派生語で「(2点間を) 合わす・閉じる・結ぶ・つなぐ」などの意。
  • 『思ふ (おもふ)』は「おふ (負う)」の変態「おむ」からの派生語。「(心・意識に) 合わす・負う」の意。
  • 教えてもなお逆らう場合は、討ち綻ばせて罪・咎を正すが、意識の隔たりが大きい上流階層と下流階層では、互いに意の通じ合わぬことをつくづく思うのである。



参考サイト:http://gejirin.com/hotuma17.html
     :http://gejirin.com/mitinoku.html




ホツマツタエのおもしろ記事(93)『八咫鏡1』

2013-03-14 15:12
ホツマツタエのおもしろ記事(93)  八咫鏡



「ヤタ鏡 (やたかがみ)」は、皇位継承の証として受け継がれる「三種宝」の一つである。「ヤタ」は非常に深くて広い意味を持っていて、「八咫」と当てられた漢字からは、ほとんど何も読み取ることはできない。

ホツマツタエの17章『神鏡ヤタの名の文』は「ヤタ」の意味の説明に当てられた章である。この章は臣たちの質問にアマテル自身が答えるという形をとっており、ホツマツタエのクライマックスとも言える章である。
「ヤタ」の意味を知ることは、世のまつりごとに対するアマテルの心を知るということに等しく、それが理解されることなくしてはホツマツタエの存在意義は著しく減じられると言って過言ではない。ホツマツタエの真骨頂は歴史を語ることではないのである。またこの章を理解することなくては、他の記事の真意を読み取ることもできない。それほどに重要な章である。

しかしながらその難解さも群を抜いている。使われている言葉自体は現代のものと大して違わないのであるが、意味が通じない。アマテルの発言というのは、言葉自体は易しいが意味は非常に深遠難解で、昔の首相が言った「言語明瞭、意味不明」みたいな所があるのである。だから言葉の意味を考える場合には語源レベルにまで逆上る必要がある。またこの世的な知識だけでは無理があって、あの世レベルで考えなければならない。

このページからシリーズで『神鏡ヤタの名の文』全文の解釈を試みたいと思う。
が、はたしてどこまで真意に迫れるものだろうか。
あらかじめ『天地創造』『真澄鏡』『妹背鈴明1~6』『魂魄と魂の緒』『人の発生1~4』を読まれることをお薦めしたい。



天地も 内外も清く 平る時に 大内に侍る 臣・民も ヤタの鏡を 拝む時 アマノコヤネが 謹みて "ヤタ" と名付くる 故を請ふ

  • 『天地 (あめつち)』ここでは「上と下」の意で、「あの世とこの世」「神と人」「貴と賎」などを総合して表す。
  • 『内外 (うちと)』「中と端」の意で「中心と周辺」「中央と地方」などを総合して表す。「天地」とほとんど同義と考えて良い。「天地内外」で「すべて・万物万象・全宇宙」を意味する。
  • 『清し (きよし)』は「きわむ (極む)」の原動詞「きゆ」が形容詞となったもので、「優れ極まるさま」を表す。 「清く」はここでは副詞として「平る」を修飾する。
  • 『平る (なる)』は「凸凹が中和して平均する」という意で、原義は「和す・融和する・調和する」である。
  • 『天地も内外も清く平る時に (あめつちもうちともきよくなるときに)』
    「万物万象が至って調和する時に」の意で、その調和を実現する「天地つ日月の君」 (特にアマテル) を称える冒頭の決まり文句。
    類似の表現として『天地の平けし時に』ホ序 『天地も内外も清に徹る時』ホ14文 『天地も和けき時に』ホ15文 『天地も内外も清く徹る時』ホ23文 などがある。
  • 『大内 (をうち)』イサワ宮・東殿の大内宮を指す。天の九座の中御座 (アウワの座) に相当し、皇居・内裏を意味する。
  • 『侍る (はべる)』は「はぶ (侍ぶ)」の連体形。「はぶ」は「はむ (食む・嵌む)」の変態で「合わす・添う・付く」が原義。ここでは「(心・身を) 添える」の意で「つかふ (仕ふ) 」と同義。
  • 『拝む (おがむ)』は「おく (置く/熾く)」から派生した動詞で「合わす」と「高める」が原義。「(目に) 合わす」という意と「敬う・尊ぶ」という意に分かれるが、通常は融合して「尊び見る」の意に使う。
  • 『アマノコヤネ』天児屋命
  • 『謹む (つつしむ)』は「(心・身を) 合わす・直す」が原義で「心する・気を付ける・心を正す」などの意。
  • 『故 (ゆえ)』は「ゆふ (言う)」の名詞形で、「いゐ (謂)」「い (謂・意)」「あや (文・綾)」「ゆえん (所以)」「いわれ (謂れ)」などの変態。
  • 『請ふ (こふ)』は「交ふ・乞ふ・恋ふ・媚ふ」で「(心を) 寄せる・執着する・欲す」の意。
  • 上も下も中も端も、すべてが全く調和する時に、皇居に仕える臣や民もヤタの鏡の拝観を許された際、アマノコヤネが謹んで「ヤタ」と名付ける理由を尋ねる。


時に天地照る 御言宣
『ヤタは八民の 元の丈 往にし代 作る 間計りは 八十万人の 均れ丈を 集め計りて 一坪を 今の一間の 物差ぞ』


  • 『天地照る (あまてる)』ここでは「天も地も照らして恵む」 の意。要は「素晴らしい・ありがたい」という意味で、次の「御言宣」を修飾する。
  • 『御言宣 (みことのり)』は「ことのり (言宣)」の尊敬語で、アマテルと天君の専用語。「のり (宣)」は「のる」の名詞形。「のる」は「のぶ (延ぶ・述ぶ)」の変態で、「放つ・延ばす・広げる」の意。
  • 『八民 (やたみ)』は「八方の民・八州の民・全国の民・万民」の意。
  • 『元 (もと)』は「もどる (戻る)」の原動詞「もつ」の名詞形で、「もつ」は「おつ (復つ)」の変態。
  • 『丈 (たけ)』は「たく (長く)」の名詞形で、「たか (高)」の変態。
  • 『往にし代 (いにしえ)』「いに (往ぬ・去ぬ)」+「し」+「え (方)」。「いぬ」は「去る」の意。「し」は「しく (如く)」の連体形「しき (如き) 」の略。「~如くの」の意を表す。「え (方)」は「区分」を表し、ここでは「時の区分・時代」を言っている。
    現文法では「し」は、過去の助動詞「き」の連体形とされるが、そうは思わない。この時代には明確な時制の表現は存在しなかったと考えている。
  • 『間計り (まばかり)』水平方向の距離・広さを計るもの。
  • 『八十万 (やそよろ)』80万。ここでは「非常に多い数」の意。
  • 『均れ丈 (なれたけ)』平均身長。「なる (均る) 」は「なる (平る) 」と同じ。「凸凹を和して平らにする」の意。
  • 『一坪 (ひとつぼ)』「つぼ」は「つめ (詰め)」の変態で、「収めるもの・うつわ」の意。「ひと」は「一」ではなく元来は「人」だったのかもしれない。「ひとつぼ」は「一人の人を収める器」の意。
  • 『一間 (ひとま)』今に言う「いっけん (一間)」で、約180cm。この数字は時代によって変化したという話をあまり聞かないので、当ブログでは「1間=180cm」を体系基準にしている。
  • 『物差 (ものさし)』さす」は、ここでは「合わす・比べる・匹敵させる」の意で「計る」と同義。「物に合わせて比べる道具」。
  • ヤタ (8尺) とは万人の元の身長であった。往古に作った広さを計る単位は、非常に多くの人の平均身長を集計して、両手を広げた男1人が収まる縦横を「1坪」として物差とした。これが今の「1間」である。


民の平均身長が8尺だったことは他の箇所にも書かれている。
『我が生れ付き 身の丈も 一丈六尺あり 力業 八尺の人等の 万引きの 岩をも投げて』ホ16文
『丈 八尺は 八十万 男の子 均れ丈ぞ』ホ16文



『この間計りを 八段 分け これに日・月の 二尺 増し 万の人柄の 高計り』

  • 『八段 (やきだ)』「きだ (段)」は「かつ (割つ)」の変態「きつ」の名詞形で「分け・割れ・分割」の意。「かた (方)」「きず (傷)」「ぎざぎざ」などの変態。
  • 『日・月 (ひつき)』この日・月は「2」という数を引き出すためのもので、重要な意味があるとは思えない。
  • 『尺 (た)』は「た (手)」が原義。身長を8分割した長さは、ほぼ手の指を目一杯広げた時の親指と小指の先端の間の距離となる。この2指を使って寸法を測る動作に似た動きをする虫が「尺取虫 (しゃくとりむし)」なのだろう。これはまた手の付け根から中指の先端までの長さにほぼ等しい。180÷8=22.5cm。
  • 『万 (よ)』は「いよ (弥)」の簡略で「よ (余)」や「よろ (万)」と同じ。この意味の場合は「世にも恐ろし」など「世」の字を当てる場合が多い。
  • 『人柄 (ひとがら)』「から」は「殻」で、「入れ物・器」の意。ここでは魂魄の入れ物である「からだ (体)」を指す。
  • 『高計り (たかばかり)』水平方向の距離を計る「間計り」に対して、垂直方向の距離 (高さ) を計るもの。
  • この間計り「間」 を8分割して「尺」とし、1間に日・月の2尺を加え、万人の身の高さを計る基準単位の「丈 (たけ)」とした。
     1間=8尺=180cm。1丈=10尺=225cm。


『尺を十断 切り 寸と名付く 民はヤタなり』

  • 『断 (つだ)』は「つつ」の名詞形で、「つつ」は「たつ (断つ)」の変態。「つつ」から「つづむ (約む)」が派生し、「つづむ」の変態が「ちぢむ (縮む)」。また「つだ」は「ずたずた (寸寸)」の変態でもある。
  • 『寸 (き)』は「きる (切る・限る)」から来ている。「亀裂」の「亀 (き)」も同じ。
  • 『名付く (なづく)』は、元来は「名を付ける」の意ではなく、「なつく (懐く)」である。「なつく」は「なづ (撫づ)」+「つく (付く)」の合成で、どちらも「合わす・付ける」の意。
  • 『民はヤタなり (たみはやたなり)』1. 民の身の丈は8尺だったのである。2.「ヤタ」の意味の一つは「民」なのでる。
  • 「尺」を10分割して「寸」と名付ける。「ヤタ」は一つには、身の丈8尺の民を意味するのである。


『高計り 火・風・埴・水 四つに分け 空の一つ 継ぎ合せ 天の回りの 環差』

  • 『火・風・埴・水 (ほ・かぜ・はに・みづ)』『空 (うつほ)』
    天と地をつくった5元素。陽陰の分離精製過程で、軽く上った陽は「空・風・火」に分れて天となり、重く下った陰は「水・埴」に分れて地となる。詳しくは『天地創造』を参照。
  • 『天の回りの環差 (あまのめぐりのまかりざし)』
    暦を作るために天体の位置を測るのに使ったと思われる、環形の物差。簡単にいえば分度器か。「環 (まかり)」は「まく (全く・真く)」から派生した「まかる」の名詞形で、「満ち至り」を意味する。また満ち至りを表す形として、太陽や満月の「真円」を意味する。類語として「わっか (輪っか)」がある。
  • 1丈の高計りを「火・風・埴・水」の4つに分割し (225cm÷4=56cm) 、「火+風+埴+水」の225cm に「空」の56cm を継ぎ合せて281cmとし、それをを丸めて天の回転を計る環差とした。



参考サイト:http://gejirin.com/hotuma17.html
     :http://gejirin.com/mitinoku.html




ホツマツタエのおもしろ記事(92)『常陸帯』

2013-03-12 04:06
ホツマツタエのおもしろ記事(92)  常陸帯



「常陸帯 (ひたちおび)」とは、妊娠5ヶ月から着用する妊婦帯で「孕みの帯 (はらみのおび)」「岩田帯 (ゐわたおび)」「さつさ腹帯 (さつさはらおび)」「狭布の細布 (けふのほそぬの)」「狭布の帯 (けふのおび)」また「女男羽二重 (めをはぶたえ)」などとも呼ばれるが、どれも同じものである。

アマノコヤネの妻「ヒメ (比賣神)」はコヤネの子を身籠り、医学に詳しいコモリ (子守神) は担当医として鹿嶋に居る「ヒメ」を往診する。ある時ヒメはコモリに尋ねる。



ある日 ヒメ上 またの問ひ
『押えの帯は 技 ありや』
ホ16文

  • 『ヒメ上 (ひめがみ)』「かみ」は「ははうえ (母上)」の「うえ (上)」と同じで、敬称である。
  • 『押えの帯 (おしえのおび)』「おしえ」は、ここでは「おさえ (押え)」の変態。
  • 『技 (わざ)』「わす (和す)」の名詞形で、「わす」は「為す・する」などの意。よって「わざ」は「為すところ・行為・効能」、また「効果的な行為・格別な行為」などの意も派生。


コモリ 答えて
『タマキネの 教えの帯は 己々の果に 品 弁えて 地 治む 帯は五腑の 固めなり 男は下合せ 女は上ぞ』
ホ16文

  • 『タマキネ』トヨケ (豊受大神) の斎名。
  • 『教えの帯 (をしゑのおび)』上での「おしえ (押え)」が、ここでは「をしゑ (教え)」となっていることに注意。「タマキネが教えた押えの帯」ということである。「おび (帯)」は「おふ (負う)」の名詞形で「合わすもの・締めるもの・まとめるもの」などの意。
  • 『己々 (みみ)』「己々」は「おのおの」の意を表すために筆者が当てた漢字で、本当は「身々」と当てるべきと思う。
  • 『果 (は)』は「なりは (成生)」の簡略と考える。「生え成ったもの」で「成果・結実」の意。ここでは人の「身体」を指す。
  • 『品弁ふ (しなわきまふ)』「しな」は「属性・質・区別・種類」などの意。「弁ふ (わきまふ)」は「わく (分く)」+「ふまう (踏まふ)」の合成語と考える。「分別して考える」「弁別する」の意。
  • 『地 (くに)』ここでは「埴 (はに)」と同じ。陽陰の精製過程で「沈んで凝ったもの」を指し「凝固物・固形物」を意味する。ここでは「五色の埴」(血が熟成してできる5色の凝固物) を指すと思われ、これは「五腑 (ゐわた)」と同義と見て良い。詳しくは『人の発生3』を参照。
  • 『五腑 (ゐわみ)』ここでは「ゐわた」ではなく「ゐわみ」と書かれている。「わた」は「わつ・わす (和す)」の名詞形、「わみ」は「うむ (埋む)」の変態「わむ」の名詞形で、どちらも「(空きを) 埋めるもの・詰めるもの」などの意。窪地を埋めるのが「海 (うみ/わた)」であり、衣服の中を埋めるのが「綿 (わた)」であり、腹を埋めるのが「腑 (わみ/わた)」なのである。
  • タマキネの教えの帯は、各々の身体の質を識別して内臓腑を調える。帯は五腑の固めである。男は下方に巻き、女は上側に巻く。

したがって「タマキネが教えた押えの帯」は元来、妊婦に限らず男女ともに、内蔵を調えるために着用した帯だったようである。



『孕みの帯は カツラギの 世嗣社に 御種 祈る 時に天より 丹斎鳥の 一羽 落つれば 天つ宣 これは息吹の 成る紅葉 化けてカツラギ 斎鳥山』ホ16文

  • 『カツラギ』は「カツラギ山」(山形県の鳥海山) を言う。「かつらぎ」は「かつらぐ」の名詞形で、「かつらぐ」は「くつろぐ (寛ぐ)」の変態。「高まる・栄える・優れる・至る」などの意。
  • 『世嗣社 (よつぎやしろ)』ホツマにも詳しい説明は無いのであるが、世嗣ができない時に「世嗣社」という物を建て、そこに世嗣となる予定者の魂魄を収容保護し、「世嗣文 (よつぎふみ)」によって子種を噛むオロチの障りを除く、というものらしい。アマテルとヰツセ (五瀬命) の誕生の際にこの処置が取られている。
  • 『御種 (みたね)』「尊い種」の意で「人を生む源」を指す。人は悉くアメノミヲヤの末裔であることからの尊称。ここではミヲヤと同一視されるアマテルを生む種であるからなおさらである。
  • 『丹斎鳥 (にいとり)』丹色の斎鳥。「斎鳥」は「尊い鳥・聖鳥」という意であるが、その形状・生態についてはホツマにも全く描写されていない。
  • 『天つ宣 (あまつのり)』ここでは「天の知らせ・天上の声」の意。
  • 『息吹 (いぶき)』は「いぶく (息吹く・気吹く)」の名詞形で、「いぶく」は「いふ (斎ふ)」から派生した動詞。「いふ」は「いむ (斎む)」「いる (炒る)」などの変態で「高まる・勢う・栄える」などの意。よって「いぶき」は「勢い・繁栄・幸運・祝い」などの意。
  • 『紅葉 (もみぢ)』は「もみつ (紅葉つ・黄葉つ)」の名詞形で、「もみつ」は「もむ (揉む)」の派生動詞で「熟れる・満ちる・至る」などの意。「もみぢ」は「熟成」の意。ここでは「丹斎鳥」の丹色の羽を「もみぢ (紅葉)」に喩えている。
  • 『化く (ばく)』は「わく (沸く)」の変態で、「(水が蒸気に変化するように) 大きく変化する」という意。
  • 孕みの帯は、トヨケがカツラギ山の世嗣社に尊い神の種が降誕することを祈っていた時、天から丹斎鳥の羽が1枚降ってきた。トヨケは「天の知らせだ。これは幸運の成就する紅葉にちがいない。」と、以来カツラギ山は「斎鳥山」へと化ける。

鳥海山は古くは、鳥見山、大物忌山、日山、羽山、鳳山、などと呼ばれており、おそらく「とりみやま (鳥見山)」が「とりうみやま (鳥海山)」に解釈されたものと推察する。「出羽」という国名も「斎鳥の羽が出た国」と言う意味だろうと思われる。



『羽先 見れば 二十四筋 数 備われど 常 有らず 諸鳥 見れば 十五に割け』ホ16文

  • 『二十四 (ふそよ)』この数は「陽陰の神」の48神を構成する、陽属性の24神と陰属性の24神を表す数である。
  • 『筋 (すぢ)』は「すつ (棄つ)」の名詞形。「すつ」は「離す・分ける」の意。よって「すぢ」は「分け目・境目・分割・区分」などの意。
  • 降ってきた丹斎鳥の羽先を見ると24筋に分かれていた。その数は陽陰の各24神の数を備えているのだが、常日頃入手できる鳥の羽ではない。他のいろんな鳥の羽を見ると15筋に分かれていた。


『ヒタカミに鶴 奉る 羽先 見れば 二十四なり 故 諸羽を 寄り直し 雄鶴を経に 雌を緯に 経緯の臍布 織り 以て 四十八 備わる 満腹帯』ホ16文

  • 『寄り直す (よりただす)』「つなぎ合わせて一本にする」の意。「撚る」も結果的には同じだが「ねじる」ことに力点が置かれているので「寄る」とした。「直す」は「唯にする・唯一にする」の意。
  • 『経 (たて)』は「たつ (起つ・発つ)」の名詞形。先ず上って天となった「陽」「主」を象徴する。ここでは「縦糸」を言う。
  • 『緯 (よこ)』は「よく (避く・汚く)」の名詞形。後に下って地となった「陰」「従」を象徴する。ここでは「横糸」を言う。
  • 『経緯の臍布 (けふのほそぬの)』「けふ」は「かふ (交ふ)」の名詞形で、「交わり・交差」の意。そこから「縦と横・経と緯」の意が派生。おそらく「けいい (経緯)」は、この「けふ」の転であろう。「ほそ (臍)」は「合わせ」の意。よって「けふのほそぬの」は「経緯 (陽陰) を合わせた布」というのが本来の意味。辞書には「狭布の細布」とある。
  • 『四十八 (よそや)』陽属性の24神 + 陰属性の24神 =「陽陰の神」48神。
  • 『満腹帯 (みはらおび)』「満腹」は「妊婦の満ちた腹」の意と考える。「ちはら (繁腹)」とも呼んでいる。またハタレマの障りを「見張る」の意もかけているように思われる。
  • ヒタカミに鶴が献上される。羽先を見ると24筋であった。そこですべての羽をつなぎ合わせて1本とし、雄鶴 (陽) の羽でつくった糸を経に、雌鶴 (陰) の羽でつくった糸を緯に用いて、「経緯の臍布」を織り、これを以って陽陰48神が備わる「満腹帯 (見張帯)」と成した。


『母のイサナミ 長孕み 九十六月 経て 生み給ふ アマテル神ぞ ハタレマの 障れど帯に 調ひて 四十八 備わる その例』ホ16文

  • 『イサナミ』伊弉冉尊
  • 『アマテル神』天照大御神
  • 『ハタレマ』「マ」は「モノ」と同じ。「ハタレ」をつくる原因となるモノ (愚・魔・鬼)で、イソラ・オロチ・ハハなど低級霊の総称。
  • 『障る (さわる)』「触る」と同じで、「添う・付く」が原義。これから「干渉する・差し支える」などの意となる。
  • 母のイザナミは長孕みで、96ヶ月をかけてアマテル神を生み給うた。ハタレマが出生を邪魔してきたが、この帯によってそれらは治まった。これぞ陽陰48神の備わる威力の例である。


『てれば 姫君 障らねど 息為 直ちと なす帯ぞ』ホ16文

  • 『息為 (いきす)』生き・活きを為さしめるもの。息をすること。呼吸。
  • 『直ち (ひたち)』は「ぴったし」と同義。「ズレや狂いのないさま」「合致」「完全」などの意。
  • されば姫君の場合はハタレマの干渉は無いけれども、呼吸を完全なものにする帯ぞ。


時にミカツチ 訝しく
『息為 直ちと なる帯の 技に息為は 何処へか」
ホ16文

  • 『ミカヅチ』ヒメの父のタケミカヅチ (武甕槌命)
  • 『訝し (いぶかし)』「いぶく (息吹く・気吹く)」+「し(如・然)」。「いぶく」は「高まる・勢い付く・栄る」などの意。「いぶかし」は「(心が)高さまである」「好奇心の高まるさまである」「気に掛かるさまである」などの意。
  • 時にミカヅチは好奇心を刺激されて「呼吸が完全となる帯の効能によって、呼吸は一体どうなるというのかや?」

  
時にコモリの答えには
『天地より授く 経緯の帯 天地に則りて 父の丈 比ぶる帯に 母の息 直ちとなるは 至くなり』
ホ16文

  • 『天地 (あめ)』=陽陰=経緯=男女=父母。
  • 『経緯の帯 (けふのおび)』経緯の臍布でつくった帯。
  • 『至く (いたく)』「いたし (甚し)」の連用形が名詞化したもの。「大いなるもの・この上ないもの」の意。
  • 天地 (陽陰48神) より授かる経緯の帯。天地 (陽陰) の法に則り、父 (陽) の身丈の長さに合せた帯によって、母 (陰) の呼吸が完全となることは、この上なき恵みである。


『天より至き 地に編みて 連なり育つ 子の例 父の恵みは 頂く天 母の慈し 載する埴』ホ16文

  • 『天 (あめ・あ)』=陽=男=父=経。
  • 『至き (いたき)』「いたし (甚し)」の連体形が名詞化したもの。「いたく (至く)」と同じ。
  • 『地 (は)』=埴=陰=女=母=緯。
  • 『頂く (いただく)』は、ここでは「上がる/上げる・高まる/高める・上にある/上に置く」の意。
  • 『慈し (いつくし)』は「いつくす」の名詞形。「いつくす」は「いつくしむ (慈しむ)」と同じで、「(心・身を) 合わす・添える」の意。
  • 天 (陽) より大いなる恵みを地 (陰) に浴びせ、地はそれに呼応共鳴し、天地 (陽陰) が連合して子を育てるという陽陰協働の例である。父の恵みは上に頂く天からのもの、母の慈愛とはその恵みを受けて育む大地となることである。


『アマテル神も 忘れじと 糸 二十四筋 寄り合わせ 陰陽羽二重の 御衣となす』ホ16文

  • 『寄り合わす』は「つなぎ合わす」の意。
  • 陰陽羽二重 (めをはふたえ)雌鶴の羽から作った緯糸と雄鶴の羽から作った経糸を織ったものを起源とし、後には24本をつないだ経糸と、別種の24本をつないだ緯糸を使った織物と推察する。
  • アマテル神もそのことを忘れまいと、24筋の糸をつなぎ合わせた経糸と緯糸を織って、陰陽羽二重の御衣となされた。


『この御衣 召して 朝毎に 天地 祭り 父母に 継がふ御心 その君も これ』ホ16文

  • 『天地 (あめつち)』=陽陰=陽陰48神。
  • 『父母 (たらちね)』ここでは肉体の親に加えて、魂魄の親である「日・月」や「アメノミヲヤ (陽陰の上祖) 」までも含めているのかもしれない。
  • 『継がふ (つがふ)』は「付く・継ぐ」から派生した動詞で「合わす・連なる・続く」などの意。「仕ふ・番う」も語源は同じ。
  • 『その君 (そのきみ)』ここではミカヅチが仕えるタカノコフにいるオシホミミを指す。
  • この御衣を召して朝ごとに天地 (陽陰の48神) を祭り、父母の業績を進展しようという真心。貴殿のオシホミミ君も同じである。


『カトリとカシマ イキス宮 賜ふ 直ちの帯の名も 結機帯とぞ』ホ16文

  • 『カトリ』カトリ宮 (今の香取神宮)。「カトリ」はフツヌシ(経津主命) の守名で、「カトリ宮」はフツヌシが知行する地域の政庁殿。
  • 『カシマ』カシマ宮 (今の鹿島神宮)。「カシマ」はタケミカヅチ(武甕槌命) の守名で、「カシマ宮」はタケミカヅチが知行する地域の政庁殿。
  • 『イキス宮』今の息栖神社。イキスは「息為」で「生き/活きを為さしめるもの」「呼吸」の意。アマノコヤネ (天児屋命) が知行する地域の政庁殿。コヤネは後にカトリ・カシマ両家の家督を受け継ぐ。
  • 『結機帯 (ゐはたおび)』「ゐ (結)」+「はた (機)」+「おび (帯)」。「ゐ」は「ゐふ」の名詞形で「ゆひ (結ひ)」と同じ。「はた」は、ここでは「経緯・陽陰」の意。「ゐはたおび」は「経緯を結った帯」という意で「けふの帯 (経緯の帯)」や「めをはぶたえ (陰陽羽二重・陰陽合ふ栲)」の同義の言い換えである。また「ゐわた (五腑)」にもかけていると思われる。現在は「岩田帯」と書かれる。


というわけで「ひたち帯 (直ち帯)」とは「妊婦の呼吸をぴったし完全にする帯」であり、その帯を「けふのほそ布」という「陽陰を合せた布」でつくったのである。「陽陰」は「陽陰の48神」であり、「天地・日月」であり、また「男女・父母」であり、また「経と緯」である。だから「けふの帯 (交の帯・経緯の帯)」「めをはふたえ (陰陽羽二重・陰陽合ふ栲)」「ゐはた帯 (結機帯)」とも呼ばれるのである。

また妊婦が着用する帯なので「はらみのおび (孕みの帯)」とも言い、父の身丈の長さに合せたので「みたけのおび (身丈の帯)」とも言う。

もう一つ「サツサ腹帯」という言い方がある。
「サツサ」とは「五月サの頃 (さつきさのころ)」の略で、ホツマ干支での五月最初の「サの日」を言うが、これは中国の「端午 (最初の午の日)」と同じ日に当たる。この頃 (妊娠五ヶ月目) から妊婦が孕みの帯を着用したので「サツサ腹帯」と言うのである。この帯は胎児の五腑形成の助けとなるため、「ゐはた帯 (結機帯)」を「五腑帯」の意にも掛けている。

『五月サの頃 一回り サッサ腹帯 五腑 成す』ホ14文
『五月は元の一回り 祝ふ 二万六千 八百四十六 腹帯の妹 謹みよ』ホ16文
『五月に両葉 乗る露を 舐めんと蓬 菖蒲 噴く サツサは五腑』ミ7文



現在の「岩田帯」は、「五ヵ月目の戌の日」から着用するものとされているが、ホツマの伝えから言えば「五ヵ月目の午の日 (=五月サの頃)」であるべきである。どこで狂ったのかな?



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ホツマツタエのおもしろ記事(91)『女のつつしみ』

2013-03-11 15:43
ホツマツタエのおもしろ記事(91)  女のつつしみ



アマノコヤネの妻となったタケミカヅチの一人娘「ヒメ (比賣神)」はコヤネの子を身籠った。アマテルは医学に詳しいコモリ (子守神) に往診するよう命ずる。それを承けてコモリは鹿嶋に出向き、妊娠時の留意点を一通りヒメに講義する (参照:人の発生)。その後ヒメの質問にコモリが答えるという形で話が始まる。
 
この部分は『妹背の道・鈴明の道』の延長となる教えであるので、ぜひそちらも合せて読んでいただきたい。



『民は子多に 守・殿の 子無きは如何ん』ホ16文

  • 『子多 (こさわ)』子の多いこと。子沢山。「さわ (多)」は「さふ (騒ふ)」の名詞形で、「高まるさま・勢いづくさま・栄えるさま」を表す。
  • 『守・殿 (かみ・との)』「かみ (守)」は「束ね治める者」を指し、「司・長・臣」の同義語。「との (殿)」は特に高位の臣を指す。
  • 民は子沢山なのに、守や殿は子ができない者が多いのは何故か?


『セオリツ姫の 謹みに 民の為す業 身を砕き 働くとても 心 向く 油 盛んに 子を得るぞ』ホ16文

  • 『セオリツ姫の謹み (せおりつひめのつつしみ)』これは不明。「セオリツ姫」については『瀬織津姫』を参照。「つつしみ」は「(心を)添えること・(気を)付けること・留意・配慮」などの意。
  • 『業 (わざ)』は「わす (和す)」の名詞形。「わす」は、ここでは「為す・する」などの意。よって「わざ」は「為すこと・すること・仕事」などの意。
  • 『心 (こころ)』は「かくれ (隠れ)」の変態で、「中/奥に隠れるもの・内容・中核・本質」などの意。「心=魂=陽」「身=魄=陰」の関係がある。
  • 『向く (むく)』「むく」は、ここでは「うく (浮く)」の変態で「上がる・高まる・勢いづく・栄える」などの意。
  • 『油 (あぶら)』ここでは「髄油 (ほねあぶら)」を言う。「ほね (骨・髄)」は「はぬ (跳ぬ)」の変態「ほぬ (穂ぬ)」の名詞形。「ほぬ」は「高まる・上る・優れる・中心にある」などの意。よって「ほね」は、ここでは「先ず上って天となった陽」を表す。「あぶら」は、ここでは「エッセンス」の意。「陽の油」で、「しらほね (精髄)」と同様「精子・精液」を意味する。
  • セオリツ姫の配慮によって、民の業は体を酷使するけれども心は向上する。だから陽の油にも勢いがあって子ができるぞ。


『国守などは 民のため 心 尽して 油 減り 子種 稀れなり』ホ16文

  • 『国守 (くにかみ)』「くに」には「(天に対しての) 地」と「(中央に対しての) 地方」の2つの意があるが、ここでは前者で「地を治める者」の意。
  • 地を治める者などは民のために心を尽くすため、陽の油の勢いが衰えて子種が稀なのだ。


『高き身は 下が羨み 叶はねば 掟を恨み 君 謗る これも仇なり』ホ16文

  • 『羨む (うらやむ)』「うら(裏・心)」+「やむ(病む)」。「うら」は、ここでは「内・中・奥・心・本質」の意。「やむ」は、ここでは「反る・曲がる・傾く・逸れる・外れる」などの意。
  • 『掟 (おきて)』は「おきつ(掟つ)」の名詞形。「おきつ」は「おく(置く)」から派生した動詞で、ここでは「合わす・乗る・則る」の意。「おきて」は「法・定め」また「置かれた状況・仕合せ・境遇・仕置」などの意。
  • 『恨む (うらむ)』は「うむ (倦む)」の変態「うる」から派生した動詞。「うる」は「ある (粗る)」の変態。「ある・うる・うむ・うらむ」はいずれも「低める・弱らす・果てさす・悪く思う」などの意。
  • 『君 (きみ)』は「きむ (極む)」の名詞形で「極み・頂点」が原義。
  • 『謗る (そしる)』は「そす (殺す・損す)」から派生した動詞で、「低める・蔑む・悪く言う」などの意。
  • 『仇 (あだ)』は「あつ (当つ)」の名詞形で「あて (当て・宛)」「まと (的)」などの変態。「当たるもの・相手・対抗するもの」などの意。
  • 高位の者は下の者が羨み、下の者は叶わぬ理由を掟のせいにして君を誹る。これも敵となる。


『内宮の 青侍のいぶり 気を冷ます 傍のコトシロ 忠なれば これを下侍が 恨むなり』ホ16文

  • 『内宮 (うちみや)』フトマニ図中心の「アウワ」の位置を表し、「万物の本源」を意味する。これを地に具現したのが皇居・内裏である。
  • 『青侍 (あおめ)』天君には后と12人の局に加えて、その下に30人の「青侍」と呼ばれるが若い女が侍っていた。
  • 『いぶり』は「いぶる (燻る)」の名詞形。「いぶる」は「あぶる (炙る)」の変態。「いぶり」はここでは「(気の) 高ぶり・やきもち・嫉妬」の意。
  • 『コトシロ』は「こと (事)」+「しる (領る・知る)」の名詞形。「しる (領る・知る)」の原義は「合わす」で、ここでは「治める・支配する・執り行う」の意。 だから「ことしろ」は「物事を支配して執り行う者」という意味で、これは今風に言えば「支配人」「知事」「領事」である。ここでは交替で君の世話を執り行った東西南北の局たちを指すと思われる。
  • 『下侍 (さむめ)』「さむ」は「しも (下)」の変態で、「さむめ」は「しもめ (下侍)」と同じ。ここでは「青侍」を指す。それを君の気を冷ます「さむめ (冷む女)」にかけている。
  • 内裏の若い青侍たちの嫉妬は君の興を冷ます。傍にいて君の世話を執り行う局たちが忠なので、これを下侍 (冷む侍) が恨むのである。


『君が恵みも つい忘れ 恨み妬むの 庭桜 咲かずば知れよ』ホ16文

  • 『つい』は「対」である。「反応的・反射的・うっかり」のさまを表す。
  • 『妬む (ねたむ)』は「ねつ (捩づ・捻づ)」から派生した動詞で、「(心を) 曲げる・反らす」などの意。
  • 『庭桜 (にわざくら)』「にわ」は「区切られた空間」の意。「さくら」は「さかり (盛り)」の変態。「庭桜」は、ここでは「宮中の華やぎ」の意。
  • 『咲く (さく)』ここでは君の子種を得て生むことを言っている。
  • 君の恵みもうっかり忘れ、恨み妬むの庭桜たちよ。我が身の花が咲かないなら知るべきであるよ。


『万民の 恨めん侍殿 万桜 天に植えてぞ 愚か女が 妬むイソラの 金杖に 子種 打たれて 流れゆく 或は片端と なすイソラ』ホ16文

  • 『恨めん (うらめん)』は「うらむ」の連体形「うらめる」の音便。
  • 『侍殿 (めどの)』「め」は「はめ (嵌め)」「はべ (侍)」の簡略で、「(心・身を) 合わすこと/もの」の意。女の場合には「め」、男の場合には「べ」と呼ぶ場合が多い。「との」は「つの (角)」の変態で「秀でるさま・突出」の意を表し、敬称として用いる。「めどの」は「君に心身を添える女」の敬称。
  • 『愚か女 (おろかめ)』自分の恨みや妬みが生き霊に転じて他人を害し、ひいては我が身にその報いが戻ってくる法則を知らない女。(このことは後に説明される。)
  • 『イソラ』人の妬みや恨みなどの程度の低い想念が生き霊に転じたもの。
  • 『片端 (かたわ)』は、「かた (片・傾)」+「はえ (生え)」の転。均整のとれてない状態を言う。
  • 多くの民が恨めしく思う内裏に侍る女たち。その万桜を君のそばに植えたところで、愚か女の妬みが転じたイソラの鉄槌に子種は打たれて流れゆく。あるいは生まれてもイソラはその子を不具となす。


『妬む その息 一万三千 群れて鱗の オロチなす』ホ16文

  • 『一万三千 (ひよろみち)』1日当りの呼吸数。この数は通常男子の13,680回、通常女子の13,186回に若干足りない。
    『さすらても ハタレも放来 満つ 足らず』ホ8文
  • 『鱗 (うろこ)』「うろ(万)」+「こ(小・分)」。「うろ」は「うる(熟る)」の名詞形で、「よろ(万)」「いろ(色)」の変態。「数多い小片」の意。
  • 『オロチ (愚霊)』ここでは「イソラ」と同じ。「イソラ」に支配された人間を「オロチ」という場合もある。
  • 人を妬む者は呼吸が満ち足りず、その数は一万三千。この一万三千の妬みの息が、鱗のように集合して生き霊 (イソラ・オロチ) を生む。


『玉島の隙 窺ひて 子壺に入りて 孕み子を 噛み砕く故 種 成らず 片端 生むなり』ホ16文

  • 『玉島の隙 (たましまのひま)』玉島川に同じ。「玉島」は「恥丘」。「隙」は「空き・すきま」。
  • 『子壺 (こつぼ)』「つぼ」は「つも (積も)」「つめ (詰め)」の変態で、ここでは「(集め溜める) 器・入れ物」の意。
  • 恥丘の隙を窺って子宮に入り、孕んだ子を噛み砕く故に、種は発芽成長せず。あるいは発芽しても片端となる。


『貧しきは 及ばぬ富を 羨みて 恨みの仇に 種 滅ぶ』ホ16文

  • 貧しき者は及ばぬ富を羨み、その恨みが転じて成る生き霊 (イソラ・オロチ) に自分の種をも滅ぼされる。


『人を妬めば 日に三度 炎 食らひて 身も痩する 妬む 妬まる みな咎ぞ』ホ16文

  • 『日に三度炎 (ひにみたびほのほ)』ハタレや人を恨む者が悩まされるという一日に三度の発熱。「日三の炎 (ひみのほのほ)」「三の火 (みのほ)」「日三 (ひみ)」「瘧火 (おこりび)」などとも言う。
  • 『炎 (ほのほ)』「ほ (陽・火)」の「ほ (放・発・穂)」。「陽の放射・形なきエネルギーの放出」というのが原義で「光・熱・匂い」などを指す。「をのほ (陽の放)」とも言う。
  • 『咎 (とが)』は「とく (退く)」の名詞形で、「退けるべきこと・忌むべきこと」の意。
  • 人を妬めば1日に3回発熱するようになり体も衰弱する。このように妬む側、妬まれる側のどちらにも害は及ぶのである。


『喩えば侍る青侍達 五色の花ぞ その君の 心 青きは青に愛で 黄なるは花の黄を愛でし 赤きは花の赤に愛で 白きは花の白に愛で 黒きは花の黒に愛す 同じ心に合い求む』
『君の心と 我が花と 合ふや合わぬや 敢え知らず』
ホ16文

  • 『愛づ・愛す (めづ・めす)』は「めす (召す)」の変態で、「合う/合わす」が原義。ここでは「(心を) 合わす・寄せる」の意。
  • 『合い求む (あいもとむ)』「あふ (合う)」+「もとむ (求む)」の同義語の複合。どちらも「合う/合わす・寄る/寄せる」の意。これが後世には、お互いに求め合う「相求む」の意に転じている。
  • 『敢え知らず (あえしらず)』「あえ」は、打ち消しの語を伴って「~できない」の意を表す。つまり「え (得・能) ~ず」と同じ。「敢え知らず」は「知り得ない」の意。
  • 君に侍る青侍たち、喩えば五色の花である。もし君の心が青ならば青の花に心寄せる。君の心が黄ならば黄の花に寄る。赤なら赤の花に寄り、白なら白き花に寄り、黒なら黒に心寄せる。同じ心に寄り合うのである。 (同気相求む・同類相求む:これはイソラにも言えることである。) しかし君の心が自分の花に合うかどうかは決してわからない。


『てれば 恨むな 厭けらるも 上も辺も寄らず 求むなり』
『てれば 召すとも 幾度も 畏れて 後は 恨み 無し 謹みはこれ』
ホ16文

  • 『てれば (者)』であれば。なれば。されば。じゃあ。
  • 『厭けらる (あけらる)』「避けられる・疎まれる」の意。
  • 『上も辺も寄らず (ゑもへもよらず)』「ぶれることなく一途に」の意。
  • 『求む (もとむ)』は「合わす・寄る・付く」の意で、ここでは「(心・身を)合わす・侍る・仕える」の意。
  • 『畏る (おそる)』ここでは「かしこむ (畏む)」の意。「おそる」は本来「気後れする・気が引ける」の意であるが、これは相対的に相手を「高める・尊ぶ・敬う」意味にもなる。
  • 『謹み (つつしみ)』『謹み (つつしみ)』は「つつしむ」の名詞形で、「つつしむ」は「つつす」から派生した動詞。「つつす」は「たたす (正す・直す)」の変態で、「合わす・収める・直す」などの意。ここでは「(心を)添える・(気を)付ける・留意する」などの意。「静める・控える・約める・抑える」という意ではない。
  • そうであれば恨むな。たとえ疎まれても、ぶれることなく一途に仕えるべし。さればたとえ召されても、その寵愛を幾度も畏んで、その後(君が他の花に心寄せること)は恨み無し。留意すべきはここなのである。


『諸姫ら 真に知るべし 色の花 一度 愛でて 早や散れば 塵と捨てられ 他所の花 召す時はその花盛り』ホ16文

  • 諸姫たちよ、真に知るべし。華やかに咲く花は一時を楽しませてくれるが、束の間に散ればゴミと棄てられ、今が盛りの別の花に取り替えられるのである。


『つらつら思え 満の花も人も 移れば 散る花ぞ 誰 指し恨む 人も無し』ホ16文

  • 『つらつら』「つら」は「つる (連る)」の名詞形。「つらつら (連々)」は「つくづく・重ね重ね」の意。
  • よくよく考えてみよ。満開の花にせよ人にせよ、時が移れば早晩散る花の運命なるぞ。散った責任を特定の誰かに負わせ、その人を恨む筋合など無いのであるぞ。


『もし誤れば 種 絶ちて 己咎め あれど その人は まだ 太刀 持たず 杖 打たず 他人 打ち殺す 故も無し』ホ16文

  • 『誤る (あやまる)』は「あやむ (危む)」から「あやむ」は「あゆ (零ゆ)」から派生した動詞。「あゆ」は「ある (離る・散る/粗る)」の変態で、ここでは「離れる・反る・曲がる・逸れる」また「低まる・劣る・衰える」などの意。
  • もし下手をすると、自分の恨みが転じてイソラとなり、他人の胎児を噛み砕いてしまう。その報いはいずれ自分に戻ってくるが、被害者は種が流れた原因の見当がつかないため、まだ太刀を持つわけでなく、杖で打つでもなく、他人を打ち殺す理由を持たない。


この章のこの一文だけでは理解の難しい所であるが、「故意であれ過失であれ自分が犯した罪は、その被害者から仕返しされなくとも、天地 (宇宙の自然法則) によって必ず報いを受ける」ということを言っている。

『他人を惑わす 我が欲も 他人は打たねど 魂の緒に 覚え責められ 長き夢』ホ13文
『天地の報ひは 盗めるも 謗るも打つも 己に返る 人を打てども その時は 痛き報ひも あらざれど 後の病ふは 天地が槌』ホ17文



『女は一途に 思えども 妬み煩ふ 胸の火が オロチと成りて 子種 噛む 障り 除かん 世嗣文』ホ16文

  • 『煩ふ (わづらふ)』は「わつ」から派生した動詞で、「曲る・反る・ねじける」などの意。「わつ」の名詞形が「わだ (曲)」である。ここでは「妬む」と同義。
  • 『胸の火 (むねのほ)』「むね」は、ここでは「中・奥・裏・心・中心」の意。「ほ (火・放)」は「形なきエネルギー」の意。「むねのほ」は「内なるエネルギー・心情・想念」などの意。
  • 『子種 (こだね)』ここでは「精子」の意ではなく「胎芽・胎児」の意。
  • 『世嗣文 (よつぎふみ)』ホツマにも詳しい説明はないのであるが、世嗣ができない時に「世嗣社」という物を建て、そこに世嗣となる予定者の魂魄を収容保護し、「世嗣文」によって子種を噛むオロチの障りを除く、というものらしい。アマテルとヰツセ (五瀬命) の誕生の際にはこの処置が取られている。
  • 女は一途に思い込むけれども、妬みのねじ曲った想念が生き霊 (イソラ・オロチ) となって自他の子種を噛み砕く。その障害を除こうというのが「世嗣文」である。


『謹む綾の 花と花 打てば散るなり 諸共に 常に謹み な忘れそ これ』ホ16文

  • 『謹む綾 (つつしむあや)』「つつしむ」は「(心を) 配る・添える」などの意。「あや」は「あふ (合う)」の名詞形で「現れ・表れ・表現」などの意。「つつしむあや」は「心尽くしの表れ・気配りの結晶」などの意。木草や女が「開花」にかける心尽くしや気配りを説明しているように思われる。
  • 心尽くしの結晶である花も、花どうしでぶつかり合えば散ってしまうのである。みんな常に注意を怠ってはなるまいぞ。



参考サイト:http://gejirin.com/hotuma16.html
     :http://gejirin.com/mitinoku.html




ホツマツタエのおもしろ記事(90)『勝手神』

2013-03-10 03:12
ホツマツタエのおもしろ記事(90)  勝手神



「勝手神 (かってかみ)」は、「勝手明神 (かってみょうじん)」「勝手大明神 (かってだいみょうじん)」、また「受鬘命・愛鬘命 (うけのりかみのみこと)」の名でいろんな神社に祭られている。

代表的な神社は、吉野郡吉野町吉野山の勝手神社、長岡京市栗生の子守勝手神社、東大阪市下小阪の小坂神社、堺市蔵前町の須牟地曽根神社、南さつま市金峰町の多夫施神社などである。

しかし記紀には登場しないので、今日ではどういう神なのか知るすべがない。しかしホツマはそれを詳しく教えてくれる。



「勝手神 (かってかみ)」は、葛城の国守「ヒトコトヌシ (一言主)」の世嗣子で、斎名は「ヤスヒコ」、幼名は「カツキマロ」と言う。母は茅渟の陶の地を治める「スヱツミ (陶津耳命)」の娘「ヤスタマ姫」である。 弟に「アカホシ (天津赤星)」がいる。

カツラキの ヒトコトヌシが スヱツミが ヤスタマと生む カツキマロ 斎名 ヤスヒコ』ホ10文
『ヒトコトヌシが "テン" なして カダキヤスヒコ 幣串垂』ホ14文



「カツキ」「カダキ」は、「カツラギ (葛城・桂木・葛木)」の別称である。他に「くす (葛・国栖)」「こせ (巨勢・古瀬・御所)」なども同じである。
ホツマは、ヒトコトヌシが早くから葛城の地域を治めていたことを匂わせているが、その経緯についての説明はなされていない。

「受鬘命・愛鬘命 (うけのりかみのみこと)」とも呼ばれるのは、受鬘命の「鬘」は「かつら」と読み、これは「葛城」を意味するのである。葛城国を受け治む者、それはすなわち葛城一言主の世嗣子「葛城ヤスヒコ」である。「愛」の字は「合・会」と同義で、やはり「合わす・受ける・治める」の意である。



ある時アマテルはイサワ宮に臣民を集め、「世嗣を得るための教え」を授けるが、この時にヤスヒコも世嗣に対する自分の心を歌う。「カッテ」という名はその歌に由来するのである。

『安々と 桜の母の 満り子を 勝手に掛けて いでや生ません』ホ14文

  • 『桜の母 (さくらのはは)』は、「盛りの母」と読み替えて良く、「成熟の母」「出産前の母」の意を表す。
  • 『満り子 (みとりこ)』「満る (みとる)」は「みつ (満つ)」から派生した動詞で、「みちる (満ちる)」「みのる (実る)」「ふとる (太る)」「いたる (至る)」などの変態。よって「みとりこ」は「満ち足りた子・実り至った子・丸々とした子」の意。
  • 『勝手 (かって)』勝る手。利き手。思い通りに動かせる手。
  • 『いでや』勢い・意気込みを表す言葉。 さあ。いざ。来い。実に。Come on!


この歌を聞いたアマテルより「カッテ守」の守名を授かるのである。

『またヤスヒコは 安々と 取り上ぐ事を 業となせ 賜ふヲシデは カツテ守』ホ14文

  • 『ヲシデ (押手)』文字の原点であるタミメ (手印・印相) を平面上に押し写したもの。文字・文書・称号・証書などを表す。


この御言宣に従い、ヤスヒコは日本における「産婦人科医・助産夫」の草分けとなるのである。したがって「勝手神」とは「安産の神」だということになる。またそれが故に医薬学の草分けの「コモリ (子守神)」と、健康と子孫繁栄の守護として、ペアで祭られることが多いのだと思われる。

『ヒメの問ひ "生む時 如何" コモリ また "これはカツテが 良く知れり 我 帰る後 下すべし』ホ16文
『カツテは倚子も 御湯も上ぐ 産が屋の湯とは 木の花の 白き香泥 咲く こわ鵜の目 またアマガツ等』ホ26文

  • 『産が屋の湯 (うがやのゆ)』「産が屋」は産屋(うぶや)に同じ。こわ鵜の目 (鵜の目硫黄) を湯に溶かした人工温泉で、香りのある桜のような白い花が水面に咲く。分娩日から七十五日は、母子ともに、毎日ウガヤの湯に身を浸すのがしきたりだと言う。
  • 『アマガツ』穢れや災いを人に代わって受ける、赤子をかたどった人形。詳しくは『天児』を参照。


アマノコヤネやコモリと同様に、カッテもニニキネの八州巡りに随行し、その後ホオテミウガヤフキアワセズの三朝に渡って中央政府に仕えている。またコモリとココトムスビ (コヤネの父) の伝えを受けたと記されている。

『標は榊 先駆は タチカラヲなり 次 カツテ オオモノヌシと 三種櫃 八房御車 次 コヤネ 駕籠・馬・八十の モノノベ等』ホ24文
『ミホヒコと ココトムスビの 伝え 受け 御内に居れば 大御神 ヲシテ 賜わる カツテ守』ホ10文



時代は下って神武が東征を果たした後、行賞として「ツルギネ (剣根命)」を葛城の国造に任じている。これといって何の功績も記されていないのに、どうして瓢箪から駒が出るようにツルギネがと思うが、ツルギネはカッテの孫なのである。

おそらく大和国近隣の国守たちが大方「ニギハヤヒ」の側に付いた中で、葛城の国守のツルギネは、三朝に渡って中央政府に仕えた経緯から、ウガヤの世嗣御子である神武を正統であるとしてニギハヤヒに敵対する立場をとったのだろう。神武はその功績を重大と見て、改めてツルギネを葛城国造に任じたものと考える。

ちなみに「ツルギネ」の名の「つるぎ」は「かつらぎ」の転であり、「ね」は「根・主」である。よって「つるぎね」とは「かつらぎのぬし (葛城の主)」という語義である。

『アメヒワケ 伊勢の国造 アタネ守 賀茂の県主 カツテ 孫  ツルギネ 葛城 国造ぞ ヤタカラス 孫 葛野主』ホ30文



ツルギネ以降の系譜は記されていないが、ツルギネの子孫が代々葛城国を治めたと考えている。またツルギネの子孫と「タカクラシタ (高倉下)」の子孫との婚姻によって「オハリ (尾張)」が起こったと見ており、「オハリ」という名は、葛城の「タカオハリ」が根と考えている。
『旧事』によると、高倉下の孫の天忍男命(あめおしを) が、葛木の剣根命の娘の賀奈良知姫(かならちひめ) を妻として生んだのが、尾張連の祖といわれる瀛津世襲命(おきつよそ) で、別名を葛木彦命(かつらぎひこ) とも言う。

  

カヌナカワミミ (綏靖天皇) の御代、内宮(中宮)のミスズヨリ姫が難産に苦しむ時、ある夫婦がやって来て無事に御子を取り上げる。姓を問うと男は「コモリ」、女は「カッテヒコ」と答えた。天皇はコモリ(子守神)・カッテ(勝手神)の二神を吉野に祭る。
おそらくこれが現在の「勝手神社」の由緒だと思われる。(以前は奥に金峯神社、中に水分神社、下手には勝手神社と三社に分かれていたという。)

『ミススヨリ姫 カワマタ姫 磯城クロハヤが 館に行き 御子 生まんとし 三日 病める 時 夫婦 来て これを請ふ 君に申して タマテヒコ 抱え 取り上げ 易く生む』ホ31文
『姓を問えば 男はコモリ 女はカツテヒコ 賜ふ名は "若宮の治人" "守の臣" コモリ・カツテの 二神を 吉野に祭り』ホ31文




また能の『嵐山』にも、これに因んだ話がある。 http//www.tessen.org/dictionary/explain/arashiyama
帝の臣下が勅命を受けて吉野から嵐山に移された桜の花を見にやってくる。そこで花守の老人夫婦に出会う。花の下を清め、礼拝する老人に勅使が尋ねると、この花が神木であり、吉野から移植したため吉野山の神が姿を現すのだと答える。さらに老人は、神木の花に姿を現す子守明神と勝手明神という夫婦の神が自分たちであることを告げ、老夫婦は南方へと消えてしまう。やがて子守と勝手の男女の神が現れ、桜の花を喜び、舞を舞う。さらに蔵王権現が現れ、蔵王・子守・勝手の三体は一体分身であると語り、栄え行く世のめでたさを讃える。



参考サイト:http://gejirin.com/hotuma10.html
     :http://gejirin.com/hotuma14.html
     :http://gejirin.com/hotuma16.html
     :http://gejirin.com/hotuma24.html
     :http://gejirin.com/hotuma26.html
     :http://gejirin.com/hotuma30.html
     :http://gejirin.com/hotuma31.html




ホツマツタエのおもしろ記事(89)『子守神』

2013-03-08 22:07
ホツマツタエのおもしろ記事(89)  子守神




「子守神 (こもりかみ)」とは、クシヒコミホツ姫の子 (斎名:ミホヒコ 幼名:ヨロギマロ) の贈り名である。
ミホヒコは、父クシヒコが御諸山の辞洞に隠れた後を受けて、ニニキネ中央政府の大物主となり、以後ホオテミウガヤフキアワセズの三朝に大物主として仕えている。



記紀には登場しないので知名度は低いが、奈良市本子守町の率川神社 (いさがわじんじゃ)、長岡京市の子守勝手神社 (こもりかってじんじゃ)、吉野郡吉野町吉野山字子守の吉野水分神社 (よしのみくまりじんじゃ) など、全国の子守神社に祭られる「子守明神」とはこの人である。また「水分神」というのは「御子守神」が訛ったものと思われる。



幼名の「ヨロギマロ」という名は、ミホヒコが「よろぎ (万木:現在の高島市安曇川町)」で生まれたことを物語っていると思われる。ここは父のクシヒコが母のミホツ姫を娶った時に賜った地で、クシヒコはここに「万木の宮」を建て、様々な植物を植えて薬学の道を開く。そのためか、子のミホヒコは医薬学に秀で、医者の草分けとも言える存在となっている。 (子守勝手神社の「勝手神 (かってかみ)」は「ヤスヒコ」の贈り名で、こちらは「助産夫」の草分けだと言える。)



ある時アマテルはイサワ宮に臣民を集め、「世嗣を得るための教え」を授けるが、この時にミホヒコも世嗣に対する自分の心を歌う。「こもり」という名はその歌に由来するのである。

『子を乞ふる 妹背の交に 籠りくの 子 守り育てん タラチネの守』ホ14文

  • 『妹背の交 (いもをせのか)』女男の交わり。陰陽の交わり。
  • 『籠りく (こもりく)』は「こもる (籠る)」のク語法。「籠る如き (さま・こと・もの)」が原義。
  • 『タラチネの守 (かみ)』「父母の守護・父母の味方」意で、コモリ自身の医者としての使命を誓っていると思われる。


この歌を聞いたアマテルより「コモリ守」の守名を授かるのである。これはミホヒコが、一人の妻に男子のみ18人を、もう一人の妻には女子のみ18人を、みごとに生み分けさせている医学的な知識と技術を称えた名でもある。

『またミホヒコが 三十六子を 養す心は 実に応え 賜ふヲシテは コモリ守』ホ14文

  • 『実に応ふ (みにこたふ)』「心に響く」の意。「み (実)」は「内・中・奥・心・核」の意。「こたふ (応ふ)」は、ここでは「届く」「反応する・共鳴する」などの意。「をにこたふ(央に応ふ)」「きもにこたふ(肝に応ふ)」「むねにこたふ(胸に応ふ)」などとも言う。
  • 『ヲシデ (押手)』文字の原点であるタミメ (手印・印相) を平面上に押し写したもの。文字・文書・称号・証書などを表す。


『ミホヒコの妻 スヱツミが イクタマヨリ姫 十八子 生む 越 アチハセの シラタマ姫 十八の姫 生む 三十六人 ゆだね養せば 御言宣 賜ふヲシテは コモリ守』ホ10文

  • 『スヱツミ (陶津耳命)』語義は「陶統み」で「茅渟県の陶村を統べる者」の意。イクタマヨリ姫 (ミホヒコの妻)、ヤスタマ姫 (ヒトコトヌシの妻) の父。
  • 『イクタマヨリ姫 (活玉依媛)』スヱツミの娘。ミホヒコの妻となり、男子のみ18人を生む。
  • 『越 (こし)』越国。北陸地方。=越根国 (こゑねのくに・こしねのくに)・根の国 (ねのくに)。
  • 『アチハセ (阿治波世)』白山姫の孫らしい。シラタマ姫の父。ニニキネが、八島巡りの一環として越根国に行った時、峰輿を献上する。
  • 『シラタマ姫』越のアチハセの娘。ミホヒコの妻となり、女子のみ18人を生む。
  • 『ゆだね養す (ひたす)』「ゆだぬ」は「ゆでる (茹でる)」の変態。「高める・栄す・熟成する・至らす」などの意で、「ひたす (養す)」「いたす (致す)」の同義語。

             ┌────────┐

             ├タケフツ    ├チシロ

             ├ヤサカヒコ   ├ミノシマ

             ├ナラヒコ    ├オオタ

             ├コセツヒコ   ├イワクラ

             ├チハヤヒ    ├ウタミワケ

             ├ヨテヒコ    ├ミコモリ

             ├ヨシノミコモリ ├サギス

スヱツミ─イクタマヨリ姫 ├ツミハ     ├クワウチ

      ┃──────┴カンタチ    └オトマロ

クシヒコ─コモリ

      ┃──────┬モトメ     ┌トヨリ姫

アチハセ─シラタマ姫   ├タマネ姫    ├アワナリ姫

             ├イソヨリ姫   ├ワカネ姫

             ├ムレノ姫    ├ハザクラ姫

             ├ミハオリ姫   ├アサ姫

             ├スセリ姫    ├ムメチル姫

             ├ミタラシ姫   ├ハモミ姫

             ├ヤヱコ姫    ├ミチツル姫

             ├コユルキ姫   ├シモト姫

             └────────┘


長女のモトメはホオテミの典侍、次女のタマネ姫は「ホノアカリムメヒト」の内宮となり「クニテル (ニギハヤヒ)」 の母となる。三女のイソヨリ姫はホオテミの内侍となった後、カモタケスミに下され「タマヨリ姫」を生む。「タマヨリ姫」はウガヤに召され、「タケヒト」の母と成る。つまりニギハヤヒはコモリの孫、神武天皇はコモリの曾孫なのである。しかも次男ツミハの娘タタライスズ姫は神武の内宮になっている。凄まじい家系と言うより他にない。本当にみごとな子守である。

ニニキネが三種の宝をアマテルから授かる時、コモリは剣臣 (=大物主) として「八重垣の剣」を大典侍のハヤアキツ姫から渡されている。これが三種宝を分授する制の始めであった。

『文を御孫に 授けます セオリツ姫は 御鏡を 持ちてカスガに 授けます ハヤアキツ姫は 御剣を 持ちてコモリに 授けます』ホ24文



14女のアサ姫とその夫ツエは、タガ付近 (彦根か) を治めていて、通りがかったコモリから、蚕飼(繭醸)と衣の織り方を習う。アサ姫らは大国魂 (クシヒコ) の神を祭り、民に蚕飼と衣の織り方を教えたところ、大いに普及した。これにより蚕得国 (こゑくに) と呼ばれるようになり、ツエとアサ姫は蚕得国の守となった。また大国魂を蚕得国の神と称え、蚕得国は大国の里とも呼ばれるようになる。

『(コモリ) タガに至れば ツエが妻 アサ姫 迎ふ』ホ24文
『モノヌシは 桑 良きを見て アサ姫に 繭 醸ひ 衣 織る 経緯の 道 教ゆれば』ホ24文
『ヲコタマの 神を祭りて 五座 治し 衣 差し作り 経緯の 道 教ゆれば 八方徹り 蚕得国の守 ヲコの里 繭醸 得るなり』
ホ24文



コモリの最期については記述が無い。ウガヤに世嗣がいないことを憂いて、「世嗣文」を進言したのが最後の記事となっている。

『コモリ 申さく "世嗣文 あり" とて アマノ オシクモに 宣して 世嗣 社 成す』ホ27文



遥かに時代は下り、カヌナカワミミ (綏靖天皇) の御代、内宮(中宮)のミスズヨリ姫が難産に苦しむ時、ある夫婦がやって来て無事に御子を取り上げる。姓を問うと男は「コモリ」、女は「カッテヒコ」と答えた。天皇はコモリ(子守神)・カッテ(勝手神)の二神を吉野に祭る。
おそらくこれが現在の「吉野水分神社」の由緒だと思われる。(以前は奥に金峯神社、中にこの水分神社、下手には勝手神社と三社に分かれていたという。)

『ミススヨリ姫 カワマタ姫 磯城クロハヤが 館に行き 御子 生まんとし 三日 病める 時 夫婦 来て これを請ふ 君に申して タマテヒコ 抱え 取り上げ 易く生む』ホ31文
『姓を問えば 男はコモリ 女はカツテヒコ 賜ふ名は "若宮の治人" "守の臣" コモリ・カツテの 二神を 吉野に祭り』ホ31文


また能の『嵐山』にも、これに因んだ話がある。 http//www.tessen.org/dictionary/explain/arashiyama
帝の臣下が勅命を受けて吉野から嵐山に移された桜の花を見にやってくる。そこで花守の老人夫婦に出会う。花の下を清め、礼拝する老人に勅使が尋ねると、この花が神木であり、吉野から移植したため吉野山の神が姿を現すのだと答える。さらに老人は、神木の花に姿を現す子守明神と勝手明神という夫婦の神が自分たちであることを告げ、老夫婦は南方へと消えてしまう。やがて子守と勝手の男女の神が現れ、桜の花を喜び、舞を舞う。さらに蔵王権現が現れ、蔵王・子守・勝手の三体は一体分身であると語り、栄え行く世のめでたさを讃える。




参考サイト:http://gejirin.com/hotuma14.html
     :http://gejirin.com/hotuma10.html
     :http://gejirin.com/hotuma24.html
     :http://gejirin.com/hotuma27.html
     :http://gejirin.com/hotuma31.html
     :http://gejirin.com/mitinoku.html




ホツマツタエのおもしろ記事(88)『人の発生4』

2013-03-08 16:41
ホツマツタエのおもしろ記事(88)  人の発生



『たとえ女あれど 世嗣なく 得んと思はば あぐり 知れ』ホ14文

  • 『世嗣 (よつぎ)』は「よつ (寄つ)」+「つぐ (継ぐ・接ぐ)」という合成動詞の名詞形。「よつ」は「よす (寄す)」の変態、「つぐ」は「つく (付く・着く・漬く)」と同じで、どちらも「合わす・連ねる・続ける」の意。だから「よつぎ」は同義語を重ねた熟語で、「寄せ接ぎ・接続・連続・継続」などが本来の意。
  • 『あぐり』は「あぐ (上ぐ)」 (他下二) の連体形「あぐる (上ぐる)」が名詞化したもので、「上げ」と同じ。「高め・勢い付け・促進・伸展・高揚・振興」などの意。
  • たとえ女子はあっても世嗣が無く、得たいと思うならその促進法を知れ。

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『朝日の潤を 身に受けて 子宮に在れば 夜霊波と 共に回れど 陽は先に 陰を包む故 狭められ 遂に穂末の 生せ出でて 満り シヂ 成る 陽の始め これ 男の子 生む あぐりなり』ホ14文

  • 『朝日の潤 (あさひのうる)』「潤」は、ここでは「霊」と同じで「放射・エネルギー」の意。「朝日の潤」は基本的に「日の潤」「日霊 (ひる)」「日霊波 (ひるなみ)」「荒魂 (あらたま)」などと同じだが、特に日の出直後のそれを言い、「あさき (朝気)」とも呼んで尊んでいる。
    『南 向き 朝気を受けて 長生きの 宮の後を 北といふ』1文
    『女は月潮の後三日に 清く朝日を拝み受け 良き子 生むなり』7文
  • 『夜霊波 (よるなみ)』は「月の潤・月のエネルギー」で「日霊波」に対する。
  • 『狭む (せばむ)』は「せむ (迫む・逼む)」の変態「せふ」から派生した動詞で、「しぼむ (萎む)」「しまる (締まる)の変態。(「せふ」が名詞化して「しょう (小・少・省)」となったと考える。)
  • 『生せ出づ (はせいづ)』「はす」=「発す」で、「はふ (生ふ)」と同じ。
  • 『満る (みとる)』は「みつ (満つ)」から派生した動詞で、「みちる (満ちる)」「みのる (実る)」「ふとる (太る)」「いたる (至る)」などの変態。
  • 『シヂ』は「しつ」の名詞形。「しつ」は「すつ (捨つ・棄つ)」の変態で、「離す・放つ・発す」などの意。よって「しぢ」は「突出・突起」の意で、これが「ちんちん」に訛ったものと思われる。辞書には「しじ (指似)」という言葉が見える。
  •  [ 夜霊波 (月の潤・陰エネルギー) と日霊波 (日の潤・陽エネルギー) は受精後、昼は夜霊波が上り、夜は日霊波が昇るという回転を始めるのであるが、 ] 女が朝日を拝み、目からその霊気を子宮に取り込んでいた場合、陽は先に陰を包み込むため、陰は弱められる。その結果、穂末が生えて成長し「ちんちん」と成るのが陽 (男) の起こり。これが男子を生むための促進法である。


『実なる男の子は 日の霊魂 先ず 籠りくの 実柱に 向ひ 直に居て 陰を招き 陽 先ず 回りて 陰を包む 陰が狭まりて 生え出づる 放茎はシヂ 陽の始め 男の子 生むなり』ホ16文

  • 『日の霊魂 (ひのみたま)』「日の潤」「日霊波」に同じ。
  • 『籠りく (こもりく)』 は「こもる (籠る)」のク語法。「籠る如き (さま・こと・もの)」が原義。
  • 『実柱 (みはしら)』 は「中軸・中核」の意。ここでは受精卵・胎芽を指す。
  • 『直 (た)』 は「ひた (直)」「ただ (直)」と同じ。「隔ての無いさま」を表す。
  • 『放茎 (はなくき)』 「くき」は「くく (漏く)」の名詞形。「くく」は「かく (欠く)」の変態で「離す・放つ・抜く・発す・出る」などの意。よって「はなくき」は「放出・派出」などの意で「シヂ」の同義語。
  •  (花なる女子に対して) 実なる男子は、まず日霊波 (日の潤・陽エネルギー) が子宮に籠る受精卵にぴったりと添ってから夜霊波 (月の潤・陰エネルギー) を招く。陽が先に巡って陰を包むため、陰は弱められる。生え出る放茎は「ちんちん」となり陽 (男) の起こり。こうして男子を生むのである。

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『女の子は先に 月 宿り 後 日を招く 陰は早く 陽は包まれて シチ 成らず 玉島門に イヱリなす これ 陰の始め 女の子 生む』ホ14文

  • 『玉島門 (たましまかど)』「たましま (玉島)」は「恥丘」。「かど (門)」は「くち (口)」の変態で「出入りする所」「開閉するもの」などの意。
  • 『イヱリ』は「いゆ」+「ゑる (彫る)」の合成動詞の名詞形。「いゆ」は「ひゆ (冷ゆ)」の変態、「ゑる」は「ほる (彫る)」「へる (減る)」などの変態で、どちらも「下る・減る・沈む」などの意。よって「いゑり」は「くぼみ・凹み」を表す。
  • 女子は、先に月が子宮に宿りその後に日霊を招く。そのため陰が先行して陽は包み込まれ、「ちんちん」は生えずに恥丘門に窪みができる。これが陰 (女) の起こりであり、女子を生む。


『女の子には 女の目より受く 月霊魂 宮を潤し 背き居て 後 受くる日の 交わりは 陰 先ず 回りて 陽を包む 陽はシヂ 成らず 玉島が 内に窄みて 陰の始め 女の子 生むなり』ホ16文

  • 『月霊魂 (つきみたま)』月の潤。陰のエネルギー。=夜霊波 (よるなみ)・和魂 (にこたま)
  • 『背き居る (そむきゐる)』は「離れて居る」の意。「直に居る」の反対語。
  • 『交わり (まじわり)』かかわり。関係。
  • 女子の場合、あらかじめ女の目から受ける月のエネルギーが非直接的にやんわりと子宮を潤している。後に受ける精子 (日のエネルギー) との関わりは、陰が先に巡って陽を包み込むため、陽は「ちんちん」と成らず、恥丘が内に窄んで陰 (女) の起こりとなり、女子を生むのである。

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『男の子 欲しくば あぐりなせ 我が霊を添えて 得さしめん 陽陰照る地は 我が霊魂 在りと知るべし』ホ14文

  • 『我が霊 (わがみ)』『我が霊魂 (わがみたま)』ここでは「アマテルの霊魂」つまり「太陽霊と太陰霊」であり、それは「日霊と月霊の本源」である。
  • 『陽陰照る地 (あまてるくに)』ここでは「日月が照らす地」「日霊と月霊が潤す地」の意で、「地球」を指す。
  • 男子が欲しいならばその促進をなせ。我が霊(太陽霊と太陰霊)を添えて得させようぞ。日月が照らす地は我が霊魂が潤しているということを忘れるなよ。

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『杼投ぐる数の 世嗣子を 授くる妹背の あぐりには 朝日を受けて 暖まる 時に婚げば 子を孕み 息為・声・見目 備え生む』ホ14文

  • 『杼投ぐる数 (ひなぐるかず)』機を織る時に、横糸を通すためにくぐらす杼の往復に匹敵するほどの、おびただしい数。
  • 『妹背 (いせ)』=陰陽=女男。
  • 『息為 (いきす)』生き・活きを為さしめるもの。息をすること。呼吸。
  • 杼投げの往復に匹敵するほどの、おびただしい数の世嗣子を授ける夫婦の促進法は、「朝日を受けて暖まった時に性交する」である。さすれば懐妊し、呼吸・声・外見を備えて生まれるであろう。



参考サイト:http://gejirin.com/hotuma14.html
     :http://gejirin.com/hotuma16.html
     :http://gejirin.com/mitinoku.html




ホツマツタエのおもしろ記事(87)『人の発生3』

2013-03-04 17:53
ホツマツタエのおもしろ記事(87)  人の発生



『五月サの頃 一回り サツサ腹帯 五腑 成す』ホ14文

  • 『五月サの頃 (さつきさのころ)』5月の最初の「サの日」の頃。ホツマ干支で言う「サシヱ」「サシト」「サヤヱ」「サヤト」「サミヱ」「サミト」「サアヱ」「サアト」「サウヱ」「サウト」「サナヱ」「サナト」の内、五月に最初に廻って来る日を言う。年によって異なるが、8日おきに廻って来るので、5月1日から5月9日の間ということになる。
  • 『一回り (ひとめぐり)』これは妊娠過程において、仮に1月1日に受精したとすると、日霊と月霊の回転は日に1回転ずつ増してゆき、64日目 (3月4日) に延1,080となる。ここから逆に日に1回転ずつ減ってゆき、3月30日には1日あたりの回転数が39となり、この頃胎児の端 (頭・頸・胸・手・足) の見分けがつく。そして五月のサの頃に1日あたりの回転数が1に戻る。
    正確には回転数が1となるのは127日目で、1月1日をキアヱとすると5月の最初の「サの日」は7日となる (サシヱ)。また端午 (たんご) は、最初の午の日という意味で、ホツマヱトではサシヱにあたる。つまり日本の「五月のサの頃」と中国の「端午」は同じことを言っているのである。
  • 『サツサ腹帯 (さつさはらおび)』「さつさ」は「さつきさのころ (五月サの頃)」の簡略。妊婦がこの時期から着用する腹帯を言う。この腹帯は、血液が五腑に凝固するのを助けると言う。「岩田帯 (いわたおび)」「常陸帯 (ひたちおび)」などの別名がある。
  • 『五腑 (ゐわた)』 五臓 (ゐくら) とも六臓 (むくら) とも六腑 (むわた) とも言う。また五色埴 (ゐいろはに) とも言う。臓と腑は、もともと「五クラの神 (キツヲサネ)」と「六ワタの神 (アミヤシナウ)」の神名による区別のようで、臓器としての厳密な区別は無かったようだ。五臓六腑で合計11の臓器があるはずだが、ホツマには、ナカゴ(心)・キモ(肝)・ヨコシ(脾)・フクシ(肺)・ムラト(腎)・ヨクラ(膵臓?) の6臓器以外は出てこない。
  • 五月サの頃、日霊と月霊の回転は1に戻る。この時期から締めるサツサ腹帯は五腑を固める。


『五月は元の 一回り いはふ万六千 八百四十六 腹帯の妹 謹みよ』ホ16文

  • 『いはふ万六千八百四十六 (いはふよろむちやもよそむ)』「ふ」は「祝」と「 (二)」で共有されていて、「祝う二万六千八百四十六」の意。この数は妊婦の呼吸数を表す。通常の女の1日当たりの呼吸数は13,186だが、男子を宿すと1日に360ずつ、女子を宿すと347ずつ増してゆき、26,846 (女子の場合は26,272) に極まって安定する。この呼吸数は母子共に順調であることを示すものであり、一つの節目を越えた妊娠5ヶ月目に、これを祝ったものと思われる。
  • 『腹帯の妹 (はらおびのゐも)』サツサ腹帯を着用した女。
  • 『謹みよ (つつしみよ)』「つつしむ」は「つつす」から派生した動詞。「つつす」は「たたす (正す・直す)」の変態で、「合わす・収める・直す」などの意。ここでは「(心を)添える・(気を)付ける・留意する」などの意。ここでは命令形で「謹めよ (つつしめよ)」と同じ。
  • 五月には日霊と月霊の回転は元の1回転に戻り、26,846の呼吸数を祝う。妊婦は腹帯を締めて気も引き締めろよ。

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『中菅 通る 陽の放と 父母の放と 陰を招き 睦の因みの 露 溢れ』ホ14文

  • 『中管 (なかくだ)』「体の中央を通る管」の意で、口から肛門にいたる消化管を指すと思われる。
  • 『陽の放 (あめのほ)』「あめ」は「天・陽・日」を意味する。「ほ」は「ほる (放る)」の名詞形で「放射・エネルギー」の意。「あめのほ」は「陽の放射・陽のエネルギー」の意。月霊と共に回転して胎児を創った「日霊」を指すのか、新たに日霊を招くのかは不明。
  • 『父母の放 (たらちねのほ)』「たらちね」は「親・両親・父母」の意。「たらちねのほ」は「親の放射・親のエネルギー」などの意。これが遺伝の原因だと言っているのかもしれない。
  • 『陰 (め)』は、ここでは「陰の放 (めのほ)」の略。「陰の放射・陰のエネルギー」の意。日霊と共に回転して胎児を創った「月霊」を指すのか、新たに月霊を招くのかは不明。
  • 『睦の因み (むつのちなみ)』「陽・親・陰」の3つの放が親密に融合すること。「むつ」は「みつ (密)」の変態。「ちなみ」は「つらね (連ね)」の変態で、「合わせ・交わり」などの意。
  • 『露 溢れ (つゆあふれ)』これは羊水の量が増えることを言ってるように思われる。
     http://dearmom.web.fc2.com/taiji06.html
  • 中管 (消化管) が通り、日と親と月のエネルギーを招き、その3エネルギーが親密に交わって羊水が増える。


『陽元に招く 荒御魂 月の和魂 父母の放と 三つ 交りて 心・意気 成りて 瑞 通ふ 露 溢れ』ホ16文

  • 『陽元に招く (あもとにまねく)』「陽元から招く」の意。「あもと」は「天元・陽元」であり、「陽の源・陽の核」の「ムナモト (宗元)」と同じ。そして「ムナモト」=「日」である。『背のムナモト 日と丸め』ホ14文
  • 『荒御魂 (あらみたま)』日(陽)のエネルギーの別名。「あらたま (荒魂)」とも言う。上ではこれを「あめのほ (陽の放)」と呼んでいる。
  • 『和魂 (にこたま)』月(陰)のエネルギーの別名。辞書には「にきたま (和魂)」「にきみたま (和御魂)」とある。
  • 『父母の放 (たらのほ)』上記の「たらちねのほ」と同じ。
  • 『瑞通ふ (みづかふ)』「みづ」は「水・蜜・密」と同源で、「精髄・本質・純粋」などの意。「かふ (交ふ/替ふ)」は「合う・添う・交わる」また「回る・循環する」などの意。
  • 陽の源 (日) より「荒御魂」(日霊) を招き、月よりは「和魂」(月霊) を招き、これらと「親のエネルギー」の3つが融合し、「心・意気」というものが生じて人の本質が備わる。また羊水が増加する。

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『六月 乾き 臍の緒へ 血汁 通れば 身を養す 血汁 熟られて 五色の 埴もて付くる 守の神』ホ14文

  • 『血汁 (ちしる)』血液。
  • 『養す (ひだす)』は「いたす (致す)」「みたす (満たす)」などの変態で「高める・栄す・熟成する」などの意。
  • 『熟る (にる)』は「煮る」と同じで、「高める・栄す・熟成する・至らす」などの意。ちなみに「丹 (に)」は「夕日・紅葉」など、「熟成」を表す色である。
  • 『五色の埴 (ゐついろのはに)』「ゐついろ (五色)」は「5色」あるいは「5種」の意。「はに (埴)」は、陽陰の精製過程で「沈んで凝ったもの」を指し「凝固物・固形物」を意味する。「五色の埴」とは「5色の固形物」の意で、これがいわゆる「五臓六腑 (ゐくらむわた)」に発展する。
  • 『守の神 (もりのかみ)』これは「本守 (もともり)」と同じ。人が世に生まれる時、天元神がその人の守 (もり) として付ける分霊で、「本つ神の留守 (もとつかみのたえもり)」とも言う。本守は魂の緒を世に下し、それに16万8千の精霊を添える。その魂の緒が魂と魄を結い合わすことによって人は世での生命を得るという。本守は人の臓腑に宿り、その人の行動や心境を、逐一本つ神 (天元神) に報告するという。
  • 六月には羊水は乾き、母体から臍の緒を介して血液が通うので胎児を養う。血液は熟して五色の固形物を作るが、それに「守の神」が添う。


『六月 至れば 乾く故 臍の緒管に 血汁 通ふ』ホ16文

  • 『六月至れば乾く (むつきいたればかわく)』「いたる (至る)」は「満ちる」と同義。ここでは「六月が満ちれば増加した羊水が乾いて減る」という意。そしてこの「水が乾く」が、六月を「みなづき (水無月)」と呼ぶ由来だと言う。
    ただしこれは語源の一つと考えるべきで、暑さと乾きにより衰弱して穢が付きやすい時節を意味する「みなつき (穢月)」の意味もある。
  • 六月が満ちる頃には、増加した羊水は乾いて減るので、臍の緒管に血液が通う。

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『七月 臓・腎 八月 腑 九月は見目 シム 十四経 声の四十八方 アワの神』
『総 九十六経緯 備わりて 十二に胞衣 脱ぎ 生まるなり』
ホ14文

  • 『臓 (くら)・腎 (むら)・腑 (わた)』内蔵腑を言う。ここでは「くら (臓)」「わた (腑)」「むら (腎)」と分けているが、その区別は曖昧であり、時と場合によって言い方が異なる。「むら」は「むらと (腎)」とも言い、「腎臓」を指す。「あふみ」とも呼ばれる。
  • 『見目 (みめ)』は「見た目・外見・表向き」を言う。
  • 『シム十四経 (しむそよへ)』「シム」は、ここでは「染・添・性」などの意で「属性・性質・性格」などを表すと考える。また「しむ」は、現代語では一部「しん (親・神)」に置き換えられているため、「シム十四」は「しんけい (神経)」の語源と考える。「神経」とは「神の経 (かみのたて)」であり、「たて」とは「上から下への流れ」である。そしてこの「かみ」は「本つ神」を指すと思われる。よって「シム十四経」とは、「本つ神 (上) から生まれ来る人 (下) に引き継がれる14の基本属性」というような意味ではないかと考えている。ミカサにも同じ内容を伝えると思われる記述がある
    『親つモノ 十六万八千と 守を得て 人 生まる時 神とモノ 魂・魄 結び 魂の緒と 五臓六腑も その上(神)の 十四経 備え 人と成す』
    ミ6文
  • 『声の四十八方 アワの神 (こゑのよそやちあわのかみ)』は、日本語の48音、つまり「あわうた (陽陰歌・天地歌)」を言う。
  • 『九十六経緯 (こそむあや)』96の経緯 (いきさつ・けいい) の意。「あや」は「綾・紋」などと書くが、これは「経糸と緯糸」が織り成すものである。また「あや」は「あわ (陽陰)」の変態でもある。「経緯」とは「縦と横・陽と陰」が複雑に交わるさまを表した言葉である。
    「96」という数がどういう意味を持つのかはわからない。心当たりは、アマテルの妊娠期間が96ヶ月だったということと、96=48神✕2 だということだけである。
  • 七月に臓と腎、八月に腑、九月には外見が備わる。その後に本つ神の14の基本属性、言葉の48手「陽陰の神」も備わる。総計96の経緯を経て、12ヶ月で胞衣を脱いで生まれるのである。


『七月 血を熟て 五色埴 これ臓・腑と アフミなす ここも謹み』
『八月にて 十三端 成果の 果なる時 母の謹み これなるぞ』
『九月 見目・声 備わりて 十月 座位し 十二月は 月 満ち 生まる』
ホ16文

  • 『アフミ』上記の「むら (腎)」の別称。腎臓を指す。そしてこれが七月を「あふみづき (ふみづき・ふづき)」という由来だと言う。
  • 『十三端成果 (そみはなりは)』「なりは」は「なりはふ (成り生ふ)」の名詞形で「成って出来るもの」「成果 (せいか)」「結実 (けつじつ)」などの意。「そみは (十三端)」は「13の端末/単位」という意と考えている。だから「そみはなりは」は「13の端末ユニットの成果」と考える。具体的に何を指すかはわからないし、「13」という数字の意味も不明。なお「そみ (十三)」が「そふ (十二)」となっている写本もある。
  • 『果なる (はなる)』は「はぬ (跳ぬ)」の連体形「はねる (跳ねる)」の変態。ここでは「(芝居などの興行が) 跳ねる」のそれで、「完成する・完了する」の意。そしてこれが八月を「はづき」という由来だと言う。
  • 『座位す (くらいす)』これは「スタンバイする」「適所に収まって待機する」の意と考えている。
  • 『月満つ (つきみつ)』1年を構成する12の月のすべてが天空を巡る役目を満了する、というのが原意。流産することを「月満てず」と言い表す。
  • 七月 血が熟して五色の固形物となり、これが臓腑と腎をつくる。ここも要注意。八月は13の端末ユニットが完成する時であり、母の細心の注意はここに極まる。九月には外見と声が備わり、十月には出産を待機する状態に入る。そして十二月に月が満ちて生まれる。



参考サイト:http://gejirin.com/hotuma14.html
     :http://gejirin.com/hotuma16.html
     :http://gejirin.com/mitinoku.html




ホツマツタエのおもしろ記事(86)『人の発生2』

2013-03-03 20:14
ホツマツタエのおもしろ記事(86)  人の発生



『我が上は 日・月の潤を 下す故 世嗣 生まんと 思ふ時 目の垢 濯ぎ 朝日 祈り 目より月・日の 潤を得て』ホ14文

  • 『我が上 (わがかみ)』「かみ (上)」は、ここでは「上流・源流・源」の意。アマテルの源流といえば「日と月 (太陽と太陰)」であり、これはそれぞれ「陽の源」と「陰の源」であった。
  • 『日・月の潤 (ひ・つきのうる)』「うる (潤)」は「潤すもの」の意で、ここでは「る (霊)」と同じと見て良い。「日・月の潤」とは「日霊 (ひる)」(日の放射エネルギー・陽エネルギー)」と「夜霊 (よる)」(月の放射エネルギー・陰エネルギー)」である。
  • 『目の垢濯ぎ 朝日祈り (めのあかそそぎ あさひのり)』「目の垢を濯いで朝日に心を同調する」の意。昔イザナギ・イザナミの二神は、世嗣を得るためにこれを実践している。
    『池水に 左の目を洗ひ 日霊に祈り 右の目を洗ひ 月に祈り』
    ホ4文

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『婚げば背の 潤波が 玉島川の 妹が霊と はらむ 精髄』ホ14文

  • 『婚ぐ (とつぐ)』は、「とつ(閉づ・綴づ)」+「つく (付く・接ぐ)」の合成語。どちらも「合わす・交える・結ぶ」などの意。
  • 『背の潤波 (をせのうるなみ)』「をせ (背)」は、ここでは「陽・日」。「なみ (波)」は「常に運動変化するさま」を表し、「物質として固まっていないエネルギーの状態・振舞い」を言う。だから音や光のように波として伝播するエネルギーを指す。よって「潤波」は「潤」と同じと考えて良く、「背の潤波」は「日の潤・日霊」の言い換えである。
  • 『玉島川 (たましまがわ)』「たま(玉)」+「しま(島・州)」+「かわ(川)」。丸く盛り上がった区画の裂け目。
  • 『妹が霊 (いもがち)』陰 (月) の霊。玉島川の奥の卵に宿る陰の霊。ここでの「ち (霊)」は、動的な「なみ (波)」に対して静的なエネルギーの状態を言っているように思われる。
  • 『はらむ』は「はる (貼る)」から派生した動詞で、ここでは「合う・交わる・絡む」などの意。 ここでの「はらむ」は「妹が霊とはらむ」と「はらむ精髄」の2つに共有されている。
  • 『精髄 (しらほね)』「しら」は「しる (精る)」の名詞形で、「精げたもの・精製されたもの」の意。これは陽陰の精製過程で上澄みとなった「陽」を意味する (参照『人の発生1』)。
    「ほね (骨・髄)」は「はぬ (跳ぬ)」の変態「ほぬ (穂ぬ)」の名詞形。「ほぬ」は「高まる・上る・優れる・中心にある」などの意。よって「ほね」は「上って天となった陽」を表し、同時に「芯・中軸・本質」の意を持つ。したがって「骨・髄」は陽を意味する「精」の同義語でもあるが、ここでは「陽のエッセンス」の「精子・精液」を言うように思う。
  •  (日月の潤を得て) 交接すれば、日霊は玉島川 (の奥の卵子に宿る) 月霊と交わるが、その日霊を乗せるのが精子である。


『男は地に向ひ 婚ぐ時 カリの精波 髄油』ホ16文

  • 『男は地に向ひ婚ぐ (をははにむかひとつぐ)』「上って天となった陽=男」が上になって「下って地となった陰=女」に向かって交接するのは、極当然と言えるだろう。だから正常位と言うのだろうか。
  • 『カリ』男性器を指す名と思う。「かり」は「かる (離る)」の名詞形で、「離れ・放ち・出っ張り」の意。他にも「まら」(「まる (放る)」の名詞形) 、「はせ (玉茎)」(「はす (馳す・発す)」の名詞形) などがあるが、どれも「放出・突起」の意である。
  • 『精波 (ししなみ)』「しし」は「しす・しっす (悉す)」の名詞形。「しす」は「高める・優れさす・至らす」などの意で、やはり陽陰の精製過程で上澄みとなった「陽」を表す。 したがって「ししなみ」は、前出の「日の潤」「背の潤波」の同義語である。また「ちち (父)」というのは、この「しし (精)」の変態である。
  • 『髄油 (ほねあぶら)』「ほね」は、ここでは「先ず上って天となった陽」を表す。「あぶら」は、ここでは「本質・エッセンス」の意。「陽の油」で、「しらほね (精髄)」と同様「精子・精液」を意味する。
  • 天なる男が地なる女に向かって交接する時、その突起からは日霊波を乗せる精液。

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『精の波 穢の和霊と 霊・波 合ひ』ホ14文

  • 『精の波 (ちちのなみ)』 「ししなみ (精波)」と同じ。背の潤波。日の潤。日霊波。「父の波」と言っても良い。
  • 『穢 (はは)』は「はふ (這う)」の名詞形で、陽陰の精製過程で沈殿していった水・埴の「陰」を表す。言いづらいが「はは (母)」の原義はこれである。また「ばば (糞・屎・婆)」や「うび (泥・水埴)」「ひめ (姫)」「いめ・いも (妹)」「へび (蛇)」「おゑ (汚穢)」などもこの変態なのである。
  • 『和霊 (あかち)』「あか」は「なく (和ぐ)」の変態「あく」の名詞形で、「中和して穏やかなさま」を表す。そして「あかち」とは、日のエネルギー (日霊) に比して穏やかな月のエネルギー (月霊・夜霊) を意味する。日霊には「あらたま・あらみたま (荒魂・荒御魂)」という言い方があり、対して月霊はと呼ばれるが、「あかち (和霊)」はこの「にこたま (和魂)」と同じ。これも結局は前出の「いもがち (妹が霊)」と同じである。
  • 『霊・波合ふ (ちなみあふ)』「穢の和」と「精の」が交わる。「因み合ふ」にかけている。
  • 陽の日霊波と陰の月霊が因み合う。


『女は天に向い 交りの 適の和霊 熟ぎ 迸たなす 精のカリ波 玉島へ 散はする時に 霊・波 合ひ』ホ16文

  • 『適の和霊 (かねのにし)』難解な部分。「かね」は「かなふ (適う・叶う)」の原動詞「かぬ」の名詞形。「にし」は「にち (和霊)」とも記されていて「にこたま・にきみたま (和魂・和御魂)」「あかち (和霊)」と同じ。「かねのにし (適の和霊)」とは「適当な状態の月霊」「程好い状況が叶った月霊」の意と考える。
  • 『熟ぐ (なぐ)』は「高まる・栄る・伸展する・熟す・優れる」などの意で、これの名詞形が「なが (長)」である。
  • 『迸た (とわた)』は「とわつ」の名詞形。「とわつ」は「とばす (跳ばす・飛ばす)」の変態で「離す・放つ・発す」などの意。よって「とわた」は「放出」の意であり「とばっちり (迸り)」「ほとばしり (迸り)」である。ここでは愛液を言っていると考える。
  • 『精のカリ波 (ちちのかりなみ)』 は前述の「カリの精波 (かりのししなみ)」と同じ。男性器から発射される日霊波。
  • 玉島 (たましま)玉のようにこんもり盛り上がった部分。女性器を指す。
  • 『散はする (しはする)』は「しはす」の連体形。「しはす」は「しふ」+「す (使役)」。「しふ」は「さる (去る)」「ちる (散る)」の変態。よって「しはす」は「散らす」の変態で、「放つ・発す」の意。
  • 女は天に向かい交わるが、この男女の交わりにより、程好い状況を得た月霊は、熟して愛液を分泌する。男性器よりの日霊波が女性器へ発射される時、月霊と日霊波は融合する。

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『昼は 霊 昇り 夜は波の 昇る 日月の 一回り 翌日 二回り 三回りと 月に三十回の 回り 増し』ホ14文
『昼は "和" 上に 左上り 夜は "精" 上に 右下り 翌日 二回り 三回りと 三十日には三十』ホ16文

  • 『霊 (ち)』『和 (に)』=月霊・和霊・陰の霊。
  • 『波 (なみ)』『精 (し) 』=日霊波・精波・陽の潤波。
  • 『昇る (のぼる)』『上に (うえに)』「優勢となる・影響力を強める・支配する」の意と考えるが、他所に「胞衣のめぐり」という記述もあり、実際に卵子あるいは胞衣の回転運動を引き起こしているのかもしれない。また「昼に陰 (月) が昇り、夜に陽 (日) が昇る」という組み合わせにも注意する必要がある。
  • 『左昇り (ひたのぼり)・右下り (みぎくだり)』東から上って西に下る。
  • 東から西へと昼には月霊が昇り、夜には日霊が昇って日月の1回転。翌日は2回転、その次の日は3回転と、日毎に1回ずつ回転数は増していき、1ヶ月で1日当りの回転数は30となる。

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『やや六十四日に 回り 満つ 総べて千八十に 回り遂げ やや満り子の 態 備ふ』ホ14文

  • 『やや (弥弥)』(副詞的に用いて) 「徐々に・しだいに」「ようやく」などの意。
  • 『満り子 (みとりこ)』「みとる」は「みつ (満つ)」から派生した動詞で、「みつる (満つる)」の変態。よって「みとりこ (満り子)」は「(外形が) 満ち足りた子」「五体が備わった胎児」の意と考える。辞書には「みどりご (緑児・嬰児)」で、「(新芽のように若々しいの意) 三歳ぐらいまでの幼児」とある。
  • 『態 (なり)』は「成る」の名詞形で「成ったさま・形・姿」の意。
  • 『千八十 (ちやそ)』単純に計算すれば「2,080」になると思うが、それほど単純ではないのだろう。
  • ようやく64日目に回転数は極みに達する。総計1,080回転を達成して、ようやく五体が備わる子の形態が調う。


16文は「月の名の由来」を説明するために、1日目 (受精日) を一月一日に設定している。一月の「むつき (睦月)」は「(男と女が/日霊と月霊が) 睦む月」ということである。

『三十一・二・三 三日 弛り緩む "タラム" とて 母の謹み』
『二月 至れば 三日 走り 皺 さらに切る "キサラ" とて 母の謹み』
『六十四日は 六十四 回りに 極まりて 回巡り 総て 千八十なり』
ホ16文

  • 『弛り緩む (たりゆるむ)』「たる (垂る)」+「ゆるむ (緩む)」の複合動詞。両語とも「下る・勢いを失う・衰える」の意。
  • 『タラム』は「弛り緩む」さまを表した言葉と思われるが、現在は残っていないようだ。「だらり」とか「だらん」に近いと思う。
  • 『謹み (つつしみ)』は「つつしむ」の名詞形で、「つつしむ」は「つつす」から派生した動詞。「つつす」は「たたす (正す・直す)」の変態で、「合わす・収める・直す」などの意。ここでは「(心を)添える・(気を)付ける・留意する」などの意。
  • 『走る (はしる)』は「はす (馳す)」から派生した動詞で、「高める・勢いづける・栄す・急ぐ」などの意。
  • 『キサラ』は「皺 さらに切る (しわさらにきる)」の意を表す言葉で、これが二月の「きさらぎ」の起源だということだろう (亀さら切)。「しわ」は「しま (島・州)」の変態で「分割・亀裂・区分」の意。これはおそらく卵割や細胞分裂を指す。
  • 31日目から33日目の3日間は回転の勢いが落ちる。これを「タラム」と言い、母の注意を要する時期である。二月が満ちる3日間には回転は勢いを増し、皺をさらに切る (細胞は急激に分裂する) 。これを「キサラ」と言い、ここも母の注意を要する時期である。64日目に1日当りの回転数は64と極みに達する。この時点で回転は、のべ1,080回に上っている。

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『因みの明は オノコロの 胞衣の形は 河車 臍の緒となる 実柱の 程好く重り 回り 欠け 日に一回り 遅れ減り』ホ14文

  • 『因みの明 (ちなみのあか)』「あか (明)」は「(すごろくの) あがり」や「(夜・奉公) あけ」などと同じで「完成・達成・出来上り」の意。「ちなみのあか」は「月霊と日霊波の因み (回転) の成果」の意。
  • オノコロは、ここでは「核・源・種」の意で「胎芽・胎児」を表す。また「ゑな (胞衣)」にかかる枕詞であろうかと思われる。
  • 『河車 (かわくるま)』水車。
  • 『臍の緒 (ほぞのを)』胎盤と胎児との合わせ・つなぎ。「ほぞ (臍)」は「体の結び目 (膨らませたゴム風船の結び目のようなもの)」また「他との連結部」の意。「を (緒)」は「合わせ・つなぎ」の意。
  • 『実柱 (みはしら)』は「中軸」の意。ここでは「オノコロ」の言い換えで「胎芽・胎児」 を言う。
  • 月霊と日霊波の因みの成果は、胎芽の胞衣と臍の緒となって現れる。その形は河車である。そのため胎芽は程良く目方を増し、回転は日に1回ずつ遅れ減る。


『遂に種なる オノコロの 胞衣の臍の緒 河車 弥々肉を盛り 回り 減る 翌 六十三度 次 六十二 遅り回りて』ホ16文

  • 『種なる (たねなる)』「種である」の意。「たね (種)」は「苗・根」と同義で、ここでは「胎芽・胎児」を指し、「オノコロ」「みはしら (実柱)」と同義。
  • ついに種である胎芽の胞衣と臍の緒が調う、その形は河車である。種はしだいに肉を盛り、回転は減ってくる。翌日には63回、その次の日は62と、遅れ回る。

河車
この写真は以前Googleの画像検索で見つけて保存しておいたものですが、現在はそのサイトにアクセスできません。 この写真の掲載に問題がある場合はご連絡ください。


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『三月は三十九 端を備ふ 四月 満つれば 満り達す』ホ14文

  • 『三十九 (みそこ)』日霊と月霊の回転が39となるのは3月30日。この時、胎児の端 (頭・頸・胸・手・足) が備わるという。このため「みそこ (三十九)」は「はな (端)」にかかる枕詞となっている。また「はな」といえば「39」という数を表す。
  • 『満り達す (みとりつす)』「みとる」は「みつる (満つる)」「みちる (満ちる)」の変態。「つす」は「たっす (達す)」の変態。よって「みとりつす」は「満ち足りる」「満ち至る」の意。
  • 3月の終わりには39回転となり、端 (頭・頸・胸・手・足) を備える。4月の終わりには満ち足りる。


『三月には 三十九となれば 三日 休む 満り 端 成り 弥 勇む 弥も謹み 四月には 熟み潤うも 謹みよ』ホ16文

  • 『弥 勇む (やよいさむ)』いよいよ勢いづく。「やよ」は「いよ・いや (弥)」の変態で「いよいよ・ますます」の意。この「やよいさむ」が、三月を「やよい」と言う由来だという。
  • 『弥も謹み (やよもつつしみ)』「いよいよ気を緩めるなよ」の意。「つつしみ」は、ここでは動詞「つつしむ」の命令形だと考える
  • 『熟む (このむ)』は「こなれる (熟れる)」の原動詞「こなる (熟る)」の変態で、「高まる・栄える・優れる」などの意。
  • 『潤う (うるふ)』は「うれる (熟れる)」の原動詞「うる (熟る)」から派生した動詞。「このむ (熟む)」と同じく、「高まる・栄える・優れる」などの意。この「るふ (潤ふ)」が、四月を「づき」と呼ぶ由来だと言う。
  • 3月の終わりには39回転となり、3日間回転を休む。長じて端 (頭・頸・胸・手・足) が備り、いよいよ勢いづくが、いよいよ気を引き締めよ。4月の終わりには熟して潤うけれど、気を緩めるなよ。



参考サイト:http://gejirin.com/hotuma14.html
     :http://gejirin.com/hotuma16.html
     :http://gejirin.com/mitinoku.html




ホツマツタエのおもしろ記事(85)『人の発生1』

2013-03-02 16:31
ホツマツタエのおもしろ記事(85)  人の発生



人間がどのようにして生まれて来るかについて、ホツマは「世嗣祈る宣言の文」と「孕み謹む帯の文」の2章において、同じ内容を言葉を変えて説明している。前者は根源神「アメノミヲヤ (陽陰の上祖)」と同一視される「アマテル」による言葉であり、後者は医薬学の草分け「コモリ (子守神)」(斎名:ミホヒコ) による言葉である。

このページでは2つの説明を比較しながら、ホツマの伝える「人の発生メカニズム」を解き明かしていきたいと思う。しかしながらこの部分は非常に難解な用語や文から成っており、誤解している箇所もあると思うので、そのつもりで読んでいただきたい。

両章とも「人の発生」の前に、まず「陽陰の発生」から話がスタートする。これは、人の発生も「あめなるみち (陽陰和る道)」の延長線上にあるもの、と捉えていることを示すものに他ならない。



『万の齢の ミコト・ヒコ やや千齢 保つ 民も皆 クニトコタチの 子末なり その本 悉く アメミヲヤ』ホ14文

  • 『ミコト (尊・命)』は、「めかす (粧す)」の変態「みこつ」の名詞形で、「みごと (見事)」「みかど (帝)」の変態。「高きさま・優れたさま」の意。ここでは「皇族」や「高位の臣」を指す。
  • 『ヒコ (彦)』は「ひく(引く・率く)」の名詞形で、「(民を) 率く/導く者」の意。また、ヒト (一十) に1歩及ばぬヒコ (一九) の意。「臣・もののべ」の別称である。
  • 『民 (たみ)』は「たる (垂る/足る)」の変態「たむ (垂む/治む)」の名詞形で、「下るもの・劣るもの・卑しいもの」の意。あるいはそれが故に「(君・臣が) 治める対象」の意。
  • 『クニトコタチ (国常立神)』地の土台を築いた陽陰両性を合わせ持つ神人。詳しくはこちらを参照。
  • 『子末 (こすえ)』「分かれの末・分岐の末端」の意で、「梢」と同じ。「こ (子)」の原義は「わけ (分け)」である。
  • 『悉く (ふつく)』は「ふつし (悉し)」の連用形。「ことごとく」に同じ。「ふつくに (悉に)」という副詞が辞書にある。
  • 『アメミヲヤ (陽陰上祖)』根源神。創造主。陽・陰を分けて大宇宙を創造した神霊。


ここで注目すべきは「君・臣・民」の身分の違いによって、寿命の長さが異なっていたと言っていることである。これほどはっきり言っている箇所は他にはないが、君・臣に比べて民の寿命が短かったことを匂わせる記述は他にもある。そしてそれは多食と、それが引き起こす心の曲り (物質偏重) を原因と見ていたようだ。

『経る年 (寿命) 古より 月 三食の 人は百万に 月 六食の 人は二十万 今の世は ただ二万年 生き均るる 食 重なれば 齢 なし』ホ1文
『人種の食 頻る故 生れ 賢しく 存えも 千齢は百齢と 萎り枯れて 我が八十万も 百年も 世の楽しみは 合い同じ』ホ27文
『百万年の 寿も 日の一回りぞ 人草の 均し二万年も 終日の 百百の二切れ』ミ4文
『今の人草の 弥々 食べ増すを 謹めと』ミ4文




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『天・地・人も 分かざるに 生の一意気 動く時 東 昇りて 西 降り 空洞に回り 泡・泥の 回れる中の 実柱に 離けて陰陽 成る』ホ14文

  • 『天・地・人 (あめつちひと)』は、「陽」と「陰」と「陽と陰の結合である人」の意。
  • 『生の一意気 (ういのひといき)』アメノミヲヤの生みの意志。この意志が「天元神」という神霊を生む。
  • 『東 昇りて 西 降り』天元神は時計回りの回転を始める。
  • 『空洞 (うつほ)』この「うつほ」は、後に陽が分れて出来る「うつほ (空)」とは区別して、「陽陰分離前の原始空間」「無の空間」の意と考えたい。
  • 『泡・泥 (あわうび)』天元神が「陽・陰」に分離する以前の半混沌状態を表す言葉で、陽の元となったものを「アワ(泡)・アホ(空)」、陰の元となったものを「ウヒ(泥)」と表現している。
  • 『実柱 (みはしら)』「み (実)」は「心・芯・核・中」の意で、「ま (真)」と同じ。「泡泥」の状態となった天元神の回転はしだいに速度を増してゆき、その回転軸に一本の柱が立つ。この柱は竜巻をイメージするとわかりやすい。この柱を「天地届く実柱 (あめつちとどくみはしら)」あるいは「中串 (なかくし)」と呼ぶ。
  • 『離けて陰陽 成る (さけてめをなる)』泡と泥は、この柱を軸にさらに高速で回転する内に、重い成分が下に沈み、軽い成分は上に昇る。最終的に柱の上と下とでくっきりと分離して陽と陰となる。


『天地 未だ 分かざるに 生の一意気 まどかにて 水に油の 陰陽 分かれ』ホ16文

  • 『まどか (円か・全か)』「まど」+「か」。「まど」は「みつ (満つ)」の変態「まつ (全つ)」の名詞形。「か」は「しく (如く)」の名詞形「しか」から「し」を省いたもの。「まどか」は「完全なるさま・至ったさま」の意。「まどかにて」で「まったく・まるで・あたかも」の意となる。
  • 『水 (みつ)』こちらを参照。
  • 『油 (あぶら)』は「あぶる (焙る・炙る)」の名詞形。「あぶる」は「熱する・上げる・揚げる」の意。

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『陽は清く 軽く回りて 天と成り 陰は中に凝り 地と成る 水・埴 分かれ 陽の空 風 生む 風も 火を生みて 陽は三つとなり 陰は二つ』ホ14文

  • 『陽は清く (をはきよく)』ここでの「きよし (清し)」は、喩えて言えば「精製されたガソリンのように透明で精妙」という意。逆に言えば重い不純成分は沈殿して陰となったということである。
  • 『軽く回り (かるくめぐる)』透明・精妙であるが故に「軽く常に素早く動き回っていて、目にも止まらない」の意。
  • 『天 (あま)』は、ここでは「空間・気・気体」などを表す。
  • 『地 (くに)』は、ここでは「物質・液体・固体」などを表す。 
  • 『空 (うつほ)』ここでの「うつほ」は「一見何もないさま・空間」また「空間を満たす見えない気・空気」の意。


『陽 まず 上りて 天となり 陰は 後 下り 地泥の 埴・水 分けて 埴は山 水は海 成り 陽の空 風と動きて 火と化ける』ホ16文

  • 『陽まず上りて天となり 陰は後下り地』先に陽が上って後に陰が下った、という順序は記憶しておくべきである。
  • 『泥 (どろ)』は「とる(捕る)」の名詞形。「とる」は、「のる(和る)」の変態で、ここでは「合う・和らぐ・緩む」などの意。「とろい」「のろい」「どろどろ」のそれで、「(水と埴が混じって) 柔らかいさま・緩やかなさま」を表す。

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『背のムナモト 日と丸め 妹のミナモト 月と凝り』
ホ14文

  • 『背 (をせ)』は「うをせ」の短縮。 「うをせ」は「つほ (空)・ (火)・か (風)」の簡略。
  • 『ムナモト (宗元)』「むね・むな (棟・胸・宗)」は「上・高・中心」などの意で、これは「陽」を表す。「もと」は「発する所・上流・源・核心」の意。「ムナモト」は「陽の源・陽の核」の意。
  • 『妹 (いも・ゐも)』は「いむ (忌む)」の名詞形。「いむ」は「やむ (病む)」の変態で、「下る・沈む・縮む」などの意。「うふ (飢う)」の名詞形「うひ (泥・水埴)」の変態。
  • 『ミナモト (鄙元・穢元)』「みな (鄙・穢・陰)」は「下・低・端」などの意で、これは「陰」を表す。「もと」は「発する所・上流・源・核心」の意。「ミナモト」は「陰の源・陰の核」の意。


『背のムナモト 日と丸め 天 近く回り 男に配る 妹のミナモト 月と凝る 地に近き故 女に配り』ホ16文

  • 『天近く回り男に配る (あちかくめぐりをにくばる)』 太陽の周回軌道 (赤道) は「中節」の外側で、天に近い故に男に陽属性を配る。
  • 『地に近き故女に配り (はにちかきゆえめにくばる)』 月の周回軌道 (白道) は「中節」の内側で、地に近い故に女に陰属性を配る。

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『空・風・火と 水・埴の 五つ 交わりて 人となる アメナカヌシの 神はこれ』
『八方 万地に 万子 生み 皆 配り置く 人の初 天に還りて アメミヲヤ』ホ14文

  • 『アメナカヌシ (天中主)』地に生まれた初の人間で、根源神アメノミヲヤ (陽陰の上祖) の顕現とされる。元祖クニトコタチ。「ミナカヌシ (御中主)」とも呼ばれる。名の由来は「天の真ん中を占める主」で、フトマニ図中心の「アウワ」の位置 (北極星に相当) に座す神という意である。「アウワ」は「陽+陰」の意で、アメノミヲヤの別名。


『空・風・火と 水・埴の 五つ 交わりて 人となる 後は妹背 婚ぎ生む』ホ16文

  • 『妹背婚ぎ生む (いもをせとつぎうむ)』男女は交合して生む。ただしこれは世に男女の区別が生じたウヒヂニ・スヒヂニ以降の話である。

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『天の形は 磐大山 日・月も地も 張ら籠り 外は八重和幣』ホ14文

  • 『天の形 (あめのかたち)』宇宙の姿。
  • 『磐大山 (いわをやま)』「いわ (磐)」「を (大)」「やま (山)」は、いずれも「成長・発展したさま」の意で、「いわをやま」は「とてつもなく大きいさま」を表す。
  • 『張ら籠る (はらごもる)』「張ってこんもりする」の意。日も月も地球も平面ではなく球形であることを言っている。
  • 『外は八重和幣 (とはやゑにぎて)』タカマの原 (大宇宙) の外の八隅には八色のニギテがたなびくという。
    『その外は 名もトコシナエ 八隅際 八色の和幣 南 青  西は紅 北は黄に 東は白く 間も色』ミ6文

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『元明の 四十九の種の 中御座 ミヲヤ 継げ足す 方隅に 八君 トホカミ ヱヒタメぞ 次 アイフヘモ ヲスシ神 末は三十二の タミメヒコ 元・中・末の 三座あり』ホ14文

  • 『元明 (もとあけ)』「根源を開く神」の意。アメミヲヤ+天元神天並神三十二神の総称。=四十九神。
  • 『四十九 (よそこ)』「元明 (もとあけ)」と同じ。
  • 『中御座 (なかみくら)』「中心の神座」の意。フトマニ図中心の「アウワ」の神座 (北極星に相当)。「アウワ」は「陽+陰」の意で、アメノミヲヤの別名。
  • 『トホカミヱヒタメ』総称して天元神または八元神と言う。天元神はそれぞれ、地に生まれて八方の地を治めた後に天に還り、アメノミヲヤの「アウワ」を囲む八方の位置に星となって座す。
  • 『アイフヘモヲスシ神』総称して天並 (あなみ) 神または天均 (あなれ) 神と言う。天並神は「トホカミヱヒタメ」の天元神を囲む八方の位置に星となって座す。
  • 『三十二のタミメヒコ (みそふのたみめひこ)』四十九神からアメミヲヤ・天元神・天並神を除いた32神を「三十二神 (みそふかみ)」と総称し、別名を「タミメ彦」と言う。「タミメ」は「外見目」で「外見・外観」の意。三十二神は「アイフヘモヲスシ」の天並神を囲む八方の位置に星となって座す。

フトマニ図3  

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『十六万八千の モノ 添ひて 人 生まる時 本つ神 そのタエ守が 種 下し モノと魂・魄 結ひ和す』ホ14文

  • 人は世に生まれる時、天元神がその人に守 (もり) を付ける。この守を「本つ神の留守 (もとつかみのたえもり)」あるいは「本守 (もともり)」と言う。本守は「魂の緒」を世に下し、それに16万8千の精霊を添える。その魂の緒が「魂と魄」を結い合わすことによって人は世での生命を得るという。 詳しくは『魂魄と魂の緒』を参照。

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『天均 臓腑・血 根隅 成果・見目・髪』ホ14文

  • 『天均 (あなれ)』天並神と同じ。「ア・イ・フ・ヘ・モ・ヲ・ス・シ」の8神。
  • 『臓腑・血 (くらわた・しむ)』「くらわた (臓腑)」は、いわゆる五臓六腑の内蔵を指す。「しむ」は本来は「霊・精」の意で、生命のエッセンスを表すものだが、それが人体では「血」となって現れると考えられていたようだ。
  • 『根隅 (ねこゑ)』は「元と末・内と外」の意で、ここでは「内蔵と外殻」を表す。他にも「音声」として「親と子・伸音と衰音・母音と子音」を表す場合もある。つまり「天均神は人の内臓と殻を守る」ということを言っている。
  • 『成果・見目・髪 (なりわ・みめ・かみ)』「なりわ (成果)」は「出来上り・完成」などの意で、ここでは「仕上げ・出来映え」などの意。「みめ (見目)」は「見た目・外見」。だから「なりわ」と「見目・髪」はどちらも同じで「装飾・化粧」などの意味である。記されていないが、これは三十二神 (タミメ彦) が守るものを指している。


参考サイト:http://gejirin.com/hotuma14.html
     :http://gejirin.com/hotuma16.html
     :http://gejirin.com/mitinoku.html




ホツマツタエのおもしろ記事(84)『鬼』

2013-03-01 13:48
ホツマツタエのおもしろ記事(84)  



「鬼 (おに)」に対して現在我々が持つイメージは、「恐ろしい形相で角を生やす」「人に似るが人ではない生き物」「強くて人にとっては迷惑な存在」、だいたいこんな所だと思う。
ホツマにも「おに」は登場してくるが、これらのイメージとは少し違っているようである。


「おに」は「おぬ」という動詞の名詞形である。
「おぬ」は「おる (下る・折る・愚る)」「おふ (穢ふ)」「おゆ (瘁ゆ)」「ある (粗る)」「うむ (膿む)」などの変態で、いずれも「下る・劣る」の意である。
したがって「おに (鬼)」は「下るもの・劣るもの」というのが原義である。



だから「おり・おれ (下り・澱・折れ)」「おえ (汚穢)」「いぬ・えぬ・えの (犬・狗)」「あら・あれ (粗)」「うみ (膿)」などは、みんな「おに (鬼)」の変態であり、すべて「下るもの・劣るもの」という意である。
(大きな声では言えないが、男の反対の性である「ONNA」もこれである。)

「ONNA」の場合は、『陽 まず 上りて 天となり 陰は 後 下り 地泥の (ホ16文) 』 に言う所の「下って地となった」を指している。
「いぬ・えぬ・えの (犬・狗)」は、「(霊長である人に比べて) 劣るもの」で、本来は「けもの (獣)」全般を指す言葉であり、「しし (獣)」の同義語である (「しし」は「しす (垂す)」の名詞形)。
そして「おに (鬼)」は、「(神に比べて) 劣るもの」を意味し、「低級な霊」を指す言葉なのである。



『魂魄と魂の緒』のページで述べたが、「神 (かみ)」とは「上・下 (みし)」の簡略形「かも」の変態で、これは分離状態にある「陽」と「陰」を表す言葉である。もし分離している陽と陰が結合した場合、それは目に見える形となって現れる (=物質となる)。

したがって結合していない状態の「陽・陰」は、非物質すなわちエネルギーである。そしてこれが「かみ (上・下=神)」の原義なのである。

その「かみ (上・下)」に「かみ (上)」の意が重なり「上位・高級」の意が付加されて、一般的に「高級なエネルギー」を「神」と呼ぶようになっている。

エネルギーとは「目には見えないが存在するもの・形なきもの」を言い、ホツマでは「る (霊)」「ち (霊・精)」「き・い (気)」「もの (物)」などと呼んでいる。



しかし「(神に比べて) 劣る霊」「低級霊」である「おに (鬼)」が他の低級霊と違うのは、「鬼」は「(人を) 劣らす霊・害する霊」だという点である。
つまり「鬼」とは、「悪霊」「厄病神」を言うのである。
だからその害を祓うために「鬼遣らい」を行うのである。

『イクシマと タルシマ 四方の 御垣 守り イカスリ内の 鬼 遣らひ カカンノンテン 揃ふ時』ホ14文
『年越は 大麦と小豆と 米 蒸ます トシノリ ヤマサ 鬼遣らい』ホ38文
『年分けの夜は 豆を煎り 穢・鬼 遣らふ 門を開き 〆引き 塞ぎ ハヱ・ユヅ葉 麦に年越え』ミ7文
『"ヱ" 元の神の 別る夜は 煎り豆 打ちて 鬼遣らい 柊鰯は モノの垣 穂長 譲葉 注連飾』ミ9文




ホツマには他にも、「いそら (卑霊)」「はは (穢)」「おろち (愚霊)」などの悪霊が登場してくるが、これらは生きている人間の放つ「妬み・恨み」などの、ねじ曲った想念が転じて出来た「生き霊 (いきりょう)」と言われる霊である。
「妬み・恨み」を放出する人間はたいがい無意識にこれを行なっているし、生き霊も意識的に障害を起こそうとしているのではなく、むしろ「同類 (同種の想念エネルギー) が寄り集まって融合する」という自然法則的なものである。



それに対し、魂の緒が乱れて「魂魄」の結合が解けず、ムナモト・ミナモトに還れない人霊があり、一般に「死霊 (しりょう)」と呼ばれている。 (『魂魄と魂の緒』を参照)  これらは死後も下界を離れず世に徘徊し、意識的に生きてる人にちょっかいを出してくる。そして結果的に人に障害を起こすことが多い。
ホツマはこうした死霊の類を、特に「おに (鬼)」「あれ (粗)」と呼んでいるようである。

『粗・鬼ものを 破るなら 空這子にて 招き入れ 〆 引き渡し 水濯ぎなせ 鬼神 縛る 器物』ホ12文



参考サイト:http://gejirin.com/mitinoku.html
     :http://gejirin.com/hotuma12.html
     :http://gejirin.com/hotuma14.html
     :http://gejirin.com/hotuma38.html
     :http://gejirin.com/mikasa07.html
     :http://gejirin.com/mikasa09.html




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