2017 101234567891011121314151617181920212223242526272829302017 12

スポンサーサイト

-------- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ホツマツタエのおもしろ記事(31)『常世と橘』

2013-01-22 10:52
ホツマツタエのおもしろ記事(31)  常世と橘



「とこよ」は、「とこ (疾)」+「よ (代)」である。
「とこ」は「とく (疾く)」の名詞形で、「早・先・前」の意。
これは「とっくの昔」の「とっく」の変態である。
「よ (代)」は、「区分」の意で、ここでは「時代」。
だから「とこよ」は「前の時代・先代・上代」などの意である。

「前の時代・先代・上代」は、具体的には「クニトコタチの代」を言うのである。 だからクニトコタチを「トコヨ神」とも言う。またクニトコタチが創り、治めた国を「トコヨ国」と言う。
クニトコタチは、ウヒヂニ・スヒヂニより前の、世にまだ男女の別が無かった時代の、陽陰両性を併せ持つ独神の総称である。したがって「トコヨ」とは「ウヒヂニ・スヒヂニより前の、世にまだ男女の別が無かった時代」ということである。普通の男女は陰陽両性の人間を人とは思わないだろうから、まあ「神の時代・神代」と言っていいだろうと思う。「なじみのない隔絶した時代」だとも言えるだろう。

『クニトコタチの トコヨ国 八方八降りの 御子 生みて 皆 その国を 治めしむ』ホツマ2文

『トコヨ神 木の実 東に 植えて生む ハコクニの神』ホツマ2文



クニトコタチ (ミナカヌシを除く) は、地上の八方に下り、八方の国を治めた国君であるので「八方八下りの御子」とも呼ばれる。クニトコタチは「和・調和による秩序」を根本理念として国を治めた。この理念を「トコヨの道」と言い、また「陽陰和る道 (あめなるみち)」「妹背の道 (いせのみち)」「調の道 (とのみち)」などとも呼ばれる。

『人に生れて 蠢くに トコヨの道を 教ゆ神 クニトコタチも 和り恵り』ホツマ18文

『陽陰の道 得て 人草の 嘆きを和す 守 あらず あらねば道も 尽きんかと』ホツマ4文



クニトコタチは「トコヨの道」が通った地に「トコヨの木」(とこよのはな) を植えて、そのシンボルとした。この「トコヨの木」が『』である。「タチバナ」とも「カグ」とも呼ばれる。

『クニトコタチの 八下り子 木草を苞の ホツマ国 東 遥かに 熟み 高く 発ち上る日の ヒタカミや タカミムスビと 地 統べて トコヨの木を ハラミ山 カグヤマとなす』ホツマ4文


どうして橘がトコヨの道のシンボルなのかについてホツマは明言していない。またトコヨ神はどこから橘 (みかん) を持って来たのかという疑問も残る。どこにでも自生しているような木なら、シンボルにならんと思うからだ。



「トコヨの道」はまた、「和の統治理念の継承」という意味で、「クニトコタチの皇統」を意味する。
クニトコタチから継承してきた皇統がオモタル・カシコネで途絶えた後、ヒタカミのトヨケが「東の君として道を受ける」が、この「道」とは「トコヨの道」であり、すなわち「クニトコタチの皇統」の継承なのである。

『アメミヲヤ 元々・天並 三十二神 祭れば  "外廻の トヨケ守" 東の君と 道 受けて』ホツマ4文



トヨケが暫定的に日本を統括した後に、ヒタカミと根国の協力関係をバックに天君となった二神は、一旦は滅びた日本 (かつてのトコヨ国) に再び「トコヨの道 (和の道)」を敷いてゆく。そのための手段が「経矛の道 (法と戒の道)」であった。そしてトコヨの道が通った地を「トコヨ里」と名付け、「橘」を植えてそのしるしとする。「里 (さと)」は「下・末・麓・裾野」などの意である。

『ツクシに御幸 橘を 植えてトコヨの 道 成れば 諸神 受けて 民を治す』ホツマ5文

『ソサに来たりて 宮 造り 静かに居ます キシヰ国 橘 植えて トコヨ里』ホツマ5文

『クニトコタチの 代にはまだ 矛 無き故は 素直にて 法を守れば 矛 要らず』ホツマ23文




大きく時が過ぎて人皇の時代になると、「トコヨ」は「なじみのない隔絶した場所」を意味するようになる。つまり中央政府の主権の及ばない国である。そして「トコヨ」=「蝦夷」である。すでにヒタカミ国は独立しており、垂仁天皇の頃にはホツマ国の大半もヒタカミの勢力圏となっていた。

『橘を求めに タジマモリ トコヨに行けよ 我が思ふ クニトコタチの 御代の木』ホツマ37文



タジマモリ (田道間守) が橘を求めに行ったのは、ホツマ国の相模である。
この地はニニキネ (瓊瓊杵尊) の時代に、オオヤマズミ (大山祗) の「マウラ (天津真浦・天津麻占)」が拓いた地である。マウラはこの地に橘を植え、「橘の君」と称えられた。現在でも相模には橘との関連を示すものが多く残っている。このマウラの後裔が「橘モトヒコ」である。

『アスカ川 オオヤマスミは これ 写し サカムの小野に 新田 成し 橘の木 植えて マウラ守 代々 "橘の君" となる』ホツマ24文

『橘の木を 得んと思えば 橘の モトヒコが家に 年 経りて』ホツマ39文



そしてタジマモリは橘モトヒコの娘を娶る。生まれてくるのが「オトタチバナ姫 (弟橘姫)」である。

『橘君が ハナタチバナは 故が妻 オシヤマ遣りて 呼ばしむる』ホツマ37文

『ハナタチバナが 五月末 夜半に生む子に 御言宣 "昔の人の 緒を留む ヲトタチバナ" と 名を賜ひ』ホツマ37文



参考サイト:http://gejirin.com/hotuma02.html
     :http://gejirin.com/hotuma04.html
     :http://gejirin.com/hotuma05.html


スポンサーサイト

トラックバックURL
http://divinehuman.blog.fc2.com/tb.php/41-84fa6008
トラックバック
コメント
管理者にだけ表示を許可する
 
プロフィール +

御預二号

Author:御預二号
FC2ブログへようこそ!

最新記事 +
最新コメント +
最新トラックバック +
月別アーカイブ +
カテゴリ +
検索フォーム +
RSSリンクの表示 +
リンク +
ブロとも申請フォーム +
QRコード +
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。