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ものざね

2014-01-30 02:54
ものざね



高校受験の日、その日の弁当を開けてみると、飯の上に四角い海苔が5枚 (実話)。

五角 → 合格。
 
この弁当は「合格」を祈願する「物実 (ものざね)」だったのである。
 
柊鰯も同じ。
門を開いて角を開き、汚穢を払ってヤワシと繁栄を願う物実が柊鰯。


ひらき (開き) → 開運
ひらき (平き) → 平穏
 
ゐわし (斎し・祝し) → 繁栄
ゐわし (忌し) → 穢の祓い
ゐわし (和し) → 一家円満・平穏
 
その実 (心) を写した物体 → 柊鰯 (物実)

@gejirin1 Twitter 2014/01/30


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ワカは沸なり

2014-01-30 02:49
ワカは沸なり


何度も言ったが「わか姫・わかうた」の「わか」は「わき (沸き)」と同義。
 
これは「勢い・活・栄え」を意味する。
 
「わか姫」は「繁栄の姫」
「わかうた」は「繁栄の歌」
「わかの国」は「繁栄の国」
という意味である。
 
ところがこれだけではない。


「わか姫」は「アチヒコに心を沸かす姫」の意にも使われる。
またその沸き立つ心を歌ったのが「わかの歌」でもある。
 
あちひこお みれはこかるる
わかひめの わかのうたよみ ホ1
 
ともあれ、枯れた稲を復活させたワカ姫は「生田神社」に祭られる。意味は「活田神社」だろうか。

ホ1最後の『これしきしまの わかのみちかな』は、
 
『これは磯城島の繁栄の道かな』という意になる。
 
『磯城島』は「ヤマト」の異名で「和の道の通った国」。
『わかのみち』は「沸の道=繁栄の道」。
『これ』とは「歌の力で汚穢を祓うこと」。
 
和の国では言葉は剣に勝る。


@gejirin1 Twitter 2014/01/31



あわうわ

2014-01-29 17:58
あわうわ


「きつさね」は「東西南北」を表すが、元来の意味は「起尽栄寝」。
 
自然の順序は「東南西北 (起栄尽寝)」。「起-盛-熟-死」という「あめなる道」のサイクルを、太陽の勢いとその位置で表す。
 
注意すべきは、「つ (尽)」は「尽き滅ぶ」ではなく「満ち至る」の意であること。


「起-盛-熟-死」の意味では、「東南西北」は「春夏秋冬」とまったく同じ。だから「東宮」を「春宮」とも言う。
 
「あめなるみち (陽陰和る道)」は、陽陰の結合と分離によって万物万象が「起-盛-熟-死」の循環を繰返すことをいうが、ホツマは人についてもその輪廻転生を明言する。


「あわうわ」は「あわうひ」の変態と思う。これは原始宇宙が陽と陰に分離する前の半混沌状態を表す言葉で、陽の元となるものを「あわ (泡)」、陰の元となるものを「うひ (泥)」と表現している。
 
これが今「あやふや・うやむや」に訛ったと思われ、「混沌・無秩序・始まる前・曙」などの意。


「きつ (起尽)」と「あわうわ」をこのように理解すれば、ミカサフミ「きつよちのあや」にある、
 
『きつのはしめの あわうわや』
の意味が少し明らかになる。
 
『人生の起りと満ち、これもそのスタートは混沌からである』
 
ここで混沌とは、まだ物心つかない赤子のさまを指す。


「あわうわ」に続いて「てふち しほのめ」と来る。これを「手打ち 潮の目」と解釈する向きが多いと思う。
 
二号が疑問に思ったのは、なぜ「てうち」でなく常に「てふち」と表記されるのか、ということであった。また「しほのめ」の辞書の説明は、ホツマの文脈にそぐわないように思えた。


そこで二号はこれを「長ぢ 初の目」と解釈した。
 
「長ぢ」は 今の「長じ」で、「長じる」の名詞形である。つまり「成長」。
 
「初の目」は「初めて見ること・目が開くこと」である。
 
「ちょう (長)」「しょ (初)」は音読みで中国語起源じゃないかと、みんな言うと思う。


しかし音訓の別は、長い間「そうだろう」と、無批判に信じ込まれてきたことで、実はさしたる根拠のない区別であることの手掛りを二号は得ている。
 
例:
「ぶとう (舞踏)」の「とう」は、「とふ (跳ぶ)」なり。
 
辞書に「ちょう【跳】テウ」とあり、【跳る】はオドルと読む。


また「しおらしい」は「初らしい」の意ではないだろうか。
 
この「しほ・しお」は「しふ」の名詞形だが、「しふ」は「しむ (染む)」「そむ (染む・初む)」の変態で、「始まる・始める」の意である。


すると『あわうわや てふちしほのめ』は、
 
『混沌状態が進展成長して目が開く』と理解できる。
 
これは「右も左もわからぬ赤子が、成長して目が開いて物心がつく」と解して良いと思う。
 
さらにミヲヤの宇宙創世の過程が、そのまま人にもあてはまることを言ってるように思う。


おそらく『あわうわや てふちしほのめ』は格言のようなものになったのだろう。
 
狂言歌謡
「てうち潮の目あわわ、かぶり潮の目」
 
【ちょうちちょうち‐あわわ】大辞泉
幼児をあやすときのしぐさの一。「ちょうちちょうち」に続けて、その手を口に当てながら「あわわ」と言う。


そしておそらく「しほのめ」は「しののめ (東雲)」と同じ。
「開き・明け・開始・開眼」を意味する。
 
しの‐の‐め【東雲】 広辞苑
1.あけがた。あかつき。あけぼの。いなのめ。
  古今恋「―のほがらほがらと明けゆけば」


@gejirin1 Twitter 2014/01/29


あめわかる をめかやわして  陽陰分かる 男女が和して
あわうわや てふちしほのめ  あわうわや 長ぢ 初の目
わかひはのほる        若日は昇る

なのかほど ししをくわずば しみるひゑ
たけみなかたの ねがひみにしる

こりゃいかん にんにくげふざ たらふくに
くえばみはもゑ よるもねられず



ワカ姫と押草

2014-01-28 21:56
ワカ姫と押草


「おしくさ」は、表の意は「(扇に) 押し合せた草」だが、奥には「押腐」で「穢を押し祓う」の意がある。
これは「おしくも (押雲)」「むらくも (叢雲/放雲)」「くさなぎ (草薙/腐投)」などと同義。
「押草」は、「押腐」の言霊を世に発動するための物実なのである。

ワカ姫はなぜ「たのき (田の東)」に立って扇いだのか?
風が東から吹いてたためとも言えるが、「たのき (田の起き)」を図るためだったと思う。
後ホ32に「オオナムチ "たなか" のり」というのが登場するが、この「たなか」は「たのき」と無関係とは思えない。

『わかがえる』という言葉は、歳が若くなるという意味ではなく、実際には「元気活発な状態に戻る」ということだ。
だから原義は「沸き返る」(沸いている状態に返る) と同じ意味である。
それが「分れたばかり・湧きたて」の意と重なった。
事実年少のものは元気で活発だから。

このように、古代ヤマトの物事の名前には、まじないの言霊が隠れている場合が多くあると見たほうがよさそうである。
上記の例では問題ないが、そうしたところに濁音や特殊文字を混入させてしまうと、裏に隠れる意味 (こちらがより重要である) が読み取りにくくなることは否めない。

@gejirin1 Twitter 2014/01/28


このよには もはやおもひは
とまらぬと いさみてみるも
はらはまたへる

はらへれば だれしもこころ
けものなる うゑおかすつみ
たがとひえるや

めぐみなく こころうゑれば
をさめえず ふたかみめぐり
ことのはさづく

みとこころ うゑをやわして
のりとほる はしめにおきて
ありきにあらず



磯城と志賀

2014-01-28 14:33
磯城と志賀


「しき (磯城)」は「しく (頻く)」という動詞が源で、「しげ (繁・茂・重)」と同義。
「しく」は「さく (咲く)」の変態なれば「さか (栄)」「さき (幸)」とも同義である。
【敷島の】は「やまと」にかかり、【敷島の道】は「和歌の道・歌道」の異名。その理由はホ1文に見える。

不思議に思うのは、どうしてヤマト (葦原国あるいは日本) が「しきしま (磯城島)」なのかの理由をはっきり説明する記事が見当たらないことだ。まあ説明するまでもなく当然ということなんだろうか。「あしはら」は「映す原・栄える場」という意味もあるからね。

それで思い出した。「はら (原)」は「ほら (洞)」の変態で「空き・空間・場」の意味が第一。
ほかに「はり (治)」「ひら (平)」の意味もあるけどね。

あ、うん、そーだ!「しきしま (磯城島・敷島)」は「葦原国・大和国」の異名とされているが、「しき」の変態の一つには「しか (滋賀・志賀)」もある。

ヤマト国は「トの道 (調の道)」「マト道 (円道)」が通った国を言う言葉だが、二神は「なかくに (中国)」を拠点にして、しだいにその道を日本全土に広げていった。中国=アワ国=葦原国である。

だいたい見えてきたぞ。
「磯城島」は「繁栄の地域」という意味だが、繁栄の基は調和であった。和の道が通った国をヤマトと呼ぶようになるが、それは葦原国から始まる。葦原国は淡海の国で、志賀の国とも呼ばれる。
「しき島」は「しが州」の同義語だったのだ。和の拡大と共に磯城島も拡大していった。

こりゃ大収穫だ。 これまで「志賀・滋賀」の意味を考えても解けなかったのに。

「さが (祥・佐賀・嵯峨)」も「しき」「しが」と同じ意味なのではないだろうか。
「しがのかみた (志賀の守方)」ホ25 =「佐賀県」?

そういえば「しき・しか」は、「すか (清・優)」や「すき (直)」の変態でもあったわ。
どうして今まで気づかなかったんだろう!


@gejirin1 Twitter 2014/01/27



スピーカーの話

2014-01-28 14:25
スピーカーの話


1-1-IMG_2672.jpg

写真は二号愛用の自作スピーカー。長岡鉄男設計のBS-69 (愛称:ボトル)。260W×230D×400H。fostexのFE-126 (直径12cm)を装着。アンプのBASSを+8にすると50~16KHzがフラットという驚異のf特。

f特というのは「周波数特性」の略で、どの周波数帯をどのレベルで再生できるかをグラフにしたもの。低音域から高音域まで平らに再生できることが理想。これのみが音の良し悪しを決定するものではないが、測定器が計測できる、また人間が視覚的に確認できる唯一の指標である。f特から音色は見えない。

低音域用のウーファー、高温域用のツウィーターに分ける2way・3wayスピーカーが流行っているが、これは音質に関して良い所は一つもない。しかしf特を平らにするには一番簡単な方法であり、またルックス的にカッコいいので売りやすい。この大ヒットが往年のヤマハNS-1000Mだった。

以後内外のオーディオ機器メーカーはそれに右へ倣いとなる。理想は1本のSPユニットで全音域を平らに鳴らせることだが、現実にはそんなものは存在しない。マルチウェイ化に対するもう一つの選択肢は、箱に工夫を施して低音域を増幅するという方法だ。歴史的にはこちらの方法が古い。

バスレフ、ダブルバスレフ、バックロードホーン、共鳴管などは箱に対する工夫の方式だ。BS-69 (ボトル) の大きなエントツもそれであり、ダテや酔狂で付いてるのではない。このエントツはオーディオ用語では「ダクト」と呼ばれ、一種の排気口である。このダクトによって低音を増幅している。

低音域は箱の工夫で増幅可能だが、高音域はそれができない。だから1本のユニットで全音域を平らに鳴らすためには、高音域の再生が得意なユニットを選ばざるをえない。そうすると必然的に8~12cmの小口径のものとなる。口径が16cm位になると13kHz以上の高音は再生しにくくなってしまう。

2way/3way と 箱の工夫、どちらがいいのか?これは言葉では説明できない。自分の耳で聴けばわかる。「ベールが剥がれる」「雲が晴れる」という表現の意味が実感できるだろう。小口径ユニット1本のスピーカーの唯一の弱点は、耳が痛くなるほどの大音量は出せない、ということである。

我々は普通スピーカーの表側から発せられる音を聞いているが、実は裏側からもまったく同じ音が出ている。ただし位相は逆だ。表の音が+なら、裏の音は-である。この両者が混合すると打ち消し合って理論上ゼロになる。この混合を避けるためスピーカーは壁に埋め込んだり、箱に装着するのである。

陽陰 (正負、+ー) は和合すると透明になるのだ。そしてスピーカーの箱に施す工夫というのは、裏側から発せられた負の音を積極利用することにほかならない。位相が逆の音波は、わずかに時間差を与えると同相に転じる。つまり負の音が箱の内部を通る間に、遅れて正の音に転じるというわけなのだ。

そうなれば音波は増幅される。また幸いなことに、高音は減衰しやすくて遠くまで届かない。高音は箱の内部で消滅してしまうのだ(完全にではないが)。その結果、低音だけが取り出されてダクトから出てくるという具合だ。かくして我々は低音域部分の増幅を実現するのである。めでたしめでたし。

2way・3wayスピーカーで問題なのはウーファーだ。ウーファーは見てわかるように振動板 (コーン) が大きくて厚くて重い。この重量を駆動するには大きな電力が要る。つまり鈍感なのである。相当な電力を入れないと (ボリュームを上げないと) まともに音を出さないのだ。

f特は限界の大音量で測定する。ところが音質を左右するのはマイクロワットという微弱電力を再生する能力だ。この微弱信号を我は「音の靄」と呼んでいるが、これが再生できるか否かがオーディオの命である。鈍感なウーファーは「音の靄」の再生は困難。特に一般家庭での小音量では到底不可能である。

特に2wayスピーカーの場合、可聴帯域の大半をウーファーが受け持つ。これでは出てくる音は非常に大雑把な音にならざるを得ない。微妙な音は原理的に表現できないのである。ただ最近の我々はそんな音に慣れているという現実があり、制作側もそれに合わせて音作りする傾向があるように思われる。

繊細な「音の靄」を再生できるスピーカーで聴く時、マイク2本で比較的遠距離から録った古典的な録音の方が、ずっといい音に聞こえるものだ。


@gejirin1 Twitter 2014/01/26・27


マスコミに 踊らさる民
いましむる 評論家これ
マスコミなりき



うた

2014-01-28 14:14
うた


和歌などは普通の文に比べて説明が少ない。これがいい。読み手は暗号やパズルを解くように一語一語に集中する。また読み手によって理解が違う。作者の真意はわかる人にはわかるが、わからん人にはわからん。これもいい。わからん人の誤解を気にせず本音が言える。また美しい五七リズムは辛辣もやわす。

初めて読んだ時の理解は、二回目、三回目では変わってくる。人に合わせて言葉は進化する。はじめはわからん人も、遂には真意を理解し得る。そして歌ならば心に留まりやすい。
 
ももちこころみ はるかなる おくのかみちえ まさにいるへし


@gejirin1 Twitter 2014/01/26



一二三

2014-01-28 14:12
一二三


洋の東西を問わず「一」は「起り・始まり」を意味する。おもしろいことに「一」は「すべて」でもある。他に何もないのだから。one = all = whole である。だからallは単数形扱いだ。陽陰に分れる前のミヲヤは「一」であり、同時に「すべて」であった。

英語の「one」は、仏語では「un」伊語では「uno」。「one」は「an (冠詞)」や「uni」にも転じる。
頭音に注目すると「ワ」音が「ウ・ア・ユ」音に変化しているわけだ。
これらを二号は変態と呼んでいるが、早い話が訛りだ。同様の訛りは当然ヤマト言葉にもあると考えるべきだ。

ミヲヤは自らを分けた。「ニ」の誕生だ。「ニ」は「分かれ・対・ペア」また「陽陰・男女・父母」の発生を意味する。「一」を父と見た場合には「ニ」は母を意味する。「陽陰」は「1なるものの2相」であって、単独では意味を成さない。また自然界には通常存在しない。単極の磁石は造れないのだ。

「two」は伊語では「due」仏語では「duex」で、「トゥ」は「ドゥ・デュ」に訛る。どちらが元かはわからんが。また「duo」「double」「twin」「twelve」「twenty」などの語を作る。そしてまた「対する・匹敵する」という意味から「to (前置詞)」が生まれる。

陽陰に分かれたミヲヤは「あひ (合・愛)」「やわし (和し)」を実地に経験できるようになった。陽陰をふたたび一つに和してみると、なんと別のものが分れ出た。「三」の誕生であった。1+2=3。 父+母=子。陽+陰=人。「三」は「融合・調和」、「派生・発生」、「化け・繁栄」を意味する。

「three」は、伊語では「tre」仏語では「trois」だが、「tri」「thri」「thir」などにも変化する。「tres bien (素晴らし)」「triple」「tree」「thrive (繁栄)」「thirty」などの語をつくる。「躍動・繁栄・すごい」の意の語が多い。

ミヲヤは純真無垢にして、自分が何者かも知らぬ無知の存在であった。自分を知るために、そのモノサシを得るために陽陰に分かれ、無数の子に分かれた。無数の子の経験がミヲヤの知となる。この世・あの世に存在するすべての意識を和す時、再び統一体のミヲヤとならんが、はたしてミヲヤはその時を待ち望んでいるのだろうか。


@gejirin1 Twitter 2014/01/25


うけすてめ つのがあらしと
あめひぼこ やまとはまめに
うちとをわけず

おのかほし たたそれのみに
まつりこと えらみてなそほ
いまたきつかす

とのみちか とほれはこその
やまとくに やわなきくにに
やさかあるまし

やわすとは おのれとよそお
わけぬさま うわへのやわは
そのさかおゆく



「あわす」と「やわす」

2014-01-28 14:03
「あわす」と「やわす」


『あわす』と『やわす』の用例に当ってみた。

その結果、語源的には同根と思われるが、 
『あわす』は表面的な「合わせ・一致・合致」の意に使う場合が多いに対し、 
『やわす』は「深層/核心レベルでの融合」、またそれによる「中和・調整・緩和」の意を表す場合が多いみたいだ。


【ホツマ3書中での『あわす』と『やわす』の用例】
 
みかさふみ ほつまつたえと わりうるり あわすことくの こころなり ホ序
おもえらく はしかけなくて むすふやは ホ1
めもとあり をかみのなりて あまるもの あわせてみこお うまんとて ホ3
わなにやし うましをとこに あひきとそ やわしてあわお ゑなとして ホ3
ゐみなには たらによつきに なとのりと あわせよつなり ホ4
あめのみちゑて ひとくさの なけきおやわす かみあらす ホ4
かんさひのこの あめおしひ めあわせすけか あにとなし ホ7
あめかした やわしてめくる ひつきこそ ホ7
みかつちも いさおしあわせ うたしむる ホ8
ことなふたもつ くしひるそ たたやわらきお てたてなり ホ8
やくもうち ことのかなてお さつかりて うたにあわせる いなたひめ ホ9
いつおあらはす もののへの なんたやわらに もとすより ホ10
またやゑかきは つにあつけ あらかみあらは めくみやわせと ホ11
そさのをは ひかわにあひる これつよし きみはやさしく やわらかに ホ13
もとつかみ そのたえもりか たねくたし ものとたましゐ ゆひやわす ホ14
おひはゐわみの かためなり をはしたあわせ めはうえそ ホ16
たかはかり ほかせはにみつ よつにわけ うつほのひとつ つきあわせ ホ17
このみつお あわすかかみの やはやしろ たはたみおたす ホ17
よこしまか たておもちけて とこやみの なんたやわして ややしつむ ホ17
ぬすひとの みつめにしるる つちいかん かみはやわして みことのり ホ17
むまのあしとり いきすあひ あわすかなめの のりのりそ ホ19-1
こしすえのりて やわやわと むまのあしとり いきすあひ ホ19-1
むのをして のきよりむねに ておあわす ホ21
いまこれお あわせてみちの かみをさむ ホ23
ふたたみの あらそいあれは とみやりて やわしさはきて ホ24
ははよりなきさ たけうかや ふきあわせすの なおたまふ ホ26
のちにたまより かみとなる かあひにあわせ みをやかみ ホ27
わさはひあるも しなかゑて ふせきはらえは やわらきて ホ28
みかかみお たまえはわれら たのとみそ わかこらやわせ ホ28
くさえさか たたかひあわす ゐつせみこ ひちおうたれて ホ29
あめつちまつり のちうたん うかしかつけも ゆめあわせ ホ29
ものぬしと なかとみあわせ なおりかみ ホ31
やわなきお おつてといえは みこもさる ことめかつくる ホ31
いまやまさわの ゑあわせは わりふたあわす よきしるし ホ32
きみこれに ゆめあわせして ふれもとむ ホ33
とりあわせたちはなのあや ホ37
ここにすへらき たけうちと かたりあわせて ホ39
このうたつつき かそえもの おりあわせめに けりもあり ホ39
みつはうたたに よつあわせ ゐつはたたこと むつはつれ ホ39
うましあしかい ひこちかみ あわせまつれは なもたかま ミ6
つさにいなさの はつひより ふうおやわせて おけらたき ミ7
きさらきは めをほほやわし きさしおふ たねかしまつる ミ7
きさらきの なかよりみうお めにやわせ ひとくさそたつ ミ7
はのふめもりて あふみまつ ふめにやわして かせとなす ミ7
むねおかつらに ゆひあわせ かやふきすみて このみはむ ミ8
ほはきねにすむ ふためかみ あふつきふめお あにやわし ミ9
ここにめかみの やわしうた なさけあわせて わなにやし ミ10
あひきとは まけてやわしの みやひなり ミ10
あむとやわしと なかれきの ふつくにちなむ ミ10
あめのやわしは それならず うゐのあわねは なりはゐお おしすくるなり ミ10
にふのかみ あめのおしゑに ややさめて やわしわらはす ミ10
めはくにの つきとみやひお あみやわせ ゐみちあらはす ミ10
おほふうれしさ またあらし たかえあわせし ゑみすかほ ミ11
たまのをお ふくみふらせて なからゑお むすひやわせは フ序
あのなわの みちもゐもせの なかうとも つよきもやわす あなわなりけり フ16
いのいさの ことにやわらく ならわせや うなひこのふゑ もゐなさふくらん フ31
ふのきにの あらそうとみの ことわりお やわせはたみの ふゆそきにける フ35
ふのゐさめ あらかねわけて ねりきたえ かまもつるきも かそえやわらく フ47
ものはらの ほこにもとつき やわらきて よこもすなほに なかれゆくなり フ66
ものゆんに はたれやふれは ことのねの やわしもゆんそ たうとかりける フ77
しおえては をきなかあみに けゐのかみ あにしらひけも ちゑてやわなり フ119


@gejirin1 Twitter 2014/01/24



ビリーフ・システム

2014-01-28 13:51
ビリーフ・システム



我々はよく「~だから ・・・ だ」という論法を使う。「~」の部分をよくよく検討しなければならない。それはどこかで読み聞きしたことを信じて、受け売りしているのではないのか?偉そうな人の発言、本や新聞の記事、TVの報道、これらを真実と信仰しているだけでは?人は自らすすんで洗脳されたがる。

特に若芽の時に受けた洗脳、それによる信仰は生涯に渡って影響をおよぼす。まるで鳥類の「すりこみ」のように。義務教育の狙いがここにある。征服者が征服地の言葉を替える意味も。マインドコントロールのいとも容易いことよ。この時点で人は自分で自分の答えを見出すことをやめてしまう。

そりゃそうだ。多数が信じている理屈を覚えて使った方が簡単だからだ。それに逆らって自分の答えを押し出しても何の得もない。押し潰されるだけだ。こうして洗脳は完成、我々の生活はその洗脳の上に築かれる。よって我々の行う (善悪の) 判断は、常に多かれ少なかれ洗脳・信仰の影響を受けている。

このようにして我々が持つにいたった信仰の複合体を、霊人たちは「ビリーフ・システム (belief system)」とか「マス・コンシャスネス (mass consciousness)」とか「集団催眠 (mass hypnosis)」「マトリックス (matrix)」などと表現している。

@gejirin1 Twitter 2014/01/24




精神と神経とH

2014-01-28 13:44
精神と神経とH


『精神』という語の意味を考えた事があるだろうか?
これは「神の精髄」という意味だ。
『精髄』は「純粋成分・本質・素・エッセンス・スピリット」という意味。
だから酒の主成分もスピリットと言う。
やまとことばでは「なかご(中子・中心)」また「こころ(心)」と言う。
精神、なんと本質をついた語だろう。


一方『神経』という語もある。
これは「神の縦糸」という意味だと思うが、よくわからない。
ただ「縦と横 (経と緯)」には「主と副」「先と後」「メインとサブ」の関係があることを、ホツマやミカサの記述からうかがい知ることができる。


話変わって、「H」は「エイチ」と発音するが、これは「エイト(eight)」と同じ。
8番目のアルファベットだからだろう。

では「eight」は何を意味するのか? これは「height」(高み・高さ) と同じなのだ。
 
つまり「H」=「八」=「高み」=「タカマ」だ。 これマジよ。


@gejirin1 Twitter 2014/01/23



大伴氏

2014-01-28 13:24
大伴氏


ホツマの記事から察するに、大伴氏の「おおとも」は「負ふ伴・負う臣」の意。
 
『この靫 重く 二百重あり 負い手 求むる オオトモの侍 四人 負い替り』ホ40文


 
そして万葉集には、
 
『大伴の 名に負ふ靫 負ひて 万代に 頼みし心 何所か寄せむ』万3


 
また、・・・

『靫懸くる 伴の男広き 大伴に 国栄えむと 月は照るらし』万7
 
という歌があり、それを裏付ける。



もってのほか

2014-01-28 13:21
もってのほか


ホツマでは毒消しとして、「セリ」「ダイコン菜」「カブ菜」「菊」を食べなさいと言っている。二号は子供のころ野菜が嫌いだったが、上記の野菜だけは何故か好きだった。もちろん今でも。新潟県では秋の味覚として「菊の花」を好んで食べる。『かきのもと』とか『もってののほか』という名の菊種だ。

「もってのほか」は「おもいのほか」とも呼ばれる。
それで思い出したが、「もってのほか」は「もふてのほか (思ふての他)」の音便だろう。



@gejirin1 Twitter 2014/01/22



素直とは 上も辺も寄らず 中を行く
初より一方に 傾くなかれ



火風水土

2014-01-28 13:16
火風水土



「ひ (火/日)」は「ひる (放る)」から来ていて「(光や熱の) 放射」の意。
「ひる (日霊・昼)」も同じ。
「ほ (火)」とも言うが、これは「ほる・ほうる (放る)」から来ている。
「放射」は基本的にはエネルギーであり、非物質である。
だから「ひ」は「ひ (霊)」でもある。

「かせ (風)」は「かす・かっす (活す)」また「かす (離す)」から来ていて、「勢いづけるもの」また「払うもの」の意。
「いなさ」(往なすもの)、「のかせ」(退かすもの) などとも言う。
「のかせ」は今は「野風」と漢字が当てられている。
「かす (離す)」は今の辞書にはないが、「かる (離る)」という語は載っていて、その他動詞形と考えていい。

「みづ (水)」は「みつ (満つ)」という動詞の名詞形で「至り・極み」の意。
どういうことかというと、「ビーカーに泥水を入れてかき混ぜる実験」で重い粒子は下に沈み、同時に上の方は澄んで行く。この澄み切った (至った) 部分が「みつ (水)」なのである。

「つち (土)」は逆に沈殿を意味するが、その説明はめんどいので、http://gejirin.com/gsrc/tu/tuti_tusi.html  を見て感じてください。


@gejirin1 Twitter 2014/01/21


逆月の 映る盃 数すすむ
酔い心地 覚む 汝が「よっとるね」

みかさふみ あわうたおとく
さらのあや たれかなつくや
わかうたのあや

まこひこの すえまてのかな
かかなえは いまのあらため
あにおそからん



方言の重要性

2014-01-28 13:02
方言の重要性



『いそのはの まさごはよみて つくるとも』ホ1文

上の「よむ」は今の辞書 (広辞苑) には載ってない。しかし我が地方では今でも普通に使われている。その意味は「じゅくす(熟す)」で、「うむ(熟む)」「うる(熟る)」と同意。方言には古語が多く残っている。と言うより、方言=古語なのだろうと思う。

人口の多いみやこでは次々に新しい流行語が生まれ、使われなくなった古い言葉は廃れていく。そしてマスコミやネットのない昔には、新しい流行語は非常にゆっくりにしか地方に伝播しない。ようやく地方にそれらが定着した頃には、みやこではすでに廃れている ・・・ こういう構図だ。 つまり言葉のサイクル寿命が都会と僻地では大きく違うのである。

また二号は、東北弁と九州弁はイントネーションが似ていると感じているが、これも両地方のみやこからの地理的な距離に関係があると思っている。
この仮説がもし正しいとすると、過去にみやこでも、現在の東北や九州風のイントネーションで話されていた時代があったということになる。


八重


「八重」はホツマではたいがい「やゑ」と表記されるが、「やえ」と書かれている場合も2箇所ほどある。これには意味の区別がある。
「やゑ」の場合には「おゑ (汚穢)」の意を孕んでいる。
例えば「やゑがき (八重垣)」は「汚穢垣」、「やゑぐも (八重雲)」は「汚穢隈」の意を裏に隠す。

しかし「やゑ」には他にもたくさんの意味がある。
有名なソサノヲの『やくもたつ いつもやゑかき ・・・ 』の歌では、異なる「やゑ」の意味が重ねられている。
http://divinehuman.blog.fc2.com/blog-entry-61.html … …


@gejirin1 Twitter 2014/01/20


ふとまにと こきんのあつめ
ならべよむ つらゆきがいひ[謂]
いづこにやあらん

ひとりでに はしるくるまは
ゆめならず なりわひなくす
たみにとりても



ミソギとウタ

2014-01-28 12:56
ミソギとウタ



@gejirin1 Twitter 2014/01/18
身体と心は、外側と内側とも見ることができる。世の政事は外側のものごとであるから、イザナギは川や海での禊ぎで身を清めた。つまり身の清めは政の正しを象徴している。しかし政の基礎が通る以前の段階では、まずアワ歌で言葉を直して、人の内側を調えなければならなかった。こんなことをホ5文は言うとるんかと思ちょります。

したがってこのアヤのタイトル「わかのまくらことば」は、「ことばは沸のまくらである・ことばは繁栄の土台である」という意味も表しているのかと思ちょります。つまり「沸のまくら、言葉」ちゅうことだす。

これは前からもやもやと頭の中にくすぶっていたのですが、はっきり表現できずにおりました。つまり「イザナギの川海での禊ぎは何を象徴しているのか?」についてです。それが先ほどの宏道さんとのやりとりで雲が晴れました。宏道殿、あなありがたや。



現実という名の幻想

2014-01-09 11:18
現実という名の幻想
 

人はみな自分は地球に生きていると信じている。しかし本当だろうか。よく考えて見ればわかるが、すべてのことは人体の五感の信号を脳が処理して作り上げている虚像・幻想なのだ。五感と脳の接続を切った時、我々の世界観はどうなるだろう。まったく違うはずである。おそらく場所や時間の概念はそこには無いだろう。生死の区別もなくなるだろう。夢と現実の区別もできなくなるのではないだろうか。

しかしあなたは生きている。唯一自分の意識だけは活動している (注:意識は脳がつくりあげているものではない)。しかし五感のない状態では、現実と空想を区別する手がかりはなくなる。もはや現実とイマジネーションには何の違いもない。これはある意味あの世と同じ状況である。

地球に生きていると言う現実も、五感によって粉飾されてはいるけれども、実はイマジネーションなのだ。このイマジネーションできる能力こそ、神 (クリエーター) だけがもつ能力である。したがって 我々の意識=神 (クリエーター) なのである。実在するものは我々の意識の他には何もない。"我思う 故に我あり"、"I am that I am" なのである。

「現実=イマジネーション」であるならば、自分の好ましい現実をイマジネーションすればいいのであるが、ここにマインド (脳) と人類の集合意識による疑いが介在してしまう。これが地球次元の難しいところだ。「イマジネーション=現実」に対する100%の信頼が要るのである。100%というのは息をするように当たり前になっている状態である。「そんなことできるのか? 試してみよう!」ではだめらしい。 歴史上ほんのわずかな人間だけがこの奇蹟を実現しているという。

ところが時代は変わった。今後しだいにマインド (脳) の中継がなくなっていき、意識と五感が直結するようになり、五感自体もこれまでよりずっとセンシティヴなものに変わっていくという。そのため我々のDNAは現在急速に変貌しているという。 しかし人体の五感やDNAだってイマジネーションの産物であるわけだから、この説明とて喩えであろう。


2014/01/28追加

映画などに心を投入している時、身は地球次元にありながら、我らは別の次元へトリップしている。空想や夢でも同じこと。火星に想いを馳せれば瞬時にそこへ移動している。この速度は光速をはるかに超える。ゼロなのだから。

そして別次元 (あの世) にいる自分、これがオーヴァー・ソウル (over soul) とか本つ神 (もとつかみ) とか言われる存在ではないかと。

物質次元の万象は、
第二宇宙の自分のイマジネーションの産物。
第二宇宙の万象は、
第一宇宙の自分のイマジネーションの産物。
しかして第一宇宙の自分とは何者?


第三宇宙は存在するのか?
存在する。第一宇宙の自分と第二宇宙の自分が融合を果たした時、その意識は第三宇宙をつくる。
この融合は「アセンション」と呼ばれ、これは物質次元 (地球) においてのみ為され得る。この融合を果たした意識は「アセンデッド・マスター」と呼ばれる。

よってconsciousness.jpg のシンボルは発展途上の自分を表している。
 
最終的には中の点と外の丸枠は一つに融合して一体化する運命にある。日の丸になる。
 
そしてそうなる時代は到来した。
現時点ですでに2人の融合成功者が地球を歩いているという。

アセンションは過去にもなされていた。しかし「Ascension」が「昇天」と訳されているように、それは「肉体を離れる」つまり「死」とほぼイコールだった。
しかし今後は違う。肉体を持った人間のままアセンションするのである。これは「Living Ascension」などと呼ばれる。


やわすとは おのれとかみの
へたたりを のぞくこととは
つゆもしらずて


参照:『あめなるみち -神の見る夢-』http://gejirin.com/amenarumiti.html




犠牲者の心

2014-01-09 04:47
犠牲者の心



【2014/01/06 Twitter投稿より修正・補完 https://twitter.com/gejirin1
ほとんどすべての人間は自分を哀れな子羊だと思い、その苦しさから救い上げてくれる救世主を待望している。その救世主を下すスーパーパワーが神だと信じへつらう。そうした人間の犠牲者根性を利用しているのが宗教組織である。いくら待っても救世主は現れっこない。なぜならあなたがそれなのだから。

犠牲者根性を持つ者がやることは、自分は無力だと思っているがため、おおよそ「乞食的・寄生虫的・ハイエナ的」であり、「あわよくば儲けよう」「他より一銭でも得したい」である。その数は圧倒的に多く、イナゴのようにすべてを食い尽くす悪魔である。悪魔がまだ自らを憐れみ、救世主を待っている。

あなた一人が犠牲者根性から抜け出すのはそう難しくない。しかし妻子を持つ親としてのあなたには非常に難しい。これまでの家族の生活と自分の立場を守りたいが、自分は無力と信じるあなたは、将来の不安と戦い続けねばならないからだ。よって犠牲者根性=現状保守根性と言い換えることができる。

この不安と戦う武器として金や力への信仰が生まれる。しかしそれらをいくら蓄積しても続々と新たな不安が生まれてきて、ますます犠牲者根性は募っていき、心は解放されずどんどん不自由になっていく。
「自由」とは「守るものが何もない状態」を言う。
あなたは一番愛しているものを捨てられますか?

欲の底には不安があり、不安の底には無力な自分がある。
「無力なあなた」も「不安」もあなたが勝手に心に創造しているものだ。たいした根拠なく信じ込んでいるだけのものだ。違うだろうか?
汝の心は唯一汝の支配下にあり。心は汝の意識なり。意識は汝の宇宙なり。
なれば汝は宇宙の主なり。なれば汝は現実の創造神なり。

宇宙の創造神にどうして欲や不安があろうや。


子羊の 衣の内に 隠る神
脱ぎ捨て出づる 時ぞ来にける

神であることを忘れた犠牲の子羊たちへ



小噺
一匹の子羊が荒野にさまよっていた。いくら歩いても同じ景色。子羊は必死に天に祈った。 祈りが通じたのだろうか、ある日天使が子羊に現れた。

迷える子羊:「おお天使様!どうかこの迷える子羊を救って下さい。羊飼いの元へ
       帰して下さい。」

天使:   「・・・」「まだ迷える子羊やってたんですか?」

迷える子羊:「・・・???」

天使:   「あなたは我々を救うために地球に下りて、迷える子羊を演じ始めた
       んじゃないですか。」「でも今回で1,500回目ですよ。」

迷える子羊:「・・・??!!」

天使:   「迷える子羊役は十分楽しんだでしょ。そろそろ神に戻って、早く
       我々を救って下さいよ。」



参照:『あめなるみち -神の見る夢-』http://gejirin.com/amenarumiti.html



やまとことばと漢字言葉

2014-01-09 04:15
やまとことばと漢字言葉
  


【2014/01/08 Twitter投稿より https://twitter.com/gejirin1
ホツマを読んで思うのは、歌には必ず裏の意味があるということだ。表面的な意味の裏に真意を隠している。真意はまた1つとは限らない。これは1つの言葉に多くの意味があるヤマト言葉を、1音=1文字で綴るからこそ可能になる。漢字を使ったのでは表面の意味に撹乱されて真意を読み取りにくい。

一方、漢字は意味を細分化して確定している。だから役所の事務文書や法律文などを綴るには適している。ヤマト言葉のように「幾つもの意味にとれる」ということが少ないからだ。これが日本が漢字を導入した理由の1つと見ている。しかし導入以降、日本人は左脳の論理的思考に偏重し、音の直感を失う。

まわりを見渡してみると、現在でも日常会話では、特に女人はヤマト言葉をベースとして話している (政治家の演説は除く)。これは不勉強ということではなく、直感的に理解できるからだ。また怒っている時に漢字ベースの言葉で怒りを露わにできる日本人は少ない。それができる人は実は怒っていない。

漢字言葉での会話の場合、聞いた音を左脳で漢字に変換する作業が要るからだ。思うに元来言葉は音であり、左脳 (論理的思考) を必要としない。もっと根底レベルにある直感的なものだ。しかし学校で教わる漢字言葉は、左脳が論理的に習得したものなので、使う場合にも左脳の同時通訳を必要とする。

だから英語でも中国語でも、言葉は音として直感的に会得すべきだ。音楽と同じである。言葉は勉強しちゃいかんのだ。こうすれば左脳 (論理的思考) の介在を免れるので自分の言葉とすることができるだろう。外国人力士の話す日本語はそのことをよく物語っていると思う。


(今全体を読み返してみると、オンラインで書いているためか、オラの論点が少しずつずれてきてますね。すまんこってす。こういうのは140文字のツイッターには不向きなのかもしれませんね)





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