2017 081234567891011121314151617181920212223242526272829302017 10

スポンサーサイト

-------- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ホツマツタエのおもしろ記事(14)『ひよるこ』

2013-01-15 07:17
ホツマツタエのおもしろ記事(14)  ひよるこ



「ひよるこ」は、ホツマツタエだけに登場する。
一応イザナミが生んだ子なのだが、謎も多い。


イザナギとイザナミはコトサカノヲを「うきはし (仲人)」として夫婦となる。
この夫婦を特に「ふたかみ (二神)」と呼んでいる。


この「かみ」は「上位・上流・源」の意で、本来は「上・頭・官」などの漢字を当てるべきなのだが、慣例に従い「二神」としている。
また「ふたはしら (二柱)」「あめふたかみ (天二神)」と呼ばれる場合もある。

「神」は通常、神霊 (肉体を持たないもの) を指す。だから基本的に世に生きる人間を「神」とは呼ばない (ただし唯一の例外を除く)。
しかしその人間も、世を去れば「神」と呼ばれることになる。


はじめ、二神は筑波のイサ川 (今の桜川と思われる) の畔のイサ宮に住む。
ここで「みとのまぐわい (凸凹の交わい)」によりヒルコ(蛭子) を生んでいる。
ヒルコは3歳になる年、両親が42歳と33歳の厄年に当たっていたため、その厄が子に及ばぬようにと、イワクス船 (斎奇船/穢朽す船)に乗せて流される。重臣のカナサキがそれを拾い上げ、西宮の廣田宮で育てる。
(ヒルコについてはこちらを参照)


その後二神は、近江「オキツボ」の「オキツ宮」に移る。
ここに「ヤヒロ殿 (八紘殿)」を建て、ここを国家再建の中心拠点とする。


二神は、このヤヒロ殿に立つ中柱 (大黒柱) を廻って、国土の八島を始めとして、海・川・山の幸、木祖のククノチ、茅の姫、野槌など、万物を生む。
「生む」というのは、オモタル政権の断絶によって、一旦は果てた日本の「再生・再興」という意味だろうと思う。


しかしそうなる前、ヤヒロ殿の中柱を廻ることによる国生みは、一度失敗しているのである。
ホツマの記述を見てみよう。

『二柱 うきはしに熟る オノコロの 八紘の殿に 立つ柱 回り生まんと 言挙げに 女は左より 男は右に 分れ 回りて 会ふ時に 女は 「あなにえや 愛男子」と 男は 「わな嬉し 愛乙女」と 歌ひ孕めど 月 満てず 胞衣 破れ生む ヒヨルコの 泡と流るる これも未だ 子の数ならず 葦船に 流す淡路や』ホツマ3文


ヤヒロ殿の中柱を廻って、二神がぶつかる時に歌を歌う。
これによってイザナミは孕むが、流産してしまう。
この流産した未熟児が「ひよるこ」で、淡路にて葦船に乗せて流す。

しかしこの話、どこかで聞いたことがある。


【古事記】
『爾くして伊邪那岐の命、「然あらば吾と汝と、この天の御柱を行き迴り、逢いてみとのまぐはひせん」と詔りき。かく契りてすなわち、「汝は右より迴り逢え、我は左より迴り逢わん」と詔らして、契り終えて迴る時に、伊邪那美の命 先ず「あなにやし えおとこお」と言い、後に伊邪那岐の命「あなにやし えおとめお」と言い、おのおの言い終えし後に、その妹に告げて曰く、「女人の先に言えるは良からず」。しかれどもくみどに興して生みし子は水蛭子(ひるこ)。此の子は葦船に入れて流しうてき。次に淡嶋を生む。是もまた子の例に入れず。』

【日本書紀】
『即ち将に天柱を巡らんとして、契りて曰く、「妹は左より巡れ、吾は右より巡らん」。既にして分れ巡り遇う。陰神(めかみ)すなわち先ず唱えて曰く、「あなにえや、可愛少男(えおとこ)を」。陽神(おかみ)後に和して曰く、「あなにえや、可愛少女(えおとめ)を」。遂に夫婦(みとのまぐあい)して、先ず蛭兒(ひるこ)を生む。すなわち葦船に載せて流しき。次に淡洲を生む。此は亦、兒の數にいれず。』


「ひよるこ」が「ひるこ」に化けている!


記紀においては、この時点で「ひるこ」は消滅するわけである。
これが、ひるこ (別名:稚日女尊/稚日靈女尊/下照姫/丹生都比賣大神/御歳神) の事蹟が歴史に残っていない理由である。



参考サイト:http://gejirin.com/hotuma03.html
     :http://gejirin.com/src/Hi/hiruko.html
     :http://gejirin.com/src/Hi/hiyoruko.html


スポンサーサイト

トラックバックURL
http://divinehuman.blog.fc2.com/tb.php/24-57b4f39e
トラックバック
コメント
>この流産した未熟児が「ひよるこ」で、淡路にて葦船に乗せて流す。<
この「淡路」が、どこのことなのかは、ひとつの焦点。

鳥居礼氏は、「淡路」は「近江」の旧称として、
壺葦原=淡国=オキ壺=近江、と解されてゐる。
「和(やわ)して アワお胞衣(ゑな)として」とあるのは、アワ歌の「アワ」と淡国の「アワ」をかけてゐると観る。『秀真政伝』もその見解にあるといふ。

今村聡夫氏は、現在の淡路島の意と解されてゐる。

本アヤの末は「「この二柱 産む殿は 天の原見山(はらみ)と 筑波山 淡路月隅(つきすみ) 熊野なりけり」とあるので、「殿(との)」即ち宮殿があったはず。

『秀真政伝』では、胞衣をのちに西の嶋(=淡路島)に納め玉ひたので、この嶋を淡路島と名付けた、と記されてゐるらしい。

二柱は、のちに淡路島も開拓してゐるので、宮を置いて滞在されたことは確かだし、伊弉諾神宮は、その聖跡だらう。
胞衣を納めたのは岩屋神社か。

宏道 | 2013-10-15 19:44 | 編集
管理者にだけ表示を許可する
 
プロフィール +

御預二号

Author:御預二号
FC2ブログへようこそ!

最新記事 +
最新コメント +
最新トラックバック +
月別アーカイブ +
カテゴリ +
検索フォーム +
RSSリンクの表示 +
リンク +
ブロとも申請フォーム +
QRコード +
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。