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ガイドの離脱(2)

2014-02-23 16:49
ガイドの離脱(2)


1999年8月21日のトバイアスのチャネリング
New Earth シリーズ1『Departing Of The Guides』からの抜粋邦訳 2/2
原文:http://gejirin.com/spirit/001-newearth_01.htm


君たちは今世、長い道を歩んできた。君たちは多くの感情的なチャレンジに耐え忍んできた。これはライトワーカーのしるしである。君たちは繰り返し生まれ来るたびに、多くの困難を耐え忍んできた。しかしこの困難な道は、それだけの価値のある美しく色彩豊かなものだった。

君たちは今ここで大変なポイントに到達した。これまで君たちは今世においても過去世においても常にガイドされていた。君たちにはいつもガイドたちが付いていた。天使たちが見守っていた。これらの面々は時々替わったが、必ず誰かが君たちに付いていたのである。

比較的最近君たちも理解したように、ガイドは君たちに代わって何かすることはできない。ただ彼らは耳元で愛の言葉を囁いて君たちを勇気づける。「もうだめだ」と感じる時、彼らは君らを慰める。寝てる君たちに代わって涙を流し、その涙は辛さや悲しみをいくらか洗い流す。

道は崖っ淵に君たちを導いた。友よ、その深い谷には橋は架かってないのである。広くて深い裂け目があるのみ。濃い霧のため対岸を見通すこともできない。どれほどの距離をジャンプすればいいのかもわからない。正直なぜ跳び越すことを求められているのかわからない。

そして君たちの道程のこのポイントは、ガイドや天使たちが君たちに別れを告げる時点なのである。これより先には我々は進めない。過去のガイドたちも、夜に君たちを訪れる天の友人も、クリムゾン会議のファミリーも、君たちと一緒に行けない。そしてこれは良いことなのだ。

なぜ君たちだけが飛び越さねばならないかと問うかもしれない。理由は単純明快である。我々のエネルギーが付きまとって干渉すれば、君たちがその神性 (divinity) と、つまり神なる自己 (Godself) と再会することができないからである。

これが我らが、さしあたって当面は君たちに別れを告げ、君たちだけを旅に送り出す理由である。今は君たちのそれぞれが本当の自分 (=神性・神なる自己) と再接続する時なのである。ほら恐怖が襲ってきただろ。君たちは幅も深さも知れない谷の縁に立ち往生しているのだ。

今は君たち各自が、少しばかり魂 (soul) を探求し、自分の内から全知全霊を汲み上げ、最大の恐怖と立ち向かい、恐怖をくぐり抜けながら前に歩む時なのだ。君たちの持つ知性的・理性的な思考はもはや役に立たない。我々は誠意を以ってこのことを告げておく。

我らは以前、今は古い書棚に戻って谷を越える方法を探す時ではないと言った。なぜならその方法は過去に書かれたことがないからである。今は君たちが以前読んだ古い言葉に慰めを求める時ではない。ガイドを頼る時でもない。遥かに強力な愛が呼び出されるのを待望している。

君たちが直面する最大の問題は信頼 (trust) だろう。君たちは人として自分のマインド (知理性) を信頼することには慣れているが、自分自身を信頼することは得意ではない。過去トラブルに見舞われた時、君たちはガイドと神 (Spirit) を頼ってきた。

しかし今ほど自己を信頼することがチャレンジされている時はない。ああ我が友よ、今は自己以外に頼むべきものは無いのだ。魔法の呪文は無い。最高の大天使(archangel)、今宵はたくさん来ているが、彼らですら谷を越える君たちに付いて行くことはできないのだ。

問題は「信頼」、チャレンジは「恐怖」、意図は「神性」なり。今こそは君たちが前に進む祝福の時である。大胆に恐怖の中を歩むことを知れ。自分の全霊を呼び出すことを知れ。神人(divine human)となることを心に選ぶべし。

君たちの知性には3次元のガイドをやらせうが良い。しかし本拠 (Home) へのナビゲートは心 (heart) にやらせるべし。今こそは神聖な時である。君たちの周りには多くの嵐がやってくるだろう。無視するべし。それらにエネルギーを奪われてはならない。

君たちには他に与える余分なエネルギーは無い。君たちが向かう先は君たちの全霊を必要とする。世界各地で大きな雷鳴が鳴り響くだろう。この時多くの人間は肉体を離れることを選択するだろう。彼らは谷を越える準備が調とのっていないことを魂レベルで知っているからだ。

また彼らは君たちが必要とするエネルギーの均衡を知っていて、そのために地球を去るのである。彼らは君たちが必要とするエネルギーを供給するために、3次元外からその均衡を創造するだろう。君たちが前進するのを助けるために、彼らはその生命を捧げるのだとも言える。

今後恐怖を感じた時はただその中を歩め。それができることを知るべし。マインド(知理性)が「自分を何様と思っている」と挑んできたなら、「我は神(Spirit)と一つの者」と告げよ。マインドは役立ったが、人生を導き指示することはできないことを思い出させよ。

友よ、そして自己を信頼することを学べ。最も深いレベルでの自己信頼を学べ。ガイドや偉大な天使に振り向けてはならない。我々はこの時期の君たちを手伝えないのだから。君たちはたった一人で谷を越えるのだ。勇気が必要な時に君らが捧げる祈りは「神なる自己」に向けよ。

じきに君たちは目覚め、すべての足場が取り外されるように感じるだろう。それは単に恐怖であり、そう感じるにすぎないことを思い起すべし。それは君たちに付いていた者が離れねばならぬ時だからだ。不快に感じるかもしれない。だが今宵の我々の話を思い出して欲しい。

我々は君たち各々を切に愛している。そして我らは君たちの業績に驚嘆し頭を振っている。真実の自分を忘れるということは本当に最大の犠牲である。さあ、今ここにそれを思い出す時が到来した。

そしていかにもそうなのである。(And so it is.)


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ガイドの離脱(1)

2014-02-23 12:24
ガイドの離脱(1)


1999年8月21日のトバイアスのチャネリング
New Earth シリーズ1『Departing Of The Guides』からの抜粋邦訳 1/2
原文:http://gejirin.com/spirit/001-newearth_01.htm


心の奥ではわかっているように、君たちは3次元の人間をよそおってはいるが、まさしく偉大な天使だ。この偉大な天使は君たちの内側から現れる。偉大な天使は常にそこにいたことを君らは知るだろう。

君たちは宇宙のワーカーだった。この3次元の宇宙に限らない。それを取り巻く多くの宇宙でもだ。君たちは多くの場所、多くの次元に行って、多くを経験してきた。説明は難しいが、その経験は今のこの瞬間でも継続しているのだ。君たちは地球に生きているだけではないのだ。

君たちが多くの次元の場所と時でまとった自分のアイデンティティは、今も継続して稼働中なのだ。よって君たちの地球での人生とは、単に一個体の人間としての君だけのものではなく、君たちが過去にまとったすべての自分に関わっているのだ。

多次元の宇宙では長い間、闘争・戦争が続いていた。みな疲れていた。自然の解決法は無いように思われた。エネルギーのバランスというものを考える時がきていた。それで地球はつくられた。地球のエネルギーパターンを設定し、そこに二元性という重大な原理が導入された。

そして偉大な天使(angels)たちが招聘された。これらは最も多くを経験し、そして最も忍耐した面々であった。彼らは、我々が『第一創造の最終経験』と呼ぶ地球にやって来た。そして友よ、彼らこそ君たちであり、地球に生きる他の人間たちなのである。

君たちはここにやって来て、地球上で多くの人生を生きてきた。しかし君たちの歴史、君たちの過去は遥か遠い宇宙、すべてのクリエーションにまでさかのぼる。地球での生涯は瞬く間にすぎない。君たちは覆いの下で自分が何者かも知らずに生きてきた。

偉大なマスターがそのことを告げても信じようとはしなかった。寝てる間に天使が現れても、君たちは彼らの言葉を信じない。二元性 (duality) とベールはとても強く厚いため、君たちは繰り返し何度も何度も地球に戻ることを選択し続けてきた。

最終的には創造全体の利益、唯一なる者 (One) のためになるだろうと、君たちは地球に繰り返し戻る。我らは涙を禁じ得ない。我々は唯一なる者と断絶することなど想像だにできないからだ。まさしくそれは最大の苦悩である。それは教会が原罪と呼んできたものである。

しかしそれは罪ではない。君たちが引き受けた名誉である。君たちは自分が本当は何者であるかを忘れることに同意したのである。ああ友よ、君たちはまだわかってない。まだ理性でこのことを捉えようとしている。ハートで感じていない。でもそうなる日は遠くない。

地球にやって来たすべての天使たちの中には特別なグループがあった。これが君たち、および今地球に生きる他の800万人余りのライトワーカーである。彼らには他の人間には無い特別な属性がある。これまで辿った道を追うと、彼らは過去世で宗教に深く関わっているのだ。

また霊的探求とかエネルギーの働きなどに深く関わってきた。他の人間たちもそれぞれユニークなエネルギー属性を持っているが、ここでは君たちのことを話そう。君たちはいわゆる光、大量の光を集めて運ぶ能力を持って地球に来ている。

この光は君たちには隠されているが、特定のバランスを保つため、地球のグリッドと地球を取り巻くグリッドに接続している。君たちライトワーカーが内に秘めるこのクリスタルライトは、エネルギーのバランスを調え、また地球次元と別の次元を結ぶ働きをしている。

君たちは知らなかったが、こうした光/エネルギーの運び屋だったのだ。地球の歴史のいつか適当な時に、この光が解き放たれるだろうことを、君たちと神は知っていた。すでに察しているように、その時は今の我々とともにある。

それ故君たちは挑まれてるようにこの頃感じ、不安と同時に期待にも満ちているのだ。我らは君たちが自らの道を進み続けるという固い誓いを毎日聞いている。それは何のためにこの時期に地球にいるのか、君たちは心の奥底で知っているからである。

地球は変わる。君たちはそれによく気がついている。他の人間はまだ気づいてないかもしれないが、疑いなく君たちは知っている。ある意味で君たちはトンネルを通り抜けようとしている。これは次元のトンネル、時空のトンネル、エネルギー転換のトンネルである。
君たちは何かを通過するが、それはまずはじめに君たち自身の本質を変える。変わった君たちは次に他の人間を変える助けとなり、ついには地球全体を変化させる。さらには宇宙全体にその変化は及ぶ。ここにいる君たちのグループはまさにその変化を通過する最初のものである。

それは終始君たちの持つ恐怖の変質と関わる。君たちが恐怖を通り抜けた時、君たちはすべてのエネルギーを愛のエネルギーに変換するのだ。そのエネルギーは以前我々が名付けた『第2創造』の種蒔きに使われるだろう。

君たちがこの地球で、自分が何者であるかも知らずにやってることは、きわめて感動的な仕事なのだ。君たちに立ちはだかる最大のチャレンジは恐怖である。これらの恐怖は突如として君たちの前に現れ、また君たちの内側から出てくる。舞い踊ってそれらを通過して欲しい。

君たちは恐怖を通り抜けることができる。君らは恐怖が幻想であることを知り、変質できることを知っている。恐怖は今後も君らの人生に侵入し続けるだろう。時には乗り越えがたい高い壁のように思えるだろう。我が友よ、こんな時はただ自分が何者であるかを思い出してくれ。

"I Am that I Am. I Am All that I Am. I am All that I Am and All that Is. I am One." ただこの言葉を自分に思い起こさよ。このエネルギーを以って侵入する恐怖を過ぎ越すのだ。

素早く過ぎ越せ。もし止まったら、待ったら、ぐずぐずしたら、恐怖はたちまち肥大する。はじめは砂粒のような恐怖は小石となり岩となり、しまいには山のような大きさとなる。素早く恐怖を過ぎ越せ。自分が何者なのかを思い出すのだ。


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エネルギー泥棒

2014-02-03 18:27
エネルギー泥棒


『他人から愛されたい、可愛がられたい』と思うのは
『他人からエネルギーを盗みたい』と思っていると同じである。


『他人から愛されたい、可愛がられたい』と思う者は、
それが得られない時
 
「すねる」「泣く」「わめく」「怒る」「死のうとするフリをする」・・・
 
あらゆることを試し始める。


どうして他所から愛/エネルギーを吸収したいと思うのか?
 
自分に愛/エネルギーを創造する力があるとは思ってもいないからだ。
もらうものだと固く信じているからだ。
 
これが子羊 (犠牲者) である。
彼らの幸/不幸は他所から奪えるエネルギーの量で決まる。


自分だけじゃなくてみんなそうだと思っている。
実際そうだろう。
よってこの世は奪い合いの世界となる。


こんな話を読んだことがある。
地獄には様々な地獄があるが、どの地獄にも同類が集まる。例えば盗人地獄というのがあれば、そこには盗人ばかりが集っている。
彼らはそこで互いに盗み合うが、盗んでも盗んでもまた盗まれるので、その内にバカらしくなる。
この時、その地獄から脱出するという。


どこか現世と似てるが、こっちはまだ奪い合いに飽きていないらしい。 むしろ楽しんでいるようだ。 奪い合いがバカバカしく思えるのはいつのことなのだろうか。


「奪い合い」は方向性を+-を逆にすれば「与え合い」と等価だ。ユダヤ教のエッセネ派達はその小社会でこれを実践したという。
『乞われたものは何でも与えるべし』という律があった。
これも、欲しいと言ってもらっても、乞われればまたすぐ与えねばならない。同じだ。でもこの方が早く飽きそうだ。


何故なら「奪う・盗む」という行為は基本的に「隠れて」行うものだからだ。相手に気づかれなければそれで済んでしまう。また金品以外の場合では、自分が奪っていることにも気づいていない場合が多い。だから気づかれ、気づくまでは止むことがない。一方「与える」の場合には無意識ということは少ない。


それにまた「奪い合い」はおもしろ楽しいゲームなのだ。トランプ、花札、将棋、囲碁、パチンコ、公営ギャンブル、スポーツ、ミスコン、選挙 ・・・ みな奪い合って勝敗を決するゲームだ。
勝ってうれしく負ければくやし、いずれにしてもやめられぬ。これぞこの世の醍醐味か。

@gejirin1 Twitter 2014/02/03



ミナカヌシ

2014-02-02 22:35
ミナカヌシ


古事記では「アメノミナカヌシ (天御中主神)」が最初の神として登場する。一方日本書紀では「クニトコタチ (国常立尊)」が最初に出てくる。
 
この不一致は実は矛盾ではない。長らく悩んだが、ホツマの記述を注意深く検討した結果、ミナカヌシは最初のクニトコタチであることがわかった。


悩んだ理由は、ホツマ・ミカサにおいてさえもミナカヌシとクニトコタチの関係は、わかりにくいからである。
 
クニトコタチと対になる「アメトコタチ (天常立尊)」については比較的はっきりと説明されていたことがヒントとなった。
 
天に還ったクニトコタチをアメトコタチと呼ぶのだ。


天に還れば ミナカヌシ 及びヱヒタメ トホカミも 
天に配りて 星となす アメトコタチの 神はこれ  ミ6文
 
ミナカヌシとト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メの8神を総称して「トコタチ」と言い、彼らが地上にある時の名が「クニトコタチ」、天上界での名が「アメトコタチ」なのである。


ところが「トコタチ」は「先駆者・先発者」というあいまいな語義で、平たく言えば「昔の神様」だから、場面場面によってトコタチの範囲が異なるのだ。
 
前述の9神に加えて「キ・ツ・ヲ・サ・ネ」「ア・ミ・ヤ・シ・ナ・ウ」の11神、さらにはクニサツチとトヨクンヌまで含める場合もある。


トヨクンヌの次の世代が「ウヒヂニ/スヒヂニ」であるが、これはクニトコタチに含まれることはない。
 
この区別は何かといえば、ウヒヂニ/スヒヂニは夫婦神なのである。ここにはじめて男と女が現れる。少し人間味を帯びる。それより前はみな独り神だった。ここに一つの大きな区切りがある。


したがってクニトコタチは、最も広い意味では「ウヒヂニ/スヒヂニより前の、世にまだ男女の別が無かった世代の独り神の総称」ということになる。
 
そしてクニトコタチの第一号がミナカヌシである。この神人はホツマでは「初めて肉体に宿って地上に降りた神霊」という重要な位置付けを持つ。


記・紀はそこから話が始まるが、ホツマ・ミカサにはそれ以前の話がある。つまり地球や人が出現する前の「天上界・非物質界」における創世紀である。
 
この創世紀は、ホツマ・ミカサが教えの根幹として最も重視した部分と思われ、全編の7ヶ所以上に登場する。「あめなる道」の源もここにある。


空間も時間もなく、物質も非物質も、正負も陽陰も何も無い中に、唯一あったのは「アメノミヲヤ」の意識だった。
 
アメノミヲヤは他の文献には登場せず、二号は「陽陰の上祖」と漢字を当てている。理由はすぐにわかる。
 
この意識は全創造の第一原因であり、いわゆる創造神・根源神である。


ある時、アメノミヲヤは生みの意志を持つ。 この「生みの意志」を「ウイのヒトイキ (生の一意気・初の一息)」と表現している。
 
ミヲヤの生みの意志は、「あもとかみ (天元神)」という8体の神霊を生む。
 
「生む」というのは「分け身を作る・身を分ける」のと意味は同じである。


8体の天元神はミヲヤの単なる分身ではなく、それぞれの属性に僅かな偏りがあった。半数の4神は「陽」に、他の4神は「陰」に偏っていた。
 
「陽陰」とは「相反する性質を持つ一対」という意味で、「正負・上下」と言っても同じ。
 
天元神は水に油が浮かぶように、意味なく漂っていた。

「アメノミヲヤ」や「天元神」を人間型の神にイメージしてはいけない。
 
これらは形を持たない意識で、変幻自在のエネルギー体と考えるべし。


天元神の僅かな陽陰属性の偏りは、しばらくすると、混然と漂う8神霊に時計回りの回転運動を生じさせる。
 
時と共にその回転はしだいに速度を増してゆき、その回転軸に一本の柱が立つ。
 
この柱は竜巻をイメージするとわかりやすい。この柱を「天地届く御柱」あるいは「中串」と呼ぶ。


高速で柱を回る過程で、天元神は「アワ (泡)」と「ウビ (泥)」に分かれる。
 
これは回転運動により、重い成分が下 (地) に沈み、軽い成分が上 (天) に昇ったことを意味する。
 
泡と泥はさらに精製されてくっきり分離し、ここに泡には陽の、泥には陰の性質が顕著に現れる。


陽の泡は軽く動き回り、「空」「風」「火」に分かれる。これらが非物質・空間・気体をつくる。またこれらは天となる。
 
陰の泥は重く内に凝って「水」と「埴」に分かれる。これらが物質をつくる。またこれらは地となる。
 
そして陽の核心部が太陽となり、 陰の核心部が月となった。


そして陽の「空」「風」「火」と、陰の「水」「埴」、この5つが交わって「人」が生まれる。
 
これがミナカヌシ (天御中主神) であった。
 
「空・風・火・水・埴」の5元素は、別称を「あ・い・う・え・お」と言い、日本語の5母音となっている。


これはまさに陰陽五行思想である。
中国のものとは内容が違うが、こちらがオリジナルだろうと思う。
 
日本の太古の陰陽五行思想が大陸に伝わり、その後あちらでいろいろいじくられて、日本にオリジナルの思想が失われた5~6世紀頃に逆輸入されたのだと推察している。


このオリジナルの陰陽五行思想は、「ホツマツタエ」「ミカサフミ」「フトマニ」全編の奥に流れる背景思想である。
 
常にこれを念頭に置いて読まないと、言葉の奥・裏にある内容を読み取ることが難しい。
 
天=陽=男=日=昼=明=高=清=貴
地=陰=女=月=夜=暗=低=穢=卑

「こよみ(暦)」の古称に「かよみ」と「ひよみ」があり、共に「日読み」に解釈されている。
 
二号は「日夜見」と解釈する。「日夜見」は「陽と陰を見るもの」つまり「日と月を見るもの」である。
 
天文・暦数などを扱った者を陰陽師と呼んだが、「いんよう」=「ひよ」なのだと思う。


もう一つ注意すべきは、ホツマの陽陰と5元素による創世紀も、この世に居る人間が何とか理解できるための喩えに過ぎない、ということだ。
 
物質界の人間にあの世のことを説明するのは、生来の全盲者に色の説明するのに等しい。
 
だから杓子定規に理解するのはバカげてる。柔軟さが要る。


それでホ2文の始めにこうある。
 
いにしえの あめつちうひの
きはなきに きさしわかるる
あうのめを をはあめとなり
ひのわなる めはくにとなり
つきとなる かみそのなかに
あれまして くにとこたちの
とこよくに

いにしえの 天・地・泥の
際 無きに 萌し分かるる
アウの陰陽 陽は天となり
日輪 成る 陰は地となり
月と成る 神 その中に
現れまして クニトコタチの
トコヨ国
 
泥は初かも;
アウは陽陰の元になった「アワウビ (泡泥)」の略;
神はミナカヌシ;

「トコヨ」は「先行する時代」という意味で「クニトコタチの時代」と同義。それはまた「ウヒヂニ/スヒヂニより前の、世に男女の別が無かった時代」ということになる。
 
「とこ」は「とっくに~した」の「とっく」と同じで「とく(疾く)」の名詞形。
「よ」は「代」で「区分」を表す。

また「クニトコタチ」は
 
「くに (地)」+「とこ (疾)」+「たち (立ち・起ち)」
 
「地に先行して立った (起った) 者」という意味になる


だから「トコヨ国」とは「先行する時代の国々」「独り神の時代の国々」という意味だ。
 
ところが時を経て人皇の時代になると、「トコヨ」はホツマ国・ヒタカミ国のことを言うようになる。ヤマトの政権が及ばない東国をトコヨと言うようになったようだ。


@gejirin1 Twitter 2014/02/02



回り歌

2014-02-02 10:47
回り歌


我が国には「かいぶん(回文・廻文)」と言われるものがある。
これは上から読んでも下から読んでも同音になる文のことだ。
ホツマツタヱではこれを「まわりうた(回り歌)」と呼び、2歌が登場する。
 
1つはワカ姫の作、もう1つはカナサキの作。
カナサキは捨てられたワカ姫の育て親である。


きしいこそ つまおみきわに ことのねの
とこにわきみお まつそこいしき
 
紀州こそ 妻を身際に 琴の音の
床に吾君を 待つそ恋しき
 
これはワカ姫が恋焦がれるオモイカネに当てた歌であった。


歌の意味はともかくとして、ワカ姫はどうして回り歌にしたのだろうか?
ここに秘密がある。
 
回り歌は「行って来い」の歌であるが故、
→ 自己完結の堂々巡りで変化・進展を起さない。
→ 完全独立で外からの影響を受けない。 
→ YESともNOとも返えせない。
→ どうにもできない。

よって、この回り歌を受けた時点ですでに、オモイカネはワカ姫の意向に対抗することはできないのである。彼の運命はすでに決しているのである。
 
恐るべし、ワカ姫。
これも歌 (言葉) の力によって物質世界を操るワカ姫の天才ぶりを示した例なのだろう。

ワカ姫に恨まれたらヤバイぞ~。
こういうのを後に呪術師とか魔術師とか言ったんだろうなー。
『ワカ様は魔女』だ。


もう一つの例は、船上にあるカナサキが高波を静めるために詠んだ歌である。
 
なかきよの とおのねふりの みなめさめ 
なみのりふねの おとのよきかな
 
長き夜の 遠の眠りの 皆 目ざめ
波乗り船の 音の良きかな
 
この回り歌は有名で「初夢」の「宝船」に書き添えられてきた。


@gejirin1 Twitter 2014/01/31


ワカ姫とセオリツ姫らのマジナイによりイナゴは西の海に去った。
 
三百六十歌ひ 響ませば
虫飛び去りて 西の海 さらり虫去り
 
これは後に厄祓いの言葉となる。
 
【西海へさらり】-広辞苑より-
厄払いのことば。悪事・凶事・災厄などを払いのけて西の海へ流してしまう意。


ホツマには今の辞書にはない言葉がたくさん出てくるが、その1つに「そろ」がある。
 
これは現在も「ぞろぞろ」とか「ぞろり」などの語に痕跡が残るが、「繁茂すさま」を表す名詞。
 
「繁栄・繁茂」→「実り・成果」→「作物・稲」
の意に使われる。
 
たぶん「揃う」も同根と思う。


ホツマには「イナゴ(稲子・蝗)」という言葉は出てこない。
 
ホツマ3書では「ほ虫」「ほお虫」「はふ虫」「はほ虫」として登場する。
 
これらは「はふ」という動詞が根と思われる。 「はふ」は「はむ(食む)」「はゆ(蝕ゆ)」「おふ(穢ふ)」「おゆ(瘁ゆ)」などの変態だろう。


ホツマでは「はし(橋)」は「あわし(合わし)」の同義語である。
「離れているものを結い合わす」のが「はし(橋)」である。
 
だから「仲介・仲人」の意で使われる場合が多い。
また「渡し」という機能から「ふね(船)」も同じ意味に使われる。
 
漢字に惑わされてはいかんのである。


タカマ(高天) は「高み」と同義で、本来は天空の中心部分を意味し、具体的には北極星とその周辺部分を指す。<この場合「高み」とは中心を意味>
 
これを地になぞらえると、その中心は皇の居る「みやこ(都)」となる。 都にある中央政府、また意思決定機関やその会議場もタカマと言う。


@gejirin1 Twitter 2014/02/01



六甲山

2014-02-01 02:43
六甲山


実はワカ姫のイナゴ祓いには、アマテル(天照大神) の中宮であるセオリツ姫も参加している。
 
紀の国にイナゴ発生の知らせを受けたイサワ宮のセオリツ姫は、アマテルが不在のため、30人の青侍を率いて紀の国に向かう。するとそこにはワカ姫が一足先に到着していたというわけだった。


セオリツ姫はそこでワカ姫の奇妙な行動を目にする。ヒオウギを貼り付けた扇であおぎながら、意味不明の歌を歌っている。
 
しかしその奇行にただならぬ何かを感じたセオリツ姫は、30人の青侍を左右に並べ、ワカ姫とともにその歌を合唱させる。
 
360回繰り返すとイナゴは去っていった。


紀の国は凶作を免れた。二姫の功績を称え、また豊作の守護として2つの宮が紀の国に建てられる。「タマツ宮」と「アヒノマエ宮」である。
 
以後ワカ姫は「タマツ宮」を住まいとした。「アヒノマエ宮」は紀の国懸 (地方の政庁舎) とされた。
 
今の玉津島神社と日前国懸神宮である。


「タマツ宮」(玉津島神社) については
 
『ワカ姫の 心を留む タマツ宮』ホ1文とあり
 
「タマツ」の意味が「たもつ (保つ)」「ため (溜め)」であることが窺える。
 
ワカ姫はこの宮で最期を迎えているようだが、アマテルの遺言から察すると、墓地は「広田/西宮」かも。


「あひのまえ宮 (天日の前宮)」の「天日」とは「アマテル」を指し、「前」とは「前に居る者・向かう者」の意。
 
これは「日に向かつ姫」の別名を持つ「セオリツ姫」を指す。縮めて「ムカツ姫」、また「日の前」とも呼ばれる。
 
彼女もまたアマテルに「広田に行け」と遺言されている。



その遺言とは、

『また后 ヒロタに行きて ワカ姫と 共に妹心 守るべし』ホ28
 
これにより、廣田神社の祭神は「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命」なのであり、この名は「ムカツ姫」を指す。
 
したがってその墓所も「広田/西宮」付近にあることが推測されるが、ここには六甲山がある。


以下は大江幸久先生の御説であるが、二号も賛同するものである。
 
「六甲山」は、かつては「ムカツ峰」「ムコ山」などと呼ばれた。つまり六甲山の名は「ムカツ姫」が源であると推測される。
 
そしてこの山には「六甲比命神社」がある。この社名が「ムカツ姫」を指す可能性は非常に高い。


-wikipediaより抜粋-
この地帯は古くから「むこ」の名称で呼ばれ、武庫、務古、牟古、六兒、無古などの字が当てられており、『日本書紀』神功皇后摂政元年の条には「務古水門(むこのみなと)」の記載がある。
六甲山全山はかつて廣田神社の領地であり、吉田東伍『大日本地名辞書』の「広田神社」の項に、祭神名の撞賢木厳御魂天疎向津比売命と関連して「向津は武庫津というに同じ」とあり、廣田神社祭神向津姫(瀬織津姫)との名称の一致がみられる。
「六甲」の字が当てられるのは比較的最近で、元禄時代にできた『摂陽群談』に見られるのが初期の例であり、享保年間の『摂津志』には「武庫山一名六甲山」の記載が見られるという。


二号はよく知らないのだが、六甲山には東六甲と西六甲があると聞く。
この双子のような山の一方に「六甲比命神社」があるとして、もしもう一方にワカ姫を祭る神社があったなら、おもしろい。
東西の六甲山はムカツ姫とワカ姫の墓山である可能性が一段と高まる。情報があればぜひ下さい。

@gejirin1 Twitter 2014/01/31



ワカのマジナイ

2014-02-01 02:38
ワカのマジナイ


ワカ姫の斎名 (いみな:諱) が「ひるこ」であった。
「斎名」とは「斎む名・尊ぶ名」という意味で「本名・実名」のこと。

『生む時に 昼なれば 名も ヒルコ姫』ミ1
 
とあり「昼子」の意であることがわかる。
「昼」は「日霊」と同じで「太陽のエネルギー放射」の意。


「ひるこ」は非常に別名の多い姫で、「わか姫」「わかひるめ」「たかてる姫」「したてる姫」「にふの神」「としのり神・みとし神」とも言う。
 
記・紀では、「蛭子」は障害未熟児として葦舟に流されるので、その時点で消滅するが、「ひるこ」への信仰は上記の名でいたる所に生きている。


ホツマ・ミカサの話は違う。
『ひるこが3歳になる年、父イサナギは42歳、母イサナミは33歳で、陽陰の節 (今にいう厄年) に当り、その汚穢・隈が子に障るというので、イワクス船に乗せて厄を水に流す。カナサキ夫妻がそれを拾い、西殿で育てる。』
西宮神社の蛭子伝説と比べたし。


だからヒルコはその後も生存し続けている。
 
『汚穢・隈に捨つ ヒルコ姫 いま慈しに 足り至り 天の愛妹と ワカヒルメ』ホ3文
 
「イワクス船に乗せて流す」というのは、厄を流すための儀式だったのだ。
「イワクス」というのも「汚穢消す」また「斎み清める」という心の物実である。


ヒルコは「わかひるめ(稚日女尊・稚日靈女尊)」という別名を持つ。
これは「わか(分)」+「ひる(日霊)」+「め (妹)」の意。
「わかひる(分日霊)」とは「太陽の分け御魂」であるアマテル(天照大神) を指し、その妹ということ。
 
『天の愛妹と ワカヒルメ』ホ3


実際には姉なのだが、最高位にある天つ君の兄弟姉妹の場合、年上であっても弟・妹とするようである。
「わかひるめ」にはもう一つ重要な意味があるのだが、これは説明が難しい。
興味のある方はこちら http://gejirin.com/mikasa10.html を読まれたし。


ヒルコは成人してアマテルの近くに侍り、大功を打ち立てる。
その代表が、「まじないによるイナゴ祓」に見られるように、歌 (言葉) の力よって汚穢や曲りを治す方法を確立したことである。
日本には豊穣の神はあまたいるが、人として作物の守護神となったのは、ヒルコが元祖である。


そもそも「ましない」とは「申して打つ」ことであり、「言葉を発して何かに当てる」という意味。
まじないによって物理的な効果を引き起こす、これがヒルコが確立した歌の道であった。
ヒルコはこの奥義を『くもくしふみ (雲櫛文)』(意味は「隈消し文」) という書物に著している。

ヒルコは晩年、この『雲櫛文』を歌の弟子である「オクラ姫(大倉姫)」に、「シタテル姫(下照姫)」の名とともに伝授している。
 
奈良県御所市の「大倉姫神社」は、別名「雲櫛社」とも呼ばれる。
 
オクラ姫の襲名した「下照姫」と、タカ姫の襲名した「高照姫」は他文書では混同が激しい。


「シタテル姫(下照姫)」「タカテル姫(高照姫)」もヒルコの別名なのであるが、二号はその意味する所を解けていない。
 
ただ「シタテル」の名は「こと(言)」に、「タカテル」の名は「こと(琴)」に関係があるのかなと、漠然と考えている。
 
「高=天」「下=地」の意も当然あろうし。


古今集仮名序に和歌について次の文句がある。
 
『この歌、天地のひらけ初まりける時より出でにけり。しかあれども、世に伝はることは、久方の天にしてはシタテル姫に始まり、あらかねの地にしてはスサノヲの尊よりぞ起こりける』
 
この「シタテル姫」こそ「ヒルコ(蛭子)」なのである。


また「としのりかみ(歳徳神)」「みとしかみ(御歳神)」の名もある。
 
「とし(年・歳)」は「たっし(達し)」と同義で、「達成・成果・収穫」、「1サイクルの完成」の意である。
 
だからマジナイで害虫を祓い、収穫を可能にしたワカ姫を「達成の守」「大歳の守」と讃えたのである


最後に「にふのかみ(丹生の神)」という名がある。この意味を説明するのも簡単ではない。
 
これは「わかひるめ」のもう一つの意味とほぼ同じで、「にふ(和ふ)」とは「やわす(和す)」と同義である。
 
興味のある方は http://gejirin.com/mikasa10.html を読まれたし。


和歌の源になった「ワカ姫 (=ヒルコ)」だから、多くの歌が残っているように思えるが、以外にも1歌しか登場しない。それがイナゴを祓うマジナイの歌である。
 
たねはたね うむすきさかめ
まめすめらの そろはもはめそ
むしもみなしむ
 
これは32音である。32音は祓の歌という。

その理由は、
日月の運動周期の違いにより、1ヶ月=32日になって陽陰の節が乱れることがあり、これが汚穢・隈の発生源となる。
 
これを「みそふ(禊ふ)」のが「三十二(みそふ)」の言葉であるのだという。
 
「みそふ(三十二)」の歌を、同音の「みそふ(禊ふ)」の物実とする。


「みそぎ(禊ぎ)」の動詞形として「みそぐ(禊ぐ)」という語が辞書にあるが、ホツマには「みそぎ」は出てきても「みそぐ」という動詞形は出てこない。
 
思うに、ホツマでは「みそふ」を「みそぎ」の動詞形として用いている。
 
また「みさほ(操)」も「みそふ」の名詞形と見ていいかも。


ワカ姫のマジナイ効果をさらに高めるため、「ヒノキ製の扇にヒオウギの花葉を貼り付けてあおぐ」という行為も同時に行われた。
 
この扇は「おしくさ(押草・押腐)」と呼ばれるが、やはり言霊発動の物実である。
 
現在でも「田扇」、また熊野那智大社の「扇祭」の風習として遺っている。


「ことたま(言霊)」とは文字通り「言葉が持つエネルギー・力」である。
 
日本語を構成する48音 (今にいう五十音) は、ホツマでは四十八神 (よそやかみ) と呼ばれ、それぞれの音は万象を生む神である。
 
人は言葉によって万象を認識しうるのであるから、ある意味当然といえる。


「おしくさ(押草/押腐)」とは「ヒノキ製の扇にヒオウギの花葉を貼り付けてあおぐこと」であった。
 
まず「ヒノキ」は「放の木」で、本来は「(匂を) 放つ木」の意と思われるが、この木を「(汚穢を) 放つ」という言霊の物実としている。
 
その扇の羽は四十八神の48枚とした。


次に「ヒオウギ」は「日の出の如き赤花と扇状の葉を持つ植物」。
 
日の出の如き赤い花が終ると真っ黒な種を結ぶ。これは昼が終れば夜が来るという、日・月(陽・陰)の循環を象徴する植物。
 
「汚穢の根本は陽陰の節の乱れによる」との思想から、ヒオウギをその乱れを直す物実とした。


また「おうぎ(扇)」は「あおぐ(煽ぐ)」の名詞形であり、「あおぐ」とは「高める・勢いづける・栄す」の意。
 
よって「扇であおぐ」という行為を「枯れた稲を勢いづける」という言霊の物実としたのであった。

@gejirin1 Twitter 2014/01/31



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Author:御預二号
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