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ホツマツタエのおもしろ記事(56)『ふとまに』

2013-02-03 19:36
ホツマツタエのおもしろ記事(56)  ふとまに



「ふとまに (太占・太兆)」を辞書で調べると、

【太占・太兆】ふとまに -広辞苑より-
(フトは美称) 古代に行われた卜占の一種。鹿の肩甲骨を焼いて、その面に生じた割れ目の形で吉凶を占う。
記上「天つ神の命(みこと)もちて―に卜相(うらな)ひて」


太占(ふとまに)  [ 日本大百科全書 (小学館) ]
古代に行われた卜占(ぼくせん)の一種。その方法は牡鹿(おじか)の肩骨を波波迦(ははか)(上溝桜(うわみずざくら)の古名)の木皮で焼き、そこにできた割れ目の模様によって占うのである。『魏志倭人伝』(ぎしわじんでん)に「骨を灼(や)きて以(もっ)て吉凶を占う」とあるのは、太占のことを述べたものである。のち中国より亀卜(きぼく)の法が伝わるに及び、しだいに廃れた。 [ 執筆者:石井良助 ]



これらから解ることは、古事記に『ふとまに (布斗麻邇)』という名の『占い』が出てくるが、どのような占いなのかについての説明はなされていない。
だから古事記の別の段にある「牡鹿の肩骨を波波迦の木皮で焼き、そこにできた割れ目の模様によって占う」、あるいは魏志倭人伝の記事にある「骨を灼(や)きて以て吉凶を占う」という説明を以て『ふとまに』と推断しているだけだいうことである。



ホツマツタヱ、ミカサフミの姉妹書に「フトマニ」という書があり、ホツマツタヱの編者である「オオタタネコ」がその序文を書いている。その中に次のように書かれている。

『このフトマニの四十九緒は 元々明けのサコクシロ アメノミヲヤによる形 傍にトホカミヱヒタメの 八神は人の魂の緒を 膨み振らせて 存えをを結び和せば アイフヘモオスシの神は キツヲサネ五臓六腑を調えり 三十二の神は見目・形 日夜の随に守らせば このフトマニを本在と 万葉の味を考なえて 試み詠めと詠ましめて 神は領長 添え削り 百二十八歌 選り給う 本在伝えの文ぞ尊き』フトマニ序


この記述から解るのは、「ふとまに」とは、北極星の位置に座す「アメノミヲヤ (陽陰の上祖)」と、その周囲に配置される48神、合計49神の総称だということである。

中心のアメノミヲヤは、48神を生み出した源である。したがって48神はアメノミヲヤの分け身が個性化した神だと言えよう。
そして48神は別名を「アワノカミ (陽陰の神)」と言い、これは「アワ歌」の各音、すなわち日本語の48音 (今に言う五十音) を指すのである。 (参照:天地歌)

つまり古代日本の思想においては、言葉 なのである。そして49の神々とその配置を示したものが「フトマニ図」である。

この48音の組み合わせ、つまり言葉 (≒名前) によって万物万象は発現する。
なぜ 万物万象言葉 (名前) なのかと言えば、人間は言葉 (名前) によって万物万象を認識しているからである。人間は五感の情報を総合して万物万象を感知するが、それらは言葉に一旦変換されて認識されるからである。そうして得られた認識を元に思考し、また表現するからである。
言葉 (名前)が付されていない物事は、存在していないのと同じではないだろうか?少なくとも他人に伝達することは非常に困難である。このあたり、深く考えてみていただきたいと思う。


「ふとまに」の語義を考えてみると、「ふと」+「まに」である。
「ふと」は「ふつ (悉つ)」という動詞の名詞形で、「ふつ」は「至る・満ちる・全うする」などの意。「ふつくに (悉に)」という副詞化された語が辞書にある。
よって「ふと」は「至り・満ち・全き」などの意である。

「まに」は「まぬ」という動詞の名詞形で、これは辞書にはないが、これから「まね (真似)」という名詞や「まねく (招く)」が派生しており、原義は「合わす・現す/表す」などの意である。(「現す/表す」とは、「(人の意識に何かを) 合わす」ということに他ならない。)
よって「まに」は「表し・現し」の意である。

したがって「ふとまに」は、「全てを表すもの」「万象」という語義になる。
だから「太兆」の漢字は、語義のポイントをついていると思う。


また「うらない (占い)」は「うらなふ (占う)」の名詞形であるが、
「うらなふ」とは「うら (裏・心)」+「なふ (綯う)」である。
「うら」は「表に見えない部分・奥」という意で、これは「源・本質・エッセンス」という意である。
「なう」は「寄せる・合わす」の意である。
よって「うらない」とは「物事の奥にある本質を得ること」を言う。



後にアマテル神は八百万守に御言宣して、このフトマニをモトウラ(本在・本心)とする歌を詠ませ、自らが編者となって添削し、百二十八歌を選んで占いの根本とする。これを「モトラツタエの文 (本在伝えの文)」という。それ以後は「モトラツタエの文」を指してもっぱらフトマニと言うようになったようだ。

『このフトマニを 本在と 万葉の味を 考なえて 試み詠めと 詠ましめて 神は領長 添え削り 百二十八歌 選り給う 本在伝えの 文ぞ尊き』フトマニ序



「モトラツタエの文」の百二十八歌は、『ア・イ・フ・ヘ・モ・ヲ・ス・シ』の八種と『ヤマ・ハラ・キニ・チリ・ヌウ・ムク・エテ・セネ・コケ・オレ・ヨロ・ソノ・ユン・ツル・ヰサ・ナワ』の十六種の組み合わせからなる。

「アヤマ」「アハラ」・・・ ・・・ ・・・「シヰサ」「シナワ」の128の組合せの各々に一つの歌が当てられている。

占おうとする者は、128種の組合せの内のから一つ、あるいは複数を選ぶものと思われるが、どのようなルールでそれを選ぶのかについては触れられていない。



大変に興味深いのは、古今和歌集の序において歌の種類を説明する六つの例歌のうち、四歌はフトマニ中の歌に非常に近似している点である。しかも四つともフトマニの「…ヤマ」の歌に当る。

『咲く花に 思ひつく身の あぢきなさ 身にいたつきの いるも知らずて』
『富の山に 思ひつく身の 捕餌呑み 実にいたつきの いるも知らずて』フヤマ

『我が恋は よむとも尽きじ 荒磯海の 浜の真砂は よみ尽くすとも』
『モヤマトの 道は尽きせじ 荒磯海の 浜の真砂は よみ尽くすとも』モヤマ

『いつわりの 無き世なりせば いかばかり 人の言の葉 嬉しからまし』
『大ヤマトの 道は素直に いつわらで 人の言の葉 熟に行くなり』ヲヤマ

『この殿は むべも富けり 三枝の 三つ葉 四つ葉に 殿造りせり』
『直の熟まば むべも富みけり 幸草は 三つ花 四つ花の 殿造りせん』スヤマ



参考サイト:http://gejirin.com/futomani.html
     :http://gejirin.com/mitinoku.html



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