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ホツマツタエのおもしろ記事(90)『勝手神』

2013-03-10 03:12
ホツマツタエのおもしろ記事(90)  勝手神



「勝手神 (かってかみ)」は、「勝手明神 (かってみょうじん)」「勝手大明神 (かってだいみょうじん)」、また「受鬘命・愛鬘命 (うけのりかみのみこと)」の名でいろんな神社に祭られている。

代表的な神社は、吉野郡吉野町吉野山の勝手神社、長岡京市栗生の子守勝手神社、東大阪市下小阪の小坂神社、堺市蔵前町の須牟地曽根神社、南さつま市金峰町の多夫施神社などである。

しかし記紀には登場しないので、今日ではどういう神なのか知るすべがない。しかしホツマはそれを詳しく教えてくれる。



「勝手神 (かってかみ)」は、葛城の国守「ヒトコトヌシ (一言主)」の世嗣子で、斎名は「ヤスヒコ」、幼名は「カツキマロ」と言う。母は茅渟の陶の地を治める「スヱツミ (陶津耳命)」の娘「ヤスタマ姫」である。 弟に「アカホシ (天津赤星)」がいる。

カツラキの ヒトコトヌシが スヱツミが ヤスタマと生む カツキマロ 斎名 ヤスヒコ』ホ10文
『ヒトコトヌシが "テン" なして カダキヤスヒコ 幣串垂』ホ14文



「カツキ」「カダキ」は、「カツラギ (葛城・桂木・葛木)」の別称である。他に「くす (葛・国栖)」「こせ (巨勢・古瀬・御所)」なども同じである。
ホツマは、ヒトコトヌシが早くから葛城の地域を治めていたことを匂わせているが、その経緯についての説明はなされていない。

「受鬘命・愛鬘命 (うけのりかみのみこと)」とも呼ばれるのは、受鬘命の「鬘」は「かつら」と読み、これは「葛城」を意味するのである。葛城国を受け治む者、それはすなわち葛城一言主の世嗣子「葛城ヤスヒコ」である。「愛」の字は「合・会」と同義で、やはり「合わす・受ける・治める」の意である。



ある時アマテルはイサワ宮に臣民を集め、「世嗣を得るための教え」を授けるが、この時にヤスヒコも世嗣に対する自分の心を歌う。「カッテ」という名はその歌に由来するのである。

『安々と 桜の母の 満り子を 勝手に掛けて いでや生ません』ホ14文

  • 『桜の母 (さくらのはは)』は、「盛りの母」と読み替えて良く、「成熟の母」「出産前の母」の意を表す。
  • 『満り子 (みとりこ)』「満る (みとる)」は「みつ (満つ)」から派生した動詞で、「みちる (満ちる)」「みのる (実る)」「ふとる (太る)」「いたる (至る)」などの変態。よって「みとりこ」は「満ち足りた子・実り至った子・丸々とした子」の意。
  • 『勝手 (かって)』勝る手。利き手。思い通りに動かせる手。
  • 『いでや』勢い・意気込みを表す言葉。 さあ。いざ。来い。実に。Come on!


この歌を聞いたアマテルより「カッテ守」の守名を授かるのである。

『またヤスヒコは 安々と 取り上ぐ事を 業となせ 賜ふヲシデは カツテ守』ホ14文

  • 『ヲシデ (押手)』文字の原点であるタミメ (手印・印相) を平面上に押し写したもの。文字・文書・称号・証書などを表す。


この御言宣に従い、ヤスヒコは日本における「産婦人科医・助産夫」の草分けとなるのである。したがって「勝手神」とは「安産の神」だということになる。またそれが故に医薬学の草分けの「コモリ (子守神)」と、健康と子孫繁栄の守護として、ペアで祭られることが多いのだと思われる。

『ヒメの問ひ "生む時 如何" コモリ また "これはカツテが 良く知れり 我 帰る後 下すべし』ホ16文
『カツテは倚子も 御湯も上ぐ 産が屋の湯とは 木の花の 白き香泥 咲く こわ鵜の目 またアマガツ等』ホ26文

  • 『産が屋の湯 (うがやのゆ)』「産が屋」は産屋(うぶや)に同じ。こわ鵜の目 (鵜の目硫黄) を湯に溶かした人工温泉で、香りのある桜のような白い花が水面に咲く。分娩日から七十五日は、母子ともに、毎日ウガヤの湯に身を浸すのがしきたりだと言う。
  • 『アマガツ』穢れや災いを人に代わって受ける、赤子をかたどった人形。詳しくは『天児』を参照。


アマノコヤネやコモリと同様に、カッテもニニキネの八州巡りに随行し、その後ホオテミウガヤフキアワセズの三朝に渡って中央政府に仕えている。またコモリとココトムスビ (コヤネの父) の伝えを受けたと記されている。

『標は榊 先駆は タチカラヲなり 次 カツテ オオモノヌシと 三種櫃 八房御車 次 コヤネ 駕籠・馬・八十の モノノベ等』ホ24文
『ミホヒコと ココトムスビの 伝え 受け 御内に居れば 大御神 ヲシテ 賜わる カツテ守』ホ10文



時代は下って神武が東征を果たした後、行賞として「ツルギネ (剣根命)」を葛城の国造に任じている。これといって何の功績も記されていないのに、どうして瓢箪から駒が出るようにツルギネがと思うが、ツルギネはカッテの孫なのである。

おそらく大和国近隣の国守たちが大方「ニギハヤヒ」の側に付いた中で、葛城の国守のツルギネは、三朝に渡って中央政府に仕えた経緯から、ウガヤの世嗣御子である神武を正統であるとしてニギハヤヒに敵対する立場をとったのだろう。神武はその功績を重大と見て、改めてツルギネを葛城国造に任じたものと考える。

ちなみに「ツルギネ」の名の「つるぎ」は「かつらぎ」の転であり、「ね」は「根・主」である。よって「つるぎね」とは「かつらぎのぬし (葛城の主)」という語義である。

『アメヒワケ 伊勢の国造 アタネ守 賀茂の県主 カツテ 孫  ツルギネ 葛城 国造ぞ ヤタカラス 孫 葛野主』ホ30文



ツルギネ以降の系譜は記されていないが、ツルギネの子孫が代々葛城国を治めたと考えている。またツルギネの子孫と「タカクラシタ (高倉下)」の子孫との婚姻によって「オハリ (尾張)」が起こったと見ており、「オハリ」という名は、葛城の「タカオハリ」が根と考えている。
『旧事』によると、高倉下の孫の天忍男命(あめおしを) が、葛木の剣根命の娘の賀奈良知姫(かならちひめ) を妻として生んだのが、尾張連の祖といわれる瀛津世襲命(おきつよそ) で、別名を葛木彦命(かつらぎひこ) とも言う。

  

カヌナカワミミ (綏靖天皇) の御代、内宮(中宮)のミスズヨリ姫が難産に苦しむ時、ある夫婦がやって来て無事に御子を取り上げる。姓を問うと男は「コモリ」、女は「カッテヒコ」と答えた。天皇はコモリ(子守神)・カッテ(勝手神)の二神を吉野に祭る。
おそらくこれが現在の「勝手神社」の由緒だと思われる。(以前は奥に金峯神社、中に水分神社、下手には勝手神社と三社に分かれていたという。)

『ミススヨリ姫 カワマタ姫 磯城クロハヤが 館に行き 御子 生まんとし 三日 病める 時 夫婦 来て これを請ふ 君に申して タマテヒコ 抱え 取り上げ 易く生む』ホ31文
『姓を問えば 男はコモリ 女はカツテヒコ 賜ふ名は "若宮の治人" "守の臣" コモリ・カツテの 二神を 吉野に祭り』ホ31文




また能の『嵐山』にも、これに因んだ話がある。 http//www.tessen.org/dictionary/explain/arashiyama
帝の臣下が勅命を受けて吉野から嵐山に移された桜の花を見にやってくる。そこで花守の老人夫婦に出会う。花の下を清め、礼拝する老人に勅使が尋ねると、この花が神木であり、吉野から移植したため吉野山の神が姿を現すのだと答える。さらに老人は、神木の花に姿を現す子守明神と勝手明神という夫婦の神が自分たちであることを告げ、老夫婦は南方へと消えてしまう。やがて子守と勝手の男女の神が現れ、桜の花を喜び、舞を舞う。さらに蔵王権現が現れ、蔵王・子守・勝手の三体は一体分身であると語り、栄え行く世のめでたさを讃える。



参考サイト:http://gejirin.com/hotuma10.html
     :http://gejirin.com/hotuma14.html
     :http://gejirin.com/hotuma16.html
     :http://gejirin.com/hotuma24.html
     :http://gejirin.com/hotuma26.html
     :http://gejirin.com/hotuma30.html
     :http://gejirin.com/hotuma31.html



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