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ホツマツタエのおもしろ記事(60)『天日隅宮』

2013-02-07 07:48
ホツマツタエのおもしろ記事(60)  天日隅宮


ここまでのお話: 1. 大己貴神  2. 玉垣内宮  3. 天稚彦の葬儀
         4. 鹿島立ち


オオナムチを帰順させたフツヌシとタケミカツチは、逆らう残党を片付けながら諸守を率いて都に帰る。

『逆ふは斬りつ 服ふは 褒めて 諸守 率いつつ 天に返れば』ホツマ10文

  • 『天 (あめ)』は、ここでは「中央・中央政府・都」などの意で「タカマ」と同じ。「天」の原義は「上・高」である。なぜそれが「中央」の意になるかというと、中心にある「東京駅」を発する電車が全部「下り」なのと同じ理由である。


代の殿タカキネは、天君オシホミミに代わり御言宣して二守を褒賞する。

『代の殿 政を執りて 御言宣 "汝 フツヌシ アワウワの 徹る導き 盛んなり またミカツチは かしま 立ち '稜威を現す モノノベ' の 灘 和らに 戻すより 賜ふ守部は カシマ守"』ホツマ10文

  • 『代の殿 (こふのとの)』君の代理を務める臣。7代タカミムスビのタカキネが病弱なオシホミミに代って中央の政を執るため就任した役職。
  • 『アワウワ』は「混沌・無秩序」を表す言葉。原義は「泡泥」で「アワウビ・アホウビ・アウ」とも言い、「あやふや」「うやむや」「わや」に同じ。
  • 『徹る導き (とふるみちびき)』「徹る」は「達する・至る・完了する・終わる」の意で、ここでは「(混沌・無秩序の) 終焉を導いたこと」の意。
  • 『盛ん (さかん)』は「さかり (盛り)」の音便で、「さかる (盛る)」の名詞形。「さかる」は「高まる・栄える・優れる・至る」などの意。「さかん」は、ここでは「優秀・秀逸・見事」などの意。
  • 『かしま 立ち』ここでは動詞形で「逆しまを正す」「よこしまを立て直す」の意。
  • 『稜威を現すモノノベ』「いつ (稜威)」は、ここでは「勢い・意地」などの意。「稜威を現すモノノベ」は、大物主オオナムチの支配下にあったモノノベたちの反発・抵抗を言う。
  • 『灘 (なんだ)』は、「なだ」の音便で、ここでは「高ぶり・険しさ・厳しさ・激しさ」などの意。
  • 『和ら (やわら)』は「和しているさま」「極端が無く平らなさま」「平穏」の意。
  • 『守部 (かんべ)』「べ」は、ここでは「はべ(侍)」の略で、「はべらすもの・添えるもの・付けるもの」の意。これはつまり「名」である。「かんべ」は「守としての名」の意で、「かみな (守名)」「もろがな (守が名)」と同じ。
  • 『カシマ守』「かしま」は、ここでは「かす (和す・交す)」から派生した「かしむ (交しむ)」の名詞形で、「和・やわし・治め・直し」の意。「かしむ」の名詞形が「かしめ」である。「逆しまを正した守・よこしまを立て直した守」から「直す・正す・和す」の意のみを抽出した名といえる。


帰順したオオナムチは出雲を引き払い、180人の守を率いてヤスの都に戻り、従前のようにオオモノヌシとしての職務に仕える。それを行うことは、目には見えないが険しく困難なものであったはずである。

『時に服ふ オホナムチ 百八十守を 率い来て 忠も日陰の 灘 あり』ホツマ10文

  • 『百八十守 (ももやそかみ)』これは、諏訪に逃れて信濃の国守となったタケミナカタを除くオオナムチの子の総数である。
  • 『忠 (まめ)』は「はべ (侍)」の変態で「(心・身を)合わすこと・仕えること」の意。
  • 『灘 (なんだ)』は「なだ」の音便で、ここでは「険しさ・厳しさ・困難」などの意。


陰の困難にもかかわらず一途に仕えるオオナムチを見て、代の殿タカキネは天君オシホミミに、知行地を失ったオオナムチに恵みを賜ることを請願する。オシホミミはそれを認め、オオナムチは津軽の治めを授かることになる。

『タカミムスビの 立たし枝 理 あれば 御言宣 賜ふ アソベの アカル宮』ホツマ10文

  • タカミムスビここでは、天君オシホミミの代の殿を務める7代タカミムスビのタカキネ
  • 『立たし枝 (たたしゑだ)』不詳であるが、「木の枝を立たすもの」で「添え木」の意ではないかと考えている。
  • 『アソベ』は「あそ」+「べ (辺・端・方・部)」で、「あそこ (彼処)」「かなた (彼方)」の同義語。「離れた所・遠い所・辺境」の意。
  • 『アカル宮』「あかる (散る・分る)」は「離れる・それる・外れる」の意で「あそべ (彼辺)」と同義。「みや (宮)」は、ここでは「宮殿」の意よりむしろ「集落・集積地・都市」の意。よって「アカル宮」は「辺境の都市」の意。


『天映を受くる オホナムチ 散るアソベの ウモト宮 造る千尋の 掛橋や 百八十縫いの しらたてに 顕国魂 オホナムチ 津軽 ウモトの 守となる』ホツマ10文

  • 『天映 (あふゆ)』は「天からのふゆ」の意で、「ふゆ」は「はゑ (映・栄)」の変態で「恵み・潤し」などの意。
  • 『ウモト』は「ふもと (麓)」の変態。「末・下・裾」などの意でやはり「辺境」を意味する。「むつ (陸奥)」という地名は「うもと」が転じたものと推察する。同時に元来「アソベの丘」と呼ばれた「岩木山」 の麓の意もかけている。
  • 『千尋 (ちひろ)』「尋」は両手を広げた長さ。これは身長とほぼ同じとなり、ホツマが伝える当時の平均身長は 8尺=1間=1.8m である。よってまともに考えれば 千尋=1.8km となる。
  • 『百八十 (ももやそ)』これはタケミナカタを除いたオオナムチの子の数。
  • 『しらたて』これは不明。「たて」は、装飾を兼ねたついたてのようなものか。ホツマには防具に関する記述はほとんど無く、「盾」とは考えづらい。
  • 『顕国魂 (うつしくにたま)』「うつしくに (現し国)」は「(天に対して) 地・この世・現世」を意味するが、この文脈から考えると「移し国」で、「国替えされた」の意であるように思える。「たま (珠・尊)」は「とみ (富)」の変態で「優れた者・尊い者」の意の敬称。オオナムチはこの名で岩木山神社に祭られている。
  • 『津軽 (つがる)』は「つく (尽く)」+「かる (離る)」の合成動詞「つかる」の名詞形で、やはり「果て・辺境の極み」などの意。


「アソベ」「アカル」「ウモト」「ツガル」は、どれも「辺境・ど田舎・地の果て」という意の同義語なのであるが、この地の国守となったオオナムチはまた「日隅 (ひすみ) の君」とも呼ばれている。「ひすみ」は、筑紫 (九州) を表す 「つきすみ」に対する語で「津軽の地」を表す。

『オオナムチ 一度 落ちて 日隅君 その子 モノヌシ 忠をなす』ホツマ21文
『ヲヲコヌシ 御孫に申す "我が親の 日隅の君は 喜ばし"』
ホツマ21文


ところで日本書紀の第2巻9段一書2には次のような記述がある。

『時に高皇産霊尊、すなわち二神を還り遣して 大己貴神に勅して曰く、今 汝が言う所のものを聞くに、深くその理あり。故、更に条条(おちおち)にして勅す。それ汝が治すあらわの事は、これ吾が孫 治すべし。汝は以ちて神事 治すべし。また汝が住むべき天日隅宮(あまのひすみのみや)は、今まさに供え造らん。即ち千尋の栲縄を以ちて、結いて百八十紐と為し、その宮を造りし法は、柱は則ち高く大きに、板は則ち広く厚くせん。また田を供えつくらん。また汝が海に遊び往来の備えの為に、高橋・浮橋 及び天鳥船 また供え造らん。また、天安河にまた打橋 造らん。また百八十縫の白楯を供え造らん。また汝が祭祀を司らんは、天穂日命 これなり。』

この部分が前述のホツマツタヱの件と同じ事柄について語っているのは明らかと思われる。そして日本書紀の言う「天日隅宮 (あまのひすみのみや)」は、杵築宮 (出雲大社) であると一般に信じられている。しかしホツマは「日隅」を津軽の地であるとし、「天日隅宮」は、アソベのウモト宮 (岩木山神社) だと言っているのである。



そしてオオナムチの後任として「ホヒの尊」を出雲の国守とする。

『ホヒの尊を 元政』ホツマ10文

この部分を日本書紀は『また汝が祭祀を司らんは、天穂日命 これなり』と書いている。


これによってホヒは出雲に下り、政庁である杵築宮に入るわけだが、杵築宮は出雲大社ではない。
「キツキ (杵築)」の地名は、ソサノヲが罪を許されてクシイナタ宮を建てた時の『貴日 拠り 清地にきつく 宮の名も クシイナタなり』の「きつく」に由来すると考える。したがって「キツキの宮」、これを「玉垣内宮」とも称するわけであるが、これはクシイナタ宮の近隣にあったと考えられる。そしてクシイナタ宮は今の「熊野大社」、キツキの宮は今の「神魂神社 (かもすじんじゃ)」と考える。神魂神社の由緒はそれを語っている。

『神魂神社の由緒』
出雲国造の大祖天穂日命が、此地に天降られて御創建。天穂日命の子孫 (大社町、北島・千家両国造) は元正天皇霊亀二年(716) に至る25代果安国造迄、祭主として奉仕。斉明天皇の勅令により出雲大社の創建なるや、杵築(出雲大社) へ移住したる。


出雲大社は、はるか後代に崇神天皇が大物主神の祟りを恐れて、天日隅宮を出雲に復興再建したものと考える。出雲の神主フリネが討たれた後、出雲の臣は恐れて神の祭をしなくなる。ヒカトベの子の歌に胸騒ぎを覚えた崇神天皇は「出雲を祭れ」と命じているが、これを出雲大社の創始と見る。これ以降、出雲の政庁も杵築宮 (神魂神社) から出雲大社に移転されたものと思われる。それとともに出雲国の政庁の代名詞となっていた杵築宮の名も移転したのだろうと考える。



参考サイト:http://gejirin.com/mitinoku.html
     :http://gejirin.com/hotuma10.html



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