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ホツマツタエのおもしろ記事(96)『八咫鏡4』

2013-03-19 23:32
ホツマツタエのおもしろ記事(96)  八咫鏡

ホツマツタエ17章『神鏡ヤタの名の文』全文解釈 その4 


< 重要事項のおさらい >
『天地法を得て身 (実) を治む』 -心と身/陽と陰の調和-

天地法 (陽陰法) とは、「人」=「魂+魄」=「陽+陰」ということである。
人は「相反する両極端の融合」ということで、これには2段階の意味がある。
一つは、人間は「心と肉体の融合」ということである。この意味では「魂=心」「魄=肉体」の意で使われている。
もう一つは、人間の心も「魂と魄の結合」ということである。この意味では「魂=陽の霊」「魄=陰の霊」の意で使われている。したがって「心」=「魂+魄」=「陽霊+陰霊」であり、またそれは「神」の定義でもあった。

陽陰 (心と肉、また陽霊と陰霊) のどちらかに傾くことは「曲り・ねじけ」を意味し、陽陰が中和して偏りが無い状態を「直ぐ」というのである。
だから「身/実を治む」とは「心と体の調和」と「心を構成する陽霊と陰霊の調和」を取って「直ぐ」を保つことを言うのである。これは「上下の極端を排して中道にあれ」ということでもある。
また相反する物の調和は「自と他の調和」「個と社会の調和」にも発展する。 

「人」=「心+体」=「陽+陰」
「心」=「魂+魄」=「陽+陰」=「日+月」=「天+地」=「上+下」
   =「神」
「一極への傾き」=「曲り・ねじけ」
「両極の調和」 =「直ぐ」





『二神の 経・矛に治む 年 経れば 鈍・均・鋭の 民 現るも 喩えば 数の 器物 屑を捨てなで 鈍・鋭を 均し用いん 天地の心ぞ』

  • 『二神 (ふたかみ)』イザナギとイザナミの夫婦。オモタル・カシコネを最後にクニトコタチから続く皇統は途絶え、神代の日本は滅びる。その後に天つ君となった二神は、退廃した日本に再び「経矛の道 (法と戒の道)」を敷き直して臣民を指導し、国を復興させてゆく。
  • 『経・矛 (と・ほこ)』調和と秩序を実現するための2大手段。具体的には法と警察力。
  • 『鈍 (にぶ)』は「にふ (鈍ふ)」の名詞形で、「低まるさま・劣るさま・衰えるさま」などの意。「にふ」は「なふ (萎ふ)」「ねむ (眠む)」「ねる (寝る)」などの変態。
  • 『均 (なれ)』は「なる (平る・均る・慣る)」の名詞形。「なる」は「凸凹が和して平らになる」という意で、原義は「和す・融和する・調和する」である。
  • 『鋭 (とき)』は「とし (利し・鋭し・疾し)」の連体形。「とし」は「とく (研ぐ)」+「し (如)」の音便。「とく」は「たく (焚く・長く)」の変態で、「高める・優れさす」などの意。「とき」は、ここでは「(限度を) 過ぎるさま・超えるさま」の意味が強い。
  • 『現る (ある)』は「ある (在る・有る・生る)」と同じ。「ある」は「あふ (合う)」の変態で、原義は「(目・意識・気に) 合う・留まる」である。
  • 『数の器物 (かずのうつわもの)』「多くの入れ物」の意。土器の類を言うと思われる。
  • 『屑 (くづ)』は「くつ (朽つ)」の名詞形で「低まるさま・劣るさま」の意。「かす(滓)」「くそ(糞)」「くた(朽・腐・芥)」「くさ(臭・腐・瘡)」などはこの変態。
  • 『均す (ならす)』は「なる (平る・均る)」+「す (為・使役)」。「凸凹を和して平らにする」の意。
  • 『用いん (もちゐん)』「もちゐ」+「ん (意思の助動詞)」。「もちゐ」は「もちゆ (用ゆ)」の上二段未然形。 「もちゆ」は「もつ (持つ)」から派生した語で「(自己に) 合わす・付ける・仕わす」の意。
  • 『天地の心 (あめのこころ)』「あめ (天地・陽陰)」は、ここでは「あめなるみち (陽陰和る道)」を言う。「天と地/上と下/陽と陰の両極を融合調和すること」を言い、「ならす (均す)」の「凸凹を和して平らにする」を言い換えたもの。
    「こころ (心)」は、ここでは「奥にあるもの・本質・精神・エッセンス」などの意。
  • 二神は受け継いだ「経矛の道」を以て世を治めた。当然ながら年月を経れば「劣」「並」「過」それぞれの民が現れてくる。しかし二神は、例えば屑土器を捨てる如くに出来の悪い者を切り捨てるようなことはせず、「劣」と「過」を平らに均して使おうという「上下調合」の精神であった。 (なぜならアメノミヲヤが世に下す人類は『十六万八千に品変る』のであるから。)


『我 見るに 善し・悪ろ 愛でつ 楽しみて 人の中子も 人 二人 やや知る道は マス鏡』

  • 『善し・悪ろ (よし・わろ)』は、前文の「鋭・鈍 (とき・にぶ)」と同じ。 「よし」は「よす (寄す)」の名詞形で「(心) を寄せるさま」の意。「わろ」は「あれ・あら (粗)」「おり (下り)」「おろ (愚・疎)」などの変態。
  • 『愛でつ (めでつ)』「めで」は「めづ (愛づ)」の下二段連用形。「つ」は「つつ (伝つ)」の約で、「合わす・付く・継ぐ」の意。接続助詞の「つつ」「て」「ながら」と同じ。
  • 『楽しむ (たのしむ)』「たの」は「たぬ」の名詞形。「たぬ」は「たつ (立つ・達つ)」の変態で「高まる・勢いづく・栄える・満ちる」などの意。「しむ (占む・染む)」は「する (為る)」の変態で、ここでは「(自己に) 合わす」の意。よって「たのしむ」は「(自分の心を) 勢いづける・栄す・満たす」などの意。
  • 『中子 (なかご)』は「端っこ」の反対語。「中身・奥・心・核」などの意で「こころ」の同義語。ここでは魂の緒によって結合し、人の心となっている「魂+魄」を言う。
  • 『人 二人 (ひとふたり)』人の中子 (心) には「二人の人がいる」という意で、これは「中子 (心)」=「魂+魄」=「陽+陰」=「天+地」=「上+下」ということを言っている。そして「陽・陰 (天・地)」は「鋭・鈍」と「善・悪」に対応しており、人の心は「陽陰二人」「善悪二人」の両極端から成っている、ということを言っている。またこれは『天地法を得て身を治め』の説明でもある。
  • 『やや (稍・漸)』は「いやいや・いよいよ (弥々)」の約で「漸進するさま」の意。ホツマでは「しだいに」「ゆっくりと」「やっとのことで」の意に使う場合が多い。
  • マス鏡 (真澄鏡)表鏡と裏鏡の2枚で一対の鏡。それぞれ月と日に喩えられる。「裏鏡」は2枚の鏡を使って後姿を見る時に背後に配置する鏡である。2枚の鏡は単独では意味をなさず、連動することが前提となっているので表裏一体である。「陽と陰」「魂と魄」の正反対の属性が同居する人間とは、マス鏡そのものだというのである。
  • 我れが世の人々を見る時には、善きも悪きも愛しながらその多様性を楽しみ、人の心も陽陰両極端の二人から成ると思って見ているのである。しだいにわかってくる法は、人はマス鏡だということである。


『天地の報ひは 盗めるも 謗るも打つも 己に返る』

  • 『天地の報ひ (あめのむくひ)』この「天地 (陽陰)」は、世にある人がおよばぬ「非物質界」つまり「あの世」を言っている。「報ひ」は「向ひ・迎ひ」の変態で、「合わせ・釣合・匹敵・対応」の意。
    「天地=陽陰=魂魄=神」であるので(『魂魄と魂の緒』を参照)、「天地の報ひ」は「神の報ひ」と同義と見て良い。
    そして「神」とは「(人の) 魂魄=心=精神=本質」を言うのであるが、そのことは後に語られる。
  • 『盗める (ぬすめる)』は「ぬすむ (盗む)」の連体形。「ぬすむ」は「離す」が原義で、「他所から離して自己に合わす」の意と「(心を) 離す・そらす・外す・曲げる」の意に分れるが、ここでは前者の意。
  • 『誹る (そしる)』「そす(殺す・損す)」+「しる (垂る・退る・痴る)」の合成語。どちらも「低める・劣らす・蔑む」などの意。
  • 『己 (み)』「己」は「おのれ」の意を明確にするために筆者が当てた漢字で、本当は「身」と当てるべき。
  • 盗むも誹るも打つも、天地の報いが己に返る。


『人を打てども その時は 痛き報ひも あらざれど 後の病ふは 天地が槌』

  • 『病ふ (やまふ)』は「やむ (病む)」から派生した動詞。そのまま名詞にもなっている。
  • 『槌 (つち)』は「たち (太刀)」の変態で「断つもの」の意であるが、「(曲り・汚穢を) 断って直すもの」「立ち直らせるもの」「つちかう (培う) もの」などの意も持つ。
  • 人に危害を加えて、その当座には痛き報いも無いとしても、後に病むのは天地の槌である。


『盗みも他人が 知らざれば 宝 得るとぞ 思えども 一度 隠し 二 盗み 三度 損なひ 改めず 天・地・人の 見る所 天地の見付は 人に告ぐ』

  • 『隠す (かくす)』 は「かく(交く/離く)」からの派生語で、「囲う・覆う」「(人目から) 離す」「曲げる・偽る」などの意。
  • 『損なふ (そこなふ)』は「そこぬ(損ぬ)」から、「そこぬ」は「そく(殺ぐ・削ぐ)」から派生した動詞で、「低める・劣らす・衰えさす」などの意。ここでは「病まふ」「天地の報ひ・天地の槌」と同じ。損なう理由の説明はここではなく、かなり後になされる。
  • 『天・地・人 (あめつちひと)』「天の神 (陽の霊)」と「地の神 (陰の霊)」と「他の人」。
  • 『天地の見付 (あめのみつけ)』「みつけ (見付)」は「めつけ (目付)」と同じ。「見張り・監視」の意。「天地の見付」は「天地の心端 (こころば:情報ネットワーク)」を指していて、具体的には「風の神」と「埴の神」を言う。
  • 盗みも他人に知られなければ、宝を得たとも思うけれども、一度盗んだことを隠してうまくいけば、再び盗む。さらに三度目の盗みを働いて我が身を損なってもまだ改めない。ここが天・地・人の見る所である。天地の監視役 (風神と埴神) は人に告げるのである。


『罪 露れて 滅ぶ時 為すこと無くて 悲しきは 他所は喜ぶ シムの恥 悔めど返ぬ』

  • 『滅ぶ (ほろぶ)』は「ほる」から派生した語。「ほる」は「おる (下る・愚る)」の変態で「低まる・劣る・衰える・果てる」などの意。
  • 『為すこと無くて悲しきは』「どうしようもなく悲しいのは」の意。
  • 『シムの恥 (しむのはぢ)』「しむ」は、ここでは「親族」の意。「シムの恥」は「親族が感じる恥・親族が受ける辱め」の意。
  • 『悔やむ (くやむ)』は「くゆ (悔ゆ)」+「やむ (病む)」の合成語。「くゆ」は「くる (暮る)」などの変態。「くゆ」「やむ」どちらも「低まる・劣る・衰える」などの意。元来は自動詞だったのではないかと考える。
  • 『返ぬ (かえぬ)』「かふ」+「ぬ (否定の助動詞)」。「かふ」は「かえる (返る)」の原動詞。
  • 罪が露見して萎れる時、どうしようもなく悲しいのは、よそは喜ぶ親族の恥。悔やんでも取り返しはつかない。


『子を持たば 確と聞くべら 荒猛の 松はねじけて 蟠る 人の若葉も 我儘に 道に悖りて 蟠る』

  • 『確 (しか)』は「しく (如く)」の名詞形で、「合うさま・ 曲りや逸れの無いさま・直ぐなさま」の意。「ちか (近)」「すぐ (直ぐ)」の変態。「まさ (正)」「ただ (直・正)」も同義。
  • 『べら』は、ここでは「べらなり」の簡略で、「べし」と同じと考えて良い。「べら」は「へる (綜る)」の名詞形で、「へる」は「(~することが状況に) 合う・釣合う・そぐう」などの意。
  • 『荒猛 (あらたけ)』「荒々しく猛るさま」の意。ここでは荒猛の環境に育ったものを言う。
  • 『蟠る (わだかまる)』は「わつ」+「かまる」の複合動詞。「わつ」は「曲る・回る」の意で、この名詞形が「わだ (曲)」。「かまる」は「かむ (交む・噛む)」から派生した語で「からむ・こんがらがる」などの意。「曲る」ということは「心身と陽陰が調和していない」ということである。
  • 『若葉 (わかば)』は「分れ生えるもの」が原義で、「わかばえ (若生え)」と同じ。
  • 『我儘 (わがまま)』「わ(我)」+「が (格助詞)」+「まま(儘・任・随)」で、「自分の思い通りなさま」「自在」の意。
    「我」は、ここでは「肉体の自分」を言う。
  • 『道 (みち)』ここでは「和の道・調和の道」で、ホツマでは「陽陰和る道」「妹背の道」「調の道」「円道」「大和の道」「トコヨの道」などさまざまに呼ばれている。
  • 『悖る (もとる)』は「もぢる(捩る)」の変態で「離れる・それる・外れる・曲る」などの意。
  • 子を持つなら確と聞くべし。荒猛の環境に育つ松はねじ曲がってこんがらがる。人の若生えも同様に (荒猛の環境に何とか順応するのが精一杯で、心身と陽陰の調和ができないため)、肉体的・物的な欲求のままに調和の道から外れ、ねじ曲がってこんがらがる。


『人も焚木に 切る如く 惜しまで シムの 痛みかな』

  • 『惜しまで (おしまで)』「惜しまないで (切れば)」の意。「おしむ (惜しむ・愛しむ)」は「(心を) 合わす・寄せる」の意。
  • 『シム (親)』ここでは「親族」の意。
  • (ねじ曲がっているからといって) 木を薪に切る如くに、人も惜しまず切ったなら、親族の痛みであるかな。

    これは先の『数の器物 屑を捨てなで 鈍・鋭を均し用いん 天地の心ぞ』と同じことを言っている。


『子を養す法 "曲松を 引き植え 新木 培えば 直木となるぞ"』

  • 『養す (ひたす)』は「いたす (致す)」「みたす (満たす)」などの変態で、「高める・優れ至らす・伸展成長させる」などの意。
  • 『曲松 (くせまつ)』「くせ (曲・癖)」は「くす (屈す)」の名詞形。「くす」は「反る・曲る・傾く」などの意。「まつ (松)」は「曲るもの」の意。
  • 『引き植ゆ (ひきうゆ)』ここでは「(若生えを) 引き抜いて植える」の意。
  • 『新木 (あらこ)』新しい木。若生えを引き抜いて新たに植えた木。
  • 『培ふ (つちかふ)』「つつ (伝つ・付つ)」+「かふ (交ふ)」の複合語。どちらも「合わす」が原義で、ここでは「(心・身を) 合わす・添える」「守る・世話する」「養う・育てる」などの意。
  • 『直木 (なおき)』直ぐな木。あるいは「直し」の連体形の「直き」。
  • 子を伸展させる法は「曲松の若生えを引き抜いて植え、新たな木として培えば直ぐな木となる」ということである。


『親心 細々篤き 調の教え』

  • 『親心 (をやごころ)』ここでは「上流にある者が持つべき中核の思い」の意。=公の心。
  • 『細々 (こまごま)』は「こむ (込む)」の名詞形「こま」を重ねた語で、「込み入ったさま」「小さなスペースにぎっしり詰まったさま」を表す。転じて「詳細・緻密・綿密・入念・精巧」の意。「ごみごみ」「こもごも (交々)」などの変態。
  • 『篤し (あつし)』は「いたし (甚し)」の変態で「甚だしいさまである」の意。UP/DOWN どちらの方向にも使う。
  • 『調の教え (とのをしゑ)』「調の導き (とのみちびき)」とも呼ばれ、「調和の道に導くこと」「調和の恩恵を教えること」を言う。
    この「調和」は、「心身の調和」「心の陽陰の調和」「自と他の調和」「個と社会の調和」のすべてを含む。
  • 上流にある者が持つべき中核の思いは、入念で厚い「調の教え」である。


『子は長の根ぞ 幼子に 新木 教えて 培えば 直き長とぞ なる心』

  • 『長 (をさ)』は「をす (押す)」の名詞形で、「をす」は「合わす・和す・束ねる・治める」などの意。よって「をさ」は「治める者・調和させる者」意で、「をし (治・筬)」「よし (寄し)」「うし (大人・氏)」「ぬし (主)」などの変態。
  • 『根 (ね)』は「なえ (苗)」の訛りと考えている。「最初に発してくるもの」の意。
  • 『幼子 (おさなご)』「おさ (乙)」+「な (なる)」+「こ (子)」。「おさ」は「おそ (遅)」「おつ (乙)」「おと (弟)」の変態。「おさな」の反対が「をきな (大きな・翁)」。
  • 『教ゆ (をしゆ)』は「をす (押す)」から派生した動詞で「合わす」が原義。ここでは「合わす・比べる・なぞらえる」の意。
  • 『心 (こころ)』は、ここでは「奥に隠れるもの・本質・奥義・秘訣」などの意。
  • 子は長 (治める者・調和する者) の苗である。幼子を新木になぞらえて培うこと(細々厚く調を教えること)が、直き長を育む秘訣である。


『恵みを知らば 木宝の 棟・梁と なる如く 人の住居の 上にあり』

  • 『恵み (めぐみ)』ここでは「木が得る自然環境の恵み」「陽 (日・風) と陰 (水・埴) の恵み」の意。
  • 『知る (しる)』は「(自己に) 合わす」が原義で、ここでは「得る・受ける」などの意。
  • 『木宝 (こだから)』木の優れ物。「たから」は「たかみ (高み)」の変態で「高きもの・優れもの」の意。ここでは「直ぐな大木」を言うのであろう。
  • 『棟 (むね)』は「みね (峰)」の変態で、「頂」の意。
  • 『梁 (うつばり)』「うつ (打つ)」+「はり (張る)」。どちらも「合わす・結ぶ・渡す」の意で、「(柱と柱を) 結ぶもの・渡すもの」の意。
  • 『住居 (すまゐ)』「すむ (住む)」+「ゐゆ (居ゆ)」の合成「すまゆ (住まゆ)」の名詞形。
  • 環境の恵みを受けて育った直ぐな大木が棟や梁となる如くである。それらは人の住み居る所の上部に位置するのである。


『荒猛心 子に求め 利き過ぎ ねぢけ よこしまの ハタレとなるぞ マスヒトら 幼の時は ねぢけの芽 早や改めよ』

  • 『荒猛心 (あらたけごころ)』環境の荒猛にうまく順応しようとすることが生む、大局を思わず目先の損得のみに心を配り、上手に立ち回ろうとする小手先の態度を言う。
  • 『利き過ぐ (ききすぐ)』「利口が過ぎる」「鋭敏が過ぎる」などの意。
  • 『よこしま (邪・横しま)』「よこ (横)」+「しま(方・様)」。「よこ」は「よく(避く)」の名詞形で、「よく」は「離れる・反る・曲る・外れる」などの意。「よこしま」は「曲るさま・外れるさま」の意で、「さかしま (逆しま・倒)」「さかさま (逆さま・倒)」などの同義語。
  • 『ハタレ』は「はづれ (外れ)」の変態で「外れたさま/もの」の意。反りや曲がりが過ぎて人から、外れてしまった者を言う。したがって「よこしま」とも同義である。
  • 『マスヒト (益人)』「ます」は「合わす・和す・収める」の意で、この名詞形が「ます(枡)」。「マスヒト」とは、要するに「治める人」で、「かみ・もり (守)」「とみ (臣)」「をさ (長)」「つかさ (司)」などと同義であるが、特に天 (中央) から任命され、地方の国を治める国守を言う。
  • 荒猛の環境にうまく対処する小賢しさを子に求めたなら、小利口が過ぎて心がねじけ、反り曲ったはみ出し者となるぞ。子や民を治める者達よ、幼い時はまだねじけの芽である。今の内に早く自分の荒猛心を改めよ。


『既に前 法を誤る マスヒトの 褒め過ぎ ねぢけ 横しまが 縦を捩けて 床闇の 斜 和して やや統つむ』

  • 『マスヒト』ここでは根の国のマスヒト「シラヒト」、サホコチタル国の副マスヒト「コクミ」、後任のマスヒト「アメオシヒ」を言っている。詳しくは『大祓詞』を参照。
  • 『縦 (たて)』は「上から下へ流れる筋道」「上下関係の秩序」で、これは大宇宙の根本原理「陽陰和る道」に則る自然な方向である。「縦」は「先に立つもの・骨格・柱・中軸・主体」などの意を持つ。
  • 『捩く (もぢく)』は「ねじく (拗く)」「よぢる (捩る)」「ひねる (捻る)」などと同義。
  • 『床闇 (とこやみ)』「とこ」は、ここでは「そこ (底)」の変態。「やみ (病・闇)」は「低まるさま・劣るさま・衰えるさま」の意。よって「とこやみ」は「最低・最悪・どん底」などの意。
  • 『斜 (なんだ)』は「なだ」の音便。「なだ」は「なだる (傾る)」の原動詞「なづ」の名詞形で、「そる・曲る・傾く」などの意。
  • 『和す (やわす)』は「あわす (合わす)」の変態で、ここでは「合わす・収める・調える・直す」などの意。
  • 『統つむ (しつむ)』は、辞書には「為集む」で「為し集める」「取り集める」とあるが、原義は「合わす・まとめる・治める」の意。「しつ」+「つむ (集む)」の合成語。「しつ」は「しっす(執す)」の変態。
  • 過去において既に、法を誤って荒猛の小利口を褒め過ぎ、ねじ曲ったマスヒトを世に送り出してしまっている。その横しまは遂には治めの主軸である上下の秩序をも歪めてしまい、どん底の曲りを直し調えてようやく治めたのである。


『これも三種の 器法 あらで如何んぞ 得ざらんや』

  • 『三種の器法 (みくさのうつわのり)』調の重要性を教え諭し、ヤタの鏡で心の清汚を鑑み、なお逆らうものは逆矛を以って打ち綻ばす、という統治原則。これもやはり「鏡 (天の祭)」 と「剣 (地の政)」 の「調 (調和)」が根底にある。
  • 『如何んぞ (いかんぞ)』「如何にぞ」の音便。ここでは「如何にしても」「どうやっても」などの意。
  • これも「三種の器法」が無かったら、どうやっても治めることはできなかっただろうよ。


『兼ねて思えば マス鏡 青人草も 直ぐとなる 人に於けらば 限り無し 長く培ふ 教えなすべき』

  • 『兼ねて (かねて)』「かぬ (兼ぬ・交ぬ)」+「て (接続助詞)」。「かぬ」は「合わす・連ねる・重ねる」などの意。「かねて」は「合わせ合わせて・重ねて・連ねて・つくづく」などの意。
  • 『青人草 (あおひとくさ)』未熟だが成長して人となる可能性を秘める「人の種」の意で、「民」の別称。
  • 『人 (ひと)』ここでは上流の階層にある人。つまり君と臣。
  • 「於ける (おける)」は「おく (置く)」の連体形から独立した動詞。「おく」は「合わす・交える」などの意。
  • 『長く培ふ教え (ながくつちかふをしゑ)』ここでは「焦らずじっくり育てる教え」の意。
  • 重ね重ね思うのは、マス鏡の道 (心身/陽陰の調和) は青人草の民をも直ぐにするのであるから、上流の臣においては調和のレベルには際限がないということである。よって焦らずじっくり育てる教えを行うべきである。



参考サイト:http://gejirin.com/hotuma17.html
     :http://gejirin.com/mitinoku.html



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