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現実という名の幻想

2014-01-09 11:18
現実という名の幻想
 

人はみな自分は地球に生きていると信じている。しかし本当だろうか。よく考えて見ればわかるが、すべてのことは人体の五感の信号を脳が処理して作り上げている虚像・幻想なのだ。五感と脳の接続を切った時、我々の世界観はどうなるだろう。まったく違うはずである。おそらく場所や時間の概念はそこには無いだろう。生死の区別もなくなるだろう。夢と現実の区別もできなくなるのではないだろうか。

しかしあなたは生きている。唯一自分の意識だけは活動している (注:意識は脳がつくりあげているものではない)。しかし五感のない状態では、現実と空想を区別する手がかりはなくなる。もはや現実とイマジネーションには何の違いもない。これはある意味あの世と同じ状況である。

地球に生きていると言う現実も、五感によって粉飾されてはいるけれども、実はイマジネーションなのだ。このイマジネーションできる能力こそ、神 (クリエーター) だけがもつ能力である。したがって 我々の意識=神 (クリエーター) なのである。実在するものは我々の意識の他には何もない。"我思う 故に我あり"、"I am that I am" なのである。

「現実=イマジネーション」であるならば、自分の好ましい現実をイマジネーションすればいいのであるが、ここにマインド (脳) と人類の集合意識による疑いが介在してしまう。これが地球次元の難しいところだ。「イマジネーション=現実」に対する100%の信頼が要るのである。100%というのは息をするように当たり前になっている状態である。「そんなことできるのか? 試してみよう!」ではだめらしい。 歴史上ほんのわずかな人間だけがこの奇蹟を実現しているという。

ところが時代は変わった。今後しだいにマインド (脳) の中継がなくなっていき、意識と五感が直結するようになり、五感自体もこれまでよりずっとセンシティヴなものに変わっていくという。そのため我々のDNAは現在急速に変貌しているという。 しかし人体の五感やDNAだってイマジネーションの産物であるわけだから、この説明とて喩えであろう。


2014/01/28追加

映画などに心を投入している時、身は地球次元にありながら、我らは別の次元へトリップしている。空想や夢でも同じこと。火星に想いを馳せれば瞬時にそこへ移動している。この速度は光速をはるかに超える。ゼロなのだから。

そして別次元 (あの世) にいる自分、これがオーヴァー・ソウル (over soul) とか本つ神 (もとつかみ) とか言われる存在ではないかと。

物質次元の万象は、
第二宇宙の自分のイマジネーションの産物。
第二宇宙の万象は、
第一宇宙の自分のイマジネーションの産物。
しかして第一宇宙の自分とは何者?


第三宇宙は存在するのか?
存在する。第一宇宙の自分と第二宇宙の自分が融合を果たした時、その意識は第三宇宙をつくる。
この融合は「アセンション」と呼ばれ、これは物質次元 (地球) においてのみ為され得る。この融合を果たした意識は「アセンデッド・マスター」と呼ばれる。

よってconsciousness.jpg のシンボルは発展途上の自分を表している。
 
最終的には中の点と外の丸枠は一つに融合して一体化する運命にある。日の丸になる。
 
そしてそうなる時代は到来した。
現時点ですでに2人の融合成功者が地球を歩いているという。

アセンションは過去にもなされていた。しかし「Ascension」が「昇天」と訳されているように、それは「肉体を離れる」つまり「死」とほぼイコールだった。
しかし今後は違う。肉体を持った人間のままアセンションするのである。これは「Living Ascension」などと呼ばれる。


やわすとは おのれとかみの
へたたりを のぞくこととは
つゆもしらずて


参照:『あめなるみち -神の見る夢-』http://gejirin.com/amenarumiti.html



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犠牲者の心

2014-01-09 04:47
犠牲者の心



【2014/01/06 Twitter投稿より修正・補完 https://twitter.com/gejirin1
ほとんどすべての人間は自分を哀れな子羊だと思い、その苦しさから救い上げてくれる救世主を待望している。その救世主を下すスーパーパワーが神だと信じへつらう。そうした人間の犠牲者根性を利用しているのが宗教組織である。いくら待っても救世主は現れっこない。なぜならあなたがそれなのだから。

犠牲者根性を持つ者がやることは、自分は無力だと思っているがため、おおよそ「乞食的・寄生虫的・ハイエナ的」であり、「あわよくば儲けよう」「他より一銭でも得したい」である。その数は圧倒的に多く、イナゴのようにすべてを食い尽くす悪魔である。悪魔がまだ自らを憐れみ、救世主を待っている。

あなた一人が犠牲者根性から抜け出すのはそう難しくない。しかし妻子を持つ親としてのあなたには非常に難しい。これまでの家族の生活と自分の立場を守りたいが、自分は無力と信じるあなたは、将来の不安と戦い続けねばならないからだ。よって犠牲者根性=現状保守根性と言い換えることができる。

この不安と戦う武器として金や力への信仰が生まれる。しかしそれらをいくら蓄積しても続々と新たな不安が生まれてきて、ますます犠牲者根性は募っていき、心は解放されずどんどん不自由になっていく。
「自由」とは「守るものが何もない状態」を言う。
あなたは一番愛しているものを捨てられますか?

欲の底には不安があり、不安の底には無力な自分がある。
「無力なあなた」も「不安」もあなたが勝手に心に創造しているものだ。たいした根拠なく信じ込んでいるだけのものだ。違うだろうか?
汝の心は唯一汝の支配下にあり。心は汝の意識なり。意識は汝の宇宙なり。
なれば汝は宇宙の主なり。なれば汝は現実の創造神なり。

宇宙の創造神にどうして欲や不安があろうや。


子羊の 衣の内に 隠る神
脱ぎ捨て出づる 時ぞ来にける

神であることを忘れた犠牲の子羊たちへ



小噺
一匹の子羊が荒野にさまよっていた。いくら歩いても同じ景色。子羊は必死に天に祈った。 祈りが通じたのだろうか、ある日天使が子羊に現れた。

迷える子羊:「おお天使様!どうかこの迷える子羊を救って下さい。羊飼いの元へ
       帰して下さい。」

天使:   「・・・」「まだ迷える子羊やってたんですか?」

迷える子羊:「・・・???」

天使:   「あなたは我々を救うために地球に下りて、迷える子羊を演じ始めた
       んじゃないですか。」「でも今回で1,500回目ですよ。」

迷える子羊:「・・・??!!」

天使:   「迷える子羊役は十分楽しんだでしょ。そろそろ神に戻って、早く
       我々を救って下さいよ。」



参照:『あめなるみち -神の見る夢-』http://gejirin.com/amenarumiti.html



やまとことばと漢字言葉

2014-01-09 04:15
やまとことばと漢字言葉
  


【2014/01/08 Twitter投稿より https://twitter.com/gejirin1
ホツマを読んで思うのは、歌には必ず裏の意味があるということだ。表面的な意味の裏に真意を隠している。真意はまた1つとは限らない。これは1つの言葉に多くの意味があるヤマト言葉を、1音=1文字で綴るからこそ可能になる。漢字を使ったのでは表面の意味に撹乱されて真意を読み取りにくい。

一方、漢字は意味を細分化して確定している。だから役所の事務文書や法律文などを綴るには適している。ヤマト言葉のように「幾つもの意味にとれる」ということが少ないからだ。これが日本が漢字を導入した理由の1つと見ている。しかし導入以降、日本人は左脳の論理的思考に偏重し、音の直感を失う。

まわりを見渡してみると、現在でも日常会話では、特に女人はヤマト言葉をベースとして話している (政治家の演説は除く)。これは不勉強ということではなく、直感的に理解できるからだ。また怒っている時に漢字ベースの言葉で怒りを露わにできる日本人は少ない。それができる人は実は怒っていない。

漢字言葉での会話の場合、聞いた音を左脳で漢字に変換する作業が要るからだ。思うに元来言葉は音であり、左脳 (論理的思考) を必要としない。もっと根底レベルにある直感的なものだ。しかし学校で教わる漢字言葉は、左脳が論理的に習得したものなので、使う場合にも左脳の同時通訳を必要とする。

だから英語でも中国語でも、言葉は音として直感的に会得すべきだ。音楽と同じである。言葉は勉強しちゃいかんのだ。こうすれば左脳 (論理的思考) の介在を免れるので自分の言葉とすることができるだろう。外国人力士の話す日本語はそのことをよく物語っていると思う。


(今全体を読み返してみると、オンラインで書いているためか、オラの論点が少しずつずれてきてますね。すまんこってす。こういうのは140文字のツイッターには不向きなのかもしれませんね)





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